とうとうこの日が来た、とおなまえは珍しく落ち着かない気持ちでいつもと違う分け目の前髪に触れた。
頭を動かすとチリンと耳元でイヤリングが揺れて、不慣れな感覚に先程から耳を掛けたり仕舞ったりを繰り返していた。
エクボとトメに選んで貰ったミモレ丈のペンシルスカートは前にスリットが入っていて、歩きにくくは無いが歩く度に薄いデニールのタイツに包まれた足が目に入る。


--無防備では。


道中でそんなことが頭に過り、おなまえは時折立ち止まりながらも今更着替える訳にもいかないと現実に向き合って再び歩き始める。
待ち合わせ場所の駅前広場にはまだ芹沢の姿はなく、ポシェットから手鏡を出して身なりを確認した。


「……」


仕事と違って、瞬きをする度にきらめく瞼とくるりと上を向いた睫毛。
ピンクに艷めくリップ。鏡に映る表情は確かに自分なのに、まるで自分に似た別の誰かを見ているようでおなまえは今日何度目かの前髪を直す仕草で気を紛らわせた。

おなまえの化粧直しはリップを塗り直す程度しかできないと理解している母が施してくれたメイクだから、変に崩れはしていないだろうが落ち着かない。
小まめに鏡でリップが落ちてないか、髪が乱れていないか確認するように母から言われたものの見れば見る程自分らしく無いような気がして。

パチンと手鏡を閉じ時計を確認する。
待ち合わせの時間まであと15分。


--芹沢さんが来るまで一人でこの感覚に耐えないといけない…


悶々とした気持ちは相変わらず表情には出ないが、携帯を用もなく見てみたり腕時計を頻りに気にしたりといった動作に現れていた。


「ねぇ、お姉さん。待ち合わせすっぽかされちゃったの?」


不意に肩を叩かれ、おなまえはそちらを見た。
明るい茶髪の男が「さっきから時間気にしてるよね?」と柔和に笑いかけて来る。


「いえ。私が早く着きすぎただけなので」
「え。そうなんだ〜こんなキレイな人待たせてる人がいるんだね。デート?」
「……」
「あれ、気に障った?ごめんねちょっとお近付きに…」


この人は一体何なんだろうかと男を見つめていたおなまえだが、その肩越しに駅から出て来た人影を見つけて凭れていた背を上げる。


「すみません。困り事でしたらそこに交番ありますのでそちらで」
「えっ!?いやいや違くて」


駅に向かおうと歩き出したおなまえの手を男が掴んだ。
反射的に肘を返してその手を振り払うと予想外の動きに男はよたつく。


「まだ何か?」
「ぅお。何今の凄いね〜お姉さん合気道か何かやってんの?」
「…用がないなら失礼しますね」
「待ってよ連絡先だけでも交換しよー」
「彼女に何か用ですか」


ヘラヘラとしながら後を付いてくる男に困っていると、おなまえの肩を後ろから伸びた手が抱いた。
見上げると芹沢が男とおなまえの間に入るように立っていて、「芹沢さん?」と声を上げると「待たせちゃってすみません」と苦笑を浮かべる。
男は自分より体格のいい芹沢を検めると途端に顔を顰めて「なんでもないですよ」と足早に立ち去って行った。
その男の背中が遠くなっていくのを見てから、おなまえの肩から手が離れていく。


「す、すみません咄嗟に」
「大丈夫です。ありがとうございました」
「……」
「…?」


ペコリと頭を下げると、芹沢がじっと此方を見つめて沈黙したままでおなまえは一度首を傾げてから自分の姿を思い出した。


「……やっぱり似合ってませんか」
「え!違います!!似合ってます!とっても!!」
「そ、そうですか…?」
「モデルみたいです。キ、キレイです」
「ありがとう…ございます」


二人して俯き合い立ち止まっていると、芹沢が「此処にいるのもなんだし、いきましょうか」と頬をかく。
それに頷いて二人は歩道を歩き始めた。


「前の、お休みの時と雰囲気違いますね」
「これは…デートなので」
「デっ…!」


初めて見るスカート姿に、失礼とは思いつつもつい視線が集中してしまう。
「もしかして、二人で会うことをみょうじさんなりに特別に思ってオシャレしてくれたのかな」という考えがチラついていた芹沢はおなまえのデート発言でギクリと狼狽えた。
そんな芹沢を見ておなまえは少しだけ口元を綻ばせる。


