事務所の扉を開くと上司はおらず、代わりにどっかりとソファーに身を沈めているスーツの男性がいた。
上司もスーツだが、目の前の男性は黒髪。
座ってはいるが上司より背が高そうだ。
長い足を組みソファーの背に片肘を掛けながら雑誌を読む姿が様になっている。
その男性が顔をあげて声を上げるのと、男性の赤い頬を認識して私が声を出すのはほぼ同時だった。


「お、来た来た」
「エクボさんか。誰かと思いましたよ」
「霊幻は今買い物で出ちまってな。俺様が留守番を任されたんだよ」


「いやあ暇でしょうがなかったぜ」と伸びをするとエクボは読みかけていた雑誌を机に放る。
おなまえは受付の机の脇に鞄を置くと、エクボを振り返る。


「その体は?」
「借りてきた」
「…そうですか。コーヒーかお茶飲みます?ついでにいれてきますけど」
「コーヒー頼むわ」


お茶を飲むつもりでいたが、エクボがコーヒーなら同じでいいやと二人分のカップを用意する。
今日はこれから予約の依頼はあるだろうかと考えながらポットのお湯を注ぐ。
未だに依頼内容の把握が霊幻がいないとできないというのは些か不便だ。
仮に把握出来ても急な仕事というのもある訳だから全て、とはいかなくても何かしら共有できないものか。
おなまえは暇な時間はモブの給与明細を作ったり月間の収支がわかるように管理票の雛形を作って時間を潰すのが専らのスタイルだった。
今回のテーマはそれにしようと思ったところで、コーヒーを受け取ったエクボが世間話を投げてくるので手を止める。


「おなまえはいつももっと早くに来てたよな?今日は何かあったのか?」
「え?ああ…人と会う予定があって、ちょっとね」
「ふーん…」


エクボの視線が品定めをするようにおなまえの髪からつま先まで上下する。
先程コーヒーを受け取る時に目に入った指輪と綺麗に染められた爪。
そして隣を抜けていく時に鼻腔を掠めたのはおなまえが普段使いしているものとは違う香水のものだ。
服装こそいつもの出勤時と同じ膝丈のタイトスカートにジャケットだが、今日はそれにボディラインが出るVネックのニットを合わせている。
しかもロングヘアを片側に寄せた事で露わになったバックのネックラインにはレース編みが施されて肌見せ効果まである。
そこまで観察するといつも通りのはずのストレートの髪も、気合を込められてセットされたんじゃあないかとすら天使の輪を見て思う。


「さては男だなあ?」
「……なんて顔するんですか」
「妙に小綺麗にしてるなと思ってよ」


呆れた顔を向けるおなまえの赤く彩られた唇を見れば、塗り直されたばかりのそれは艶めいてまるで誘うよう。
「そういうんじゃないです」とおなまえは口にするが、それをエクボは否定する。
おなまえの腰掛けている受付の前までやってくれば、机に手を付き身を乗り出すとおなまえの髪を掻き分けて耳を出させる。
少しだけ眉を寄せ肩に力が入るものの、避けられなかったのを検めるとエクボはそのまま指をゆっくりと滑らせた。
耳輪に沿って耳朶へ。耳朶を飾るピアスを揺らすと、耳朶から顎元、その先と伝っていく。
そこでようやくおなまえは顔を背けようとするが、エクボの指が許さない。


「エ、エクボさん…?」
「…今日は体借りてきてて良かったわぁ…」


霊体時とは違う低い声が耳を擽る。
男性なのに、とても色っぽい。


「こんなにめかし込んでるお前に触れるんだからよ」
「…からかわないでください…」
「いいじゃねーか。…俺にもちょっと味見させてくれよ」
「ちょっ…と…!んん、…っ」


ニタリとすぐ目の前でエクボが笑うと、直後唇に熱を感じた。
驚いてエクボの肩を押すとそれは一瞬で離れたが、エクボは受付の机に腰掛けてこちらを向くとすぐにおなまえの両手を壁に縫いつけ再び唇を落とす。


「ふぅ、…っん、…」


コーヒーの香りに少しのメンソール、知らないフレグランスと体温が唇から溶け込んできそうだった。
熱い舌に歯列をなぞられ背筋が粟立つ。
軽く吸われてリップ音と共に隙間ができれば、また口付け。
繰り返される内に思考がふやけて力が抜ける。
すっかりエクボに身を委ねた頃ようやく解放されて、二人の間に銀糸が伝いプツリと途切れた。
荒くなった呼吸をそのままに顔をあげれば無駄に色気を纏った笑顔のエクボと目が合う。
彼の唇に滲んだおなまえのリップが今しがたの熱いキスを知らしめているようで、たまらず視線を落とした。


