※過去拍手7月


自分にはほんの少しだけ霊感があるのだと思っていた。
小さい頃から薄ぼんやりとした影をいくつも見ていたし、声が聞こえたり、ラップ音だとか足音だとか、幽霊相手にこう表現するのも変だとは思うけど存在感をすぐ側に感じたりはしょっちゅうだった。

金縛りに遭うのだって日常茶飯事だったし、でもそれが私を恐怖させるくらい実感のあるものではなかったから「きっと私の霊感がそんなにないから、感じ取る力もその程度なんだろう」てな具合に都合良く解釈していた。

よく山には霊魂が集まるとか聞くけど、街中と対して変わらないなと思ったから高校からの趣味の山歩きも続けていたし。
森だろうが海だろうが、少なくとも一般人が立ち入れる場所ならああいう存在は何処にでもいるんだろうと思う。

いつも遠巻きにそこにいて、たまに自己主張するみたいにこちらに干渉してくる。
そんなレベルだった。少なくとも今までは。


「……人…?」


たまの連休を満喫しようと日程を組んだソロキャンプ中。
不思議な気配を感じて辺りを見回した。

もうすぐ日も暮れるというのに、数十メートル先の木々の間にえらく軽装備の人影が見えて私は懐中電灯を持ってその人を追い掛けた。


「あの!もう夜になりますよ、散策はそこまでにした方が……」


ゆらりと移動していたその人にはすぐ追い付いて、段々と暗くなる視界をライトで照らす。
私が向けた光に気が付いたのか、木々に溶け込むような濡葉色の背広を着た男性が振り返った。

文字通り、背景に溶けるようにその身体が振り返り様に揺らめく。


『キミは、私に言っているのか?』


まだ数メートル距離があるのに、すぐ側で話されたように明瞭に言葉が入ってくる。


--人じゃ、ない。


気付いてしまったけれど、もう、相手も私を認識してしまっている。

こんなにハッキリ姿形が見えたことや、まさか幽霊と言葉が交わせるだなんてと初めてのことに思考が停止する。
幽霊に自分から関わろうとだなんて、そんなつもりはなかったのだけど。
だって今までのそういう類のものは皆モヤのようにぼやけていたから。

固まり足を止めた私に、目の前の霊は近付いてくる。
モヤに纏わりつかれたことはあるけれど、それで体が重くなっても数分で解けていたし、「邪魔だな」と思ったら煙を払うようにすれば霧散していた。

でも目の前の"コレ"は?
よく見ればその輪郭が揺らめいているのはわかるけれど、何度瞬きをしてもやはり明確な身体があるように見える。

あと十数歩という距離の所まで近付かれて、急に我に返りその場から逃げ出した。
霊体相手に物理的に離れることは意味があることなのかわからないけれど、「逃げなければ」と思った。


「ハァ……ッ、ハァッ!」


自分の荷物のことなんて忘れていた。
アレが着いてきているか、後ろを振り向き確認する余裕もない。
ただ身を占める恐怖に駆られ我武者羅に頼りない小さなライト1本の光を頼りに茂みを掻き分けて山を下っていた。

不意に、視界が開けて。


「!? きゃ……ーーー」


喉が息を吸い込んだ途端、重力に従って山肌に体が打ち付けられる。
突然の痛みに固まった体。
それでも何か掴める物はないかと擦れて裂けた掌で掴まれそうな場所を手探った。
ゴロゴロと抵抗虚しく転がり落ちた私は強く地面に胸を打ち、しばらく呼吸は疎か指先ひとつも動かせないでいた。


--痛い……出血は……してる…けど何処から、だろう。多分、胴体は大丈夫……


落下の衝撃で手から離れたライトが、せめて光ったままであれば誰かに見つけて貰える可能性も捨てずにいられたのに。
首が動かせなくてわからないけれど少なくとも今私の視界の中には闇夜に染まりつつある森だけ。
携帯も、置いてきた私の荷物に紛れた上着の中だ。


--少し経てば…痛みが収まるかも……、それとも……


自分の体の状態が、わからない。
ただ痛くて、動かそうと思っても指先さえ動かないということだけ。
もしかしたら、五体満足でないのかもしれないという不安が過ぎる。
ようやく吸えるようになった息も、呼吸の度に胸に痛みが走って思考を鈍らせる。


--……死ぬ、のかな……


これはもう、出遭った霊に私は呪われてしまって、逃げた所で避けられなかったのかもしれない。
自分の息遣いと、葉同士が風で擦れ合う音。
虫の鳴き声と一緒に、獣の足音もする。

最悪の状況を覚悟しなければいけない。


--あー……海外の山とか、登ってみたかったな……


こんな時にまで山に思いを馳せるなんて、根っからの山好きだったんだなと元気であれば自分を笑ってあげたい所だったが、口角をひくりと震わせて多分不格好な笑顔もどきを作ったに過ぎないと思う。
意識を保つ限界がやって来て、瞼が重く私の視界を狭める。
閉じきって闇に染まる直前、誰かが私の側に立っていたような。そんな気がした。


---


瞼越しに朝陽を感じて目を開くと、木々に縁取られた空でもましてや自室の天井でもなく、貫禄を感じさせる業務用エアコンが埋め込まれた見知らぬ天井があった。


「……? い!た……」


首を左右に振って此処が何処なのか把握しようとした時、首に重だるい痛みが走った。
視線だけで出来うる限り見回すと、カーテンの引かれた空間がいくつかある、というのがわかる。

指は……動く。
腕を動かそうとすると痛んだのですぐに諦めて、指の触感で自分がさらりとしたシーツのベッドに寝かされているんだと把握した。


--病院……?


