定休日開けの営業日。
おなまえは今日最後のお客を施術し見送りを終え、入口の立て札を"営業終了"にし施錠する。
院内の片付けに手を出し始めたおなまえに、締め作業をしようとしていた院長は「あ、みょうじさん」と呼び止めた。


「もう時間伸びちゃったから、後は大丈夫だよ。早く帰っておやり」
「え、でも……」
「折角こうして無事に帰って来れたんだ。あんまり親を心配させるもんじゃないよ」


1年不在だったというのに、以前と変わらず受け入れてくれた院長は柔和に目を細めて笑う。
皺だらけで笑うと目尻の皺が深くなって、文字通りくしゃりとなるその顔に言われるとおなまえは「子供じゃないのに」とは強く言えず、お言葉に甘えて帰り支度をした。


「気を付けて帰るんだよ」
「もう……すぐ近くまで迎えが来てるんですよ?大丈夫ですって」


「お疲れ様です」と会釈をして院の裏口から出ると、その数m先にはみょうじ家の黒塗りの車がある。
以前はこの迎えも、帰る先があの家だということも憂鬱に思う要素だったが、今は島崎も待っている--かどうかは疑問だが--と思えば幾分気持ちが楽になった。

後部座席のドアを開けて乗り込むと、おなまえは鞄を自分の隣に置いてドアを閉める。


「お疲れ様です、お嬢」
「……、」


ラジオも音楽もかけず、静かな車内。
ふと感じた違和感におなまえは顔を上げた。
運転手が労いの言葉をかけてきたが、おなまえはそれに応えない。

寧ろ声を聞き取った瞬間、おなまえがドアを開けようと取っ手に手を掛けるのと、運転手がロックを掛けるのとがほぼ同時だった。
僅かにロックの方が先で、ガツ、と動かなくなった取っ手からロックに指をかけるとチャキ、と硬質な音がおなまえに向けられる。


「やめなよォ。アンタ自分の怪我も治せるの?」
「………」


先程労いの言葉を投げて来た聞き覚えの無い声が、おなまえに銃口を突きつけていた。
こめかみに向けられたその拳銃を横目で確認すると、おなまえはドアから手を離す。


「そうそう。そうやってイイコにしててよ」
「あなた誰。私に何の用。それとも家?」
「流石ァ。こんくらいじゃ喚かないんだぁ…イイね」


運転席のシートを倒すと、男は銃を向けたまま後部座席へと移動してきた。
「もういいぞ」という男の言葉を合図に、更に3人の男たちが乗り込んできておなまえは座席の中央に押し込められる。


--ナンバーは確かにうちの車だった…乗ってた人は……?


チラ、と乗り込んで来た男たちの様子を窺った。
目立つ所に血などは付着していないようだ。
「仲間が気になる?」とおなまえの様子に気付いた男が尋ねてくる。
恐らくリーダー格なのだろう男は、鳶色の髪に明るいグレーのスリーピースを着こなしているがまだ若い様に見える。
やはり見覚えがないとおなまえが硬い表情でその男の目を見返すと、男は鋭い犬歯を見せつけるように口角を上げた。


「どーも初めまして、婚約者サン。琉天連合の烏間レンでーす」
「烏間…」
「こんなトコで積もる話もなんだからサ。俺たちとイイトコ行こっか」


突き付けられたままの銃口が鈍く光る。
おなまえの返事を待つことなく、車は何処かへと走り出した。


---


「遠路はるばる、御足労頂いてすみませんな」


着物に羽織という和装の出で立ちの男が、向かいで正座をしている匡哉にそう声を掛けた。


「此方こそ急にお邪魔して。お時間頂きありがとうございます」
「いえ、いいんですよ。ウチの馬鹿息子のことでしょう」


溜息をつきそうな口調で和装の男は表情を暗くさせる。
「この数日何やら騒いでおりましたから」と申し訳なさそうにする男の様子を匡哉は窺った。
室内には2人だけ。
和服で見分けにくいが、歩いている時の音からして武器も持ち込んでいなさそうだった。

表では大人しい振りをして、水面下では駿雅会と対抗するつもりなのではと牽制を兼ねてやっては来たが、少なくとも現トップの父親の方にはそのつもりはないというのが見て取れる。


「実はお伝えする必要は無いと思っていたんですが、先日ウチの放蕩娘が見つかりましてね」
「それは、良かったですね。ですがそうですか……それでアイツが其方にご迷惑を。すみません」
「まだ口だけですが。手が出てくる前に抑えて置いて欲しいんです」
「わかりました。しばらくの間ウチで大人しくさせましょう。……今失礼しても?」


おなまえの話題が上がると、すぐに状況を察して男は謝罪をする。
その時匡哉の携帯が震え、静かな部屋にくぐもった振動音が響いた。
男が自分の携帯を取り出すと、匡哉はそれに頷いて自らも電話に出る。


「どうした」
[親父。お嬢が攫われました]
「…状況は?」
[お嬢を迎えに行った連中からの連絡で。相手は5人。内1人は赤毛の若い男だったと。車を奪ってそのまま南西方面にお嬢を連れ去ったようです]
「自分のシマに連れ込むつもりか……すぐに琉天連合がケツ持ちしてるリストを流させる。ウチの近くから順に探させろ。お前の仕事もこっち優先でいい」
[わかりました。……あの、もうひとつ、お耳に入れて欲しいことが]


