若い癖に熱心な信者がいた。
身なりはいつだって小綺麗にしていて、何の苦労があって(笑)に通い詰めているのか謎な女だった。


「エクボ様」


信者の証であるスマイルマスクを外して、笑顔を浮かべて俺様に膝まづく。
今日の仕事で滞りなく成約にまで至ったとか、普段絡んでくるオッサンが今日はいなかったとか。
そんな全ての出来事が俺様のお陰だと嬉し気に語る。

コイツは毎日どんな些細なことでも俺様を崇める。
出来てすぐの頃に自分からやって来たのに、元々深刻な悩みなどなかったんだろう。
だからどんな小さなことでも有難がれるんだ。


――ま。俺様にとっては信仰心が強けりゃイイ。その調子で有難がってくれよ。


内心「手軽な奴だ」とほくそ笑みながら、当たり障りのない言葉を口にする。


『…そうですか!それは良かったですねぇ。これからも笑顔を絶やさず、ハッピーな気持ちで過ごすことです!そうすればもっとアナタは幸せになれます』
「ハイ!本日も有難いお言葉を頂戴できて、光栄です」


誰にでも同じことを言っているのに、心底幸せそうな顔をしてその言葉を受け取っている。

…ホント、幸せな奴だぜ。


---


――何故…何故だ…っ!

あんな小僧に、この俺様がこんな痛手を負ってしまうなんて…!!!

ボロボロに霊素の散ってしまった体では形を保つことすらできない。
暗くなった街並みを漂って、なんとか霊力をかき集めていく。


『クソ…全然霊素が足りねぇ…ッ気を抜くと散っちまいそうだ…』


気を張りながらフヨフヨと漂っていると、何故か俺様の霊素を感じ取った。
俺様の体はこんなんだし、(笑)の信者共もすっかり洗脳が解けてしまったはず。
なのに一体何がそこにあるんだと感覚が強くなる方向へ向かう。

見慣れない路地を抜け、オフィス街の影にひっそりと建っているボロホテルに辿り着く。


『なんでこんな所に…?……ま、行ってみるか』


気配を追って一つの部屋に近づくと、丁度そこのドアが開かれた。


「明日の取引もよろしくねみょうじさん。それじゃあまた」
「お気をつけて」


聞き覚えのある声に、思わず部屋に入り込む。
バタンと閉じられたドアに向かって、深々と頭を下げたままの女の姿を見受けて息をのんだ。

室内だというのに床に滴るほどびしょ濡れな女が顔を上げると、そこには笑顔を浮かべたあの信者の女がいた。
乱雑にはだけたカッターシャツ、引き裂かれたストッキング。
首や腕には縛られたような痕があり、シャツの隙間から覗ける素肌は所々に出来たばかりのような痛々しい痣があった。


「…エクボ様…」
『!』


女は膝を着いて両手を組み、俺様の名を呼んだ。
俺様の姿は見えないはず。
なのに女は言葉を続ける。


「今日は、朝目覚ましより早く起きることができました。お陰でベランダでコーヒーをゆっくり飲めて、気持ちの良い目覚めでした」
『……』
「仕事も無事に終えられました。何事も…なく…」
『……』
「きっとあし、明日も…上手く……うま、く…でき…」


女の口元が歪む。
細い肩が震えて、声が掠れた。
笑顔のままの眦から、涙が滲んで零れる。
それが落ちると同時に女は膝を崩して、前のめりにうずくまった。


「上手く…っできるかな……ひ、っ…うぅ…」
『お前…』


コイツ…。

さっきの男は「じゃあまた」と言っていた。
コイツは何回もアイツの相手をさせられてるのか?仕事で?それとも脅されて?

いつも何てことのないことを報告してたのは…


「…っはぁ…いけませんね。笑顔…笑顔でいないと…」


数分そのまま泣いていた女が再び姿勢を正して祈り始める。


「明日も、笑顔を絶やさず…ハッピーな気持ちで過ごします。そうすれば、エクボ様の仰っていた通り、幸せになれます…」
『…お前…』


現実から目を背けるように、女が熱心に祈る。
すると俺様の体が小さくはあるが形を成して、勝手に散ろうとしていた霊素が安定し始めた。

もう洗脳してないのに、コイツは心から救いを求めてたのか。
俺様の洗脳下にあっても余程口にしたくなかった現実に、ひたすら耐えて。

…何だコレは…
俺様、コイツに同情してるのか…?

