「今のは、俺の聞き間違いだよな?」


カタンと音を立てて鞘が床に落ちた。
今までのような余裕と威圧を秘めた様子とは違い、荒々しい口調で目を見開き青筋を立てた匡哉が島崎の喉元に日本刀の切っ先を突き付ける。

あと数mmでも踏み込めばその喉を掛き切られる。

だというのに島崎は避けもせずに、首に触れる刀身の冷たさをそのままに「もう一度言いましょうか?」と口を歪めたままだ。

一触即発のピリピリとした空気が部屋に張りつめて行く。


「二度もおなまえを攫ってみろ。必ず追い詰めて殺してやる」
「要求を呑んでくださるなら、そんなことしないで済みますよ」
「聞くと思うのか」
「…なら、娘とはお別れですね」
「ま、待って!」


ぐわりと匡哉が島崎を睨んだのを見て、マズイとおなまえは腕を伸ばした。
抜き身であることも構わず刃を握り無理矢理切っ先を床に向けさせると、突然のおなまえの行動に睨み合っていた二人の視線がおなまえに向けられる。


「な、…馬鹿野郎かお前は!死にてえのか!」
「馬鹿はお互い様でしょ!力づくでどうにかしようとするのはやめて!まず話し合うのが先!」


おなまえに下ろされた刀から匡哉が力を抜くと、おなまえも手を離して自分の手を治療する。
ざっくりと開いた傷口が光と共に消えていくのを見て、匡哉は安堵したように息を吐いた。

島崎の血で染めるつもりだった刀身が意図せず娘の血を纏ってしまい、眉を顰めるとその血を拭い落ちた鞘を拾って刀を収める。


「お前は、自分の傷を治せるんだな」


島崎たちに背中を向けて机の上に刀を置きながら匡哉が呟くように零した。
暗く紫がかった鞘の側で、机の上の指輪が光る。


「…知らなかったよ。アイツは人の傷しか治せなかったから…お前もそうだと思っていた」
「アイツって…お母さんのこと…?」


島崎の首元にそっと触れてからおなまえは匡哉の背中を見つめた。
匡哉は置きっ放しにしていた指輪を拾うと、中の写真を開いて数秒静止してから振り返りおなまえにその指輪を差し出す。


「これ、お母さんと…私?」
「ちょうどお前と同い歳の頃だ」
「……」


おなまえはまじまじとその写真を見つめた。
写真を撮る習慣がほとんどなかったみょうじ家には、家族写真と呼べるものがない。
おなまえの入学式や卒業式など、節目で撮って貰った写真にはおなまえ1人か、良くてアダチが並んでくれているくらいで、両親のどちらかとさえ一緒に写っている写真なんて撮った覚えも見た事もなかった。

だからつい、「親と写真、撮ったことあったんだね」とぽつりと声に出してしまって、後からハッとする。


「……、ごめんなさい…」
「いや……」


おなまえがふと呟いた言葉に匡哉は苦虫を潰したように口を結んだ。
黙り込んでしまった2人の間で、島崎はおなまえの手の中を覗き込むようにして口を開く。


「へえ、この方がおなまえの母親ですか?流石親子というべきか、そっくりですね」
「そっくり?…そう?」
「笑った時の眉の下がり具合とかそのままじゃないですか」
「お前全盲ってやっぱり嘘か」
「見ようと思えばこの通り……その写真には…というか指輪にですかね、超能力が込められてるので比較的見易いです」


後ろから口を出してきたアダチに向かって島崎はぱちりと瞬きをするとおなまえの手の中を指差した。


「込められてるって…これに?」
「ええ。おなまえのとは少しだけオーラが違います。母親のものではないでしょうか」
「指輪にか…?」


島崎の言葉に匡哉が反応して、おなまえは指輪を返した。
戻って来た指輪を匡哉は見つめてみるが、生憎特別な能力を持ち合わせていない自分にはそんなオーラなどわかるはずもない。


「物に念を込めることが出来る人も中にはいますからね。…死後も継続させるのには相当な力を使うでしょうが」
「…お母さんの力ってことは、治癒能力?」
「だと思いますけど…確かめてみます?」
「やめて」「やめろ」


