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 最上親子を悼む



冷たい雨の中安っぽいビニール傘が雫を弾く。
濡れた御影石に刻まれた文字を、一筋、また一筋と雨がなぞる様が一人寂しく泣いているように見えて私はお墓に自らの傘を傾けた。


「お久し振りです、最上さん。最近寒いですね。私、布団から出る30分前に暖房つけてからじゃないと起きれなくなっちゃいましたよ」


自分の近況を報告しつつ、お行儀は悪いかもしれないが、傘を墓石に立て掛けて、空いた両手でお墓の周囲を軽く掃除する。
来訪者がいないのだろう、積もった落ち葉や卒塔婆に張られた蜘蛛の巣を掃い、仏花と最上さんの好きだった花を活けた。
途端に黒づくめだった空間が彩られて、「キレイですね」とお墓に声を掛ける。
持って来た線香に火をつけて、両手を合わせながら花を見て穏やかな笑みを浮かべていた彼女に思いを馳せる。

フリーターで職を転々としていた中、たまたま目に入ったハウスキーパーの求人。
体を悪くして家の事に手が回らなくなったのだと弱々しく語る姿に心を動かされて以来、特別家事が得意な訳では無かったけれど自分にしては熱心に世話を焼いた方だと思う。
「助けてあげなければ」。
雇ってもらう立場なのに何故だかそんな思いが強くあって、週に2日貰っていた休みをもどかしく感じたことさえあった。


--「ダメねぇ……息子のシャツの解れさえ、直してやれなくて…」


思ったように動かせない痩せた指先で、そう呟いた背中が小さくて。
「代わりにやりますよ」と言った私の申し出に、本当は自分でやりたいだろうに、申し訳なさそうに"お願いね"と眉を下げて笑顔を作っていた彼女。
"体が弱い"とは聞いていたけれど、特に通院している風でもなく。
しかし日に日に。確実に体調は崩れていき、食事を嚥下するにも苦労するようになり、終いには起き上がることさえ困難になってしまった。

そんな彼女が、息子のことを話す時だけは必ず花が咲いたように元気になって。


--「親思いの優しい子なの」
--「最上さんを見てたらわかります。自慢の息子さんなんですよね」
--「フフ。…ええ、そうなの」


私が休み明けに最上さんのお宅を伺っても、最上さんは新しいパジャマに着替えさせて貰っていたし髪も梳かされていた。
私の休みの間は勿論その息子さんが最上さんについていてあげているんだろう。
私自身は息子さんと顔を合わせることはなかったけれど、書き置きでやり取りをすることはあった。
私の報告に対して簡潔に返事をするだけだったが、わざわざ返事を書き残してくれる朴訥な人、且つ最上さんの身奇麗さからその息子さんの愛情深さは察せた。
"子に愛されて幸せだ"と目を細める彼女の姿は、今でも私の胸に深く刻まれている。


「……まさか、自慢の息子さんが有名な霊能者だったと知った時は、すっごくビックリしたんですよ」


もし彼女が実際に私の話を聞いていたら、"アラ言ってなかったかしら、ごめんなさいね"とクスクス笑っただろうか。
想像に容易い彼女の姿に、私もふ、と顔を綻ばせる。


「……あ。でも今は息子さんも一緒ですもんね。あんまり話してると、息子さんにも聞こえちゃいますね」


別に内緒話をしていた訳でもないのだけど、ふと彼女にだけ話しているつもりで語りかけていたのに、今は此処に2人とも眠っているんだと思い至った途端口を噤んで身を正した。


「啓示さんも、お疲れ様でした。其方でゆっくり、お母さんと休んで下さいね」


息子さんの姿を見たのは、最上さんの葬儀に招かれた時が最初で最後だった。
テレビでは見た事があったけれど、親族を喪った直後だったからかそれとも日頃の激務が祟ってか、ひどくやつれて虚ろな目をしていたのが気掛かりだった。

今はもう、そんなしがらみから解放されて穏やかな時間を過ごせていることを祈り、目を閉じた。
すると急に突風が吹いて、立て掛けていた傘が宙に舞い上がる。


「あ!やばっ」


慌てて落ちた傘を拾いに行き、幸いな事に飛んで行った傘が誰かにぶつかったり物に当たったりすることがなかったことに胸を撫で下ろす。
風を受けて骨が折れてもいないのを確認してから、「……億劫するなってバチがあたったかな」と改めてお墓に向かって両手を合わせる。


「ん?」


振り向き様、一瞬誰かが墓の前に立っていたような気がして目を瞠った。
しかし瞬きをした視界には変わらず雨に打たれている最上家の墓だけで、見間違いだったかと墓前に戻る。
掃除も出来たし、話も出来た。
後片付けをする為花を取ろうと手を伸ばした時。


「……」


花立の傍らに1枚のメモが張り付いているのが目に入って、それを拾い上げた。


"母はいつも感謝していた。ありがとう"


見た事のある文字だった。
文字の跳ねに几帳面さが窺える、短い文面。
雨が降っているのに、不思議と湿ってもいないそのメモを見て胸がじんと熱を持った。

ありがとう、なんて。


「そんなの。此方こそ、ですよ」


原因もわからず弱っていく彼女の、そばに居ることしか出来なかっただけなのに。


「もっと……出来ることがあったかもしれないって、ずっと気掛かりでした」


今はもう、こうして祈ることしか出来ることはないのかもしれないけれど、そうすることで少しでもいい彼女たちが安らかに眠れればと思う。
私の後悔への応えのようでもあるそのメモを大事に懐にしまった。


「また、来ますね」


持って来た線香と花の始末をして、行きの時に比べて少しだけ弱くなった雨の中を戻る。
数メートル歩いた辺りでヒュウと吹いた冷たい風に、ハッとして振り返った。
けれどいくら見回しても相も変わらず静かに墓石が立っているだけで、私は再び踵を返した。


---


『……其方でゆっくり、か』


嘗ての家政婦だった女性が立ち去ってからすぐのこと。
最上は自分の母親が眠る墓前に立っていた。
小さく遠くなっていくビニール傘を差した背中を見送って、雨に濡れた墓石を振り返る。


『私は、母さんと同じ所には行けないよ…』


自嘲するような呟きを残して、最上の姿は曇天に溶けて行った。




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