霊とか相談所は今日も今日とて平和な昼下がりを迎えていた。
失せ物探しの依頼もなく、なのに従業員はフルに出勤しているという人件費ばかりが掛かる日。
特段珍しいことでもないというのが霊幻の悩みのひとつでもある。

しかしそういう時はおなまえが芹沢の勉強を手伝っていて、手持ち無沙汰なのは自分だけという状況に内心「面白くねーな」と霊幻は椅子に背中を預けた。
悲鳴じみたギシリという音が部屋に響く。

暇で暇で仕方がないから、と霊幻は部下二人の観察を始めた。
おなまえが休みの日は平常運転、それが出勤日となると随所でソワソワする。
そんな芹沢を見て気が付かない訳もなく。
なのに気持ちを向けられているおなまえ本人が全く気が付いていない。
テレパシストなのに。いや滅多に使わないのは知ってはいるが。

勉強会を切っ掛けにちょこちょこ二人は本当の学友のように膝を合わせて机に向かっている。
しかしそれだけだ。一向に進展していない。
日頃耳に入る会話から察するに、休日に会うことは勿論業務連絡以外でまともに連絡し合ってさえいないと見た。

仮にフラれたとしても、おなまえは後腐れさせない程度の空気は読めるはずだ。
「いっそもう胸を借りるつもりでサッサと当たって砕けろよ」と傍目でやきもきしている霊幻の気持ちも知らずに、芹沢は「あ!こうやって解くんですね!」とか嬉しそうにおなまえに顔を綻ばせている。
一方のおなまえは口元ひとつ緩めずに「良かったです」と返していて、正直"良かった"とは微塵も思っていなさそうに見える。


--コイツももう少し表情がわかりやすければアプローチの方法も思い付きそうなものだが、生憎こういう女を好きになったことがないから本気でわからん。


この顔の差異をたまに芹沢はわかるらしくて、もしかして今の"良かった"も俺にはわからないだけで実は笑顔だったりするんだろうか。
と、おなまえを見ていて霊幻は気が付いた。


「…ん?おなまえ、お前髪自分で切ってんの?」
「はい」


突然の霊幻の言葉に不審がる様子もなくおなまえは答えた。


「美容院とか行かねぇの?」
「カットだけでいいのに色々されて何千円も払いたくありません」
「あぁ…お前ショートだしな」


そういう金銭感覚はあるのかと納得半分、女ってのは金が掛かるものだと割り切って行けよ社会人として、という気持ち半分で霊幻は頷いた。
そして閃く。


「道具あるし、おなまえもここで切ってくか?揃えるくらいでいいならだが」
「いいんですか?」
「手空いてるし。道具持ってくるからちょっと待ってろ」
「私このシャツですけど」
「襟元だけケープの中に隠れれば平気だ」


乗り気な返事が返ってきたので霊幻が道具の用意を始めると、おなまえは髪が落ちてもいいようにテーブルたちを少し動かして空間を作る。
中央に椅子を持ってきておなまえが腰掛けると、その首元にケープを掛けて霊幻は芹沢を手招いた。
一連の動作を見ていた芹沢は自分が呼ばれるとは思っていなくて、驚きながら近寄る。


「何か手伝いますか?」
「俺が言う通りにやってくれ。まず髪を場所ごとに分けるブロッキングからだ」
「はい。…はい?」
「耳から上と下で分けて。次にその左右」
「えっ。は、はい」


霊幻に言われた通りに芹沢はヘアクリップでおなまえの髪を分け留めていく。
一通り後ろ髪を分け終えたところで、霊幻は芹沢の手に梳き鋏を手渡した。


「じゃ。下の髪から切っていって」
「!? お、俺がやるんですか!?」
「いいよな?おなまえ」
「はい」
「俺なんかがやったらみょうじさんが外を出歩けなくなっちゃいますよ…!」
「"一切責任を問いません"って一筆書いてもらうか?」
「…」
「駄目ですって!」


無言で右手を上げてペンを持とうとするおなまえを芹沢は止める。
「揃えるだけだから難しいことねぇって」と、隣で霊幻が徐におなまえの髪を一筋取り鋏を入れた。
奥から手前へと段を刻むようにジャキジャキと音を立て、幾本かの髪が潔く床に落ちていく。


「コレに合わせて。ほら」
「…れ、霊幻さん」
「変な所あったら最後に俺が上手いことやるから!な」
「………すみませんみょうじさん…き、切りますね…?」
「お願いします、芹沢さん」
「……」