「お腹もう空いてますか?」
「あ。はい、もうすぐお昼ですし」
「良かった。予約してあるので、行きましょう」


予約、と聞いて畏まった場所だったらどうしようと芹沢は一瞬躊躇ったが、すぐにおなまえが「全然お堅い所じゃないので大丈夫ですよ」と言ってくれたお陰で胸を撫で下ろした。
駅前に立ち並ぶビルのひとつに入り、エスカレーターで上階へ向かっていく。
ゆっくりとしたスピードで登りながら、各階に並ぶ書店や雑貨店たちを見ているとキャラメルの甘い香りが漂って来た。


「甘い匂いがしますね」
「映画館もこの中に入ってるので、そこの売店からですかね」
「あぁ、それでですか!」
「芹沢さん映画は観る方ですか?」
「いやぁ、専ら地上波放送を家で見る感じで…もう随分映画館で観てないと思います」


思い返せば子供の頃に行った以来なのではなかろうか。
そう芹沢が言うとおなまえは少し考えた様に黙ってから「今公開中の『おくりもの』、オススメです」と芹沢を見つめた。
一瞬ドキリと胸が高鳴って、「そうなんですか」と相槌を打ちながら芹沢はこれは次の会う約束をとりつけてきているのか、それとも深読みのし過ぎだろうかと思案する。

そんな芹沢の気持ちを知ってか知らずかおなまえは「お店ここです」と示して中に入っていく。
後をついて用意されていた卓に着くと座席の間隔は広めに取られてこそいるが明るく、居心地の良さそうな店内だった。
昼時というのも相まって客入はほとんど満席なようだ。


「串物なんですけど、芹沢さん魚介とか茸とか食べられない物ありましたっけ?」
「ないです、食べられます」
「良かったです。最初に聞いておくの、忘れちゃってたので」


おなまえは傍らのメニューを指差して「季節のおまかせコース頼んであります。気になるものあったら追加で頼みましょう」とテキパキ説明しながらお絞りや箸など用意していく。
まるでお客さんに除霊コースの説明をしている時のようだと芹沢はその様子を見て思った。


--もし、普段からみょうじさんがこんな雰囲気だったら…


きっと自分は見惚れて仕事に身が入らないことだろうと容易に想像出来て芹沢は小さく頭を振る。


「…どうしました?」
「あっ。いや……」


席に着き、対面したことで未だおなまえの見目に緊張している芹沢は言葉に詰まる。
しかし既に一度口にしたし自分の好意も伝えてあるのだから今更だ、と自身に言い聞かせて口を開いた。


「今日のみょうじさん、ホントに綺麗で。あ、いつも綺麗だとは思ってるんですけど!ちょっと…いえ、かなり、俺浮かれてるかもしれません」
「そう、ですか」


恥はかき捨てと首まで赤くなった項に触れて気を紛らわせる。
するとおなまえも少し俯いて顔にかかった髪を耳にかけた。


「喜んで貰えてるなら、勇気を出してオシャレして来て良かったです」
「ぐ……」
「変じゃ…ありません?」


おなまえが首を傾げると、照明の当たる角度が変わって瞼と耳のイヤリングがキラリと輝く。
女性らしいその仕草に芹沢は首を強く横に振った。


「変じゃないですっ好きです!」
「私を好きなのは、もう知ってます」
「は、はい…」


僅かに目を細めたおなまえに芹沢の鼓動はドキドキと早鐘を打ち続ける。

いつもより上気したように見えるのは、メイクのせいなんだろうか。
それとも良いように取ってもいいのだろうか。

色々な思考が頭の中を渦巻いて、芹沢は運ばれた串揚げたちの味もよくわからずに噛み締めていた。


---


食事を終えて、「少し歩きませんか」というおなまえに連れられ二人はビル街の裏手にある遊歩道を隣合って歩いていた。
街の喧騒を遮るように並べられた植木たちのお陰か、駅前の通りに比べるととても静かで緑の香りがする。

歩きながらおなまえは今日の天気の話や、今いる場所は静かで気持ちがいいといった無難な話をしている。
芹沢はそれに同じ様に無難な返事をしながらも、今日はおなまえらしくなくよく話してくれるなと感じていた。

今日が特別だからだろうか。
特別だと、彼女も思ってくれているだろうか。

ほんの少し手を伸ばせば触れそうな位置に並ぶ二人の手。
触れていないのに、隣合っている手の甲が熱くて意識してしまう。


「芹沢さん」
「……はい」


取り留めもない話の合間に一呼吸置いておなまえが立ち止まった。
それに合わせて芹沢も立ち止まり、おなまえを見る。


「雨の日、お風呂とお夕飯ありがとうございました」
「い、や。あのままになんて出来ませんし…、当然のことをしたまでです」
「今日も駅前で助けてくれました」
「あれは…考えるより先に体が動いたというか……」
「今日の私も…綺麗って、言ってくれました」
「……」
「嬉しかったです。すごく」


