それが僕のものならば



放課後。
生徒会室に向かう途中で呼び出しを受け、言われたまま中庭に行けば何処かで見た女生徒がそこで待っていた。
どうやら隣のクラスらしい。


--…ああ、おなまえと最近よく居る人か。


遠目でしか覚えが無かったから、目の前にしてもピンとこずに"隣のクラス"と名乗られてようやく思い出した。
おなまえと系統の真逆なタイプだろうと思うのに、人は見かけによらないのか校内でおなまえを見かける度側にいたのを思い浮かべていたら「好きです」と唐突に告白された。
薄々そういう類だろうなとは思っていたし、驚きもしなかったけれど。


「気持ちは有難いんですけど、僕好きな人がいるので」


同じ学年なのは承知の上で、距離を感じて貰えるよう固くお断りを告げたのに、目の前の彼女は尚も食い下がって来る。


「それって誰ですか?」
「…アナタに話してどうにかなるんですか」
「私よりレベルが上の人でないと納得できません」
「……何が基準か知りませんけど、少なくともアナタと違って人を比べたりしない人ですよ」


--おなまえは付き合う人間を選んだ方が良いな…


僕の物言いが火に油を注いだのか、一層顔を険しくさせて詰め寄って来る彼女に、今までこういう相手にはぐらかし続けていた名前を口にした。
入学してから数カ月、まともな会話のなかった僕に代わって一緒に過ごしていた彼女への当てつけも含んでなかったかと聞かれると怪しい所だ。
だけどこれを機に薄い関係が切れた方がおなまえの為にもなるだろう。

おなまえの名前を聞いた途端、今まで烈火の如く怒っていた彼女はその口を閉ざして、僕を睨んだ後「ウザ!」と悪態をついて踵を返していった。
一体どんな環境にいたらあそこまで自分本位でいられるんだろう、参考にはしたくないが。


「……」


中庭から校舎に戻る間際、校庭に視線を向ける。
僕がいる校舎とは真反対側のグランドで、ちょうどアップが終わったのか散り散りに持ち場に向かう陸上部たちの中におなまえがいた。


「3…もうすぐ4カ月か」


小学校の卒業式以来、おなまえとは時々すれ違うくらいで挨拶すらちゃんと交せていない。
けどもうすぐ僕の誕生日がある。
流石にその時になったらちゃんと話せるだろうと、呑気に構えていた。
同じ幼稚園に入園して以来ずっとお互いの誕生日には顔を合わせていたし。
少なくとも卒業式の日まで僕らの関係は良好だったはず。

なのに。


---


「…どうしたの?律…何か嫌なことでもあった?」
「……ううん、兄さん。何もないよ」


おかしい。

カレンダーと時計を睨みつけ続ける僕に兄さんが話し掛けてくる。
声を掛けられたのに其方を見る気分になれなくて、ただ無情に進む秒針を眺めていた。

こんな時間になっても、何も無いなんて。

入浴を済ませて自室に入っても、僕の気持ちは波立ったままだった。
時間が経てば経つほど荒んでいく感情がカーテンに覆われた窓へと視線を縫いとめる。
自然と足が窓際に向かって、一度閉めたカーテンを薄く開いてみる。
斜向かいのみょうじ家、の2階。
その右側の窓を見つめる。
向こうの閉じられたカーテン越しに、照明がまだついているのを確認して緊張が身を走った。

おなまえはまだ起きてる。
……もう少し、待ってみよう。

普段ならお互い寝ているはずの時間が過ぎている。
起きてるならまだ可能性はあるはず。
そう思っていた僕の考えも虚しく、数十分もしたら向こうの電気が消え誰が出て来るともなく7月3日を迎えた。


「……はぁ…」


ただ一日待ち続けただけなのに、ひどく疲弊した気がする。
僕も寝る前に、せめて気持ちをリセットしようと吸い込んだ酸素は重たい溜息になって吐き出され、少しだけ隙間の空いたカーテンから差し込む月明かりに霞んで行った。


---


待てど暮らせどおなまえから呼び掛けられることもなく、本当に何も無い"中学に上がってからの日常"が続いていた。
小学生の頃だって別のクラスになることはあったが、それでも廊下ですれ違う時軽く話すくらいはしていたのに。


--……まさか、避けられてる…?


