※過去拍手7月


「おいしくない…牛乳…」


朝一番のピークタイムを乗り越え、客の波が引いたタイミングで一度止めていた検品作業に戻っていると、ふと商品名を呟く声が聞こえて顔を上げた。
声のした方にいたのは、就活生だろうか少しくたびれたリクルートスーツを身に纏った女で、乳製品売り場の棚を見つめていた。

少し曲がったその背中からは、朝から陰気な気配を感じる。


--就活生か。……上手くいってないんだろう、気持ちはわかる…


勝手に同情の視線を密かに送っていると、女が口にしていた商品を手に取った。
名前こそ”おいしくない”なぞ言い張っているが、実際はその逆で1L / 108円という低価格からは考えられない程上手い。
隠れた名品ではある。
あるのだが。


--お前今から何処かしかの会社に行くんじゃないのか?


1Lだぞ。持ち運ぶにゃあ容量がデカすぎるだろう。
しかもこの暑い日に、常温で保管なんて衛生的にマズい。
200mlの方を選べ。そちらの方が安いし、すぐ飲み切れるだろうに。

俺の心配も知らずに女はフラフラとゆで卵と1Lの方のおいしくない牛乳を持ってレジへと向かっていく。
今レジの中では誇山が煙草とホットスナックの補充をしていたはずだ。


--誇山!その女を止めろ…!!


スママスタッフも板についたお前ならわかるだろう、その女はその牛乳を"買うべきではない"んだ。
出来るコンビニ店員として、お客様を正気に戻してやれるのは今お前しかいない…!

そう考え、注意をして見てはいるが俺の作業も早く終わらせなければ、次の仕事が立て込んでしまう。
本当にコンビニ店員はマルチタスクが多くて奥が深い仕事だ。
空になった検品のコンテナを重ねながらレジの方に耳を傾ける。


「85円が1点、108円が1点…合計2点で193円になります」
「はい……3円あります…」
「待て待て待て!!」


誇山め、何の疑問も抱かずに商品をスキャンしてしまっている!
酷い剣幕で会計を中断させる俺を訝し気に誇山が見てくる。
何故気づかないんだお前も。おかしいだろうが。

俺はずれ下がった眼鏡を直して、客の女に向き直る。


「…お客様、今日は昼頃炎天下の予報がでています。乳製品を持ち歩くのに不向きな陽気と存じますが」
「え…」
「この量を一気に飲み切るのも苦しいでしょう。他のサイズの物をオススメします。もしよろしければ交換致します」
「ぁ…、そう…そうですよね。これ、大きすぎますもんね、アハハ…」


「お願いします」と軽く頭を下げられて、誇山にデカい方の牛乳を取り消し処理させる。
まだ清算前だからただボタンを押してスキャンするだけだ、難しくもない。
-108の数字がレジスターの前面に表示されたのを確認してから俺は女が持ってきた牛乳を売り場に戻し、飲み切りサイズの紙パックを替わりにレジカウンターに持っていく。


「わざわざすみません。…ありがとうございます、気づいてくれて」
「いえ。またのご来店お待ちしております」


ガタリと音を鳴らしてコンテナを乗せた台車を外に運び出す。
その間際に誇山にアイコンタクトすれば、「バッチリだ」と言いたげに親指を立てていた。
どうやら無事に会計が済んだらしい。

関係者以外が入らないように囲ってある柵の中にコンテナを降ろすと、さっきの女が「あ」と駐車場を横切ろうとしていた足を止めた。


「あの、さっきはありがとうございました!」
「構いません。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「…いってらっしゃい、って…すごく久し振りに言われました」


俺が何の気なしに言った挨拶に、女が一瞬呆けてからくしゃりと笑う。
本当に心の底から嬉しかったのか、「お兄さんのお陰で元気、湧いてきました!」と時々誇山がするようなガッツポーズをして女が手を振った。


「また来ますね!お兄さんもお疲れ様ですー!」


来店時の憂いが晴れたようで良かった。
一時凌ぎにしかならんかもしれないが、やっぱり暗い顔でいるより笑顔でいる方が物事っていうのは上手くいきやすいだろう。
その手助けが少しでも出来たんなら良い。

駅方面へと向かう女の背中はピンと真っ直ぐ張っていて、活力を感じる。
その背中に俺は頭を下げて、姿が見えなくなってから俺も店内に戻った。
戻った矢先「さっきの客から栄養ドリンク差し入れて貰ったぞ」と嬉々として話す誇山に、俺の分だと青いラベルの茶色い小瓶を渡される。

元気が貰えるのは俺もか。
たまにこういうのがあるから、コンビニ店員は本当に奥が深い。




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