いつも僅かにしか表情に変化のないおなまえが、あどけなく笑った。


「私も、芹沢さんが好きみたいです」
「ほ…んとうですか」


目を見開く芹沢に、おなまえは頷く。
「本当です」と控えめにおなまえの指が芹沢の手に触れた。
緊張や高揚、未知への不安の感情が流れ込んできて、自分の気持ちとおなまえの気持ちが混ざり合っていく。
「同じ、ですね」とおなまえの指に自分の指を絡めて、芹沢も照れたように笑った。


---


「え。お前ら付き合ったの?いつから?」
「えっと……」
「3ヶ月ほど前からですね」
「は!?」


思わぬカミングアウトに霊幻は大声を上げる。
晴れて恋人同士になったものの、恋愛初心者の二人の進歩はとても穏やかだった。
勤務中は特段変わりもなく、付き合ってしばらくは霊幻もエクボも二人が交際し始めたことに気付いていなかった。
3ヶ月と少し経った今日、芹沢の学校もないし珍しく3人揃って上がろうとした時2人がアイコンタクトしたことに違和感を覚えてようやく気付いたくらいである。


「言えよ」
「えっ!すいません」
「もっと早く知ってたら俺だって気ぃ遣ってやれたのに」
「……気を遣う、ですか?」
「おなまえにばっかり留守番させてたし。芹沢も慣れて来たから2人で行かせたりとかも出来た訳だし」
「いつも通りで不都合ありません」
「そこは不都合とか云々じゃなくて…ホラ、付き合いたてなんだから出来ることなら四六時中一緒にいたいだろって……思うよな??」
「ん〜…まぁ……そうです、ね?」


気を遣える上司だろ、と得意気な顔をしていた霊幻がおなまえの反応に顔を顰めて芹沢に同意を求める。
芹沢は苦笑を浮かべて首を傾げながら頷いてみた。

確かにおなまえと一緒に居られる時間が増えれば嬉しい。
けれど今でも夜には互いに連絡し合うし、休みが合えば2人で出掛けもするし、想いが通じ合って一緒にいられるだけで今は満ち足りていて、2人の時間が不足しているとは思っていない。

「そういうものなのかぁ」程度に霊幻の話を聞きながら芹沢は普段より軽めのリュックを背負った。


---


好きだとどうやら、触れたくなるし触れられたくなるものらしい。
おなまえは帰りに通りがかった書店に並ぶ女性誌の煽り文に目を留めていた。
興味本位でその雑誌を手に取り、パラパラと内容を粗く確認していく。

中身は性認識の違いを上手くパートナーに打ち明けられない、だとか倦怠期をどう乗り越えるか、だとか恋愛ビギナーのおなまえたちの数歩先行く内容だったが、「ふむ」と考え込みながらおなまえはその雑誌を購入した。

その日の夜、もう緊張も解けてきた夜毎の電話で、おなまえは切り出してみた。


「克也さん、私に触ってみたいって思うこと、ありますか?」
「ひぇっ!?」
「私は抱き締めたいとか、手を繋ぎたいとかはよく思います」
「ぁ…う、お、俺だって思い……ますけど……」


触ってみたい、とは何処までを示しているのだろうと芹沢は唐突に振られた話題に困惑した。
手くらいは漸く芹沢からも自然に繋げるようになった。
休日に待ち合わせした時や別れる間際、家族ともそうしているのだろうおなまえの方から軽くハグをされるのでやっとそれには応えられるようになったくらいの自分の経験値では、とてもすぐに答えが出せそうにない。


--もしかして、俺からスキンシップして欲しい…のかな……


ここ数回のデートを思い出してみても、いつも触れてきてくるのはおなまえの方だ。
ハーフ故かスキンシップのハードルはおなまえの方が低いように思う。
芹沢は言葉に迷いながら、沈黙してしまった電話先に向かって言った。


「俺…その、万一おなまえさんに嫌がれたりしたらと思ってしまってなるべく、表に出さないようにしてたんですけど」
「? はい」
「ふ、普通に性欲ありますし、あの…想像したりもしますし……触り、たいですよ、俺も」
「想像…ですか」
「ごめんなさい、気持ち悪いですよねすみません」


