※過去拍手6月



「ねえ」


虚空に向かって少女が呼び掛ける。


「私もそっちに連れて行ってよ」


たった一人で、呟くように弱く、しかし囁くよりは強い声が空間に拡がっていく。
その声が通り過ぎ去った後は静けさだけが横たわって、それでも少女はそこで返事を待っていた。


「……」


しかし返事はカラス1羽さえくれず、少女は胸の中の空気を絞るように小さく開けた唇から吐くと、靴下のまま一歩、踏み出した。
眼下には薄闇に馴染もうとする鬱蒼とした木々たちが遥か下方に敷き詰められていて、そこに辿り着けば彼らの栄養くらいにはなれるだろうかと瞼を閉じる。
と、冷たい水が腹に溜まったような感覚の直後不自然にくんっと浮遊感。

彼だ。

そう思うと地に足がついてバチンと強い静電気のような痛みが走った。
それはあのまま身を投げていたらこの身を襲ったであろう痛みより何倍も弱いはずなのに、少女は「痛い」と涙目で蹲る。
しかし同時にこれが彼からのお叱りだとも察して、きゅっと口角を引き絞りしゃんと背筋を正した。


『靴はちゃんと履け。汚れるぞ』


ぬらり、と何も無い空間から男が姿を現す。
少女が求めていた声が、姿が、目の前にやって来たことで少女の胸は高鳴っていく。
けれどチクチクとも痛み始める。


「なんで、一緒にいさせてくれないの」
『いるじゃないか、此処に』
「そういうんじゃない」


わかるでしょ、と少女は意思を込めて男を見つめた。
男はその視線を受け止めて彼女を見下ろすと、その頬に手を触れる…ような仕草をする。
実際には触感はなく、ただ何となく薄ら涼しいような感覚が頬に伝わると、少女の胸の痛みは尚強くなった。

この境界を超えたい。
生きている私では彼に触れられない。
それなら、と遺書まで遺してきたのに。


『あんなものまで用意して。何故死に急ぐ?』
「…見たの?」
『読んではいない。消しては来たが』
「かっ…!勝手にしないでよ!」


当たらないとわかってはいても叩くように腕を振り上げると、ガシリと手首を掴まれた。
それは金縛りでない、生身のような質感で、少女は目を瞠る。
驚きでそのまま固まると、大人しくなった少女の頬に当てられていた指がスリ、と撫でた。


『これでは不満か』
「も…最上さ…!さ、触れる…の?」
『私が此方に来るのでは駄目か』


じっと見据えられるその瞳を間近に感じる。
頬の指が滑り落ちるように伝って少女の背を抱いた。
指先の重みが移動していく様に、現実だと認識すると最上は胸の中に少女を閉じ込めた。


『…こんな悪霊に取り憑かれているのに、死に急ぐ理由は何だ?』
「取り憑かれてるから。もっと最上さんと一緒にいたい。最上さんに合わせてもらうんじゃなくて、私が最上さんに合わせたい」
『……君は我侭だな』


クスリと息の抜ける音がすぐ耳元で聞こえる。
『早まらずとも』と続いた声がそのまま囁かれて耳朶を震わせた。


『君は私に呪われている。どうしようと生涯逃れられない程強力な呪いに。死んだら解けてしまう』
「死んでも解けないようにはできないの…?」
『こんな言葉を知らないか?"死が二人を分かつまで"。だ』


その言葉は毒のように体を巡って少女の意思を麻痺させていく。
死んだら終わり。
二人の結び付きが解けてしまう。


「…それなら、私…死ねないじゃない」
『健気なものだ』


「そんなの、狡い」と言ってやりたくて顔を上げると、細められた瞳が近付いて鼻先が触れ合った。


『君の生活態度如何で、契約更新も有り得るかもしれないぞ』


そう愉快そうに笑われて、取り憑くのって契約なのかと言い掛ける。
触れ合いそうだった唇がスッと引いていき、少女はぱちりと瞬きをした。


『まずは暗くなりきる前に家に帰ることからか』


そう言い放つと彼は夕闇に融けるように姿を消して、少女は廃墟にまた一人になる。
期待で高まった胸が萎むのを痛感していると、すぐ背後から『見ているからな』と念押しする声が響いた。
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