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 先輩彼女に独占欲強めの律



「先輩」


耳に馴染んだ愛しい後輩の声に、生徒会室から出ようとしていた足を止める。
振り返ると声の主は「今度の合唱コンクールについてなんですけど」と用件を口にした。


「ああ、影山君が1年の分纏めてくれたんだ?」
「さっき2年生の分も回収したので、確認して欲しいんですけど」
「いいよ」


肩に掛けていた鞄をもう一度長机に置いて、律から差し出された1、2年生の各クラスの曲目のリストを受け取る。
既に生徒会会議が終わった室内からは一人、また一人と生徒が別れの挨拶をして出ていく。
居残る私たちに神室が「それすぐ終わる?」と廊下に向かう足を止めて尋ねてきた。


「カセットの用意も済ませちゃいたいから、ちょっとかかるかな」
「なら戸締りしといてね」
「預かります」


神室の隣に立っていた徳川が「頼む」と律に生徒会室の鍵を任せる。
ガラリと引き戸が閉められて、足音が遠のいていく。

合唱コンクールで取り上げられる曲は、そのほとんどが去年か一昨年の使い回しだ。
渡されたリストの最後のページに目を通し終えて、私は「うん」とどのクラスにも問題がないことを確かめた。


「2-2の曲は初めて選ぶやつだね。それだけ笹山先生に取り寄せて貰わないといけないかな」


職員室に鍵を返す時、ついでに音楽教諭に声を掛けようかと律に提案してみると、彼は自分の鞄からケースに収まったカセットを此方に差し出してくる。


「昼休みの内に先生に声を掛けたら、もう用意してたみたいだったから貰ってきた」
「流石律!仕事が早い。ありがとう」


カセットを受け取って2年2組の曲目の用紙を折りたたみ、輪ゴムでカセットを括りつけた。
近々集まる曲目に合わせて、予め用意していたカセットたちの入ったバスケットを用具棚から引っ張り出して他のクラスにも同じように用紙とカセットを1セットにしていく。
隣に座った律もそれを手分けして手伝ってくれたお陰で、すんなり作業は終わった。


「じゃあ明日の朝各学級にコレ配らなきゃね。2、3年は私やるよ。1年の分お願いしてもいい?」
「うん。……あのさ」


分けられた1学年の分を鞄にしまうと、律は廊下を一瞥してから少し声を抑えるように口を開く。
何か内緒話でもするのかと、鞄にカセットを収めていた私はその手を止めて「なに?」と座っていた姿勢を律の方に傾けて座り直した。


「爪。マニキュア塗ってる?親指」
「う。…二枚爪に、なっちゃって…」
「お化粧もしてるよね」
「……何でわかるの?色つけてないんだけど…」


今日一日クラスメイトは勿論先生にだって気づかれていなかった。
目敏い徳川の目だって--親指は隠してたけど--欺けたのに。

ほんのちょっと。
出来たクマを隠す為に部分的に使って、爪を補強しただけ。
あとは強いて言うなら普段面倒くさがって使わないリップを、皮剥け対策に渋々塗っている。

お化粧、の内に入るか入らないかのギリギリ。
そんなほとんどスッピンと変わらない状態なのに、律にはその僅かな変化を見つけられてしまった。


「学校なのに何でしてるの」
「寝不足で…。酷いクマだったから、顔色悪すぎて」
「…ということは、朝からそれだったんだ」
「は、はい」


問い詰める声は低くて、その間も私の有様を値踏みするように律は視線を寄こしてくる。
普段はちゃんと”優秀な後輩”の皮を被っているのに、二人きりになるとそのお利口な様相が何処かへ消えてしまう。
いつもなら素を見せてくれているんだと嬉しくなる瞬間だけれど、今の彼は苛立ちを隠し切れていない様子で、そうさせているのは自分だと思うと胸が苦しくなった。

「こんなことなら無視すれば良かった」と律が小声で何か恨み言を吐いている。
いつもは朝も通学路の途中で合流して一緒に登校するけど、今朝は律側に別件があってバラバラに登校した。
優等生故、恋人が校則を破るのがそんなに苛立たしかったんだろうか。


「こ、校則違反してごめん、なさい」
「……ハァ。違う…」


段々と刺々しくなっていく律の纏う空気に耐え切れず、とりあえず謝罪をした。
私が「ごめん」と眉を下げているのを見て、律はグッと一度唇を引き結んでから溜息を吐く。
緩く横に振られた首に、呆れのようなものを感じ取って自分の理解が足りなかったんだと思った。


「違う、って?」
「校則違反したから責めたんじゃなくて……、ごめん。僕も感じ悪かった」


言い淀んだ後、律が私の手を掬い上げるようにして取り、更にその上にもう片方の手を重ねる。
その指先が宥めるように優しく私の手の甲を撫でた。


「…僕と会う時だけだと思ってたから。どんなに薄くても、他の人に見て欲しく、なくて」
「り、律と会う時のはもう、とんでもなく手間掛けてるんだよ?コレと同一にしちゃダメだよ」
「……」
「コレは不健康じゃなさそうに見せるだけの目的だし…律と会う時は、律に”可愛い”って思って貰いたくてしてるんだし…」


私の言葉に最初は納得しきっていない様子だった律の据わった目が、徐々に穏やかになっていく。
良かった。
可愛く見られたくてメイクをするのは律にだけだという私の必死の想いは伝わったみたい。


「じゃあ…それはわかったから、次は対策の話をしよう」
「…対策…?」
「何で寝不足だったの?昨日、9時には”お風呂入ってもう寝る”って言ってたよね」
「あっ」


昨夜の電話で、私がそう言って切ったのは事実だった。
お風呂にも入った。本当のこと。
だけどその後の私は勿論すぐには寝なかったからこうして寝不足になってしまった訳で、「おかしいよね」と律の追及はまだ続く。

柔く握られた手に添えられた力は、特段強くもないのにしっかりと私の身動きを封じていた。


「それは…ドラマを…」
「じゃあ11時くらいには寝られるね」
「…の、感想を…つぶやいたり、探したり…してて…」
「へえ。随分熱心なんだねそのドラマ。なんてやつ?」
「……」


言えない。
今話題のイケメン俳優と実力派女優の恋愛ドラマが、ちょうど波乱を迎えてその後の展開の予想に盛り上がり過ぎて中々熱が冷めやらず眠れなかったなんて。
”イケメン俳優ねえ”と収まりかけていた彼の機嫌が再び斜めに振り切れるのが容易に想像できて、私は閉口した。


「も、もう程ほどにするから。約束する」
「…わかった。約束ね」


私の手を緩く拘束していた手が解放されて、小指を差し出され私も自分の小指を彼のと絡める。
指切り拳万をした手を解こうと力を抜いた指先が引き戻された。


「…り、つ?」
「それで…どのドラマの誰にそんなにご執心だったのかな?」


嗚呼、聞き流してはくれなかった。
この追及から逃れる為の助け舟はないかと視線を泳がせるも、廊下は静かだし外から聞こえる部活動の掛け声は遠い。

愛すべき後輩から独占欲の強い彼氏にすっかりスイッチを切り替えてしまった律に、私はとうとう隠していたドラマのタイトルを告げて、家に帰るまでの間延々と再び彼の機嫌が直るよう必死に「律が一番だ」、「律は私にとって特別だ」と説き伏せるのだった。




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