ガヤガヤと騒がしい大衆居酒屋。
そんな喧騒さえも今の私には子守唄のようで心地良い。
ぽわぽわ揺らめく視界が揺さぶられると、ほとんど毎日聞く上司の声が聞こえた。

あれ。こんな所に霊幻さんが居るわけないのに。幻聴かな?

ゆっくりと重たい頭を上げれば、そこにいたのはやっぱり霊幻さんで。
「何でいるんだろう?そっくりさん?」と首を傾げたつもりが頭の重みで肩ごと机にまた伏せてしまった。


「ほらおなまえ、霊幻さん迎えに来てくれたよ」
「あ〜ほんもろかぁ」
「どうも。大分酔ってんな…」


伏せた私をポンポンと友達が叩く。
「今日はもうお開きにして、帰りな」と声を掛けられた。

確かに座っているのに地面が揺れているように見えるし、なんとか意識がある内に帰った方が良いかもしれない。

鞄を手探って友達に自分の分の勘定を渡して(多分渡せたと思う)、フラリと立ち上がれば霊幻さんが肩を支えてくれた。
「じゃあねぇ〜」とヘラヘラ笑いながら手を振ると友達はそれを返してくれて、隣の霊幻さんからは「酒クサ」と小言を言われる。

お店の外に出るとお酒で火照った頬が夜風に触れて気持ちがいい。


「ところれなんれ霊幻さんいるんれすか?」
「お前車だろ。それじゃ運転できねーだろうが。友達がお前の携帯から連絡してくれたんだよ」


「何で上司に連絡してくんだよ、普通彼氏とか家族じゃねーのか」とか文句を言いながらも私の車があるパーキングまでしっかり抱えてくれる。


「あはは、いませんもん。そんらの」
「…寂しいヤツ」


友達には、私が霊幻さんに片想いしてることを相談している。
きっと気を回してくれたんだろう、明日お礼言わなきゃ。覚えてたら。

私の愛車の鍵を開けて、助手席に乗せられる。
自分で中々シートベルトが閉められなくてガチャガチャ音を立てていると、運転席に回った霊幻さんが代わりに閉めてくれた。
お礼を言うとズイ、と頬にミネラルウォーターのペットボトルが押し付けられて「明日も仕事なの忘れるなよ」と言われた。


「酒薄めとけ」
「ありあとう、っぁいます」
「……貸せ」
「なにからなにまれ」


ペットボトルの口を開けられずにいる私を見兼ねて霊幻さんが開けてくれる。
「気持ち悪くなったら言えよ」と霊幻さんが言うと車が発進する。

自分の車の助手席に座るの、初めてだなぁとか
運転中だと割増でカッコイイなぁとか
そんなことを思いながらぼんやり霊幻さんを見つめていた。


---


「…みょうじ」


走り始めて少しして、霊幻さんに呼ばれた。
それまでぼうっと霊幻さんの横顔を見ていた私はその声で少しだけ意識を覚醒させる。


「はい」
「お前友達に上司の話してんの?」
「え?あ〜…良い人なんれすよって、言いましたねぇ」
「あっそう」
「…なんか言われました?」
「別に」


正直友達が連絡した時はほとんど眠りこけていて覚えていない。
なんと言って呼びつけたのかもわからない。
グビリとミネラルウォーターを飲んで気を紛らわせる。

霊幻さんの方を向くのが何となく恥ずかしくなって、窓に額をくっつけた。
夜空は晴れていて、もうすぐ満月になりそうな月がぽっかりと浮かんでいる。
入れっぱなしにしていた好きなアーティストのアルバムが、車内の空気をしっとりさせてく。
どうしてもっとポップなCDにしておかなかったんだろう、恋の曲しかないじゃん。私のバカめ。

もう意識は大分ハッキリしてきているけれど、ここはまだ酔っていることにして寝た振りをしてしまおう。
困った時は逃げるに限るって、私の経験則が言っている。
目を閉じて、車の揺れに身を任せた。