誰かが、私を見つけてくれた……?助、かった……?

夢でないのは体を動かそうとする度やってくる痛みのお陰でわかるけど、どうやってここまで運び込まれたのだろう。
ナースコールらしき器具を両指の届く範囲で探して、手繰り寄せる。
ボタンを押して少しすると、看護師さんが来て声を掛けてくれた。


「意識が戻ったんですね。話せますか?何があったか、覚えてます?」
「は、い……山で、足を踏み外して……此処は……?」


私に繋がれた器具をチェックしているのか、サッと視線を巡らせた後看護師さんが尋ねてくる。
聞き覚えのない名前の病院だが、私が登っていた山に程近い所にあるらしい。
日付から察するに、転げ落ちてしまったその日の内に誰かが私を見つけてくれて、救助隊を手配してくれたんだろう。
その人のお陰で九死に一生を得た。


「あの……助けてくれた人に、お礼を伝えたいのですが……」
「お礼、ですか?えっと……救助隊の方にってことですか?」
「いえ、救助隊を呼んでくれた人に……ダメでしょうか」


看護師さんが持っているボードに目を落として、困惑したように首を傾げる。
最近は個人情報にうるさいらしいし、教えられないのかもしれないと撤回しようとした所。


「ご自分で救助要請をした、とありますよ。意識がハッキリしている内に連絡できて幸いでしたね。……その時の記憶が曖昧ですか?」
「え……?」


混乱している私に、看護師さんが運び込まれるまでの状況を読み上げてくれる。
薪を集めている最中足を踏み外して負傷した私は、何とかキャンプ地まで戻って救助を要請したらしい。
電話口の私は意識も明瞭で応答もはっきりとしていたらしい。
全身打撲と片足を骨折、その他は擦過傷による出血が見られたが自分で止血と固定の応急処置をしていた為回復に問題はない、と。

そんなはずがない。

絶対に私はあの崖下に倒れたままだった。
止血するにも足を固定するにも、あの時私は自分の服を裂く力さえ残ってなかったのに。

呆然としている私を他所に、看護師さんは「ドクター呼んできますね」と部屋から去っていく。
遠のいていく足音を聞きながら、私はまた天井のエアコンに目を向けた。


「……奇跡体験……?」


---


医師いわく超人的な回復力で快方に向かった私は、骨折した足のリハビリも順調に終え数日で退院することが出来た。
けれどこの奇跡体験が神様とか御先祖様の守護によるものじゃなかったことに私が気付いたのは、不自由ながらも日常に戻りつつあったある日。


「階段があんなにハードモードだったなんて……片足でこれなんて、バリアフリーが急がれるわ…」


慣れつつあった片足を庇いながらの移動も、自室に帰ったといえど油断は大敵で。
今まで全く気にしていなかった数ミリの段差でさえ驚異になり得る。
なるべく階下の住人に震動が伝わらないように配慮して慎重に移動した。

入院していた間滞っていた仕事を片付けなければと机の上の書類に手を伸ばす。
小高い丘と化していたその山から数枚が床に滑り落ちて、私は深い溜息を吐いた。


「わ〜……やっちゃったよ……」


片足を曲げられないから、落ちたものをしゃがんで拾うという動作が今の体では難しい。
行儀は悪いけれど適当な物で摘み上げられないだろうかと手頃な物を探していると、ふわりと床の上の紙が浮き上がる。


「……は…、え?」


空中を漂う書類に視線を注ぐと、その向こうに誰かが立っていた。
黒髪で、私より幾らか歳上そうな 濡葉色の背広。


「あ、……ァ……」
『そう怖がることはないだろう、私はキミの命の恩人なのだから』


視認した途端、私の体が震え始める。


「恩、人……?」


青褪める私の様子を一瞥して、霊は視線を机へ向けた。
彼の前で漂っていた書類が机の上の群れに戻って、私はその流れるような動きをただ見ている事しかできなかった。


『山で命を落とす所だったろう』
「それ、は…」
『けれど救助されて、キミは病院に運び込まれた』
「……」
『驚異的な速さで怪我も回復しただろう?』


思わず自分の骨折した足を見た。
ギプスで固定されて患部は見えないけれど、まさか。


『キミの体を少し使わせて貰った』
「……使うって、どう…?」
『崖から移動して、救助隊を呼ぶのにさ』
「…………何で、助けてくれた、んですか?」


霊の人助けなんて。しかも山で遭っただけの。
私の御先祖様でも、信心深い信者を救う神様でも、この人はないはず。
妖怪や悪魔の類だって、何の見返りもなしにそんなことはしないだろう。