名前を呼ばれたのがまるで念押しされたように思えて、余計緊張が高まった。
本当のことを言うと、おなまえが霊幻に髪を切って貰うと聞いて少しだけ気持ちが落ち込んでいた。
なんて事のないように接することのできる霊幻が羨ましい、そう思ってしまった。
それが実は切るのは自分で。
髪は女の命というのにこんな自分なんかが。
梳き鋏を握る手に汗が滲む。

しかし一筋おなまえの髪を取ると、不思議と嫌な胸のざわめきが引いていった。
霊幻が切った箇所を見ながら、先程彼がしてみせたように鋏を動かしていく。
突然やってきた冴えたような感覚につられて、素直なおなまえの髪たちに集中するとたちまち下の段が切り揃えられた。


「うんうん。いいじゃないか芹沢くん。次、この上の段な。今やった下の段より気持ち長めに残すつもりで…こう。いいか?」
「わかりました。…みょうじさん、大丈夫ですか?髪引っ張りすぎてたりしたら教えて下さい」
「大丈夫です。痛かったら言います」


おなまえの言葉にホッと息を吐くと、続いて髪を切る作業に戻る。
霊幻の指示もあって順調に髪を切り終えると、最後に顔に掛かった髪の毛を払ってやる。
少しだけ短くなった髪を差し出した鏡で確認すると、おなまえは芹沢を見上げた。


「ありがとうございました、芹沢さん」
「変にならなくて良かったです…」


変ではないと言いたげにおなまえが首を横に振ると、切られたばかりの毛先が揺れた。
それを自分がやったのだと思うとさっきまで収まっていた緊張が今更やってきたようで、汗の滲む掌を握り締める。
切っている間は平気だったのに、と早まる鼓動を落ち着かせようと息を吐いた。


「そんなに身構えなくても。切り過ぎちゃっても訴えませんよ」
「身構えますよ…だって、みょうじさん綺れ…」
「?」


綺麗なのにと言いかけて、ハッと我に返りぐっと言葉を飲み込んだ。
「何でもないです」と返すと、ケープをはたく音に紛れて霊幻が「ヘタレめ」と呟く。
芹沢の耳にはバサバサという音に遮られて届かなかったが、みょうじはしっかり聞き付けていて霊幻に視線を向けるも、彼は此方に背中を向けていた。


「…切ってる間は平気だったんですけど、何か今更緊張しちゃって…」
「そうでしたか。じゃあ」


おなまえの髪に汗がつかなくて良かったと言う芹沢の手をおなまえが握る。
冷たくなっていた芹沢の掌に熱が伝わってからようやく「あ、汗が」と振り払おうとすると、もう片方の手も芹沢の手を包んだ。


「大丈夫ですよ。こうしたら落ち着きます」
「お、おちつかないですよ…」
「…? さっきは効いたんですよね?」
「え?」


寧ろ逆効果だと思っていると、おなまえの言った通り急に胸の高鳴りが穏やかに戻った。
不安や緊張が取り払われて、頭の中が静かになっていく。
「あ。なりました」と答えれば、おなまえの顔も安心したように緩んだ…ように芹沢の目に映る。


「こういう使い方もあるんですね…」
「マイペースが役に立ってよかったです」


まじまじと握られている手を見つめていると、「無理矢理同調させてるみたいなものなので、嫌になったらやめますから」とおなまえが言った。
芹沢はその言葉に頭だけでなく握られていない方の手まで振って否定する。


「嫌じゃないです!すごいと思って見てただけで」
「…そうみたいですね」
「!」


僅かにクスリと息が抜けて、おなまえが笑ったのだと気が付いた。
穏やかだったはずの胸の内がまたザワつき始める。
その一瞬後におなまえが片手を離して自分の口元に手を当てた。


「すみません。力量不足だったみたいです…ちょっと離しますね」
「…は、い」
「目にゴミ入ったみたいです。霊幻さん奥かります」
「はいよ」


ツカツカと真顔で横を通り過ぎるおなまえが奥の部屋の扉を閉めるのを見届けて、霊幻は奥に聴こえない程度の声で芹沢にニヤニヤと話し掛ける。


「おなまえセラピーして貰ったまま帰れば?」
「…霊幻さん、今のみょうじさんの顔見ましたか」
「ん?見たけど。いつも通りだったぞ」
「……あぁあ…」
「何だよ急に気味悪ぃな…どうした?」


