ガリガリと地面を削る耳障りな音が人混みの喧騒の中更に嫌悪感を増す。
音の主は私が右手で引きずる重いスーツケース。
勢いでこんな都会にやってきてしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。
自分の勘だけを頼りにここまで来たことを今更になって後悔しかけてきた。
人が多ければそれだけ雑念も多い。
大まかな方向だけでは探し人を見つけられなそうだった。
「…どうしたものか…」
ボソッと一人呟いた声に、すぐ傍を通り過ぎようとしていた学生が立ち止まった。
「あの」と控えめな声が届いて、私は錘と化したスーツケースに落としていた視線を上げる。
「困ってますか?道案内くらいなら、できるかもしれません…」
「あ…」
「? あの、お姉さん…?」
この子、能力者か。
流石都会、こんな雑多な中にいるものなんだなぁと内心独り言ちているのを目の前の少年は不思議そうに首をかしげている。
不審に思われてしまったかと慌てて言葉を発した。
「ううん、ごめんなさい。奇遇だと思っただけで。道…じゃあないんだけど。あの、尋ねたいんだけどね…」
「はい」
「この人を探しているんだけれど、見覚えあったりしない?」
ぺらりと懐から写真を取り出して少年に見せた。
万が一ということもあるかもしれないし、きっとこの能力者の少年と出会えたのも何かの縁だ。
それに掛けてみるのも悪くないかもしれない。
「あ、この人」
「うん」
「僕の師匠です」
「…師匠?」
「はい」
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「ここです」
少年に導かれながらたどり着いたビルの事務所の扉を開けると、中で目当ての探し人はめいっぱいの営業スマイルで迎えてきた。
「いらっしゃいませ……って、ん?!」
「ご無沙汰してます、霊幻先輩」
「お、お前…みょうじか?なんだその荷物」
「あー…何から話しましょうか」
「…立ち話もなんだから、まあ座れよ。モブ、お茶出してやれ」
「はい」
ガラリと鳴るスーツケースをソファーの脇に寄せて、
モブと呼ばれた少年から差し出されたお茶を受け取り会釈をする。
頂いたお茶をすすりながら、事務所の壁の”21世紀の新生”とアピールしているポスターを見た。
「えっと、霊幻先輩…って、先輩呼びも変か。霊幻さん、霊能事務所やってるんですね」
「お!?おぉ、まぁ…いろいろな…」
「何か変な依頼とか、最近ありました?」
「え?」
突飛な私の質問に霊幻さんは少年から貰ったお茶を零しそうになり、それを少年に超能力で止めて貰っていた。
もっと具体的でないとピンとこないか、と言葉を変えることにした。
「危険そうなやつとか…、強力な悪霊の退治とか…」
「んー、…そんなこと聞いてどうしたんだみょうじ」
「私、こういうこと初めてでつい勢いに任せて飛び出してきたんですけど」
「……」
何を言われるのかと戦々恐々している霊幻さんに、私はここまできた要因を説明し始める。
「霊幻さんが死ぬヴィジョンが見えたんです。夢で」
「…え。…え、夢?」
「今まで未来視みたいなことはできたことがなかったので、よっぽどだと思いまして」
「んん?」
夢で見たなどと言う私に霊幻さんは複雑な表情を浮かべている。
「モブ君…ですか?彼がいるなら大抵は大丈夫そうですけど、念には念を入れておいてもいいんじゃないかと」
「え?」
「能力者、だよね。あなたも」
普段は抑えている力のスイッチを切り替えると、モブ君が反応した。
自然体にしていると周囲の人たちの心の声を勝手に聞いてしまったり、霊体とそうでないものの区別がつきにくかったりする。
だから基本的には力がないように振舞っているのだと説明する。
「大学の先輩…だったんですよね?師匠はその時に気づかなかったんですか?」
無垢な瞳でモブ君が霊幻さんに尋ねた。
霊幻さんは「んんっ!?そ、そうだなあ〜」と視線を泳がせて言葉を探していた。
霊能事務所を掲げてこそいるが、霊幻さんにそんな力はなかったはずだ。
でも事務所に向かう道すがらモブ君から話を聞いて、おそらく霊幻さんは力のあるフリをしモブ君に仕事を手伝わせているのだと想像できていた。
弟子の思う師匠像を壊すために来たのではないので、助け舟を出すことにする。
「私はモブ君くらいの年頃からずっとスイッチを切るようにしてたから」
「スイッチ…ですか?」
「うん、イメージなんだけど。電気や水道の蛇口みたいに、オンとオフを切り替えてるんだ。普段は滅多に使わないから。だからモブ君も私に最初気づかなかったでしょ?」
「ああ…なるほど、そういうこともできるんですね。すごいなあ…!」
モブ君から羨望の眼差しを向けられる。
あんまりにも雑念のない素直な心だ。
「だから、力になれると思うんですよね。どうですか?」
「どうって……」
霊幻さんは険しい顔で口を閉ざした。
「安心してください。私が勝手に押しかけてきただけなので、お給料はいらないです」
「え"」
「収入の充ては他にあるので、大丈夫です。仕事の手伝いも、霊幻さんが”いらない”と言えばお節介しません」
「そう言われてもな…んー…」
霊幻さんは顎に手を当て考えあぐねている。
私は懐からメモを取り出し、そこに自分の連絡先を記して机に残す。
「とりあえず、お試しと思って使ってみてから判断して頂いてもいいんで。私の連絡先置いておきます。…モブ君のも教えて貰っていい?」
「あ、はい。超能力使える知り合いって初めてなので、うれしいです」
「あっ、オイ」
ちゃきちゃきとモブ君と連絡先を交換し、霊幻さんの名刺まで貰った所で私はスーツケース片手に事務所のドアへと足を進める。
「一先ず部屋探さないとなので、今日はこれで。何かあったら連絡下さい、モブ君もね。それじゃ」
「部屋って…オイちょっと待てって!モブ、ちょっと留守番頼んだぞ!」
「はい。いってらっしゃい」
モブ君に見送られて、私は霊幻さんと不動産屋へと向かうことになったのだった。