"殴ってみましょうか?"と言わんばかりに拳を握ったり広げたりしてみせた島崎に、おなまえとアダチが同時に止めに入る。


「……指輪に…」


匡哉は掌の上の指輪を呆然と眺めていた。

思えば生前、アイツは俺の帰りを迎える度に左手に触れていた。
あれはもしかして、力を込める為の動作だったのかもしれない。

おなまえ以外にも、彼女が遺した物。
もう慣れたと思っていたはずの古傷が、再び抉られるような思いで匡哉は指輪を握り締めた。


「…でもそんなに似てらっしゃるんなら、娘に過保護になるのも納得しました」
「……納得したなら、ふざけた考えは捨て去るか?」
「本気なんですけどねえ」


傷心に浸る間を遮る島崎の声に、匡哉はぶり返しそうになった先程の怒りを抑えようと務めながら聞く。
しかし島崎は軽い口調のまま「困りましたね」と笑った。


「何処がそんなにふざけてますかね。私が強いのは理解されてると思いますけど」
「人の娘を組から攫っておいて、その組に入ろうとするのは頭のネジが飛んでると思うが」
「あの時は命令でしたから…。ホラ、今はこうしてお返ししましたし。私を戦力に加えたらおなまえを守りやすくなりますよ?」
「…………」


島崎の提案に、島崎以外の3人は複雑な表情を浮かべる。
おなまえまでもがそんな顔をするとは思っていなかった島崎は「おや」と肩を竦めた。


「おなまえも反対ですか?」
「反対っていうか……、ヤクザだよ?面倒なことしかない、と…思うんだけど……」
「退屈しなさそうじゃないですか」
「退屈って……そう、だね。島崎はそういう人だったね」


みょうじ家は反社会組織であるが故、幼少期から大小様々なトラブルに見舞われる機会が多い。
おなまえ自身が直接それらに巻き込まれることは少なかったが、一般市民であればそもそもそんな危険や不安に悩まされることもないというのはこの20数年ずっと思っていたことだった。

きっと島崎に行く宛てがあったら、自分はこの家に帰った時そこで島崎を引き留めなかっただろうとおなまえは思い返す。
あの時はまだ、ここまで島崎がスリルを好む性格だとは知らなかったけれど。


「いくらおなまえが口添えしたとしても、組に入れるつもりはない」
「…なら、仕方ありませんね。駆け落ちしましょうか、おなまえ」
「な"っ」
「ちょっと!」


徐ろにおなまえを抱え上げて島崎が一歩、匡哉たちから離れる。
駆け落ちと聞いて目を剥く匡哉を眼前に、アダチは頭痛を抑えるように額に手を当て深く溜息を吐いた。


「おなまえ、駆け落ちってなんだ。どういうことだ!いつからだ!」
「いやいや攫うのと変わんないっていうか言葉の綾っていうか」
「変わる!!アダチ!お前まさか知ってたのか」
「……薄々は」
「上手く暮らしてみせるのでご心配なく」
「ふざけるな、降ろせ!苦労すんのが目に見えてるのに行かせて溜まるか!」


再び刀に手を掛ける勢いの匡哉をアダチが「危ないです親父!」と焦りながら止める。
そんなアダチに「何で黙ってた」とギロリと匡哉は睨み付けると、そんな二人を前におなまえも島崎の腕の中で身じろいだ。


「私もまた院長に迷惑掛けるのは避けたい」
「そうですか?…まったくこの親子は揃って我侭ですねえ」
「「我侭じゃない」」
「…取り敢えず、黙っていたことは後で償いますから、落ち着きましょう親父」
「…………」
「現実的な所から話し合おう?妥協点、お互いに見つかるかもだし」


そう言って島崎に降ろすよう促すと、困った様に笑ったまま島崎はおなまえをそっと降ろした。
島崎とおなまえが離れたことで匡哉も刀を置き、和座椅子に腰を降ろす。
「聞きたいことは山程あるが」と匡哉は島崎をじとりと見つめた後時計に視線をやる。

今日の予定は何よりも目の前の一件を最優先しなければならない。
「ちょっと時間をくれ」と断りを入れてから匡哉は携帯を取り出し全ての予定を後日に振り直しの連絡をしていった。


---


4人の話し合いは矢張りというか案の定というか、堂々巡りや平行線を繰り返して気付けば夕方にまで及んだ。
一番会話を引っ掻き回している島崎は飽きた様子を隠しもせずに匡哉が持ってこさせた茶菓子を摘んでいる。