匡哉が話している内に電話を終えていた男が、すぐにリストを出して匡哉に渡す。
それに目を落としながら、続いたアダチの声に耳を傾けた。


「……島崎が……、」


---


「ショックだったなぁ、俺。キミのこと結構気に入ってたのに、家出したんでしょー?」
「……」
「今まで何処いたのォ?海外?ぜーんぜん見つからねェんだもん。親父サンはダンマリだしさぁ。てか探してんの俺だけ?ってくらい動かねーし」
「……」
「おなまえチャンもダンマリなのぉ?親子だねェ、そっくり〜」


ペラペラと喋り続ける烏間の隣で、おなまえは後ろ手に拘束された状態でソファーに座らされていた。
豪奢な装飾が施された壁や床。
今腰掛けている金糸の刺繍が細かく縫い巡らされたソファーも上質な物なのだろう、深く背を預けている烏間の長駆を悠に受け止めて余りある程の大きさだった。
照明として吊り下げられている雪洞が仄明るく室内を照らし、薬草のような香辛料のようなエキゾチックな香りが鼻についておなまえはなるべくその香りを吸い込まないように静かに呼吸をしていた。

口振りから察するに、どうやら父親はおなまえの失踪を家出として先方に伝えていたらしい。
そして探す素振りもなかったと。

帰って来るべきでは無かったかもしれない、とおなまえは内心後悔した。
熱りが冷めていることを期待し過ぎていた。
まさか顔も知らなかった相手が、言葉でこそ始終冗談めいて話してはいるがしっかり拘束して閉じ込めて来る程自分に執着していたなんて。

ソファーの前に置かれたダイヤカットのテーブルが、その上の銀色の銃身を怪しく反射させている。
この男に私を殺す気があるのかどうか、まだ図りかねていた。
銃は手放してはいるが、すぐ構えられる場所にある。
腕は拘束されているが、脚は自由だ。走れないことは無い。
ただそれが許されるとも思えない。

烏間の瞳は据わっていて、その細められた眼差しからは獲物に牙をかけんとする鋭さを感じる。
それがいつ、殺意に転じるとも限らない。


「ねーェー、いつまで黙ってんの?ちょっとくらいお話しよーよ婚約者サン」
「……そっちが一方的に婚約したつもりになってるだけじゃない。私は断ったのよ」
「みょうじサンとこにだって悪い話じゃないんだよォ?ライバルは減るし安全は増えるし、後継者だって困ることないでしょー?」
「だからってこんな手段に出て来る人と結婚なんて冗談じゃないわ」
「ごめんねぇ〜、でもこうでもしないと会えなさそうだったからさ」


クツクツと喉を鳴らすようにして笑いながら、烏間は足を組みかえた。


「駿雅会の人らって末端でも教育行き届いてんだね、全然口割らなくて苦労したよォ」
「一体何人怪我させたの」
「ハハハッ!もうみーんな魚の餌だよ」
「……っ!」
「うおッ」


烏間の言葉におなまえは立ち上がるとその横面に回し蹴りを放つ。
突然の攻撃に咄嗟に手でガードしたものの、手ごと蹴りを受けて烏間の腕とこめかみがビリビリと痺れ、視界が揺れた。
ふらりと頭が振れた隙におなまえは烏間に馬乗ると頭突きで追撃する。
が、下顎に向けて落とされたその頭を片腕で止められた。
強く額を掴まれて、食い込む指におなまえも顔を顰める。


「ヒャハハハッ!?すげぇ根性!脚も縛っとけば良かったかなァ…」
「ぐ、ぅ…」
「でもそうするとシづらいしな〜」
「なに、……っ」
「こんなに活きがいいのに使いたくなかったんだけど」


手の痺れを払うように片腕を振って、烏間が懐から何かを取りだしおなまえの口に押し込んだ。


「ん、く…っ、!」
「毒じゃないから安心して〜。大丈夫、イイコになれるお薬だからァ」


口を押さえ込んだままおなまえの鼻を摘んで無理矢理呼吸を制限すると、吐き出したいのにそれが出来ず、段々と酸欠で意識が朦朧としてくる。
その合間にも口の中では薬剤が唾液に溶けて口内に溜まっていく。
バクバクと薄い酸素に心臓が喘いで、堪らずコクリと喉が動きその反射で息が抜けるとようやく鼻が開放された。


「ん。上ォ手上手〜」
「ぅ…、ふ……」


押さえ込まれた姿勢で数歩押される様に歩かされると、ぶつかったベッドに背中かから沈まされる。
脚をバタつかせて喋れないなりに出来る限りの抵抗を試みていると、急に頭がくわりとしてきた。


--な…に、コレ…


過剰なアルコールを摂取したように頭が重い。
瞬きでさえ億劫になるほどの倦怠感に襲われているのに心臓がバクバクと早く脈打つ。
必死に烏間を睨むと、マウントを取ってくるそのニヤついた顔が愉快そうに深まった。


「麻、痺……?」
「毒じゃねーって」


烏間がおなまえの頬を指の腹でスリと撫でる。
指が移動した軌跡をなぞる様にジリジリと熱い感覚が走った。


「抜けんのも早いから、今の内に籠絡して貰わないとねェ」
「ん、う……ぐ、」


烏間が首元のネクタイを解いておなまえの口に猿轡のように噛ませてくる。
「イイコになったら外してあげるから、ちょォ〜っとだけ我慢してて」と烏間がクツクツ喉を鳴らして腕捲りをした。


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