dust | ナノ


 唯一無二の信者になってほしかったエクボ

※ビター注意報。甘いの好きな人は回れ右



誰だって幸せになりたいと思ってる。
出来る限りリスクは負いたくないし、
出来ることなら楽にそこそこの生活を送りたい。
そういう漠然とした欲求はどんな人間だって共通して抱えている。

だから俺様はわかりやすい餌で、甘言に傾倒し易い人間共を釣る。

精神的に弱い奴はすぐに逃げ道を求めたがる。
自分の身に起きた嫌なことに対する言い訳を、都合の良いもので変換したがる。
その都合の良いものを。その逃げ道を。俺様が与えてやるんだ。

途端に奴らはこぞって俺様を有難がり、順調に俺様の計画は進んでいた。
いたのだが。


『…質の悪さが否めねェな…』


そうして集まった奴らから得られる力は微々たるものだった。
そりゃそうだ。特別な能力者でもなし、その上意思も弱い人間の集まりなのだから。
活力に溢れている奴はそもそも救いを他者に求めない。
意思が強い奴は現実問題に背を向けない。

20、30そこら人数が増えたところで大した変化にさえならない。
腹が減らねぇ、それだけだ。


--何かもっと効率的な方法はねぇもんかな…


そう考え込んでいると、一人の信者が俺様の前に新しい信者を連れて来た。
覚束無い足取りで俺様の目の前にやって来ると、ぐすりと鼻を啜る音。
そんなに打ちひしがれるなんて滅多なことだと同情を口にしようとした俺様の鼻に、アルコールの香りが届いた。


「公園のベンチで、泣きながら酒を煽っていたので連れてきました」
『あぁ、そうか。……可哀想に、余程辛いことがあったと見える』
「ズズッ、…此処にくれば…、笑顔になれるって、聞きました……」
『ええ勿論!ご安心なさい』


長いこと泣き続けていたのか、腫れた瞼が重そうに瞬いてその女は俺様を見上げた。
若い身空で女がここ迄泣くとは。男絡みか?将又身内の不幸か。
死にかけの年寄りよりはマシか、と内心女を品定めして俺様はスマイルマスクを女に被せた。


---


信者として迎えてから、1週間程その女は姿を見せなかった。
ああいう酒に逃げたり泣いて発散するタイプの人間の大抵は心の負担が軽くなる心地に酔ってまたすぐ再来するもんなんだが。
まぁ、そういうこともあるかと思って特別気にはしていなかった。
そんな女がいたことも記憶から薄れかけていたある日、その女は再び現れた。


「エクボ様」
『! 君は…』
「先週、お世話になった者です。えっと……公園で、ヤケ酒しながら泣いてた…」
『……ああ!あの時の。心配していましたよ、あれから姿を見せなかったものですから』


照れ臭そうに耳朶に触れながら語る女は、先週と打って変わって晴れやかな表情を浮かべている。
スマイルマスクがもたらした物では無い、ごく自然な笑顔だ。


『どうやらアナタの憂いは晴れたようですね。これも全ては笑顔!スマイルの賜物です』
「はい!エクボ様が側にいてくださったお陰でスッキリしました!ありがとうございます!」
『……』
「仕事が忙しくなってしまってお礼に伺うのが遅くなってしまったんですけど……コレ良かったら!お口に合うといいんですけど」


その女に感謝を告げられた途端、俺様の芯が揺さぶられるような間隔が走った。
その感覚に思わず静止した俺様に気づかず、女は高級そうな装丁の包みを差し出す。
呆然としている俺様に代わって、脇にいた信者の1人がそれを受け取った。
「メロンです!何でかエクボ様に合うと思って」という声にようやくハッとして『あ、あぁ』と声をこぼす。


--今のは……?


この霊体の、更に奥底が脈打つような強い衝撃が一瞬だが確かにあった。
興奮にも似た高まりの余韻が段々と弱まっていく自分の掌に一度視線を落としてから、俺様は目の前の女を見た。


『……ところで、スマイルマスクはどうしたのかね?』
「持ってます!」
『何故着けないのです?』
「直接エクボ様にお礼を申し上げたかったので!もう渡せたので、被りますね」


俺様の言葉に促されて、女は鞄から出したマスクをすっぽりと被る。
そうしてしまうと他の信者たちに埋もれそうな程、傍目には区別がつかなくなる。

このマスクを通して強く洗脳を掛けることで、俺様を信仰しそのエネルギーを糧にできる。
マスクさえ着けていれば、その信者を俺様の思い通りに操ることが出来る。
だというのに。


『…そういえば、新しくスマイルメイトに加わったアナタの名前を聞いていませんでしたね。お名前は?』


一瞬感じた違和感を気の所為と流しても良かったが、念には念を入れて調べる為に名前を聞き出そうと尋ねてみた。
しかし俺様に指された女はマスクを被ったままふるふると首を横に振る。


