《へえ、神になりたいんだ》
『なりたい、じゃねえ。俺様はなるんだよ』
(笑)の計画を立ち上げたばかりの時、ビルの屋上から降ってきた声につい俺様は噛み付く。
声の主はネオン街の明かりに照らされて文字通り空に浮かんでいた。
素性もわからねぇ奴に見下ろされて気分が悪い。
言い返されたことが面白かったのか、それとも脊髄反射で返した早さゆえか、ソイツは笑みを浮かべて俺様の前に降り立つ。
《ねぇ、私と賭けでもしてみない?》
春先の温い夜風が纏わりつく。
『俺様に何の得があるんだよ』
《暇潰しよ。暇潰し》
《だってアナタが神になったら面白そうだもの》と鈴を転がすように笑って、人でも霊でもない女は黒い羽根を広げた。
《安心して。悪魔は約束は守るのよ》
---
自称悪魔のソイツは霊力--といっていいのかわからねぇが--は高くて、俺様に協力的だった。
アイツがどこからか人を拐かして来て、俺様がそいつらを(笑)の信者にしていく。
悩める人々を連れてくるアイツの姿は毎回違ったが、一目で俺様には不思議と『アイツだ』とわかった。
時には老人、時には年若い娘、子供の姿で現れることさえあった。
憑依とは違って人を操ってのものではないらしく、強ち悪魔というのも本当なのかもしれねぇ。
『オイ』
《何でしょう、教祖様?》
『信者の振りすんじゃねーよ。面貸せ』
今日は何処にでも居そうな冴えない男の姿だったソイツを呼び付けて、最初に出会ったように屋上へと向かう。
ソイツは俺様についてくる間は大人しく信者の皮を被っていたのに、屋上の扉を閉めて外に出た途端ニヤリと笑みを浮かべた。
《今日も盛況だね、教祖様》
『……お蔭さんでな。全く、一体どこからあんなに連日人を攫ってこれるんだか疑問だぜ』
《この世に迷ってる人なんて山程いるからね。悪魔を呼ぶ程だもの》
《ま。呼ばれてなくても使えそうな人は連れてっちゃうけど》とケラケラ笑う。
見た目は男なのに動作や立ち姿が女性らしくて、なんとなく『最初にあった姿の方が地なんだろうか』と思った。
《ところでさ》
階下を行き交う人混みを見つめていたかと思うと、ソイツは俺様に人差し指と親指で作った輪からこちらを見つめてきた。
《近々少年に気をつけた方がいいよ。このままでありたいならね》
『あ?何でガキなんかに気をつけなきゃならねえ』
《傲慢だなぁ。でも神になるなんて豪語するくらいだもんね、君らしくていいよ》
コイツに俺様の何が一体わかるってんだ。
知ったふうな口を利く癖に、何故か怒る気もわかない。
『……お前名前あんのか?』
いつまでもお前とかコイツだとか言うのは呼び方に困る。
しかしそう聞けば、アイツは笑顔を引っ込めて頬杖をついた。
《……悪魔に名前を聞くなんてね。好きに呼びなよ》
『愛称とかねーのか?不便でしょうがねぇ』
《その場その場で適当に呼ばれてるよ。召喚された時くらいかな、ちゃんと名前を呼ばれるのは》
『はあ』
《悪魔ちゃんでいいんじゃない?》
答える気のなさそうな言葉に此方も気のない返事をすれば、《デビちゃんとか?可愛くない?》と悪魔は茶目振った素振りで自分を指さしている。
『…男の格好で”ちゃん”とか薄ら寒いわ』
《ああ。忘れてた》
今更自分の姿が冴えない男なのを思い出したのか、悪魔が目を瞬かせた直後突風が吹いた。
一瞬その風に目を閉じて、再び開けば最初に出会った女の姿で羽を広げていて、体を伸ばしている。
《なーんかこの姿に戻るのも久し振りだなぁ》
体の伸びに合わせて羽を伸ばし、まるで肩が凝っていたかのようにグルリと腕を回すと黒い羽は引っ込んだ。
『それがお前の本来の姿って訳か?』
《んー。この世界で一番楽に保てる姿って感じかな。気に入ってるし》
《中々人が放っておかないイイ顔してるでしょ?》と得意気にウィンクをされた。
……まあ、美女かどうかと言われたら、そうだろうなと思う。
悪魔は人を誑かす為に美しい姿をとる物が多いそうだが、こいつもきっとそうなんだろう。
見てくれが良いだけで人は心に隙を作りやすい。
俺様も取り憑く見目を選べば良かったかな、とかほんの少しだけ思った。
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《少年に気を付けろ》
アイツはそう言っていたっけ。
そうか、あのガキがアイツの言ってた《少年》だったか。
塵となって消えていく自分の体の欠片たちをぼんやり見つめていた。
このまま消えるのか?
まだ神になれてないのに。
《賭けでもしてみない?》
ふと悪魔の言葉を思い出した。
こんなザマじゃあ、賭けは俺の負けか。
でも一体、何を賭けていたっけ。
俺様が賭けられるものなんか、果たしてあっただろうか。
空気に溶けていきそうな欠片たちが、不意に伸びてきた腕に包まれた。
消えそうな視界に黒い羽根が一面に広がって、霊力のようなものが注がれるのが伝わる。
『……は…?』
散りかけていた体たちがくっ付き合って、ひとつの塊として出来上がっていった。
消えると思っていた意識が鮮明になって、俺様はその腕の主を振り返る。
《だから言ったじゃない。少年には気を付けるんだよって》
『お前……悪魔……!』
《あーあ。こんなに小さくなっちゃって、可哀想に》
俺様の体を掬いあげるように抱えて、悪魔はビルの屋上の手摺にもたれた。
何でコイツ、俺様を助けたんだ。
賭けの清算が済んでないからか?
