ある夜。
みょうじ家に身を置くことを許されてから2、3日。
襖窓から月明かりが差し込む部屋で、島崎は膝を着いていた。
その先には未だ月も高いというのに深く寝息を立てているおなまえが布団にくるまっている。
その穏やかな寝姿を島崎は夜の様な瞳で見下ろしていた。


--すっかり拐う前の生活スタイルに戻って、体力が追いついてないんですかね…


起きているだろうと思って話をしに来たのに、相手が寝てしまっているのではそれも叶わない。
"元の場所に戻す"。そう伝えた時に感じたおなまえの息遣いが強ばったのを思い出す。
きっと素直に戻れる事を喜べない事象があるのだろう、というのは1年前に自分の手を取ったことからも察することは出来た。

住む場所を得られて、しかも暴力団などという面白そうなエリアに踏み込める機会と、おなまえからのお願いを答えて恩を売っておこうという目論見が合致したはいいものの、肝心のおなまえとは朝夕に軽くしか接触はない。
暇潰しをしようにも駿雅会の連中は監視に徹していて自分を組織に関わらせはしないように予防され、島崎は離れにほとんど放って置かれている状態だった。

正直言って、つまらない。
思った程暴力団というのは日頃からドンパチしていないものなんだな、と健やかに呼吸を繰り返すおなまえの、正に平和そのものな穏やかな寝表情を見つめた。


「……、仕方がない。日を改めますか」


そう呟くと、ゆっくりと立ち上がって島崎は部屋から姿を消した。


---


離れが島崎に貸し与えられてから一週間が経った頃。
おなまえは廊下でアダチの姿を見つけ彼を呼び止めた。


「アダチ、おはよう」
「お嬢。おはようございます」
「…離れに行くの?」
「まあ、お目付け役ですから」
「そう……」


客人である島崎の監視も兼ねて、アダチが島崎の身の回りで手が必要なことを世話している。
父の仕事を手伝いながらも雑用をこなすそんなアダチをおなまえは労った。


「仕事もあるのに。しかも島崎、目が不自由だからお世話大変でしょう」
「…………アイツ、見えないんすか…?」
「え?うん。盲目だって……なんで?」
「俺は消耗品の用聞きと食事の上げ下げ程度しか世話してませんよ。ほとんどが見張りでついてるだけで」


「風呂も洗濯も自分でしてるはずです」というアダチの言葉におなまえは面食らう。
この一週間おなまえは再開した整復師の仕事の前後に島崎の様子を見に行くくらいしか接触しておらず、少なくともその短い時間では島崎が不便そうにしている素振りがなかったのでてっきりアダチが色々と手を貸しているのだと思い込んでいたのだ。


「耳はすごく良いって言ってたけど…」
「まぁ…、そうですね。気配にも敏感ですし。でもそれだけじゃあ俺の攻撃を躱したりウチの若いのを蹴り飛ばしたりするのは難しいと思いますよ」
「そう……かな」
「お嬢、騙されてるんじゃありませんか?」
「そんなことは……」


ない、と言える程島崎のことを自分は知っているんだろうか。
急にそんな思いが胸を過っておなまえは口ごもった。


---


不安を抱いてからのおなまえの行動は早かった。
どうせ今日は定休日にしているのだし、遅かれ早かれ島崎を訪ねに離れには行くつもりだった。
中庭を通り抜けて離れの玄関の前に経つとインターホンがない為ドアの縁をノックして声を掛ける。


「島崎ぃー!いるー?」


アダチからは「出た姿は見てないので、いると思いますよ」とは聞いていたが、テレポートで外出だって出来るのだ。いるとは限らない。
しかしそんな不安は束の間、数秒置いて中から「いますよ」と返事が返ってきた。


「聞きたいことがあるんだけど……中に入っても良い?」
「勿論。構いませんよ」
「お邪魔しまーす」


そう言って玄関に入ると島崎が苦笑して立っていた。


「此処もキミの家でしょうに」
「今は島崎の家なんだから当たり前だよ」
「……おや。おなまえ1人じゃないですか」
「うん?そうだけど」


周囲にアダチは疎か組員の気配もなくて島崎は「少しは私も信用されましたかね」と零す。


「あぁ、ごめんね気分悪いよね…」
「仕方ありませんよ」


仕事着でないおなまえに気付いて島崎が「今日はお休みなんですか?」と尋ねた。
その言葉におなまえはピクリと反応する。


「それ!」
「それ?」
「島崎、全盲って嘘なの?」
「本当です」
「でも私の服装見れなきゃ分かんなくない?」


おなまえは自分が着ているシャツを示して見せている。


「それにアダチから聞いたの。全然普通に生活してるって。目が見えないようには見えないってさ」
「アハハ。それは私が身の回りの物を感知したり予知してるからですね。おなまえの服は布擦れの音と来訪の時間が今までと違ってたからです。簡単な推理ですよ」
「ん……?」