「名乗る程の者ではないので!」
『え……い、やいや、それでは不便でしょう。名を呼びたい時何と呼べばいいのか困ってしまいます』
「そうですか……ではウリ子とでも呼んでください!」
『……ウリ子……?』
「はい!」


ふざけているのか…?いや、確かに洗脳をかけているはず。
そんな余裕がある訳が……。

少し強めに力を込めて、『名乗れ』と命じる。
するとピクリと一瞬女の体が跳ねてから直立し、ひとつだけ単語を口にした。
どうやら苗字らしい。『フルネームは?』と尋ねるが、女は首を横に振る。


「…すみません。祖母の言いつけで……安易に名を明かさないよう、強く言われていて……」
『ほお……なるほどな』


この妙な抵抗感はその祖母とやらの拘束力か。
その祖母がどんな人物だったかはわからんが、死後にここまで人を制限できるということは余っ程コイツが小さい頃から言って聞かされていたことなのかもしれない。
そうと意識せずに身についている習慣を変えるのが難しいように、その人間の根底に近いものを洗脳で捻じ曲げるのは骨が折れる。

だが一つ確信を得たこともある。


『さあ、スマイルです。笑えば全てが上手く行きます』
「はい、エクボ様!お言葉ありがとうございます!」


コイツの信仰心は他の信者よりリターンが大きい。
もっと俺様を崇めるよう仕向ければ、もっと霊力を貯めることができる。

いい拾い物したぜ。

教祖としての貼り付けた笑顔の裏で、俺様はニヤリとほくそ笑んだ。


---


調べてみれば、女の家系は祈祷師の筋のものだった。
コイツ自身には霊能力らしいものは備わっていないようだが、こっそり霊体の状態で様子を探ってみると日常生活のルーティンの中で氏神へ祈るような仕草を時折とっているのがわかる。
彼女が手を合わせる時間は数分とひとつの動作にしては長いが、簡略化された祈りの形故なのだろう。

合掌の度僅かにだが自分にも力が送られて、『ついでかよ』と少し面白くもない気もしたが、他の信者の内いったい何人が俺様がいない所でも祈りを捧げるだろうかと考えるとこの習慣は貴重だ。
メロンの1件から定期的にやって来る女は相変わらず苗字以外を名乗ることはなかったが、順調に俺様を崇めてはいる。


「行ってくるね、お婆ちゃん」


出掛ける前には必ず祖母の遺影に話し掛けて、帰宅した後も真っ先に声を掛けている。
一人暮らしのようで、祖母の遺影に話しかける以外の会話はこの家の中では無い。
可能性のひとつとして、祖母の霊が守護霊化して俺様の洗脳を阻んでやしないかとも思ったが生憎とそんなこともなく、この女の傍をフラついてんのは俺様だけだった。

それもそうだよなと俺様は遺影の中で溌剌とした笑顔の老婆を見る。
神仏に携わっている家系の魂は、生まれた時から元より神のものだ。
肉体の縛りがなくなれば、殊更である。


『……"名前を教えてはいけない"、ね。徹底してんじゃねぇの』


ふらりと仏壇に入り込んで、遺影の隣にある位牌を覗き込んだ。
しかし、その位牌の裏には本来あるべきはずの名前が刻まれていない。
どうやら古くから守っているまじないや慣習の類であるのは間違いなさそうだ。
だが教祖の体を離れて霊体になったことで、得られた情報は多い。

ストン、と音を立ててポストに落とされた郵便物。
そこに記されている名前は間違いなく彼女のものだろう。

名前を明かさない、その祖母の教えは正しい。


『へぇ……いい名前じゃねェか』


名前というのは"こうで在るように"と生まれた時に与えられた呪いだ。
生まれてから死ぬまで、その名と共に過ごす。
それを知られるということは、自身の魂を握られるも同然。
特に俺様の様な上位の存在相手には。

"氏名"という目的の物を見つけた以上、長居は無用だ。
こうしてる間にも信者を増やさなければいけない。


『ったく、貧乏暇なしだぜ……』


これも今だけの我慢だと自分に言い聞かせながら、拠点にしているビルへと足早に戻った。


---


集会の後、集団の中に紛れている女に声を掛けて残らせる。
ちょうどスマイルマスクを外した所で、「へ?」と最初は気の抜けた声を出していたが、首を傾げながらもそのまま素直に俺様の後を着いてくる。


『どうですか?もう大分笑顔が板についてきたようですね』
「はい!お陰様で毎日幸せです」
『…それは良かった!』


日常の生活以上に、この女に俺様を信仰させる方法はないものか。
考えて俺様が出した結論は、コイツと直接接することだった。
直接会話を繰り返して、俺様への畏敬や尊敬の念を増すことが出来れば手っ取り早くことが進むはずだ。


『最初にアナタが来た時はひどく悲しげでしたね……今はもう立ち直れましたか?』


敢えて低く心配そうな声音で話す俺様の言葉に、女は「覚えてくださってたなんて…」と目を見開く。
よしよし、まだスマイルマスクを外したばかりだからか特に不信感も抱いていなさそうだ。