そんな心当たりなんてない。
そう思っていたけど、体育の授業で遠いながらも視界に入ったおなまえの横にまだ先日の女子が立っているのを見て考えを改めた。


「…一人で考えてても仕方ない、か」


手にしたバットを掌に馴染ませるように握り込み、足元の地面を均す。
投手から投げられたボールを打ち出して、真芯で捉えられたそれが勢い良く空中に飛び上がった。
「ホームラン」と控えから上がった声を背に一応グランドに走り出す。

一応なのは、このボールを今からわざと場外に向けてしまうから。
ちょうど落ち始めるタイミングで力を加えて、落ちる軌道を変える。
方向を変えただけだから勢いはそのままで、地面に向かって降下していくそのボールがおなまえに当たりそうになる直前に一瞬停止させ、すぐに開放すると重力に従いコツリとおなまえの腕を介してグランドに転がった。
すぐに其方に向かって、先生たちに「保健室に連れて行きます」と了承を貰ってからおなまえを連れ出す。

校舎内に入っても上履きに履き替えた後すぐまたおなまえの腕を引く。
ちゃんと調節したけど、念の為痣になっていないか彼女の左腕を見てから口を開いた。


「ごめん、ボール。痛かった?」


授業中ということもあって、もう人目を気にしなくても良い。
おなまえの足並みに合わせてゆっくり廊下を歩きながら様子を窺うと、久し振りに間近で見た彼女はどことなく緊張しているように時々言葉をつまらせながら「全然!」と返事をした。


「怪我してないなら良かった」


そのまま前を向いて歩く。
もしかしたら、おなまえの方から何か言うかもしれない。
もし誕生日の話題に触れたなら僕も気になっていたことだし、全く別の話題を出されたなら避けられていると判断して良いはず。

耳だけは彼女から発せられるだろう声に集中していて、そのせいで二人きりで歩く足音がやけに大きく聞こえた。
するとおなまえが僅かに声を零して、掴んでいる手が強ばった。

振り解かれる。

そう思ってやっぱり、先手を取る事にした。


「何か…、話すの凄く久し振りだね」


僕の声におなまえは伏せた視線を彷徨わせてから、手元を見つめる。


「そっ、そうだね?入学式は、…話せなかったから」
「…4ヶ月ぶり、くらいになるのかな」


右手に注がれている視線から、"離して欲しい"という意思を感じ取った。
悪いけどそれには応じられない。
無理矢理にでも作った時間だ。
繋いだ手を握り直すとおなまえが顔を上げて、振り返った僕と目が合う。


「今年は誕生日プレゼントくれないの」
「えっ?」
「去年までくれてたのに」


手の中のおなまえの指先が僅かに震えた。
瞬きを頻りにした彼女が「ごめ、ん」と弱々しく口にしてから唇を噛んだ。


「わ……忘れてて…」


隠し事や嘘をつく時の癖が僕に見破られているのも忘れてしまったんだろうか。
空いている方の手で口元を差して「嘘」と指摘すると、それを思い出したのか彼女は左手で口元を隠して狼狽えだす。


「ぜ…全然、話せなかったから。喋ってないのに、あげるの変……かもって……」
「…そっか。……別に、変じゃないんじゃない?喋ってない4ヶ月より、喋ってる方が年数長いんだし」
「そう、なんだけど…」
「………他に理由、ある?」
「……」


居心地悪そうに視線を彷徨わせるおなまえをじとりと見つめる。

たまたまだろうと思いたかった。
偶然話す機会がなかっただけだろうと。
でもそれは、おなまえが意図的に僕を避けてのことだったらしい。

クラスメイトに何か吹き込まれた?
それとも、僕と親しくすることがおなまえの不都合になる"何か"がある?
中学に上がって以来、遠目で見ることしか出来なかったが他の男の影はなかったはずだけど。


「ない。…ないよ、ごめん渡さなくて。……でももう、止めよう。あげ合いっこするの」
「……そう…。わかった」
「ごめんね……ほ、保健室…行かない、の?」


毎年恒例だった繋がりの終わりを告げらてしまう。
あと数日もすれば夏休みに入って、この数ヶ月こんなに避けられていたのに、一層接点がなくなるのは明白だ。

このまま疎遠になる前に、何か手を打たないといけない。

立ち止まったまま考え込んでいる僕を急かすようにおなまえが声を掛けてくる。
不安そうにしているその顔と、手の中の彼女の手を見た。
まだ緊張した様子は抜けていないけど、その気になれば強く振り払えるだろうに、握り込む直前以来抵抗の予兆はない。
口ぶりからも嫌悪感のようなものは感じ取れなかったし、まだやりようはあるのかもしれない。