まるで目の前におなまえがいるように芹沢は机に額をつける勢いで頭を下げた。
電話越しの彼女に伝わる訳はないのだが、居たたまれさにどうしようもなくなっての行動。
しかし思いの外おなまえの声は動揺した様子もなく「気持ち悪くないです」と言い切った。


「寧ろ少し安心…しました」
「え?」
「恋人にそう思うの、当たり前だと思いますし。それに私、女らしくない方でしょうから…そういう気持ちになってくれるんだ、とわかって安心しました」
「…あの。前から思ってたんですけど」


淡々としたおなまえの声。
その中で度々おなまえが口にする”女らしくない”という言葉が聞き捨てならず、口を開いた。


「俺にとっておなまえさんはとっても魅力的ですし、可愛いんです。自分を卑下しないで下さい」
「……かわいい、ですか…?」
「これは俺だけ知ってればいいことだと思ってますけど…。なるべくスカートでデートに来てくれるのとかお化粧頑張ってして来てくれてる所とか、仕事中だってこっそり霊幻さんより少し多くお茶菓子出してくれるのとか家族の話になると饒舌になって”家族大好きなんだな”って」
「か、克也さん!もう、そのくらいで…大丈夫です」
「…とにかく、俺はそういうの全部可愛いなって思います」
「ありがとうござい、ます…その、自信…持ちますね」
「はい!」


芹沢の勢いに捲し立てられて、おなまえがたじろぎながらも言葉を返す。
こんなに具体的に指摘されると思っていなくて驚いたが、それは必然そんな細かいことさえ芹沢が気に掛けてくれていることにも思い至っておなまえは目の前に芹沢がいないのにそわりと前髪に触れた。


「あの、提案があるんですけど…」


芹沢が熱冷めやらぬ内に続けて、おなまえは「はい」と息を込めた。



---



ガラガラとキャリーケースを引く芹沢の隣を歩きながらおなまえは辺りを見回す。
電車に揺られて県を跨ぎ、山深い道を進んだ先に現れた立派な佇まいの日本家屋に”趣深い、とはこういうことか”とおなまえは思った。


「とても素敵な旅館ですね」
「そうですよね。古くからある秘湯なんだそうです」


以前相談所にあった仕事で慰安旅行を兼ねて来ていたらしく、「依頼の時はおなまえさん来られなかったので、どうかなと思って」と芹沢が誘い、休みを合わせて二人は温泉旅行にやって来た。
出迎えてくれた女将さんは芹沢を見ると「まあ。その節はお世話になりました」と挨拶をしてくれ、「霊幻さんから頂いた有難いお薬のお陰で体調も良いし、噂もすっかりなくなったんですよ」と笑顔を浮かべて部屋まで案内してくれる。


「18時に夕食をお持ち致します。どうぞごゆっくりお寛ぎ下さいませ」


襖が静かに閉められ、各々荷物を置きながら山道を歩いて来た体を伸ばした。


「秘湯なだけあって結構山奥でしたね…おなまえさん疲れてませんか?」
「少し休めば大丈夫です。……ところで、何をそんなに詰め込んできたんです?」


芹沢が持ってきていたキャリーケースは連泊でもするのだろうかと言う程の大きさで、おなまえは首を傾げる。
「万が一道に迷って遭難したら…と思ったら色々詰め込んじゃって…」と芹沢は頭をかいた。
アルミシートや懐中電灯、火起こしセットと非常用乾パンがゴロリと開かれたキャリーケースから覗けている。


「ここに来るのは二回目なんですよね?」
「前に来た時、行きは俺、意識が無くて運ばれてたので…ちょっと心配で」
「意識が無い…って」
「あ!大事にはならなかったですよ!?電車でうたた寝したまま起きれなくなっちゃってたんですけど、結局起きれましたし」


当時の仕事中の様子と無事に依頼を終えられたことを芹沢の口から聞き、おなまえは「それはよかったです」と備え付けの急須にお茶を淹れながら頷いた。
しばらくお茶を啜りながら窓の外の景色を眺めたり取り留めもないことを話したりして過ごしていると、おなまえが「そういえば」と窓の外に視線をやったままふと言葉を零す。


「温泉のマナー、一応調べてはきたんですけど」
「ああ、タオルを湯に付けちゃいけないとかですか?」


コクリとおなまえは首を縦に振ってから傾げた。


「湯にさえいれなければ体を洗うのにはタオル使って大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。…あ、それにおなまえさん温泉慣れてないって聞いてたので、個室の温泉借りられるようにして貰いました」
「個室?」