『キミの才能を、開花させてみたくなってね』


『彼以外に、ここまでの力があるのは中々ないだろうな』と霊が愉快そうに目を細めた。
反射的に鳥肌が立って、自分の腕を撫でる。


「才能って、なんのことですか」


震えてしまう私の声に、霊は考え込むような素振りをした。


『気付いていないのか。…自覚がないから、私に声を掛けたのかな』
「あの時は、アナタが人だと思ったから……こんなにハッキリ形が見えたのは、初めてで」
『……なるほど』


私の返答は霊にとって納得できるものだったのか、顎にやっていた手を下ろして彼は頷いた。


『キミは霊力が強すぎるんだな。一般のそれと別軸にフォーカスされているようだ』
「そんな訳……何かの間違いです」


霊の言う霊力と霊感が同列のものならば、そりゃあ人に見えないものが少しは見えたりするけれど…でも私の霊感は弱いはず。
否定する私に彼は近付いてきて、すぐ目の前までやって来る。


『私の姿は見えるんだろう?どう見える?』
「……人に、見えます。黒髪に、緑のセットアップで…30代くらいの男性」


私の言葉を聞いていた霊が、最後の方でクスリと笑う。
何か的外れなことを言ってしまったろうかと彼を見て笑われた理由を探ろうとしたけれど、すぐに次の質問がやって来た。


『キミ、神社に行ったことは?』
「え?毎年、初詣にいきますけど……」
『そこで何か見たことはないか?』
「特には……?」


初詣以外で足を向けることはないけれど、毎年行っていて一度も不思議なものを見たことは無い。
霊に何処の神社を参拝しているのかを更に聞かれて答える。
『白い生き物は?』と言われて、それならあるなと頷いた。


「犬ならその神社で飼ってるのを見ますけど……いつも境内にいます」
『…キミが犬だと思ってるのはオオカミだ。神の遣いだよ』
「え……」
『いくらそこで飼っていたとしても、境内は神聖地だ。そこに上げることはない』
「神の、遣い」


霊の言葉に私はその単語を繰り返してなんとか理解を試みる。
でも、神様って。その遣いって。輝いていたりするんじゃないんだろうか。


「後光が差してたりとか、するもんじゃないんですか……?」
『キミが信仰心を持っていたら、そう見えるんだろうな』
「そういうものなんです…か?」


私の受け取り方で変わるものなのだろうかと、改めて目の前の霊を見た。
今まで疑問にも思わずに自分が神の遣いを目にしていたのはわかった。
なら、こんなにハッキリ見えるこの人は……?


「あなたは……?」
『最上だ』
「最上さん。…も、神様の遣い…ってこと?ですか?」


極めて一般人に見えるけれど。白くもないし。
私が問いながらも自分で疑問を感じている事を察してか、『いや』と最上さんは首を横に振る。


『ただの霊能者だったよ』


今し方私が視認できるのは神格レベルの存在と知った所なのに、そんな霊が"ただの霊能者"とは。果たして。
そんな霊が、全身打撲に骨折まで負った体を動かせるんだろうか。
ただ乗り移っただけで、あらゆる怪我を治せるんだろうか。

現実的に、不可能なことを。
正しく奇跡を 体現してみせる、そんな霊が。

私の顔色が変わると、さも考えている事がわかっているかのように最上さんは話す。


『心配することはない。霊力が低い人間なら、ここまで順応はしなかった』


まるで「この奇跡は自分が齎したものではない」とでも言いたいんだろうか、最上さんの声は淡々と私の身に起きていることを説明する。


『キミに適性があって、私との相性が頗る良かった。それだけだよ』


それだけ。
軽く言ってみせているが、簡単なことではないはずだ。普通なら。

……普通?
そもそも普通とは、どの状態のことだったろうか。
既に私の普通は塗り替えられているのでは。
神やそれに次ぐものと同格程度の力の霊が側にいて、普通で在り続けられるとは到底思えなかった。


「……たまたま私に才能があったとはいえ、最上さんのお陰で助かったのは事実です。そのことは…お礼を言います。ありがとうございました」


頭を下げて、謝意を伝える。
問題はこの次だ。


「…そ、それで……最上さんはいつ…ま、で……」
『……いつ、キミから離れるのか…か?』


私が躊躇った言葉が、最上さんの口から吐き出される。
頭を上げるのが怖くて、そのままの姿勢で答えを待った。
でもどんなに待っていても返答はなくて、不審に思ってとうとう顔を上げてみた。


「……いな、い?」


さっきまで目の前に立っていた最上さんの姿が見えない。
ホッと息を吐き出して、机に置いたままの書類に目を落とし溜まった仕事に向かう。
と、1番上に置かれていた2枚の書類が不自然に重なっているのが目に付いた。
1枚は意図があってそうしたように折られていて、もう1枚はいつの間に切れていたのだろうすっぱりと斜めに大きくわかたれて……


│ 今
│ ま
│ で   ど
│   こ
│  二   い
│     タ
│    と
│   思
│  う


ドキリと嫌な緊張感に指先が震えた。



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