「おなまえさ、夏休み何処か行ったりするの?」


部活や塾以外で誰かと予定があったら、多分それが僕を避ける原因かもしれない。
探りを入れるついでに、此方も予定を抑えられれば御の字だ。

お婆ちゃんの家に行く以外は塾くらいだと言う彼女には例の癖は出ていない。
手帳か何かを探してか、ポケットを探るような素振りをしたおなまえはすぐに自分が制服じゃないのを思い出したみたいで、少し恥ずかしそうに「携帯見たらわかるよ」と答えた。
僕がじっと視線を送っているのが余程心苦しいのか、おなまえが首を傾げて「何?」と尋ねる。


「22日、空けといて欲しいんだけど」
「…どうして?」
「プレゼントはなしでいいから、その日付き合ってよ」
「うぇ…?」


気の抜けた声を上げておなまえが「何処いくの」とか「私と行っていいの」とか慌て始めた。
引っ掛かる物言いに、思わず眉を顰める。


「誰となら良いとかある訳」
「だっ……や、…そういうんじゃ…」


言い返そうとしたおなまえがまた唇を噛んだ。
何を言いかけたのかはわからないけど、また誤魔化す彼女を咎めるように目を細める。
そんな僕を「意地が悪い」と責めてくるおなまえに、それはこっちの台詞だと応酬した。
口では言い負かされることを学んだのか黙り込んだおなまえに約束を取り付けて、ようやく保健室に向かいかけていた足を進め始める。

実際は怪我もしていないおなまえを、適当な理由をつけて養護教諭に任せる。
保健室を出る間際、まるで"嘘つきめ"と言いたげなおなまえと目が合ってほくそ笑んだ。


---


連絡は敢えてしなかった。
当日はすっぽかされないように直接家に迎えに行くつもりだったし、特に準備が必要な場所に行く予定でもなかったし。

夏休み入ってすぐだというのに、相も変わらず兄さんは霊幻の所に行っているし、母さんも買い物に出て一人。
テレビを見た所で面白いとも思えなくて、自室に戻ったら開けた窓の向こうで向かいの部屋のおなまえがちょうど部屋を出るところだった。


--今日は塾ないのか………窓、不用心じゃないか…?


今まで意識してなかったから気づかなかったけど、年頃の女子の部屋が丸見えなのはどうなんだろうか。
目隠しを張ったり、見えにくい薄いカーテンを掛けたりはしないのかな…人の家のことをどうこういうのはなんだけど。

そう思っている家におなまえが家から出てきてこちらにやって来る。
と思いきやインターホンの前でボタンを押すか押さまいか悩んでいるようだ。
この真夏日に、数秒の距離だからか帽子も被らないで顔を顰めたりボタンを睨みつけたりしていて、それがちょっと面白くて笑ってしまう。
終いには額を押さえ始めたおなまえを見兼ねて「何してんの」と声を掛けた。


「鳴らすなら早く鳴らしなよ。それより入ったら。外暑いし」


たった数分でも、暑さに弱いおなまえはもう頬を火照らせて汗を拭っている。
中はエアコンもつけてるし、飲み物くらい出せる。
絶対外より良いはずなのに、おなまえは「此処でいい!」と立ち上がった僕を制するように手で合図してきた。

警戒されてる。
こういう時だけ鋭いんだよな…普段鈍い癖に……黙っとけば良かったな。

何処に出かけるのかとか、必要な物は無いかとか、何を着ていけばいいかとか立て続けに質問されて、「何でも平気だけど」と窓に寄り掛かる。
冷やされた部屋の空気と違い、もわりと纏わりつくような熱気に辟易してしまう。


「ワンピにミュールなのに行った先がアスレとか動物園だったらチグハグじゃん」
「そういう服持ってるの?」
「持ってるわ!」
「へえ…」


そんな格好で居るとこ、見たことないけど。
誰と何処に行く為に買ったんだろうと思うと外の天気に反して気分が曇ってくる。
……まあ、"後で"見れば良いか。


「いつも通りでいいかな、まずは」
「わかった」


おなまえのワンピース姿は遅くなったお祝いにかまけて見せてもらうとして、そのまま彼女からの質問に答えていると「……で、何処行くの?」と改めて聞かれる。


「…まだ教えない」
「何で!?準備不足になっちゃうってば」
「おなまえは体ひとつで良いよ」
「せめて外で遊ぶのか中かだけでも…!」
「どっちだろうね」
「だからどっちって聞いてんじゃん!……あ!おばさん、おかえりなさい」