こういった旅館や浴場施設に行った経験がほとんどないおなまえのことを考えて、他人のいない空間の方が羽を伸ばして貰えるかも、と芹沢は前以て女将に用意して貰っていた。


「とりあえず16時から1時間押さえて貰ってますけど、オフシーズンで他のお客さん少ないみたいですしどちらでも好きな方で」
「……」
「お夕飯の後でも希望があればまた入れるよう手配して貰えるみたい、で……? おなまえさん?」


視線を僅かに落として黙っているおなまえに今度は芹沢が首を傾げる。
するとおなまえはハッとして顔を上げた。


「すみません、気を遣ってくれたのに。ありがとうございます」
「いえいえ。……何か気がかりなことでもありました?」
「…一緒に、入ります?」
「え」
「そういう意味ではない?」


おなまえの言葉に一気に芹沢の顔が赤く染まる。
そういう気持ちが全く無い訳ではないが、良いのだろうかとおなまえの様子を窺うとおなまえも気恥ずかしそうに視線を逸らした。


--入っていいなら入りたい…けど、理性を保てるか不安すぎる…!!


「い。あ、えっと」
「……」


おなまえは言葉を撤回するでもなく芹沢の返事を待っていた。
撤回されないということは、恐らく"一緒に入ってもいい"という意思表示なのだろうと察せるが、念の為芹沢は確認してみる。


「おなまえさんは、イヤでは…」
「ないです」
「…す、よね!」


薄々そう答えるだろうなと予想はしていたがやはり自分の心の準備が足りない、と芹沢が赤面したまま狼狽えていると、そんな様子を見ておなまえが「ふふっ」と笑い出した。
おなまえが声に出すほど笑ってみせるのはとても珍しくて、その声に芹沢は絡まった思考を一旦停止しておなまえを見る。


「なんだか、一生懸命な克也さんを見てたら落ち着いてきました」
「え。よ、よかった…です?」
「…たぶん、もし今日一緒に入らなくても、その内またこういう機会がありますよ。気長にいきましょう」


手に汗握っていた芹沢の手におなまえが触れた。
もみくちゃになっていた糸が解けるように気持ちが落ち着いてきて、芹沢は小さく礼を言った。


---


結局個室風呂は別々に入って、疣尽くしの夕食に舌鼓を打ち食後のまどろみの中テレビの地方番組をBGMにいつも夜の電話で話すような雑談をする。
二人並んでテレビに映る芸人のリアクションをなんとなしに眺めている最中、芹沢はチラリと背後の襖を見た。

少しだけ開いている襖の先にはピッタリと並んで敷かれている布団があって、初めて二人で間近に過ごす夜が来るのが楽しみのような、そうでないような。
布団を意識したことで緊張が伝わったのか、隣でテレビの画面を見つめていたおなまえが芹沢を見上げる。


「克也さん?」
「! は、はいっ」
「どうかしましたか」
「えっと……いや、なんでも…ゆ、浴衣似合ってますねぇ!」
「…三回目ですよ、そう言ってくれるの。でも、ありがとうございます」


気を紛らわせようと口を着いた言葉は既に何度か言っていたようでおなまえはクスリと笑ってお礼を言った。
「明日の準備してきますね」とおなまえは布団の敷かれた寝室に向かい、自分の荷物から着替えを出したりポーチを鏡台に用意したりしている。
その後ろ姿を後目に芹沢は時計を見た。
まだ20時になったばかりの時計の針を見て、夜の長さに緊張が高まってしまう。


--眠れる自信が無い…!


万が一のことを考えて夕食時に勧められたお酒を断ったのだが、いっそあの時飲んでいれば少しは緊張も緩んだかもしれないと後悔する。
でもおなまえを傷つけたくないし嫌われたくない、と思う程顔が険しくなって、眉間に皺が刻まれた。
そんな芹沢の背中が不意に温かくなる。
腹におなまえの手が回されているのを見て、後ろから抱き締められていることに気付き芹沢は振り返った。


「ど、どうしました?」
「難しい顔してたので、リラックスしないかなと」
「あ……あはは、そんな顔、してましたか」
「霊幻さんに雑用を押し付けられたエクボさんみたいな顔してました」
「そっそんなに嫌そうな顔でした……?」
「……克也さん?」


「はい」と返事をする前にグイッと持ち上げられる。
座っていた姿勢の芹沢をまるでお姫様よろしく横抱きにするとおなまえは立ち上がった。
突然のことに芹沢は声を上げる。


