雨音<熱



窓を叩く雨音が好き。
小さな水滴たちが傘や木の葉に弾ける囁く様な音の儚さが、とても落ち着く。
子供の頃から雨が好きだったけれど、大人になっても不便さよりも雨音が聴ける喜びの方が上回ることに変わりはなかった。

夏の夜を染めていく雨音に、少しでもその音を拾おうと窓にこめかみをくっ付けて目を閉じた。
小気味の良い雫たちの声が窓に響く。

今夜はよく眠れそうだと、一頻り読み終えた本を畳んで1人がけのソファーで伸びをした。
この音を聴きながら眠りにつける。いい夜だ。

そう思っていた のに。


「こんばんは」
「……連絡。せめてインターホン鳴らして下さいよ」
「堅いこと言わずに。僕たちの仲じゃないですか」
「親しき仲にも、です」


不意に響いた声に、私の微睡みにも似た癒しの時間は終わりを迎えた。
目を開けて声のした方を向けば、我が物顔で人のベッドに座り長い脚を組んだ島崎さんがいた。

彼の突然の来訪は特段珍しいことでもなく、だから驚きはしなかった。
同棲している訳でもないのに、普段から好き勝手に私の部屋へ出入りをする島崎さんは、ただ寝に来ただけだったり取り留めもない世間話を広げることもあれば一瞬だけ顔を見て--この言い方があっているかはわからないけど--帰ったりもする。
大抵は気が済めば私の意思に関係なく立ち去っていってしまうけど。


「任務、今終わったんですか?」
「ええ。想定していたより早くことが片付いたので、報告前の寄り道です」
「ならそんなに長くはいないんですね」
「おや」


何の気なしに私がそう言うと、島崎さんは私のソファーの肘掛けに腰を下ろして上機嫌に触れてくる。


「寂しそうですね」
「そう思うんなら日頃からマメにくることです」


宥めるように私の頬を撫でる指。
私の口振りを気にも留めない様子で島崎さんは笑っていた。


「素直に"そうです"って言えないんですか」
「生憎とこういう性分ですので。よくご存知でしょう」
「キミの人に懐かない所、嫌いじゃないです」
「正直に"好きです"と言えばいいんじゃないですか」
「これで私にだけ懐いてくれるんであれば、そう言えたんですけどね」
「…………」


お互いに貶しあいながらも彼の髪を撫でて来る手をそのままにさせる。
憎まれ口に近いことを吐く癖に、触れることを許している私が面白いのだろう島崎さんは益々笑みを深めた。

彼は知っているから。私が毒を吐くのも直接触れることを許すのも、全て島崎さんだけ。
本当は誰よりも心を許されているのを理解していながら、"懐いていない"と評されて私は彼と正反対に顔を顰めた。


「……気が変わりました」
「はい?…なん、」


徐に伸びてきた手が私の顎を掴んで、無理矢理島崎さんに向き直させる。
無遠慮な力加減に抗議しようと開けた唇が塞がれて、言葉を紡ごうとした舌が絡め取られた。
その一方で彼の片手は私の輪郭をなぞる様に体の上を滑って、部屋着の裾から直接肌に触れる。


「ん、……っ、ぐ。ちょ…っと……!」
「いけません?」
「そう、ではなくて……」


無防備な胸にまで彼の手が上がってくる前に、服の上からその手首を抑えて制止すると島崎さんは大人しく私の顔色を窺ってきた。
都合や具合が悪い訳ではない、と私は首を横に振りながら答える。


「報告に行かないといけないのでしょう」
「それ、後回しにします」
「そんな適当な…」
「雨ですし、悪路だったってことで見逃してもらいますよ」
「アナタに悪路なんて関係ないじゃないですか」
「まあまあ」


人の気も知らないで、島崎さんは私を抱えあげるとベッドにぼすりと落とした。
「ボスに怒られても知りませんよ」と言っているのに、彼には全く響いていない。


「やることはやってますし大丈夫です」


ギシリと増えた重みにベッドが軋んだ。


---


以前島崎さんに言われたことがある。
私は発散するのが下手だと。
「そんなに気を回した所でキミが損するだけですよ」とヘラヘラ笑う能天気さが、最初は鼻についたはずだったのに。