おなまえがやいのやいのと文句を言う内に母さんが帰って来て、道を開けるようにおなまえが脇に身を寄せる。
「暑いから入ったら?」と僕と同じように勧める母さんにおなまえは手を振って断ると「もう用事は済んだので」と僕にも手を振って家に戻って行った。

下の階から「おなまえちゃん何の用だったのー?」と尋ねてくる母さんに「後で話すよ」と階段に寄って声だけで返事をする。
おなまえと話している間開けっ放しだった窓を閉めようと手を掛けると、向かいの部屋でおなまえがシャツを捲って下敷きで風を送っているのが見えた。

遠くても自分の部屋だからか無防備に曝け出された腹部にギクリと身を固めると、おなまえと目が合って下敷きを落とす。
数秒そのまま互いに静止した後、おなまえが急にバタバタと窓に近付いて、両手を合わせ「ゴメン」と言うように口を動かしながらカーテンを閉めた。
それを見届けて、僕もようやく窓を閉める。


「……はぁ」


たった一瞬の出来事なのに、心臓に悪かった。
どうしても脳裏に張り付いてしまったおなまえの肌を振り払うようにかぶりを振る。
窓に背を向けて吐き出した息が、閉める間際に入り込んだ暑い外気に溶け込んでいった。


---


「わー!涼しいーー!」


家の前という逃げ場の無い待ち合わせ場所から始まり、目的地もわからないまま連れ出されたおなまえは最初こそ居心地悪そうにしていたが、駅に着くなり「そんな遠くに行くの」と慌てだし半ば強引に切符を握らせて改札に押し込んだ。
体を動かすのが好きなのに、暑さに滅法弱いおなまえが好みそうな場所として選んだ自然公園は、思った通りお気に召したようで水辺を見た瞬間駆け出して行った背中に「落ち着きなって」と苦笑した。

大きな湖に向かっている段差を大股で降りていくおなまえが転ばないように注意して見ていると、予想した通りに足元を滑らせてその体が傾き掛ける。
おなまえが自分で踏ん張れるように少しだけシャツとサロペットの背中を超能力で掴み止めて、その間に床を踏みしめたおなまえが「んん?」と首を傾げた。
しかしすぐに目の前で光を反射する湖に意識を向けて、裾を折り上げて透き通った水の中に足を浸け「気持ちー!」とはしゃいだ声を上げる。


「もっと捲っとこ」
「足滑らせないでよ」
「律君お母さんみたい」
「おなまえがしっかりしてたら僕だってこんなこと言わないのに」
「滑ってないでしょーが!」


--今滑ってたから言ってるんだけど。


膝上まで捲り上げたおなまえに「絶対転ぶ」とこれまでの経験から忠告すると、渋々おなまえはより深みに行こうとしていた足を一段手前に上げて脹脛程度の深さで遊び始めた。

夏だと言うのに餌を求めてか此方に近寄ってきた白鳥とアヒルらしき鳥におなまえは夢中になって写真を撮ったり、追い掛けたり、すぐ傍らにあった売店で買った餌をあげたり。
一頻り追い掛け回した後は遊覧船に乗って湖の周辺を観光したりしている内にあっという間に時間が過ぎて行った。

すぐ隣で「連れて来てくれてありがとう!」と笑うおなまえの表情は晴れやかで、数ヶ月前までと変わらない笑顔を向けてくれたことに内心ホッとする。


--避けてる理由はわからずじまいだったけど…嫌われたって訳じゃなさそうだ…


上機嫌になったおなまえがはたりと立ち止まった。


「……私が楽しんじゃって、良かったの…?」
「つまらないよりいいんじゃない」
「や。いやいや、だってホラ、律君の誕生日プレゼントの代わりに此処付き合ってって話だったじゃん」
「だから着いてきて貰ったじゃないか」


遅れた誕生日の埋め合わせなら、一日くらい一緒に過ごして貰ってもいいだろう。
形が残らないからなのか、それとも自分の価値を知らないからなのか、おなまえは「だってなんか、そんなのでお祝い出来てるのかな…って」と眉を下げた。


「僕がそれでいいんだから、いいんだよ」


繰り返しそう言うと、まだ釈然とはしていなさそうなままおなまえは「そっか」と頷く。

「行き出して貰ったから!」と帰りの切符をおなまえに先に買われて、「はい」と差し出された。
駅の出口で改札を通る前に、手の中の切符に視線を落とす。


--折角買って貰ったのに、手元に残らないんだもんな…


こんな小さな物であっても、おなまえから貰った物だと思うと手放すのが惜しい。
無くしたことにして窓口に行けば…と思いついた時にはもう改札機が目前で、立ち止まった僕をおなまえが呼んでいた。
諦めて投入口へと切符を手放して、彼女の隣に向かう。