目を瞠っていた芹沢が突如呻いて、受付のデスクに肘をつき両手で顔を覆った。
突然の部下の奇行に霊幻はブラシの手入れをしていた手を止める。

整理しないと。頭を。
さっきまで落ち着いていられたのは、みょうじさんがこっそり同調させてくれていたからで。
…てことはみょうじさんは俺に髪を触られても手を握っても何ともないと思ってて。
そこまではいいんだ。
意識されていないのは仕方がない。
俺に意気地がなくて踏み込みに行けないんだから。

でも手が離れる少し前。
胸がザワザワした時。
みょうじさんが驚いたのが手から伝わって、気が付いた時にはもう遅かった。
知られてしまった。
俺の気持ちを。


「どうしたんだよ?本当に。俺が背中向けてる間にキスでもしたか」
「そんなことできるわけない」


返ってきた芹沢の声が上擦りすぎて聞き取りにくいが、「だよな」と霊幻は頷いて芹沢の背を強過ぎない程度に叩く。


「何があったかわからんが、気にするなよ。おなまえはあの通り悪く思ってないぞ、多分な」
「…困らせました…」
「ん?」
「……なんでもないです」
「…お前な。何でもないってやつはそうやって机に突っ伏さないだろ。"聞いて下さい"って言ってるようなもんだからな、それ」


「てか目のゴミ取るの時間掛かりすぎだから俺奥行くけど、お前が行く?」と霊幻が奥のドアを親指で指し示す。
その言葉を聞いてようやく芹沢は重い頭を上げた。

目のゴミ…ってのは多分嘘だ。
それを知っていながら奥の部屋に迎えに行くのは勇気がいる。
霊幻さんはいつも通りって言ったけど、そんなんじゃなかった。
頬は強ばっていたし目だって揺らいでた。
俺があんなことを思ったばかりに、みょうじさんのペースを乱してしまったから、きっと一人で戸惑ってる。
………謝ろう…!

意を決して腰をあげる芹沢に、霊幻は「ついでにコレしまって来い」と先程まで展開されていた理容道具を渡して自分の席に戻った。
閉まる扉を再び見届けて、後ろの窓を振り返る。
遠い目でブラインドの隙間から覗ける傾き掛けた陽を眺めると、一呼吸。


「…塩でも買ってくるか」


---


扉を開けると案の定洗面台におなまえはおらず、霊幻が客に使うヨガマットを敷いてそこで座禅を組んでいた。
理容道具一式を抱えた芹沢が部屋に入ってきても、顔を伏せたまま禅を続けている。
声を掛けようとしてから手に持った道具たちが邪魔だなと、部屋の隅に立て掛けておなまえに近付く。
と、伏せたままおなまえが声を上げた。


「少し、待って下さい」
「はっ…はい」
「……」
「……」


声音からは感情が読み取れず、芹沢は言われた通りにその場でじっと待っている。
おなまえの深い呼吸音だけが微かに聞こえるが、数分そうしていると更に頭を下げ「…片付けます」と立ち上がった。
靴を履いてマットを巻き始める横顔に芹沢は声を掛ける。


「あ、あの。みょうじさん」
「はい」
「さっき…その、す…すみません、でした」


芹沢の言葉におなまえは身動きを止める。


「…何故芹沢さんが謝るんですか?」


ようやく顔を向けたおなまえの表情はやはり芹沢の目には強張っているように見えた。
怒っているのか苦しんでいるのか、どちらにせよマイナスの感情のように伺える。


「困らせたのがわかったので…えっと、触ってたからなのか、俺にもちょっとだけわかっちゃって」
「…そう、でしたか。こちらこそすみません。落ち着いて貰えればと思ったんですが…」


まさか逆流してくるとは思っていなくて、とおなまえが視線を下ろす。


「や!あれはなんていうか俺が悪かったから!みょうじさんは気にしないで…」
「……」


いよいよおなまえの眉間に皺が刻まれた。
こんなにハッキリと表情が変わるのは初めてで、芹沢の肩に力が入る。
その芹沢の前に「待て」をするようにおなまえは掌を差し出す。


「そのことなんですが、難しそうです」
「え"っ」
「先程から精神統一しようとしても全く集中できないんです。もう触ってないのに」
「…」
「ずっと脈も早いし、じっとしていると余計…ふわふわするみたいで」


そう言っている間にも、おなまえは丸めたヨガマットを床に立たせては右手で抱えたり左手で抱えたりと繰り返し持ち替えている。


「テレパシーの制御にはかなり自信があったんですけど…きっと私の能力が及ばなかったんです。私の感覚だけ伝わるように調整していたつもりなのに、お互いの思考までリンクさせてしまって」