「うわ、えっ!?ちょ……おなまえさん!?」
「……私が力持ちなの、忘れてるみたいなので思い出して貰いました」
「それでなんでお姫様抱っこ…?」
「なんか、”私が嫌がったらどうしよう”とか”傷つけたらどうしよう”とか考えてたでしょう」


敷かれた布団にそっと置かれて、芹沢は身を正した。
おなまえはその前に腰を下ろして芹沢の手に触れる。
緊張で冷えた芹沢の手におなまえの熱が移っていく。


「私、嫌だったらちゃんと抵抗できますし、ご存知の通り丈夫です」
「ど、どんだけ乱暴にすると思われてるんですか俺…」
「克也さんがとっても考え込んでたので、余程のことなのかなと思って」


「気長に、って言いましたけど」と言いながらおなまえは触れた芹沢の手を自らの頬に触れさせ擦り寄った。
まるで猫のようなその仕草の後、薄い色素の瞳が芹沢を写す。


「もっと克也さんを知りたいです」


触れ合っている箇所からおなまえの高揚や緊張が伝わり広がっていく。
自分と同じだ、と芹沢は長い睫毛が伏せられるのを見つめて顔を寄せた。


---


薄ぼんやりとした灯りの寝室に、襖の隙間から消し忘れた隣室の白い光とテレビの音が差し込む。
興奮に揺らぐ意識の中肌が触れ合う感覚だけが明確で、見降ろされているおなまえは開けた浴衣から腕を抜いて芹沢の首に腕を回した。
密着すると肌から香る自分ではない匂いにおなまえは甘えるように擦り寄る。
応えるようにおなまえの腰を抱き寄せて、何度も唇を重ねた。


「か、つやさん…その…なるべく見ないで…」
「…………善処、します」
「ぅ…、」


常に触れ合っているからなのか、制御する余裕がないということなのか、未知の感覚におなまえの戸惑っている感情が流れ込んでくる。
露わになっていく白い肌に生唾を飲み込むと、おなまえが胸を庇う様に左腕を前にやった。
見過ぎた、と芹沢がハッとしておなまえの顔色を窺うと小声で「小さいので…」と赤く染まった頬が俯いた髪に隠される。


「俺、そんなこと気にしてましたか?」
「いえ…わか、るんですけど…ん、っ」
「ハハ、です…よね。俺もわかります」
「すみ…ませ…ぅあっ、ん」


ぷくりと主張する胸の先を指の腹で擦る度におなまえが肩を震わせて声を堪える。
互いの意思が筒抜けなお陰で、ちゃんと気持ちよくなってくれているどころかどう触る方が良いのかわかるのは便利だなと芹沢は思った。


「うぅ、…」


今まで出したこともないような自分の声に抵抗しているおなまえが意地らしく愛おしくて、芹沢は徐々に朱の差していく胸元に舌を這わせる。
白磁の上を滑る舌の動きにおなまえはゾクリと背を浮かせた。

声が洩れないように必死に耐える気持ちも理解できるが、その上で聞きたいとも思ってしまう。
おなまえが芹沢をもっと知りたいと言ったように、自分も未だ知らぬおなまえの面を知りたい。
自分の中に彼女を暴きたいと思う感情があっただなんて、初めて芹沢は知った。


「無理、そうになったらやめますから…出来る所まで触ってもいいですか…?」


存外に喉から出た声が掠れていた。
やめられる自信は正直無いに等しいが、おなまえの中に少しでも恐怖や拒否の念が湧いたら自制しようと言葉に出して誓う。
汗ばんだ滑らかな脚に手が触れて、その先に進む許しを待った。
おなまえの意識が芹沢の手に集中して下唇を噛む。
少しでもリラックスできるように太腿から膝へ肌を撫で、首筋に唇を寄せると頭を抱かれた。
羞恥心に苛まれながらもおなまえが自ら芹沢の体を跨ぐように足を開き「やめないで」と耳元で囁く。

その声に煽られ、ぶわりと血が巡っていくのがわかった。
顔を見ようと頭を上げようとするとそれを拒むように強くぎゅうと抱き着かれる。


「ぐ」
「見ないで…っ」
「わ、…かりました」


辛うじて腕の隙間から真っ赤な耳が見えただけで今のところは我慢をした。
おずおずと膝から腰へと手を擦り上げると、おなまえが腰を浮かせたのに合わせて下着に手を掛ける。
顔をひた隠しにしながらも行為には応じる様がアンバランスでクスリと芹沢が笑うと冷静になろうとおなまえが呼吸を整え始めた。