「……なんかあった?」
「ううん」
「嘘だぁ、なんかあったから止まってたんでしょ」
「…ちょっと、勿体なかっただけだよ」
「……?何が?」


切符も遊覧船のチケットも、その場限りのものだ。
二人きりで電車に乗って出掛けた初めての記念に、何か残せる物があれば良かったのに。
そう思ってしまう僕は、今まで自分でも気付かなかったけれど意外と形あるものに拘る質だったみたいだ。


---


そのまま一緒に夕飯を済ませて、ほとんど同じ道だけど「送るよ」とおなまえを家まで送った。
母さん伝手にみょうじ家には留守にして貰っている。
そうとも知らず、暗い我が家におなまえが「はれ……?」と疑問符を浮かべて自宅を見上げている所に、「そういえばさ」と声を掛けた。


「おなまえがワンピース着てるの、見たことないんだけど」


僕の言葉を理解するのに数秒を要したおなまえが復唱しながら首を傾げる。


「…………ん?私?……ワンピ?」
「着てみて」
「え……い、今?」


"何故"と目を丸くしているおなまえに頷きながら「…僕、一応誕生日のお祝いして貰えるんだよね」と免罪符を掲げる。
今日一日付き合ってもらう約束で、まだ今日は終わっていないんだから許されるだろうと「帰るまででしょ?」と追い打ちを掛けた。
玄関のドアに手を掛けて、屁理屈だと苦言を呈するおなまえを無視して久し振りにみょうじ家に上がると、僕の後におなまえも続く。


「ちょっ……、ほ、ホントに……?」
「着替えるんなら僕此処で待ってようか?」


パチリと廊下の電気を点けて振り返る。
おなまえは帰る気のない僕の様子を見て諦めたのか、「2分、待って」と急ぎ足で階段を登って自室に姿を消した。
その間ゆっくり階段を上がりながら、ぼんやりと最後にこの家にお邪魔したのはいつのことだったろうと思い返す。

おなまえは元々外遊びが好きな質だったし、おなまえの部屋に入るのは片手で数えられるくらいだった。
窓から覗けることはあったのに、不思議な感覚がする。

……緊張、しているのかもしれない。

低学年の頃の様な無邪気な自分ではもうない。
おなまえへの恋心を自覚しているし、避けられた反動なのか、より欲が増している気がする。

閉められたおなまえの部屋の扉の奥から、「いいよ」と言う声と共におなまえが姿を見せた。
薄青色のシャツワンピースに身を包んだおなまえは、急いだせいか少し髪が乱れている。
ストライプ柄で一見カジュアルなのに、襟や裾についたレースがそこから伸びるおなまえの細い手足を縁ってその華奢さを際立てていた。
思わず見入っていると、言葉を発さない僕におなまえが不安そうに身なりを気にする。


「え……何その反応。何処かおかしい?」
「……髪、ぐしゃぐしゃ」


つい目に付いたおなまえの乱れた毛流れを整えるように指で梳いた。
僕のと違って柔らかな髪はするりと指に沿うように素直に解けていく。
日が落ちてきたとはいえまだ昼の名残を残した温度に汗が滲んで、僕が手を引くのとほとんど同時におなまえも僕から距離をとる様に後ずさった。

「ありがとう」とお礼を告げながらヘアブラシで髪を直すおなまえの頬まで薄く色付いてる。
「似合ってるよ」と思ったまま褒めると尚更血色を増したおなまえを見て、此方まで落ち着かなくなりそうで熱を誤魔化すようにベッドに放り投げてあったエアコンのリモコンを拾って、勝手知ったるように冷房をつけてラグに腰掛けた。
小学生の頃遊びに来た時は、ベッドもラグも無かった。
すっかり女の子らしい部屋に様変わりしていることに月日の経過を感じる。


「他には無いの?」
「ワンピはコレだけだけど…何?あったらそれも着ろっていうの?ファッションショー?」
「面白いじゃん。いいプレゼントだよ」


なんだ。もっと可愛いおなまえが見れると思ったのに残念。
おばさんに言っておいたら買い与えて貰えたりしないだろうかとこっそり頭で思う反面、目はおなまえがチラリと机に視線を送ったのを追う。