「…し、しつこいです…」
「ちょこーっとじゃ、物足りなくなっちまってなあ?」
「霊に性欲はないんじゃないんですか」
「そんなつれねーこと言うなよ〜」


「俺様とも遊ぼうぜ」と愉快で仕方がない風に笑って見せれば、おなまえは一層頬を赤く染める。


「だから、そういうんじゃないって言ってるじゃないですか。盛って来ないでください」


ニヤつくエクボを振り払って居住まいを正す。
不機嫌だと示すように口角を下げエクボを叱るように睨む。


「会ってた人は私がこっちに引っ越したのを知って会いに来てくれた子で…同い年の女性です」
「あれ。男じゃねーの」


「これでか?」とエクボがおなまえのニットのレース編みを軽く引っ張る。
その手を叩いて話を続ける。


「女同士だからオシャレするんじゃないですか。一緒にデパートで買い物したんです。コスメとか」


リップと香水はそこでお直しして貰ったものだと説明すれば、ようやく納得したのかエクボは「あー…」と間延びした声を出す。
唇まで奪ってからかわれたお返しをしてやろうとおなまえの悪戯心が首をもたげる。


「ヤキモチですか?そんなに私が好きだったなんて知りませんでしたねえ」
「悪かったって」


エクボは謝りながら机から降り、ソファーに戻っていく。
おなまえがやってきた時のように足を組むと「さっきの口紅買ったのか?」と聞いてくる。
エクボの口にリップが残ったままだったので、鞄の中にあるウェットティッシュを探しながら答える。


「派手かなと思って買ってはいないですね。何でですか?」
「へぇ。似合ってたぜ。イイ女だった」
「…それじゃあ、今のエクボさんもイイ女かも」


そう言ってウェットティッシュを差し出せばエクボは大人しく口を拭う。
手鏡で乱れを整えいつもの色のリップを塗りながら、今度買おうと思ってしまう自分がいる。


「なあ、取れたか?」
「あー取れましたねキレイキレイ」
「見て言えって…まいいや。洗面所行くわ」


エクボが離れた隙に鞄の中のパンフを見て品番を確認すると、今更恥ずかしさが込み上げてきた。


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次の出勤日、事務所に入ればまたエクボは体を借りてきていた。
その事に気づくと少しだけ緊張して、鼓動が早まる。


「おはようおなまえ」
「よう」
「おはようございます」


おなまえが席につくと早速エクボと目が合う。
特に何とも反応はない。見られているだけだ。
ホッとしたような少し残念なような、複雑な気持ちだったが一番大きいのは「変だと思われていないこと」だった。

あれから再びデパートを訪れ結局買ってしまったリップ。
買ったは良いものの自分ではやっぱり派手だと思ってしまい、試行錯誤の結果指で薄く塗るという手法に落ち着いた。
これなら多分大丈夫だと思ったものの、やはり購入の切っ掛けになった本人を前にすると気にしてしまう。


「霊幻さん、お茶とコーヒーどっちがいいですか?」
「お茶でいいわ。サンキューな」
「エクボさんは?」
「俺様はコーヒー」


割れたな、と湯のみとカップをとりあえず用意して、さて自分はどうするかなと手を止めると入口の方で扉の音とモブの声が聞こえてきた。
モブの分もと湯呑みを出そうと棚に手を伸ばせば、後ろから手が伸びてスイッと目当ての湯呑みを渡してくれる。


「あ。ありがとうございます」
「茶にすんの?」
「いえ、これはモブ君と思って。私はコーヒーにします」
「ほい」


すると続けてカップも出してくれたのはエクボだった。
モブも茶を飲むと聞いておなまえに伝えにきたのだ。
お茶を入れる隣でコーヒーを用意してくれるエクボに改めてお礼を告げると彼は手を止めてこちらを見ていた。


「やっぱり似合うな、それ」
「え」
「口紅」


ポットの給湯ボタンを押したままの指を、横からエクボの手が退けさせた。
嬉しそうに喉を鳴らすように笑う声が近い。
影が降りてきてメンソールの香りが鼻をくすぐると唇を塞がれた。
ゆっくり押し付けられるだけのそれは、この間のキスを思い出させるのに十分で。
一気に熱が体を巡っていく。
離れたエクボはぺろりと舌で自分の唇を舐める。


「これなら大丈夫だろ?」


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「はいモブ君、お茶」
「え、ありがとうございます」
「…」


差し出された湯呑みを受け取るモブの仕草に、おなまえはエクボにとことんしてやられていることに気がついてしまうのだった。



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03.22/滲む赤→赤リップにムラッとする
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