「ふぅ、…はぁ…、っぁあ!」


僅かな水音と共に異物感を感じておなまえが眉を一瞬寄せた直後、芹沢が親指の腹で陰核に掬った愛液を塗り付け反射的に嬌声が上がる。
急にやってきた強い刺激におなまえは体を強張らせて芹沢の手を抑えようとしてきた。
しかし、埋めた指の滑りが良くなってきているのを見て芹沢は抑えられたまま腕を動かして見せる。


「だ、だめですそれ…ぇ、あぁっ、や」
「痛くは、ないですよね」


顔を隠すよりも芹沢の腕を押さえつけることを優先しているせいで快感に浮ついているおなまえの表情が見えた。
少しだけ怯えたような表情ではあるが、泥濘を纏った指で触れる度に瞳を細めて鼻にかかった声が上がるのに合わせておなまえが感じている痺れにも似た感覚が芹沢にも走り始める。


「っ、おなまえ、さん」
「ふ…ん、んぅ」
「…、はぁ…なんだコレ…やば…」
「ぅあ、あぁ…ん、っ!」


親指の動きを止めないまま中を探るように沈めた指で襞を掻き分けると、ザラついた箇所を見つけて肉壁を圧す。
おなまえの腕からは力が抜け、ただ芹沢の腕に縋るようになった指先が軽く芹沢の肌を掻いた。
蜜壷は更に濡れてぐじゅ、と水音が激しくなっていく。
きゅうきゅうと指が締め付けられていきながら、体に溜まっていくおなまえを通しての快感に芹沢も眩む。


「ぁ…か、つや…さん」
「っ、…はぁ…」


今にも零れそうな涙で満ちた瞳が瞬く。
半身が痛む程血が滾って、苦しさに芹沢は深く息を吐いた。
するとおなまえが膝を軽く曲げ、芹沢の自身を下着越しにスリスリと膝先で擦る。


「ちょっ………と、」


--恥ずかしい
--絶対変な顔してる
--はしたなくてごめんなさい
--嫌われたくない
--克也さんにも、気持ちよくなって欲しい


不意に加わった刺激におなまえを見ると、視線が合った瞬間思考が流れてきた。
頭に過った言葉を理解しようと噛み砕く前に、おなまえが口を開く。


「…いっしょに、気持ちよくなりたい…です…」
「っ、…俺も、です」


嫌う訳ないのに、乞うように震える中から指を抜いて口付けた。
開けたままだった互いの浴衣の帯を解いて、素肌で絡み合う。
用意していた避妊具を被せるとおなまえが上体を起こした。
芹沢の肩に手を置くと、立ち上がった怒張に自ら秘所を宛がう。


「わ。ぁっ…おなまえ、さ…」
「もし…痛いのまで伝わったらすみません…」
「この体勢だと余計痛くないですか…?」
「自重でいれきろうと」
「そんな無茶な…」


おなまえの腰を片手で支えてやりながら、入れやすいように自身の根本を芹沢が持つとおなまえが腰を落とした。
濡れてこそいるが入口はやはり固く、自身の先が無理矢理拓く感触に芹沢は歯を噛み締める。
おなまえは息を深く吐きながら芹沢に腰を寄せて少しずつ飲み込んでいく。
その様子をじっと見つめているだけでゾクゾクと背筋が浮くような気持ちが走った。


「は…、はぁっ」
「…ぅ…辛く、ないですか…?」
「へいき、…ですっ…」


みちみちと埋まっていく感覚に窮屈さを感じながらも慎重に挿入し、ようやく粗方を収めた所でふう、と互いに息を吐く。
おなまえは集中していたようで芹沢に痛みが届くことはなかったが、苦しそうに汗を滲ませているおなまえを見て張り付いた髪を脇に流してやる。


「少しだけ、待って貰ってもいいですか…」
「大丈夫ですよ。水飲みますか?」
「ありがと…ひぁっ!」


ぐ、と体勢が変わっておなまえが後ろに手を着いた。
中の角度が変わり芹沢の先が腹側を擦っておなまえは咄嗟に出た声に俯き、繋がっているのから視線を背けるようにして小さく「ごめんなさい…」と呟く。
おなまえの声と途切れた集中から襲ってきた刺激に中の自身が質量を増してしまい、「俺こそ、すみません」と二人で顔を赤らめて謝り合った。

隣の部屋から引き寄せたペットボトルの水を渡すとおなまえはコクリとそれを飲み下してから「克也さんも飲みましょう」と再び水を口に含む。
俺にくれるんじゃ、と芹沢が思うのが早いか否か、おなまえがそのまま口付けてきて隙間から温くなった水が少しずつ流し込まれる。