そういえば私、家の方向教えてないけど…住所だけで私の家に着けるんだろうか。
聞かないで車を出したってことは、着けるんだろうな。
霊幻さんは地理にも強いんだなぁ。

そんなことを思いながら微睡みに流されていると、振りで済ませるつもりが本当に眠りに落ちてしまっていた。


---


優しく左右に体が揺さぶられている。
流れていた曲が聞こえない。
目を閉じたままそう思っていたら、名前を呼ばれた。


「みょうじ」


霊幻さんの声だ。
ああそうか、酔った私の代わりに運転してくれてたんだっけ。
段々思い出してきた。
車、停まってるのかな。だから静かなのかな。

霊幻さんの手が私の手を握って、「起きろ、着いたぞ」と声を掛けられる。
温かくて、優しい力のそれに もう少しだけ、このままでいようかなと悪戯心が芽生えた。
だって普通に仕事してて、手が触れることなんて滅多にないし。
もうちょっとだけ甘えたって、バチは当たらないよね。


「……」


起きない私に、霊幻さんは黙ってしまった。
あー。霊幻さんの声、もっと聞いてたかったのに。
次起こされたら、起きようかな…どうしようかな。

そう思っていたら髪がスルリと一束流れた。
霊幻さんが私の髪に触れてる。
そのまま頬を撫でられて、私じゃない体温が肌を滑る。

え。どうしよう。
予想外の行動に思わず乱れそうになった呼吸のリズムをなんとか保った。
お酒で火照ってて良かった。
じゃなかったら今頃赤く染った顔で寝た振りがバレてしまう。


「おなまえ」


名前を呼ばれて、瞼が震えた。
次起こされたら起きる。
そう決めていたから、ゆっくり瞳を開く。


「れい、げんさん」


返事の代わりに霊幻さんを呼ぶと、頬から手が離れていった。
名残惜しくて離れていくその手を目で追ってしまう。


「家着いたぞ。立てるか?」
「…はい、ありがとうございます」


自分でドアを開けて立ち上がる。
バタンと音を立ててドアを閉めると、見慣れない景色なことに気が付いた。
あれ?と思う前に霊幻さんに手を引かれる。


「足元気をつけろよ」
「あ…すみませ……?」


何処だここは。
周りを見回しても見慣れない住宅地があるばかりで、霊幻さんの後をついて行きながら首を傾げる。
そんな私を他所に霊幻さんの足取りは迷うことなくアパートの一室の鍵を開けて、「入っていいぞ」と私にドアを開けた。
言われるがまま中に入り、未だ状況を理解出来ない私はその場で立ち尽くして必死に頭を働かせる。

霊幻さんは私の隣で靴を脱ぐと慣れた手つきで部屋の電気を点けた。
コートを脱いでハンガーに掛けると、ネクタイに手を掛けてシュルリと解いていく。
思考停止してそんな彼の姿を見つめていたら、霊幻さんが振り返った。


「いつまでそこにいるんだよ。靴脱げ」
「え。は、はい」


急いで靴を脱ぎ揃えて一歩部屋の中に踏み入る。
「上着貸せ」と霊幻さんがハンガー片手に手を差し出して来て、反射的に言われた通りに私もコートを脱いだ。


「あの、霊幻さん」
「ん?」
「ここは……?」
「俺の部屋」
「…………」
「まぁ、座れよ。狭くて悪いが」
「あ…お構いなく…」


ソファーを示されて、控えめに腰掛けた。
私、実はまだ夢を見ている?
そう思って自分の頬を抓ってみた。


「…っ」
「…何してんの?」
「夢かと…」
「夢だったか?」
「痛いです…」


「だろうな」と霊幻さんは笑って出入り口脇の部屋に入っていった。
その間に私は温くなった残りのミネラルウォーターを煽り飲み込む。
寝てる間に何かあったんだろうか。
いやそれよりも何で普通に私を部屋に入れてるの?
てか霊幻さんこういう部屋で暮らしてるんだ…意外に綺麗。や。霊幻さん綺麗好きだから当たり前かもしれない。