ない胸がザワつく。

何でだかコイツを見ていられなくて、
それなのに目を離すこともできなくて、
ただ近くを揺蕩うしかできないのに身支度をのそのそと始めた女の側にいた。


---


女は自室について眠る前にも俺様に祈りを捧げていた。
ホテルで体を洗った時も一通り着替えを済ませた後も、家に着いた時でさえ一々俺様に祈って。


――一か月であんなに大きくした(笑)も、本当の信者はコイツ一人だけってか…複雑だぜ…


枕に顔を埋める女に寄り添ってみる。
寝る直前まで祈っていたせいか、コイツの側だと手が作れるくらいには力が戻ってきている。
生やした手で女の顔をなぞってみた。
霊体なので当たり前だがすり抜けて、それを見てふと思う。

コイツはまだ俺様を信仰してる。
てことは心に俺様が入る隙間があるってことなんじゃ?

思いついてそのまま霊体を女の体に潜らせてみた。
こんなヨワヨワな力で入り込めるものなのかどうかは賭けだが、物は試しだ。


泥に身を埋めるような感覚。
その後は静かなもので、弾かれなかったことに『おお…』と感動していると、後ろで布のような何かが落ちる音がした。


『…?スマイルマスク…?』


振り返るとそこにはスマイルマスクが落ちていて、そのすぐ傍らに女が立っていた。
俺様を見て目を丸くさせている。


『あ…』
「…エクボ様…?」


女にそう言われた瞬間に、気づけば自分の体が教祖だった時のそれに変わっていた。

…そうか、俺様への認識がこの男になってるからか。

そう納得するが早いか、女は俺様に膝まづいた。
(笑)で強制していたあの笑顔を浮かべるのも忘れて、驚いた表情のままだ。


「感動です!夢でお会いできたらと毎夜思っておりました…!…嗚呼…」
『お、おぅ』
「……」
『……』


そのまま黙って祈り始めた女の頭に、ふと思って手を乗せた。
ピクリと女の肩が震えたが、頭を上げることもせずそのままの体勢で「…エクボ様?」とだけ声が返って来る。


「! すみません、私…笑顔を忘れていましたね。信者ともあろう者が…」
『…』


案の定心酔しきっているとは言えど目の前の女一人洗脳する力なんぞある訳もなく、ただ置かれただけの手にぼんやりと視線を送った。
貼り付けたようなあの笑顔を作ろうとする女の頭を、そのまま撫ぜる。


「えっ、エクボ、さま……?」
『…お前、名前はなんて言ったっけか』
「おなまえ、です。……みょうじおなまえ…」
『そうか、おなまえ』
「はい」


大人しく頭を撫でられるままのおなまえに、言葉を掛ける。
今度は、誰にでも向けるもんじゃねぇ。
コイツにしか与えない、俺様だけの言葉だ。


『お前は上手くできなくても良いんだ。我慢するな』
「!………でも……、」
『痛めつけられてお前は幸せか?』
「……」
『望まぬ繋がりでお前は幸せなのか?』
「っ…す、すみません…」


