悪霊スパイラル




「輪廻転生って、あるんですかねぇ?」


1人黄昏れるようにマンションのベランダから夕闇に染まっていく街並みを眺めながらそう尋ねた。
その声は虚空に広がって、一見誰の耳にも届かないようだった。
しかしおなまえが言葉を発して少しすると、ゆらりと空が歪んで人影がおなまえの隣に立つ様に現れた。


『何を急に言い出したのかと思えば……』
「最上さんが成仏しないのは、輪廻とかそういうのが無くて、消えちゃいたくないからかなーってふと思ったんですよね」


ベランダの縁に両腕を乗せて、ひとつふたつと増えていく街の灯りを目で追いながらおなまえは「どうですか?」と答え合わせを求める。
その横顔に視線をやり、最上は『キミは相変わらず変わった思考の持ち主だな』と嘲笑するように顔を歪めた。

たまたま手頃な所に、手頃な霊共に取り憑かれているおなまえを見つけて食事をさせて貰った日。
人型を成している最上を見て「霊食人間ているんだ……!」と驚いていたおなまえの姿を最上は思い出していた。


--初対面から個性的な人間だとは思っていたが……。


自分が消えることを恐れているだなんて。
彼女の感受性は一般のそれとは一線を画していて、自分の想像もつかない言動をするのが愉快で気紛れに取り憑いたものの、毎日よくもまあ色んなことを思いつくものだなと最上は口端を上げる。


『キミは信じているのか?』
「信じてるっていうか……うーん」


腕を伸ばして背を反らすと、おなまえは考え中であることを表すようにゆらゆらと左右に体を揺らした。
まるでメトロノームのように規則的に動いていたかと思えばピタリと急に動きを止める。


「私が考えてる輪廻システムだと、最上さんが成仏できて転生出来るまではいーーーーっぱい善行を積まないといけないと思うんですよ!」
『ほう』
「でもホラ、人助けするにも霊の体じゃ限界があるじゃないですか」
『…例えば?』
「お婆さんの重そうな荷物を代わりに持ってあげられないとか、落し物を交番に届けられないとか!」
『…………』


おなまえが挙げ連ねる善行がまるで子供のお使いレベルのようなもので、それはさぞかし気の遠くなるような回数の善行が必要だろうな、と最上は内心思ったが、語るおなまえは尚も休むことなく続けた。


「でですね、私が考えてるシステムだとそうやって人助けを繰り返せば最上さんはいづれ悪霊でなくなるんじゃないかなって思うんです」
『…何になるというんだ?』
「んー、天使……とか?」
『フッ…アッアッアッ!私がか』
「な、何でそんな笑うんです」


悪霊がいるのだから、悪魔や天使だっていたっておかしくは無いだろうとおなまえは口をへの字にして最上を見上げる。
そもそもそんなシステムを考えているというのが既に愉快であったが、その上神の使いに自分がなれるとは。


『なれる訳がないさ。私は自らこの姿を選んだのだから』


神なんてものがいたとして報いを与えないそんな者に仕える気もさらさらない。
憎悪と絶望を抱え霊魂を貪るだけのこの姿の、一体どこを見ればそんなことが思えるのか。

昏く見下ろし自嘲するように笑みを浮かべている最上におなまえは向き直った。


「だけど最上さんは、私をこうして助けてくれてます」
『……ただの食事だ』
「それでも私は助かってます!」


霊媒体質のおなまえは最上にとっては都合のいい餌場だった。
少し目を離せばあちらこちらから悪霊をくっつけて帰ってくる。
最初に出会い結果的におなまえを助けてからというもの、最上を視認できるようになったおなまえからすれば、最上は慢性的な日常の不調から自分を救い出してくれた救世主なのだと言う。


「だから、私も何か最上さんにお返ししたいんです」
『お返し…?』
「輪廻転生する為の善行のお手伝いとか…?人の体が必要になった時は私の体使ってください!」
『悪霊に身を委ねるだと?どうかしているぞ』
「私から見たら、最上さんは悪いものを退治してくれるヒーロー的な…そう、白血球なんです!」


独特な例えに最上はパチリと目を瞬いた。
白血球。
体内に入り込んだ異物を取り込んでしまうその性質は言い得て妙で、悪霊を喰らう自分の姿と細胞がまさか類似しているとは、と最上は感心したように頷いた。


『キミの発想力には甚だ脱帽させられるよ』
「いい考えでした?これから肉体が必要になったらいつでも使って下さい!」


「あ。でも仕事中とかお風呂中とか、そういう時は困っちゃいますけど」と断りをいれると、最上は毒気を抜かれたのかふより、とその霊体を揺らしておなまえに近寄る。


『必要ない』
「え…?」


ヒヤリとおなまえの頬に冷たい温度が伝わる。
輪郭をなぞるように骨張った指が滑り、頬にかかったおなまえの髪を耳輪にやった。
突然の質量に固まるその表情のすぐ側で空気が抜けるように震える。
その震えは最上が喉を鳴らして笑っているのだと気付くまでにタイムラグがあったおなまえは、瞬きも忘れて目の前の深緑のジャケットを見つめた。


『その気になればこうやって干渉することもできる。キミの助けはいらないよ』
「……は、……も、最上、さん?」


名前を呼ぶと、返事をするように瞳が細められる。
その反応を見て、頬に触れている手におそるおそる触れてみた。
自分のそれよりも骨張った手の甲をおなまえの指がなぞれば、手首が返されて指同士が絡み合う。


『ヒーローといったか』
「い。言いました」
『皮肉なものだが……悪くない』


その響きを気に入ったのか、満足気な表情を浮かべる最上の髪を夜風が揺らした。


「白血球とも、言いましたけど」
『……キミらしい、と思えばその例えも目を瞑ろう』


少なくともその突拍子もない想像力を愉快と思ってここに居るのだから。
身を委ねることさえ厭いはしない、と屈託なく言ってのけるその潔さも好ましい。


『ならおなまえは私のヒロインという訳だ』


ヒーローに救われるのであるならば、その対象は必然だろう?と最上が零す。
ヒロイン。
思いもよらなかった単語をおなまえが復唱した。


「私、そういうの似合わないような気がしますけど……柄じゃない、っていうか……」
『気にする事はない。遅かれ早かれ私の霊素の残滓にそこらの悪霊が群がるだろうしな』
「え!」


悪霊が悪霊を呼び、その内また以前のように原因不明の不調に見舞われるだろうと予言される。
悪い物はそうして連なっていくのだと。

それは困るなと眉を寄せたおなまえだが、絡んだままの指先を確かめるように握る。


「またそうなったら、助けてくれます……よね?私、そういうの慣れてますけど、事故や事件になる前には最上さん、来てくれますよね?」


乞うような仕草に最上の笑みが深められた。

最悪の結果が引き起こされるかもしれないと想像できる程おなまえは自分の霊媒体質を理解している。
最上の影響で再び悪霊を纏うことになってしまうというのに、それでも最上の助けを望むとは。


『勿論だとも。約束しよう』


"そうなる前には"、必ず助けるよ。
私はキミが気に入ったからね。

それが負のサイクルの始まりになるとも、彼女は知らずに。












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