島崎からの情報量の多い答えにおなまえは一度固まって、ひとつひとつの単語を頭の中で復唱した。
その間に島崎は冷蔵庫を開けて「冷たいお茶しかないんですけどそれでいいですよね」とグラスを用意している。


「つまり、目は見えてないけど見えてるのと同じように生活出来るってこと?」
「粗方はそうですね。人相だとか外見的な特徴は触らないと想像するしか出来ませんが」


「ノーマルは特にね」と続けて、島崎がグラスを机に置いた。
部屋を移動する所作があまりにも自然で、やっぱり目が見えないようには見えないというアダチの言葉が頭の中に再訪してきた。


「能力者なら見た目もわかるってこと?」
「……まあ、見ようと思えばって所ですが」
「ふぅん。……それって島崎の視界には無能力者は音と気配だけの幽霊みたいに見えるってこと?」
「幽霊ですか」


思わぬおなまえの言葉に島崎はふむ、と口許に手を持って来て考え込んだ。
輪郭はないが、質量はある。音や気配で存在を知ることが出来る。
そんな存在を幽霊と例えられて島崎は感心すると同時におなまえのユニークな発想に笑みを浮かべた。


「厳密に言えばチューニングの問題ですが、それはそれで面白いのでそういう事にしておきましょうか」
「違うなら違うってちゃんと教えてよ!」
「面白い方が楽しいじゃないですか。私は良いと思いますよ、おなまえのその感性」
「……ありがとう??」


果たしてこの返事が正しいのかも怪しいが、頭を捻りながらもおなまえはそう返した。
しかし差し出されたお茶を飲み下し体が冷えると同時に、はたとある事を思い出して「って、違うよ!」と声を荒らげる。


「じゃあ私が島崎の目の代わりにって腕引いたり段差教えたりしなくて良かったってことじゃん!」
「アハハハハ。バレちゃいましたかぁ」
「言ってってば!」
「後で知られた方が面白そうだなぁと思って。想像した通り、いやそれ以上にいい反応で満足です」
「島崎ィ!!」


ケラケラと笑うその顔を叩いてやろうとおなまえが手を振り上げるが、フイと軽く躱されてしまう。
明らかに余裕でおなまえの手を止めることも出来るのに、それを阻むこともせずにヒョイヒョイと寸前で避け続ける島崎に、先に根を上げたのはおなまえの方だった。


「ハァ……ハァ、いつまで、避けるのよ……」
「どれくらい避けたら諦めるのかなと思いまして」
「…………」
「もう終わりですか?」
「……、っ」


ヘラヘラと笑うその顔が憎たらしい。
別に、知らずに世話を焼いて少しは恥ずかしいなと思ったけれど、そんなことはいい。

軟禁されていた時から、島崎はサボりだとかうるさいのが嫌だとかそんな些細な理由をつけておなまえの部屋に来ていた。
治療以外の理由で部屋にやって来るのは島崎だけだったから、自然とおなまえも彼に慣れて暇潰しに雑談をしたりただそこに居ることを許したりしていた。

そこそこ仲は良いと思っていた。
だから爪がなくなるその時、放って置いたって構わなかったのにわざわざ家まで帰すと提案しに来てくれたんだろうと。
だからそんな島崎がこの先路頭に迷うのを見過ごせなくて、お願いという形で少々強引にこの家に引き込んだのに。

蓋を開けて見たら然程島崎のことを知らない自分に気が付いてやるせなかった。


「島崎ばっかり、狡いって…の!!」


悔しさを滲ませてヤケクソに最後の一発を叩き込むつもりで掌を張り出す。
と、バチン!と小気味良い音が部屋に響き渡った。


「え……アレ?な、何で避けないの!ごめん!」
「…殴っておいて直ぐ様治療する人がいますか」
「どうせ避けられると思って思い切り叩いちゃった…何でもっと早く当たって置かなかったのよ!」


そしたらもっと弱かったのに!と謝るのか怒るのかわからない態度で島崎の頬に手を当てて治療するおなまえ。
そんなおなまえの慌てている様を島崎は昏い瞳を開いて治療されるがままに見ていた。
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