それで、その…と言いにくそうにおなまえが視線を落としたまま、自分の襟元を親指から中指までの三本で摘んだり抓ったりと指先で弄る。


「あ、あんな感覚になったことがなかったので…その…」


顔にかかった横の髪を耳に掛けるが、僅かに長さが足りずにまた頬に戻ってしまう。
一瞬覗けた耳がピンク色に染まっていて、おなまえが下唇を小さく噛むまでの動作がやけに鮮明に芹沢の脳に焼き付いた。


「や、やっぱり、みょうじさんにも伝わっちゃったんですね…」
「そこまでするつもりはなかったんです。ほ、本当です…!」
「わかってます、そういう人じゃないのは…ちゃんと」
「…いつもなら、仮に見えてしまっても素知らぬ振りができるんですが…ごめんなさい」


か細い声でおなまえが詫びる。
それはどっちの意味の、と聞くよりも早くおなまえの口がその先を紡いだ。


「せ、芹沢さんはどうやってこの気持ちを抑えているんですか…?」


その声が泣きそうな程弱々しいものに聞こえて、思わずおなまえを引き寄せる。
踏み留まろうともしないで胸の内に収まると、互いの胸が早く脈打つのが伝わった。


「…これで、収まりますか…?」
「……すみません、収まらないです。これは、俺がしたくなったというか、せずにいられなくなって……すみません」
「構わないです、けど…余計…苦しいですね、これ」


すぐ側にあるおなまえの顔が、困り笑いを浮かべるように眉を下げる。

ああ駄目だ。ギャップがすごい。
耳や指まで心臓なんじゃないかという程バクバク鼓動がわかる。


「あの…迷惑でなければ……もう迷惑かもしれないんですけど」
「なんですか?」
「このまま、みょうじさんを好きでいてもいいですか…?」
「……」


おなまえが僅かに目を見開いた。


「それは、やっぱり、気の迷いではないってこと…ですよね」
「はい。迷ってないです」
「…そうなんです、ね」


この言い方は狡いとは自分でも思うが、やはり断られるのが怖くて腕の中のおなまえを抱く手に力が籠る。
おなまえはそれに嫌がる様子もなく収まっていた。


「好き、が…私よくわからなくて。このじっとしていられない程落ち着かなくて苦しいのが"好き"ですか?」
「…あと、みょうじさんが笑ってくれたり喜んでくれると胸が温かくなるのも、好きだと俺は思います」
「あぁ…あれですか」


先程の芹沢の様子を思い返しているのか、おなまえの視線が左右に泳ぐ。
これはまるでソワソワする我が身を芹沢に捕まえて貰っているみたいだと無理矢理別のことを考えてやり過ごすと、おなまえは頷いた。


「大分、強烈な感覚だと思います」
「…そうですね、俺も自覚した時すごかったです」


道端だったし、人目を気にしなければならなかったいつぞやの自分を思い出した。
あの後蕎麦を上手く啜れなくてひどく噎せたことまで覚えている。


「…あの…返事、なんですけど」
「はっ、…はい」
「私、もう能力使ってないので…ずっとコレが収まらないのは多分、芹沢さんを意識してるからだとは思うんですが」
「…」
「さっきも言った通り、"好き"だと思ったことが今までの人生でないので答えをすぐに出せません。時間を下さい」
「…はい」


浮ついてない頭でちゃんと判断したいので、とおなまえは芹沢の腕を解いた。
解かれた自分の手を見てやはり性急すぎたと自らを戒める芹沢に、棚に理容道具をしまいながらおなまえは言う。


「落ち着きはしませんでしたが、嬉しかったです。だから気にしないでくださいね」
「は、はい…! あっ、片付け俺が霊幻さんに言われてたんで。俺やりますよ」
「…じゃあ、先に戻ってますね」


一足先に部屋を出るとそこには霊幻の姿はなく、机に書き置きだけが残されていた。


"塩買いに行ってるわ。目のゴミ取れたら連絡しろ"

「……」


いつも霊幻が塩をしまっている引き出しには確かに塩はない。
しかしおなまえは何の気なしに、ふとその上の引き出しを開けてみた。
そこには普段使う筆記用具や便箋たちの上に無造作に突っ込まれたように未開封の状態の塩があって、おなまえはその引き出しをそっと閉じた。


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