どうしたって自分がその気になったらおなまえを連れ出せる。

そんな余裕が見て取れてますます匡哉は眉間に深く皺を刻んだ。


「シンプルな話じゃないですか。組の利益を取るか、娘を失うかです。どちらが良いかなんてわかりきっているじゃないですか」
「そう簡単に言うが。おなまえと交際するから余計に拗れるんだろうが」
「…別れろって言ってる?」
「そうは言ってない」
「あ。認めて頂ける?」
「そうとも言ってないだろうが」


この調子で話の腰を折られるせいで緊張感があるんだかないんだかわからない不思議な空気が続く。
おなまえが不安そうに口にした疑問に対しては否定をしたいが、そう簡単に言い切れる問題でもなかった。


「ウチの組は、ゆくゆくはアダチに任せるつもりでいるのはわかるな?」
「若頭だもんね?わかるよ」
「もし、島崎の意見を呑んでソイツを入れるとする。実力はわかってる。アダチ以上だ。…その上おなまえの男となりゃ、すぐに周りは黙るだろうよ」
「…あ……」
「となりゃあ今度はアダチの立つ瀬がないだろう。うちは実力主義の若いもんが多いし、下手して内部で派閥問題が起きても困る」
「…面目ないです」
「そういうもんなんですか?」
「珍しい話じゃないな。有能な新人につきものではある」


俺が至らないせいで、とアダチが顔を伏せる。
それに対して匡哉は「コイツが規格外なだけだ、シャンとしてろ」と喝を入れた。
そんな話を聞いて島崎は「面倒臭いんですねえ」とケラケラ笑う。


「私そんなの興味ないですし、放って置けばいいんじゃないんですか?」
「お前になくても、下のヤツらってのは勝手に盛り上がるもんだ」
「へえ。御しきれる自信が無いんですか、駿雅会のトップは」
「……」
「やめなって。島崎は事ある毎に煽らないと死んじゃう病でも患ってんの?」
「そうかもしれませんね〜」
「何でこんなヤツが良いんだ」
「えっ……」
「嗚呼、いい。話すな」
「…はい」


強い男、ではあるが人格に難ありではないかと匡哉は呆れた様子で呟いたが、それを聞き付けたおなまえの口から惚気話を聞きたくもなくて首を横に振る。
それに、懸念材料は他にもあると続けた。


「それに、烏間のセガレのこともある。正直言って、アイツを生かして置くんなら、おなまえはこの家にいない方が安全だろうとも思う」
「……生かしてるんです?何故?」


匡哉の言葉に、今までの素振りが嘘のように島崎の声色が固く変わる。
と同時におなまえの顔が青ざめた。


--そうだ、島崎にはまだこの家に烏間がいるって話してなかった…


話す機会が無かったせいではあるのだが、意図せず彼が生きていることを隠していたようなタイミングになってしまったとおなまえはおそるおそる島崎の様子を窺う。
すっかり笑みの引いた真顔の島崎が匡哉に向かって問の答えを待っていた。


「…"死んだら償うことも出来ない"と誰かさんが熱弁を奮ったからな」
「そうですか…誰かさん、ねえ」
「……伝えるのが遅れて、ごめんなさい…」
「さっさとカタをつけたいのは山々なんだが」
「私もそれには同意です」


傍らでアダチも2人と同意見だと頷く。
"カタをつける"…暗に殺してしまおうと言う匡哉たちの意見に、それでもおなまえは首を横に振った。


「命まで取らなくたって…償う方法はあると思うから」
「ハァ…キミのお人好しもここまで来ると呆れを通り越しますよ」


他者にそのお人好しな性質が向けられている--しかも自分を襲った烏間に--と腹の奥が煮える思いだが、島崎は溜息と共に立ち上がるとおなまえの肩に手を置く。


「まったく…ヤツがいるなら話は別です。おなまえは連れて行きます」
「烏間は拘束して監視もつけてる。勝手に行動はできない」
「空間を共有している時点でアウトです。アナタ娘を襲った暴漢と娘を同じ敷地内に置いて平気なんですか?」
「そんな訳があるか。言ったろう、"この家にいない方が安全だ"と」
「で、でも。どこ行くの!?」
「何処だっていいですよ。とにかく此処では無い所です」


このままでは本当に無計画に何処かにテレポートさせられてしまう、と焦るおなまえ。
匡哉は話し合いの内何度かあったこのやり取りに慣れたのか、アダチに顎で何やら指示をするとそれを合図にアダチが立ち上がった。


「良い案がある。組に巻き込まない、島崎の暇も潰せて、お嬢も安全かつ今の職場に居られる方法が」
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