思惑を読み取ろうと見上げると、悪魔と目が合った。
《小さくなってもその頬は変わらないんだね》
『……お前、何で助けたんだよ』
《えー?だって君まだ神になってないじゃない》
『こんなザマでなれる訳ねーだろ!』
《諦めちゃうの?》
まるで意外そうに目を丸くされて、俺様はつい言葉に詰まった。
もしかして、本気で神になれるって信じてんのかコイツは。
こんな味噌っカスみてーになっちまった俺様でも?
『こんな有様じゃ、賭けは俺様の負けだろ…』
《んー?私はね君が神になる方に賭けたの》
『は?』
《君はなるって言い切ったでしょ?だから私もそれに乗ったの》
《だから君がもし神になれなかったら、私たち2人とも賭けは負けだね》と悪魔は笑っている。
なんだそれ。
賭けって普通、互いが別の結果に賭けるもんなんじゃねーのか?
成立してなくないか?
『それじゃ賭けになってねーだろ』
《そう?でもねぇ、約束したから。私はちゃんと約束を守るよ》
『…なんの約束だよ、俺様した覚えないぞ』
《んふふ。”君が神になる為なら、私はどんな協力も惜しまない”それが私の約束》
悪魔の思考回路ってのはどうなってんだ?
何で良くも知らない俺様に《面白いから》って理由でこんなに全力ベットしているんだ。
『…お前にも得はねーじゃねぇか、それじゃあ』
《得だよ。面白いじゃない》
『理解に苦しむ』
普通、で考えてはいけないんだなとこの時ようやく悟った。
『……俺様がこのまま諦めたら、負けた俺様とお前はどうなんだよ?』
《そうだねぇ。私は魔界に何百年か拘束くらいかな?力も少し奪われちゃうかもしれないし、配下も何部隊か取られちゃうかもね》
『は!?俺様は?』
《悪魔が契約主との誓いを果たせなかったペナルティだから、君には別に?しがない悪霊として過ごすもいいし、成仏…だっけ?しちゃってもいいんじゃない》
《でももしまた神を目指すってんなら、もうちょっと頑張って見て欲しいな》と手摺に腕を乗せて悪魔はそっと俺様の輪郭を撫でた。
『何で数日前に会ったばかりの俺様に、そんなに入れ込めるんだお前はよ…』
《…………私の羽ね、元は白かったの》
仕舞われていた羽がヒラリと控えめに広げられて、悪魔は抜け落ちた自分の羽を1枚持ち上げてみせる。
光を吸い込むような漆黒の羽は本当に白かったことがあるのかと思わせる程暗い。
その羽を見つめる悪魔の瞳も、まるで過去を憂いているように沈んでいた。
《だけど人間の肩を持ちすぎちゃって、神様に追い出されちゃったの》
『…元は天使だったってのか?』
《すごいすごーい昔の話ね。今の自分の方が好きだし、別に神様に恨みなんかもうないけどさ》
ツンと鼻先を指でつつかれた。
つい先程まで哀惜を感じさせる眼差しだったのに、いつの間にか元の調子に戻っている。
悪魔は目を細めて俺様を見つめた。
《もし君が神に成り代わってくれたら、スカっとするじゃない?》
『は。他力本願かよ』
《私は別に天界に戻りたい訳じゃないし〜》
《でもたまたま君を見つけたから。その気概が気に入ったの》とニコニコ上機嫌に俺様を撫で回したりつついたりしてくる。
正直いい気分ではないが、コイツが触れている間霊力が注がれるので大人しく貰えるものは貰っといてやる。
このまま吸えるだけ霊力を吸ってやろうと思ってたのに、ふと手が離れていってしまった。
《…さて、今日はこんなもんかな》
『ケチだな、もっと寄越せよ』
《アハハ!上げたいのは山々なんだけどね》
どれくらいのものか底が知れないから憶測でだが、俺様に分け与えた霊力は多分悪魔の小指の爪先程あるかないかだと思う。
全く力が削れた素振りもないし、悪魔が存在する分の消耗に比べたらきっと誤差の範囲内だ。
もうちょっとくらい分けてくれてもいいじゃねーかと素直にそう言えば、悪魔は愉快そうに笑っている。
《あんまり私の力を分けちゃうと、私の配下になっちゃうし。君のことは気に入ってるけど、君のままでいて欲しいから我慢して》
『チッ…じゃあしばらくこのままか…』
《その姿も可愛くていいね》
『嬉しかねーよ!』
《じゃ、またね。くれぐれも無茶しないでね〜》
からかわれて牙を剥くように声を上げても、悪魔はお構い無しに空に飛び立ってしまった。
月のない闇夜に向かって段々小さくなるその姿を見送りながら、俺様は溜息をつく。
こうして消え損なったからには、野望再燃の為一から仕切り直さねーと。
さて、まずは何から始めるかな…と俺様も街の喧騒に紛れて行った。
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