いつの間にか彼には毒つける程本音を話せるようになって、いつの間にかこうして肌まで合わせるようになってしまった。


「…う、……あっ、ぁ、」


触れられた所全てからじりじりと熱が溜まっていく感覚に、必死に呼吸を繰り返す。
苦しげに呻く私を視て、島崎さんは口端を上げた。


「相変わらず、力が抜けませんよねぇ……最初は」
「じゃ、っあ……しなきゃ、いい……っ」
「アハハ」
「ぐ、うぅ…〜〜っ」


軽く笑いながら、湿り気を帯びた秘所に埋めた指で中をまさぐるのを止めない島崎さんに文句を言いたかったけれど、それよりも先に出たのは可愛さの欠けらも無い声だった。

本当は、何度経験してもこの行為が苦手だ。
島崎さんとのキスは好きだし、その延長線だとか、コミュニケーションの為とか、色々理由をつけても、もたらされるこの内臓を暴かれる感覚が、どうしても慣れない。
与えられる刺激を快感と受け取って、彼に身を委ねるということが出来ない。
だからいつも強ばる体を、毎回島崎さんは軽口を言いながら慣れさせてくる。
私の体が、これは快感だという経験を思い出すまで。


「はぁ、ッ…ん、…んあっ、ふ、ぅ…」
「そうそう、その調子」
「あ、っひ…ゃあ"っ!ハァ、ぁっ」


粘着質な音が部屋に響いて、明滅を始めた視界の中で縋るものを探して手を伸ばした。
私の手は島崎さんに掬い取られて彼の首元に導かれる。


「し、ま……っ、きさ……ぁ」
「まだただの指ですよ」
「ひぐ、ぅっう…、…んんっ!」


埋められた指がぞりぞりと内壁を擦る。
固くしていた体に一層力が入って、夢中で彼にしがみついた。
爪を立ててしまうとか、力加減とか、そんなことに気を回す余裕なんてもうなくて、神経が灼けるんじゃないかと思うくらいの熱に体を震わせた。

自分の体から汗が滲んで、クラクラとする脳に呼吸を繰り返して酸素を送る。
物凄い速さで心臓が血液を体に巡らせていて、脱力していく指先までも発熱しているみたいだった。
荒く息をするのにいっぱいいっぱいになっているのに、すぐ耳元で愉快そうに喉を鳴らされて霧散しかけていた意識を引き留める。

毎回体を重ねる度に念入りに解さなければ事に及べないなんて、面倒で堪らないだろうに。
何でこの人は、こんなに愉しそうにしているんだろう。

そうぼんやりと思っていると。


「ぅ、く……ぐあ、あぁっ」


急に割入ってきた剛直に緩みかけていた体がビクリと反応した。
喉を反らした私の首筋に生温い感触が走る。
休ませるつもりなど端からなかったんだろう、掴まれた腰に島崎さんの指がくい込んだ。
呻くことしかできない口の代わりに、視界の端に見える彼の後頭部を睨みつけていると島崎さんが顔を上げる。
想像通りの愉しそうな笑みに、昏い瞳が妖しくぎらりと光って目が合った途端背筋が震えた。


「おなまえは記憶にないかもしれませんが、体はちゃんと覚えてますよ。お利口さんですね」
「あ"ぅっふ……い"、た……ゃだ…っ…ん"ん」
「……もう前のは消えてますね…、」


がぶりと肩や首筋に歯を突き立てられて、走る痛みに目尻から涙が溢れる。
痛いだけならまだ耐えられるのに、熱い先でぐりぐりと膣奥を執拗に捏ねられる度に巡る甘い痺れが私の感覚をバグらせていく。

日に日に薄れるキスマークや歯型を見ると、普段気にしないようにしているのに寂しさが過ぎってしまうから嫌だ。
けれど嫌がれば嫌がる程この人は嬉々として自分の痕跡を増やしていく。


「ふあ、あっ…ん、……はぁ、ああっ!」
「は、……イイ声に、なってきましたねぇ…」
「んぅ…ぁっ…、し…まぁきさ……っ、ひ……」


ぐ、と突き上げられて背を浮かせた。
肌に落ちてくる汗すら快感に変わっていく。
譫言のように彼を呼んだ気がする。
それに応えるように掠れた声が何かを囁いたのが、白む意識の中で聞こえた。


---


ふ、と自然に瞼が開いた時には朝焼けの青い光が窓から差し込んでいた。
耳を澄ませても雨音はもう聞こえなくて、夜の内に止んでしまったんだなと少し残念に思う。


「……もっと聞いてたかったのに…」


ベッドの中で手を伸ばしても、触れるのは冷たいシーツだけで彼もかなり前に去ってしまったことを悟る。
極稀に「暇になりました」と居残っていることもあるけれど、それも気まぐれで滅多にない。

重だるい体を上体だけ起こして、這うようにベッドサイドの引出しを開け中を手探った。
あれ、と思った私がその引き出しを覗き込むと同時に涼し気な声が後ろから投げ掛けられる。


「何がです?」
「……、い…たんですか」
「コーヒー飲みたかったので」
「そう…ですか…」


そう言う島崎さんはキッチンに立ってはいるけど湯を沸かしてもカップを用意してもいなさそうで、私は"場所忘れちゃったのかな"と自分もキッチンに向かうべくようやくちゃんと起き上がった。
床に放り捨てられていた衣服をとりあえずシャツだけ拾って袖を通す。