もしかして。

立ち上がってその机の引き出しを徐ろに開けると、カラリと軽い音と共に見慣れたラッピングの箱がすぐ手前に滑り出した。


「やっぱり、忘れてたなんて嘘じゃないか」
「っ……ダメダメ、わ…渡せないの」
「どうして」


箱を取り上げようと手を伸ばすと、直後脇からおなまえが慌てて僕よりも早く両手を滑り込ませ阻止してくる。

用意してたのに、何で渡さないのか。
どんな理由で渡せないのか。
訳を話すことさえ躊躇われる程、僕はおなまえに何かしてしまっただろうか。

思ったより弱々しくなってしまった僕の声に、おなまえは一瞬泣きそうな顔を浮かべて「だって」と零し掌の下の手に力を込めた。


「…………好きな人、いるんだよね…?」


ピクリと指が振れ、「だったら…その人から、貰うべきだよ」とおなまえが顔を伏せる。
だから、欲しいのに。
そう目を細めても、視線はおなまえと交わらない。


「……それ、誰から聞いたの」


此方を見ないおなまえが、そのまま離れて行きそうな気がして掌に少しだけ体重をかけた。
此処はおなまえの家で、おなまえの部屋なんだから、そんなことをする意味なんてないのに。そうせずにはいられなかった。

髪で顔を隠したままおなまえがクラスメイトの名を告げる。
僕が想像していたよりもプライドが高かったのか、それとも中途半端に伝えることで僕たちを拗らせたかったのか、何方かはわからないけれどやっぱりおなまえは友人をちゃんと選んだ方が良いと思う。


「それしか聞いてない?」
「……それしか、って…?」


やっとおなまえが少しだけ顔を上げ、此方を窺う。
その言葉には続きがあるんだと教えて「ちゃんと聞いててよ」と告げれば、細い指が強ばって身じろいだ。
だけどおなまえの手は僕が縫い止めている。


「僕の好きな人は、嘘が凄く下手な人で」
「…………」
「暑いのが苦手で、鳥が好きで」
「……ちょっと……待」
「不器用の自覚があるのに毎年自分でプレゼントのラッピングする人」


大きく見開かれた瞳が僕を映した。
瞬きを忘れたように瞠られた深い瞳が僅かに揺れ、「ちょっと待って…って、…言ってる、じゃん」と尻すぼみになっていく声と共におなまえがしゃがみ込む。

流石に鈍いおなまえでも、此処まで言えば僕が誰のことを指しているのかわかったらしく、しゃがむ間際に林檎のように真っ赤な顔が一瞬垣間見えた。
ちゃんと通じたことと、おなまえの反応が拒否で無かったことに少しだけ気持ちに余裕が出来てくる。


「誰が好きか、わかった?」


目線を合わせるように腰を落としたけど、おなまえは上げたままの自分の腕に顔を押し付けてその表情を隠そうとしていた。
耳や首元まで真っ赤なのはもう隠しきれていないのに、必死なその様に思わず笑みを零す。
まだ僕の手の下にあるおなまえの手の甲をトントンと軽くつついて、箱を渡すよう催促するとおなまえの手が離れた。
やっと手に入ったプレゼントを持ち上げると、両手で顔を覆うおなまえが目に入ってつい口元が緩んでしまうのを片手で抑える。


「ありがとう……で、僕まだ誕生日のお祝い中なんだけど」


ビクリとおなまえの肩が跳ねた。
か細く「もうやめてぇ…」と嘆く細い肩に手の中の箱をカタリと鳴らす。


「家に帰るまでがお祝いでしょ」


「返事、欲しいんだけど」


覆った手を少しだけ下げて、困惑した眼差しがちらりと僕を窺った。


「そんなの…」


---


帰り間際におなまえの部屋のカーテンを閉める。
その時に我が家のリビングから此方の様子を心配そうに見ていた母さんとおばさんに合図をすると、遠目からでもハッキリとわかるほどテンションを上げて中に引っ込んで行くのが見えた。

少しの間家を空けて欲しくてみょうじ家を影山家に連れ出して貰ったけど、無事に用は終わった。
もう帰る所に合わせて母さんたちが「おめでとうー!」と大声で玄関を開けて来て、おなまえが驚き「何で…」と言い掛けてすぐに隣の僕を見て来る。


「律君…」
「これからも、よろしくねおなまえ」


家族を巻き込んで外堀を埋めたのがわかったらしく目を細めるおなまえに、素知らぬ振りを貫き通して笑って見せた。





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23.07.28 /「それが私でありますように」の律視点







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