俺様の言葉に、おなまえは自分から距離を取る。
数歩後ずさったかと思うと、また膝をついてそのまま頭を下げてしまった。


『…何の真似だ?』
「エクボ様が、汚い私の体に触れてしまったことをお詫びします…!」
『……はぁ…そうか』


コイツは本当に俺様を神格化して考えてくれてんだな。

おなまえに気取られないように小さく息を吐いてから、生まれた距離を詰めて今度は俺様が膝を着いた。


『懺悔なら聞くぞ。もう俺様にはいくらでも時間があるからな』
「……」
『頭を上げろ。聞いてやる』
「…はい」


聞いてやる、と言って置きながら暗に話すことを強制すると、おなまえは申し訳なさそうに眉根を寄せたままの顔を上げた。


「私は…しがない会社で秘書をしています。もう5年程、そこでお世話になっています」


ぽつりぽつりとおなまえは語る。

1年目の頃から、よく社長の付き合いに付き添わされていて、プライベートも接待に費やす日ばかりだった。
元々見目が良いから採用されたんだと会社内では陰ながら言われていることに気が付いていたから、必死に自分に出来ることは何でも取り組んでみた。
一人でオフィスの掃除を早朝にしておいたり、新しく資格を取ったり、会社の役に立つことならそれこそ思いつくことを何でもした。

それらが社長の目に留まって、大口の取引先との約束を私が取り付けられることになった。
「よく働いてくれる秘書だと聞いてるよ」と言われた時は、ようやく正当に評価されるんだと嬉しかったのに…。


「…すぐに気づきました。相手の言う”君だからお願いするよ”という言葉の意味に…」
『……』
「相手方は…粗暴な趣向の方で…いつも、最中私が逃げ出さないように服をダメにして……長い付き合いだからとうちの社長も目を瞑っているんです。もうずっと……」


おなまえが唇を噛み締める。
形の良い唇が震えて、「エクボ様にお会いした時、本当に心が軽くなったんです」と感情を押し殺したように掠れた声が呟いた。


「エクボ様の言う通りに笑うようになってから、落ち込んだ気持ちが晴れて、こんな私でも楽しく生きていられるんだと感動したんです」
『…そうか』
「…もう…(笑)は再建されないのですか…?」


縋るように見つめられる。


「私には、エクボ様の御力が必要です…どうか…」
『…今、俺様にはもうそんな力が無い。また蓄えないとならねぇ』
「……」


おなまえの視線から逃れるように虚空を見上げた。


『いつあそこまでの力を取り戻せるかもわからねぇ。今の俺様には無理だ』
「何をすれば良いですか」


突然おなまえの声が強くなって、顔を下す。
さっきまで弱々しかった瞳が真っ直ぐ俺様を貫いた。


「私、エクボ様のお力になる為なら。私に出来ることなら何だって致します!」
『…フッ、且つての教祖を今度はお前さんが救うってか?』
「ぁ…烏滸がましい真似を…すみません」


ついさっきまでのイイ目が一瞬にして成りを潜める。
『オイ』と俺様は俯いたおなまえの顎に手をかけて顔を上げさせた。


『お前さんは自己肯定感ってのが低すぎるみてぇだな。俺様の信者なんだろ?自信持って俺様を信仰しろ』
「は…ハイ!」
『じゃあ、駄賃代わりにお言葉に甘えてちょっと生気貰ってくぜぇ』
「…?はい。…ん、!?」


活力の戻ったおなまえの唇を塞いで、口内からほんの少しだけ生気を貰う。
訳もわからず身を固くした割に抵抗は一切されなくて、ついでに舌で奉仕してやれば悦さそうに鼻にかかった声が洩れた。
おなまえが夢中になっている合間に『こんなもんかな』と頃合いを見計らって離すと、真っ赤になったおなまえが目を潤ませる。


「はぁ…はぁ…こ、これでエクボ様のお役に立てるのですか…?」
『ほんのちょびっとだけな』
「……私っ!もっとできます!」
『は?オイオイ脱ぐな!これ以上はお前の生活に障る』


『俺様にはそういう欲もないしな』と言うと、おなまえは大人しくなった。
さっきから元気になったり大人しくなったり。
そんなに俺様のことで一喜一憂されると、なんだか無碍にも出来なくなる。


『…俺様まだ人に憑依できる程の力がまだねぇからよ』
「?…はい」
『おなまえの生気が回復した頃にまた来るわ』
「! わかりました!いつでも来てください。お待ちしてます」


パッと花咲いたような笑顔が眩しい。
『んじゃまた来るわ』と意識を外に向けておなまえから出る。
心なしか寝入りの時よりおなまえの表情が健やかなように見えて、安堵した瞬間『ガラじゃねぇな』と自分を笑った。



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