「…それで?…何を聞いてたかったんですか?」
「え?……ああ…雨です。雨音」
「はあ」
「雨の音好きで。聞き入っていたら島崎さんが来たので、聞く所じゃなくなっちゃったじゃないですか」
「私より雨、ですか」
「…………」
「は〜あ〜、さっきまであんなに可愛くねだってたのに。薄情な女ですねえおなまえ」
「お、覚えてないことを言われましても。ねだってなんかいません」


話しながらケトルを火にかけつつ島崎さんのマグカップを出していると、私の隣で聞こえよがしに大きな溜息を吐きながら島崎さんがいじけだした。
どうせ冗談だろうと思って聞き流していたら、湯が沸くのを待っている私の目の前にカードのような物が差し出される。
アルミ製のシートに並んだ小さな錠剤を認めて「それ」と思わず声が出た。

ベッドサイドに閉まっていたはずのアフターピルに手を伸ばすが、私がそれを掴むよりも早くふい、と島崎さんが腕を高く上げてしまう。


「し、島崎さん、それ返して下さ…」
「コレ、何です?」
「……ピルです。私生理不順なので。わかったら返して下さい」
「それにしては少ないですよね。アレって毎日決まった時間に飲むんでしょう?」
「…………」


何でそんなこと把握してるんだろうと一瞬過ぎった疑問を無理矢理無視した。
振り上げられた手は一向に降りてくる気配はなく、やむなく私は彼の気が適当に済むまで薬のことは諦めることにする。

甲高い声を上げたケトルの火を止めて、その細口からゆっくりと粉に湯を注いでいると手の中のピルシートの端を指で弾きながら島崎さんが口を開いた。


「欲しがったから上げたのに、こんなの飲んでたら出来るものも出来ないじゃないですか」
「…………はい?」


耳を疑った。

欲しがった。
上げた。
出来るものも、出来ない。

固まる私に、まだぺしぺしとシートを弾きながら島崎さんは不服そうに続ける。


「"1人にしないで"って甘えてくるから、これ以上寂しがらないように…という私の優しさを無下にしてません?」
「わた……私、そんな事言うんです、か…?」
「とっても素直ですよ。まあ、普段のおなまえもわかりやすいので私はどちらも楽しいんですけど」
「待って。待ってください……島崎さん?わかってますか?に、妊娠しちゃったら、養育の義務が発生するんですよ」


湯気の立つケトルをコンロに戻して島崎さんに向き直り、私はこんこんと説明した。
普段のらりくらりと過ごしている彼が、法の下で真面目に子供を認知している姿が想像できない。
ましてや普通は、子供が出来たら否が応でも籍を結ぶことになる。
こんな気軽な、一瞬で終わりそうな関係でいるのとは大違いだ。


「わ、わかってるんですか……?」
「……キミねえ」


ポイ、と島崎さんが部屋のゴミ箱へとシートを投げ捨てる。
ゆっくりとした足取りで一歩ずつ距離が詰められて、後退りする内に背に壁が触れた。


「私これでも優秀なんです。やれ海外行けだやれ潜入しろだ、結構多忙なんですよ。他の人では苦労する仕事が山積みな訳です」
「……知ってます」
「無駄なことに時間を費やせる程、私は暇じゃありませんよ」
「……でも、愉快なことなら…少しは割くんじゃありませんか……?」


私の呻くような下手な喘ぎは、彼にとっては加虐心を煽る材料になるらしいし。
それで性欲も発散できるのなら、多少の時間は潰すんじゃないだろうかと。
少なくとも私の中の島崎さん像はやりかねないなと思った。
私の言葉に島崎さんは口をへの字に曲げていて、夜と真逆な姿に私も戸惑う。
しかしそれもすぐにまたにんまりと表情を変えて、彼が壁に手を着いた。


「私がどれだけ無駄嫌いか、わかってもらわないといけないみたいですね」
「い、え。大丈夫です、わかりました。今」
「ダメですよ」


身をかがめて島崎さんの腕をくぐり抜けようとした所を掴み戻される。


「無駄打ちなんて御免です。もうあの薬は飲ませません」
「し、島崎さん!コーヒー!コーヒーいれましたから、…ぅ…く、ぅ"っ」


気をそらそうとしてもするりとシャツを捲り上げられて、晒された肌に彼の指が這った。
声をあげようとした唇が、島崎さんの舌に捕まってまともに喋ることすらできない。
落ちたシャツを被っただけで、下着さえまともに着込まなかった数刻前の自分を恨んだ。










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