すっかり醒めた頭で一生懸命思考を巡らせてもわからない。
いっそまだ酔っていられていたら。
現実逃避と現実直視を繰り返して顔が青くなったり赤くなったりしている内にスウェット姿の霊幻さんが戻って来た。


「酔いは?覚めたか?」
「お陰様で…」
「おー。大分ハッキリ喋れてるな」


霊幻さんは傍らのビニール袋とタンスからTシャツらしきものを出して私に渡してくる。
差し出されたまま受け取りながら、「あの」と尋ねてみることにした。


「…何で霊幻さんの部屋に…?」
「みょうじの家知らないし」
「カーナビ……」
「そういやカーナビあったっけ?思い至らなかったわ、スマン」
「あ。いえ、いいんです!寧ろご迷惑お掛けしてすみません」


深く頭を下げると「とりあえず着替えたら?服皺になるし。脱衣所そこな」と顎で示されて、確かにこのままでいるのもなとお言葉に甘えて着替えることにした。
脱衣所のドアを閉めて、霊幻さんのTシャツに着替えてみる。
オーバーサイズでまるでミニワンピのようだ。

彼シャツというやつ…?とふと口に出してしまいそうになるのを飲み込んで、一緒に渡されたビニール袋の中身をうかがう。
メイク落としの入ったミニサイズのスキンケアとシャンプーのセットと歯ブラシ、インナーが入っていた。
もしかしたら私が寝ている間にコンビニに寄って買ってくれたのかもれない。

寝ちゃうんじゃなかったな…と後悔してももう遅い。
長時間メイクを乗せた肌はもう限界だし、スキンケアセットたちを開けて顔を洗う。
顔はサッパリしたけど頭の中はぐちゃぐちゃだ。

纏まらない頭のまま部屋に戻って、「コレありがとうございます」と袋を持ち上げて霊幻さんにお礼を言う。
霊幻さんはソファーに移動していて寝そべったまま「おう」とだけ返事をした。
ベッドに腰掛ける訳にもな、と思って床に座る。


「……何でそこに座るんだよ、寒ぃだろ」
「えっ」
「ベッド使え」
「泊まれってことです?」
「は?逆に泊まるなって言うと思うか?」


「こんな深夜に」と霊幻さんは呆れたように息を吐いた。
確かにそれもそうなのだが。


「ほ…ホラ私もう酔い覚めましたし!」
「だから?」
「車…運転できますから」
「帰んの?」
「……」


そう言われると、こう言ってはなんだが勿体無い気もする。
でもでも付き合ってもいないのに同じ部屋で寝泊まりしてしまうのは倫理的にどうなんだろう。
悩ましさに顔を顰めると霊幻さんがニヤリと笑った。


「何。怖気付いたか?」
「…怖気付いてません。霊幻さんはこんな時どうこうしてくるような人じゃないです」


売り言葉に買い言葉で、着替え直そうと浮かせていた腰をベッドに降ろし、霊幻さんに背を向けて布団に潜り込んだ。
「ベッドお借りします!」とヤケになって言えば笑い声が返ってくる。
余計なことを考えてしまう前に寝てしまおうとそのまま目を瞑れば、笑い声が収まって一瞬の沈黙が降りてきた。
一拍置いてから、霊幻さんの声。


「お前が思う程俺は人間できてないけど?」
「…そんなことないです」
「……本気でそう思ってんのか?」


人を探るような声でそう言われて、車から降りる直前のことを思い出してしまった。
優しく触れてくる掌。
甘く名前を呼ぶ声。
振り払う様に枕に顔を埋めると、霊幻さんの匂いがした。

同時にギシリと音を立ててベッドが2人分の重さに沈む。
顔にかかっていた髪を霊幻さんが指で梳いて私の耳に掛けた。


「寝たフリすんなよ」


赤く染った耳を擽られて、芝居は無意味と悟る。
恐る恐る目を開け横目で様子を伺うと、それに気づいた霊幻さんは不敵に微笑んだ。


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