「ん…、あ…りがとうございます…」
「…ふ…もっと飲みますか?」


突然のことで飲み込み切れなかった分が唇の端から顎を伝っていく。
それを舌で追いながら聞くおなまえに芹沢は胸がきゅうと締め付けられた。


「それ、より…」


おなまえの手からペットボトルを取り上げて傍らに置くと、引き締まったおなまえの括れに手を回す。


「もう…動いてもいいですか…」


おなまえが後ろ手になったことでまるで自分から肢体を差し出しているように見えることや増した密着感に興奮が煽られ、水を飲んだばかりの喉が渇くようだった。
ギラついた視線におなまえも体の中心が火照るような感覚に頷く。
おなまえの背を支えて布団に寝かせそれを自分の体で覆い隠すと、緩やかに律動を送った。
内蔵を暴かれる感覚にゾワリとしながら、ジリジリと腹の奥の熱を揺さぶられている内にくぐもったおなまえの声が段々と艶を重ねていく。


「ん、っあ、あぁ…っ」
「…っ、は……ぁー……」


自身の先でおなまえの中を掻き分けると、埋める度にきゅうきゅうと襞が締め付けてきて気持ちがいい。
無我夢中で打ち付けそうになる衝動をなんとか抑えているとジンジンと四肢の先が熱くなるような感覚がやってきた。


「うあ、あっ!ん…」


--奥、ぞわぞわする…
--克也さん気持ちよさそう
--私も、きもち いい、かも


「ぐ…、はっ……、…」
「!? んぁあっ!や…あっ、ひぅ…っ」


奥を突かれる内にまた制御が効かなくなってしまったらしく、互いの感覚が混ざり合っていく。
上塗りされていく快感におなまえが喉を反らした。
薄桃色に染まったその首筋に唇を落として根本まで自身を繰り返し打ち込む。
荒い呼吸に胸が上下するのを密着した上体で感じると、頭の芯が焼き切れそうな熱に浮かされたまま、とっくに砂嵐に変わっていたテレビが早朝の番組を映すまでおなまえを掻き抱いた。


---


「またお寛ぎにいらしてくださいな」
「お世話になりました」
「またお願いします」


見送りの女将にぺこりと頭を下げて、来た山道を二人は下り始めた。
相談所と学校や家族への土産が増え、ゴロゴロと重たい音を立てる芹沢のキャリーケースの上にはおなまえのボストンバッグが持ち手に引っ掛けられた状態で乗っている。


「すみません、荷物」
「全然なんてことないです!…すみません、無理をさせて…」
「無理はしてなかったんですけど…」
「けど…?」


山道は下りの時の方が筋肉を使うと言うが、とおなまえは自分の腰と腹に手を宛てる。


「初めてこんな所筋肉痛になりました」
「ゴフッ!んん"っ」
「克也さんも痛くありませんか?」
「俺は…まぁ…自業自得というか…結果でいうと得というか…」
「ふむ……これは精進が必要ですね」


筋肉に自信のあったおなまえのプライドを擽ったのか、「鍛える箇所を増やさないと」と違う方向に熱意を燃やしていた。
それを見て芹沢は咳払いをする。


「……してる内に鍛えられると思いますけど…」
「! ……それもそう…ですけど…」


芹沢の言葉におなまえは前髪にそっと触れて口籠った。
まさか「もうしばらくはしたくない」と言われるんじゃ、と芹沢の脳裏に緊張が走る。
緊張を察したおなまえはすぐに「したくない訳ではないんですよ」と否定した。
その言葉に安堵しつつも理由がわからず芹沢が見つめると、おなまえは決まりが悪そうに切り出す。


「シンクロしてしまうのが…心身共に自分を追い詰めてるので…」
「えっ」
「私が考えてることなのか克也さんの感じてることなのか訳がわからなくなりますし…もう少しきちんと抑えられるようにならないと」
「………」
「克也さん…?」


黙ってしまった芹沢を見上げて首を傾げると、我に返った芹沢が首を振った。


「あっ。すみません。…制御ですかぁ…」
「こればかりは鍛錬あるのみです」
「そう…ですねぇ……」


--訳がわからなくなってるおなまえさん、すごい可愛かったのになぁ…


かといって鍛錬しようという腰を折るのもな、と芹沢は悩み、おなまえは新しい鍛錬のメニューを思案しながら二人は帰路についた。



Back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -