キズごと愛する



親なんてなくとも子は育つ。

それはその通り。
何故なら私がそうだから。
なまじ超能力なんか生まれ持ってしまったせいで、口にしていないはずの思考にさえ返事をする我が子に怯える生活に耐えきれなくなった両親は、私を養護施設の前で置き去りにした。
もうその頃には物心もついていたし、自分が捨てられたことは理解出来ていた。

子は親を選べない。
育つ環境でさえ、選択権などない。
与えられた場所で生きるしかないんだ。
死なないだけ、私は幸福だ。

そう人生の早い段階で悟ってしまった私は、さぞ施設の中でも異色だったろうに。
そんな私を引き取りたいという、稀有な人が現れた。

私に与えられた次の"生きる場所"。
相手の望むように在る。
それが一番平穏に生活できる私の手段だった。


---


「なあーおなまえ、そんなに物ばっか浮かしてねぇで遊ぼうぜ!」
「練習しないと。私上手じゃないから」
「えー!だってそれつまんねーだろ」
「……つまる、つまらないの話じゃないんだよ」
「テレパシー使えるだけですげぇのに。…お!いいこと思い付いた!その本俺と同じ高さまで上げれたらおなまえの勝ちな!」
「えっ…ちょっと、高……」
「やってみ!他の落としちまってもいいからさ」
「……うん」


私を引き取ってくれた鈴木家には、男の子がいた。
3つ年下の、超能力を持っている子。旦那様譲りだそうだ。
それを知って"私が超能力者だから引き取ったんだ"とすぐに気が付いたし、実の子の方が飲み込みが早くて私より能力のコントロールが上手だったから、それまで嫌で嫌で堪らなかった自分の力を練磨せざるを得なくなった。

だって、じゃないと、また―――――。

私が何とか集中力を研ぎ澄ませてショウ君が浮遊させた本と同じ高さまで自分の本を浮かせると、フラフラな軌道な上一瞬しかその高さを保てなかったのにショウ君は「出来んじゃん!」と自分の事のように喜んだ。
何とか届いたことにホッと息を吐いて力を抜くと、落ちて来た本を拾ったショウ君は「今日の戦利品な」とポケットから飴を取り出して私にくれた。
舐めると色が透明になるオバケの形をした飴らしい。

その後少し話してから飽きたのかショウ君はこの場を後にして、私は貰った飴をしまってまた練習を続けた。
そうしていると今度は奥様がやって来た。
「おなまえ」と私を呼ぶ声に、物憂げな感情を感じ取って私は集中を解き奥様に向かう。


「どうしましたか」


すぐ目の前まで小走りで寄ると、奥様は私を抱き締めて優しく背中を撫でてくれた。
「そんなに根詰めなくてもいいの」と穏やかな声音が私の胸を揺らす。

奥様は、ノーマルだ。
だから私は、奥様の思考なら何のノイズもなく拾ってしまう。
私やショウ君が段々と能力を強化していくのが、奥様は心配なようだった。


「人の価値は強さじゃないわ。アナタはアナタらしくいていいのよ」
「……はい」


奥様の言葉には建前や嘘は無い。
私の能力を知っても、気味悪がることもなく受け入れてくれた奥様が、真に優しい人なんだということはすぐにわかった。
けど、旦那様は違う。
目的があって、私は引き取られた。
私が此処に居続けるには……。


---


「……まぁ〜たつまんねーことしてる。いつもいつも飽きねーなぁ」
「…ショウ君も暇だね」
「暇じゃねーよ。色々やることあるっての」
「じゃあそっち行けば良いじゃない。福田とか」
「何でそこで福田が出てくんだよ…」


空中で坐禅を組みながら瞑想していると、ショウ君の声が耳に届いた。
目を閉じたままぶっきらぼうに答える。
福田の名前を出したのはたまたまだったけれど、苦々しいショウ君の声に顔を上げて様子を窺うと想像以上に顔を顰めているショウ君と目が合った。
「降りてこい」と顎で示されて、気は乗らないまま地上に足をつける。


「…やっぱ、気にしてんのか?」


着地した私に歩み寄って、ショウ君が私の前髪を避けて眦に触れた。
髪に隠れた深い傷痕がまだ痛むとでも思っているのか、そっと添えられる指先を首を横に振って否定を示しながら避ける。


「違う。これは…私のせいだから。ショウ君が気にすることじゃない」


旦那様に付けられた古傷。
これ以上私の力は向上しないと、見限られた証。
この傷を付けられた時、奥様は大層旦那様に怒って。
それから、加速度的にお二人の心は離れていってしまった。

私の力が、至らなかったから。
だから旦那様を失望させてしまって、
だから奥様は出て行かれてしまった。

もう今更、練度を重ねても意味が無いのはわかっているのに、それでも続けてしまうのは私にそれ以外の価値がないから。
この傷は戒めだ。
私の弱さを忘れない為の。


「気にする事じゃないって…お前が気にしなさすぎてるから俺が気にしてやってんの!ホントあのクソ親父…よりにもよって顔とか、有り得ねえ」
「……どんなに撫でたって、ショウ君は治せないでしょう」
「うるせーなあ、気分だ気分」


ショウ君が以前、私の前に福田を連れて来たことがあった。
超能力の中でも珍しい治癒力を高める力の持ち主で、「もしかしたらおなまえの傷も治せんじゃね?」と試された。
しかし生傷ならともかく、私の傷はもう塞がって痕となっている。
残念ながら少し色が薄まった程度で、完全に治すことは出来なかった。
ショウ君は、私が実はそのことを根に持っていて、だから福田の名前を出したと思ったんだろう。


「ショウ君は、この傷あるのがそんなに嫌?」


自分が着けた訳でも無いのに、ひどく気に掛けるなと感じていた。

残念ながら私のテレパスは自分より実力が上の相手には効果がない。
私が支部寮で生活するようになってから顔を合わせる頻度が減って、それと同時にこうして気に掛けられることも少なくなったけど、会う度に顔の傷を心配されてしまう真意は、わからない。

両親の離婚の切っ掛けになったと言っても過言ではない傷だ。
見る度にその事を思い出してしまうのかもしれない。
片目を隠すように前髪を伸ばし、一見傷がないように見せているのに、それでも毎回彼は罪悪感に満ちた目でいつもこの傷痕を確かめる。


「傷があるのが嫌っつーか……目が見えねえのが嫌だ」
「……目?」
「目は口ほどに物を言うって言うだろ?」
「うん……?」


それとどう話が繋がるのだろうと首を傾げた。
するとまたショウ君は私の傷に触れる時の様に、私の髪を横に流していく。


「おなまえってへそ曲がりだからさー。口では平気ぶってても実は悔しがってんのとか、顔に出んだよ」
「は……いつの話よそれ」
「今とかもそう」
「……別に、そんな事思ってない」
「"知った風な口聞くな"って顔してるぞ」
「…………」


ピタリと胸中を言い当てられて、つい黙り込んでしまった。
すると「怒んなって」とヘラヘラ笑われる。
耳に掛けられた前髪を戻す様に手櫛で直して「別に怒ってない」と否定だけはしておいた。


「今度はテレパスでも身に付けたの?」
「それはおなまえの十八番だろ。俺のはただの観察眼」
「……ああ、そう。暇なのね」
「だから暇じゃねーって。ずっと見てるからわかるようになったんだ」
「だから、それが暇だって言ってるのに」
「だぁーから……聞けって」


忙しいんでしょう。
旦那様から支部の視察を言い渡されて、それなのに対象じゃない此処に足をわざわざ運んで来て。

支部長にさえなれなかった私と違い、ショウ君は身分こそ隠してはいるが本部に籍を置いてるし、こうして旦那様から勅命も受けている。
劣等感から少し意地になって言い返すと、ショウ君の眼差しが色を変えてその声色が少し低くなった。


「ガキの頃からずっと見てた」
「…姉思いの弟を持って、私は随分幸せだね」
「姉なんて思った事はねえ」
「…………」


わざと姉だ弟だと口にしたのに、聡いショウ君は私の意図をすぐに察して否定してきた。
私が黙っている間も注がれる真剣な視線から、顔を背けて逃げることは容易なはずなのに何故か逸らすことが出来ない。
かといって、その言葉に下手に踏み込むことも出来ず、息を呑んだ。


「……、馬鹿じゃないの…」


やっと放った声は勢いも無くて、正しく虚勢そのものだった。
否とも応とも返せない私の返答にショウ君は一瞬鋭く私を見たが、すぐに頭をかいて姿勢を崩す。


「馬鹿で結構だっつーの。……んじゃ、そろそろ俺行くな。また来っから」


一度バチリと絡んだ視線を今度はショウ君の方が誤魔化すように逸らして、此方に背を向けて外に向かい歩き出した。
その背中を見送ってしばらくしても、私はただ棒のように立ち続けていた。


---


「………はぁ」


シャワー室を出て自室に着いた私は、億劫になって乾かさないでいた湿った髪の毛を乱雑にタオルで拭く。
結局以降の訓練も集中が続かず、身に入らなかった。


--「姉なんて思ったことはねえ」


その言葉が"家族として受け入れたくない"という拒絶の意でないことは、奇しくも能力柄人間の機微に明るいせいで察してしまった。

本当は、家族として正しくあるならば、彼の言葉に完全に否定を返さなければいけなかったのに。
その気持ちには応えられないとハッキリ拒むことが正しい在り方だとわかっていながら、"あなたが認めていなくても、私が義理の姉であることは事実だ"と言いかけた。
そう口をついて出そうになった言葉を、既で飲み込んだ。
それは、義姉であることしか障害がないと認めているようなもので。


「…………嘘でも、"無理"って言えなかったな……」


嫌ではなかった。だから、言えなかった。

拒絶の言葉を躊躇った結果捻り出した悪態だった。
咄嗟に選んだその言葉端を、ショウ君に汲まれていやしないだろうか。
判断を間違ったんじゃないか。

そんな考えがいつまでも逡巡してやまない。
デスクに突っ伏したまま何度目かの溜息を吐いている内に、重たくなった瞼に抗わずそのまま自分の腕を枕にして目を閉じた。

考えても仕方ないことは、寝て忘れるに限る。
うつらうつらと日中の疲労が連れてきた睡魔に誘われるまま、私は思考を止めた。


---


耳元で、パサパサと弾むような布擦れの音がする。
深く落ち切っていた意識が鈍いながらも徐々に覚醒してきて、頭部の違和感にもぞりと身じろいだ。


「ん……、ぅ…?」
「…寝んなら髪乾かせよ、朝爆発しても知らねーぞ」
「わ、っ!?…ショウ、く……?」


頬や目尻にヒヤリと冷たいものがパラパラと幾度も滑る。
それがタオル越しに揺さぶられている私の濡れた毛先たちであることに気付いて体を起こした。
頭に被ったタオルがずり落ちて、私の傍らに立っているショウ君が呆れた様な顔をしているのが見える。


「何……か、あった?」
「……ハァー」


彼が夜に私を訪ねてくるのは初めてだ。
まだ重たい頭を働かせようと、どうしたのか尋ねながら見上げる。
私の反応が意に反していたのか、ショウ君はパチパチと瞬きをした後また元の呆れ顔に戻ってわざとらしく溜息を吐いた。


「話に来た……んだけど、まず髪乾かしてからな」
「え……わかった。飲み物…」
「いーって。ん」


私が座っていたデスクの向かいに腰を下ろして、ショウ君が洗面所の方を顎で示す。
癖毛の持ち主としては濡れたまま髪を放置しているのを見るのは気になるのかもしれない。
示された通りにドライヤーのスイッチを入れて髪を乾かしていると、いつもより幾分か早く乾き終わった気がしながら仕上げのヘアオイルを塗る。
その時にパラリと耳を擽った髪が滑り落ちる音に、脇の洗濯籠に放ったタオルに視線をやった。

私が起きる要因になった頭部の感覚。
優しく頭を揺すった掌の持ち主は止まったドライヤーの音と気配に気付いたのか、足を組みかえて此方を振り返る。


「ちゃんと乾いたかー?」
「うん。……ありがとう、髪」


ジュースなんて気の利いたものは私の冷蔵庫にはない。
コップに注いだお茶をショウ君の前に置いて、私も元いた席に着く。


「ショウ君が夜に訪ねてくるの初めてだから、何事かと思っちゃった」
「……昼に言ったことだけど」
「…………」
「一応フォローしとく。うちの人間なんて認めねーって意味ではねーからな」
「……うん。…ありがとう」


努めて自然にいようとした矢先にちょうど眠る前に考えていたことを話題に挙げられ、閉口してしまった。
ショウ君は、私が「姉なんて思ってない」と言われたことの意味を履き違えて、それを気に病んでしまってないか心配して様子を見に来た…ということなんだろう。

……嗚呼、"訪ねてくるの初めて"だなんて口にしなければ良かった。
一層、彼が私に心を砕いているのを実感してしまう。
……それに、そわりと浮ついてしまう自分の胸にも。


「その"ありがとう"はどの"ありがとう"?」
「……態々心配して来てくれてありがとう」
「…そんだけ?」
「ショウ君の気持ちは、ありがたいよ。嫌われてるよりずっと良い」
「……本当にそう思ってんのか?」


ガタリと椅子が音を立てる。
立ち上がって机に身を乗り出したショウ君の手が私の長い前髪を掻き分けて耳の横で留めた。
明瞭になった視界に反射的に顔を隠そうと上げかけた手首がデスクに超能力で押さえ付けられる。


「…っ、ちょっと……!」
「ットにだりー、この髪。切れよ陰気臭いし」
「……」
「そんな嫌そうな顔するくらい拘りあんのか?」
「ショウ君が…私の顔見る度、傷を気にするから……だから見えないようにしてるの」
「だからそれはおなまえが気にして無さすぎだから……、は?」


「何それ、初耳」とショウ君が目を丸くする。
依然机に両手首を伏せさせられたままの私は「言ってないもの」と顔を横に逸らそうとしたのに、髪を留めているショウ君の手が正面に戻してきた。
昼間の二の舞になるとわかっていたのに、彼の大きな碧眼と目が合ってしまって、その視線が詳細を求めてくる。


「……この傷のせいで旦那様たちは離婚してしまったし、これを見たらショウ君もそれを思い出して嫌な気分になるんだと思って」
「親父たちのことはおなまえのせいじゃねーし。全面的に悪ぃの親父だから。……本当にそんだけか?自分の顔嫌いになって、とかじゃ無いんだな?」
「私は元々、自分のこと好きじゃない」
「ちょいちょい!それはストップ」


旦那様が悪いんだと庇ってくれるショウ君に首を横に振って、私はそのまま吐露する。
一度捻った蛇口から水が溢れ出るように、今まで口にしてこなかった言葉が連なっていく。


「鈍臭い自分が嫌。いつもいつも、求められた時咄嗟に力を発揮できない。だからいつまでも、支部幹部留まりだし。全然誰の役にも立てない」


人の思考や感情が読めた所で、それを活かせる程のポテンシャルが私には無い。
せめてイメージトレーニングくらいは。予行練習くらいは。そう思って日々訓練に時間を割いているのに、いざ実戦となると後手になってしまう。
体術も、超能力で補ってなんとか平均レベルというくらい。長所がない。

顔を伏せることが許されないから、瞼を閉じて自分の非力さを悔いているとショウ君がもう片方の手も私のこめかみに添えてきた。


「得意不得意なんて誰でもあんだろ。俺はテレパシーなんて出来ねえけど、おなまえは出来る。それだけだって。おなまえの力は補助とか情報戦向きなんだし、寧ろ苦手な分野でそんだけ出来るようになってスゲーって思う。俺は」
「……すごい…?」
「十分すげーだろ!最初は鉛筆1本浮かせられなかったの、覚えてんぜ」
「………昔も、ショウ君は褒めてくれてたね」


ショウ君の言葉に瞳を開く。

鈴木家に来た時、私は本当にテレパスしか使えなかった。
けど旦那様もショウ君も、バリアを張ったりテレキネシスを使ったり当然の様に複数の力を使っていたから、私もそれについて行こうと必死に練習した。

もう捨てられたくない。
その一心で。

ショウ君はテレパスだけの私を"それだけですごい"と、最初からそう言ってくれてたのに。

いつの間にか机の上の両手首は解放されていた。
その手を、私の顔を包む両手に重ねる。
まだ中学生なのに、それでも私の掌よりも厚みがある手だ。


「だから言ったろ。ガキの頃からこっちはずっと見てんだって」
「ハハ…、"好きになって貰えるような立派な人間じゃない"、とか"弟とは無理"とか……言う、つもりだったんだけど……」


私の掌の下で、ショウ君が私の目尻の傷を撫でる。


「建前はいーから。俺から見たらおなまえはすげー立派だし。そもそも血繋がってないから法的に無問題だし。おなまえの気持ちの問題」
「……気持ちの問題、」
「おう。好きか嫌いか。無理!って言われたら…ちょっと気ィ遣うけど」
「例えばどう遣うの?」
「…………あんま触んない、とか?」
「顔見に来る頻度減らすとかじゃないんだ」


"触らない"と言う割に未だに私の顔から手を離さないのは、ショウ君の中で私が無理だとは言わないだろうと予想しているからだろう。
私自身、彼の手に触れているままだからなのもあるかもしれない。


「だっておなまえからは本部に顔出さないだろ?」
「……普通本部に用事があるのは支部長クラスだからね」
「気にすることねーのに。"ボスの娘でーす"って公言してやれよ」
「そこは鈴木家籍でいいんだ?」
「使えるもん使うくらいいーだろ。それとコレは別。……で?」
「うーん…」


そういう所はちゃっかりしてるんだな、と感心していると、ショウ君が私の答えを促してきた。
気持ちの問題だと言い切られた以上此方も誠実に答えたいのだけど、今まで恋愛経験が無いせいで言葉に詰まる。
…ので、正直に思っている事を伝えようと口を開いた。


「……お昼にああ言われた時、すぐにショウ君の言いたい意味はわかったんだけど…嫌では無かったよ。ちょっとドキッとしたくらい。……でも私、人を好きになったこともないから…ショウ君の期待には、添えられないかも…」


ちゃんと思考を言語化しようと頭を働かせている内に、掌が熱くなってくる。
汗が出てしまう、と思って自分の服を掴んだ。
"期待には添えられないかも"と言う言葉が尻すぼみになっていって自信のなさが声にも出ている。
答えとして不十分だと言われるだろうか、とショウ君を窺った。
しかしショウ君は「なーんだ」とでも言いたげにニカリと笑みを浮かべている。


「無理とか嫌いじゃないんなら全然いーんじゃね?」
「……いい、の?」
「つまりこれから男として意識して貰えば望みあるってことだろ?」
「おと……っ!」


机に乗り出していた体勢から、ショウ君は身を引いて離れた。
顔に触れていた手も離れて、私の視界が前髪に阻まれる。
外に出るドアに近付くショウ君に、--何やら危険な物言いだったのが気掛りではあるけど--帰るのかと思って見送る為私も立ち上がって後を追った。


「俺も生憎経験乏しいからわかんねーけど」
「う、ん?」


ドアの前で立ち止まったショウ君が振り返る。
向き合って伸びて来た手がまた頬に触れた。
今日以前も、こうやって眦の傷を撫でられるなんて会う度にされていたことなのに、何故か急に緊張してしまってビクリと肩が跳ねた。
そんな私を笑うようにショウ君は目を細めるとそっと引き寄せられ、抱き締められると思った。

のに。

引き寄せられる間際に私の前髪を掻き上げて、ショウ君は私の目尻にキスを落としてきた。
正確には、目尻の傷痕に。
突然の事に身を固めて立ち尽くす私を他所に、ショウ君は清々しい程爽やかな笑顔で身を引いた。


「今日はこれで帰るわ。またなおなまえ」
「……ま、た……」
「ちゃんと布団で寝ろよー。おやすみ」
「う、うん…おやすみ…」


指を曲げて合図してくるショウ君に、呆然としつつも手を上げて挨拶を返す。
静かにドアが閉められて、ショウ君の気配が消えてから私はその場にへたりと座り込んだ。
「今日"は"」と強調された声とすぐ耳元で響いたリップ音がいつまでも反芻するようで、キスをされた目尻と熱くなった耳を手で抑えて俯く。

海外だと、家族間で軽く頬にキスするし。日本でだって、子供でも頬にキスくらいする。これくらい……。


「…口でも無いのに……」


誰に言うでもなく零した独り言は、バクバクと巡る血を落ち着かせるどころか、"口にされたかったような言い方だ"と思ってしまって余計坩堝にはまった夜を過ごすことになってしまった。








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