「あの時はお見苦しい姿を見せてしまって…お恥ずかしい限りです。実は仕事でずっとお世話になっていた人が退職されたんです。それが寂しくて、ヤケ酒してしまいました」


そう言うとメロンを持ってきた日のように照れ臭そうにする。
想像していたよりもライトな理由だったな、と思いながらも口では『余程関わりの深い方だったのですね』と寄り添ってみせた。
すると俺様の返事に女は「そうなんです!」と強く頷いて、自分からどれだけその人に助けて貰ったかを話し始める。
そうとくれば後は適当なタイミングで相槌を打って、それらしい言葉を返せばいいだけだ。

チョロい女だと思って話を聞いていたが、その話の合間にも女は時々両手を擦り合わせる。
人相手であってもするのか、とその仕草に視線を向けた。


--……この俺様に対してもしてるんだから、コイツにとっては当然の所作か。


自問自答に納得している内に女の話は佳境に入ったのか、声のトーンが落ち着いてきている。


「私、こうして(笑)に出会えたのは、きっと良い縁だと思います。だって本当に、出来っこないと思ってた仕事でも何とか凌げているし!笑顔を忘れずに過ごせています!それはやっぱりエクボ様のお陰だからです。本当に、毎日ありがとうございます」
『……アナタは素直な人ですねぇ』
「それが取り柄です!」


素直な奴。それは本心からの言葉だった。
良くも悪くもある。
こうして俺様の野心に気付きもしないで、自分が知らないままに俺様に力を捧げているのだから。
御しやすいことこの上ない。

それなのに、朗らかに笑うその顔が明日にはまたスマイルマスクに上塗りされるんだなと思うと、『コイツにそんな必要ないんじゃないか?』と疑問を抱く俺様もいる。
この調子でいれば、マスクで強制しなくてもコイツ自身の本心で信仰されるんじゃないか?
現に今コイツは素のまま俺様を崇めている。

……イヤイヤ油断は禁物だ。
何よりもマスクで増幅した方が安定する。
現状維持を保ちつつ、俺様への信頼を固くするのが安牌だ。


『……小さなことでも結構です。また話を聞かせて下さい』
「えっ、そんな……エクボ様のお時間を頂戴する訳には」
『何を言います。私たちは仲間です。大切なスマイルメイトなのですから』


俺様の言葉に萎縮しかけていた女の目に敬愛の色が写る。
そうだ。そのまま俺様を盲信し続ければ良い。


---


「私、凄い昔なんですけど、子供の時に1回だけ神様を見たことがあるんです」


何度目かになった集会後の密談で、女がそう言った。
7歳の時に高熱で死にかけたことがあったらしい。
熱にうなされていたのに、白い鹿のような姿の動物が自分の傍らに立って、私の額から熱を吸い取っていったんだと。
不思議と姿を見れたのはその1回きりで、今日に至るまで神様どころか浮遊霊ひとつ見たことはないそうだ。


「でもあの時見たのは神様だって、今でも信じていて……ごめんなさい、こんな変な話までしちゃって」
『…構いません。神秘的な話ではないですか』
「……そうですね、とても。…ありがとうございます」


俺様がそう言うと、女は否定や揶揄われなかったことが余程嬉しかったのか安堵の表情を浮かべた。
そんな女に向ける笑顔と反し、俺様の心中は穏やかでない。


--コイツの信仰を俺様のみに向けるには、あと何が足りない?


疑うことを知らず、自分の価値にも気づかず、易々と祈りの力を分け与える女。
幾度か重ねた逢瀬でもう十分かと思った矢先に、その口から告げられたのは別の神への信仰心だとは。

コイツを、コイツの神から奪ってやる。
その為には。


『――』


女の名前を口にすると、目の前の女は目を見開き俺様を見つめた。
教えた覚えのない自分の名前を口にされたことが余程驚きらしい。


『アナタの神は、私一人で十分なのです』
「…か、神は数多いて、その全てが私たちの生活を助けてくれてるんです」
『――。お前の神は、俺様だけだ』
「……」


呪力を込めて名前を呼ぶ。
俺様だけを崇めるのだと命じる。

素直なコイツは自分から発する力が強いのと同時に、氏名を唱えた俺様からの洗脳も素直に受け取るはずだ。
案の定、虚ろな目になった女は「はい…エクボ様」と力なく答える。

一層根深く思い込ませる為に、その頭にスマイルマスクを被せた。


『……』


こんなもの無しに、制御できると思っていたのに。
コイツなら、本心から 俺様を。


『…ハッ……ハハハハハッ!』


何を期待していたんだ俺様は。

自分で自分が可笑しくなって、つい笑い飛ばした。
ただの餌なんかに入れ込むだなんて、どうかしているのに。




prev / next

[ back ]































































     
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -