縁の下のヒーロー




「ごめんねぇ、除霊して貰うのにわざわざ来て貰っちゃって……」


目の下に色濃い隈を作りやつれた顔で愛想笑いを浮かべる依頼人に、芹沢は「いえ」と苦笑した。
彼女の肩や背にはドブのように濁った色が混濁した浮遊霊たちがまとわりついていて、その影響で満足に休むこともできなかったのが窺える。
食う寝るで精一杯だったのだろう、荒れた様相の部屋に入ると何とか人が座れそうなスペースに彼女を座らせると、芹沢は手をかざして依頼人にへばりついていた悪霊たちを弾き消した。


「……はい。もう大丈夫ですよ」
「あー、体が軽い!本当いつもありがとうございます」
「こちらこそご贔屓にして貰って…あ!コレ、霊幻さんから差し入れです」
「来て貰ってる上に差し入れまで!?えー、すみません何から何まで」
「おなまえさんきっといっぱいいっぱいだろうから、って。後の事も手伝うよう言われてます」
「霊幻様芹沢様……!!」


身軽になったからだろうか、すぐさま芹沢が座れるようにソファーの上に重なっていた衣類の山をランドリーに片付けたおなまえは、謝礼金の入った封筒を差し出しながら芹沢を拝むように頭を下げ平伏してみせる。
封筒を受け取り、霊幻から持たされた2人分の弁当が入った袋を机の隅に置くと、芹沢は上着を脱いで腕捲りをした。


「まずは、ご飯食べられるようにこの辺りから…かな」
「すぐに片付けます!!」


ついさっきまで霊に取り憑かれていたのが嘘のように、おなまえはテキパキと出しっぱなしにしていたゴミを可燃ゴミの袋に詰めていく。
あれもこれもと気になっていた所に手を付けていくその足が、不意に縺れてつんのめった。


「ひゃ」


新聞やチラシが散らばる床にダイブする、と衝撃に備えておなまえが目を固く瞑ると同時に、芹沢の腕がおなまえの体を支える。
覚悟した痛みが来ないことに目を開けば、「大丈夫ですか」と芹沢がおなまえの肩を持ち直立させた。


「まだ本調子じゃないんですから、ゆっくりやりましょう。俺もいますし」
「あ、ありがとう…」
「お易い御用です」


普段から柔和に対応してくれる芹沢に、怪我を未然に防ぐ為とはいえ強く体を引かれたことにおなまえは驚く。
確かに背が高いな、とは第一印象から思っていたが、大抵は霊幻の横で少し頼りなさそうな様子でいたから。


---


--相談するんじゃ、なかったかなあ……


霊媒体質のおなまえが霊幻の事務所を知り依頼するようになった当初は
、芹沢は表情も固くお茶ひとつ差し出す時でさえ手が震えていた。
接客に慣れていないのか、それとも女性相手というのが苦手なのか、おなまえが話しかける度"次はどんなことを聞かれるのだろう"と不安そうにしていたのも、おなまえの懸念材料だった。

一頻り自分が悩んでいる症状を伝えて、目の前に座っている霊幻が「フム」と顎に手をやる。
と、横に立っていた芹沢に視線をやった。


「低級霊の仕業だと思います。……芹沢からは?どう思った?」
「「え"」」

--この人に聞くの…?大丈夫なの……
--こんなに大きいのに、霊幻さんからしたら低級霊なのか…


思いがけない霊幻の質問に、おなまえと芹沢が同時に声を上げる。
ゴクリ、と緊張した面持ちで2人とも固まった。
しかしすぐに意を決したように芹沢がお茶を載せていたトレーを強く握り、口を開く。


「俺も、霊の仕業だと…思います」
「見えるんだな?」
「は、ハイッ!ハッキリと!!」
「よし、合格だ。お前がやってみろ」
「あっ、はい!」

--えぇ…この人がやるの…心配、だなぁ〜…


おなまえは一層気が重くなる思いで膝の上の自分の手に視線を降ろした。
お願いだからどうか、悪化だけはしないでくれと祈る気持ちで、自分の前に立った芹沢の「じゃ、じゃあ、除霊、しますね」と強張った声に「お願いします」と細く返事をする。
かざされた手のひらを視界の端に入れて、いよいよだと目を瞑った。

直後まるで体を起こすように押されでもしたのかと思う程、急に肩が軽くなりすぐにおなまえは目を開いた。
そこには先程と変わらない様子で固い表情ながらもなんとか笑顔を浮かべようと努めている芹沢がいた。


「あっ!お、終わりました」
「終わった…んです、か?」
「どうですか?体の様子は…まだ不調がありますか?」
「いえ……」


”これでいいんですよね?”と視線を頻りに霊幻に送る芹沢。
本当に一瞬で体が軽くなったことに呆気に取られながらも、おなまえは霊幻に体の重みも痛みも、寒気すらなくなったと伝える。
そこまで聞いてようやく霊幻は笑顔を浮かべた。


「それは良かった!またこのようなことがありましたら是非!ウチにいらしてください。次回は2割引でお引き受け致します」
「ありがとう、ございました…」


他の霊能商法の事務所ではなんとなく痛みが和らいだだけだったり、怖気は引いたが数時間後にはぶり返したりしていた。
そう言うと相手は決まって「少しずつでないと除霊できない」だとか「霊との癒着が強くてあなたにも悪影響がでる」だとか言って、通い続けるように引き延ばされていると感じたけれど。


--たった、1回で…終わったんだ…


本物だ。

久し振りに倦怠感もない、万全な状態になれたと自分自身がそう実感していた。
霊幻の名刺を貰い帰る間も、まるでその名刺を持っていれば多少の霊障になんて遭わないだろうと思える程。

しかし実際はそんなこともなく、それからも度々霊に纏わりつかれて定期的に霊とか相談所に通うことになったのだけれど。


---


「もうすっかり独り立ちだねぇ、芹沢さん」


1DKという狭い部屋を二人掛かりで掃除すれば1時間もしない内にすっかり荒れる前以上に室内は整って、ひと仕事終えた二人はテーブルについて仲良く差し入れの弁当を食べていた。
おなまえに言われて丁度ご飯を詰め込んでいた芹沢は返事をするべく急いでそれを飲み込む。


「ん"んっ…、いやっ全然そんなことないですよ」
「あるある!だって一人で出張だよ?…って言っても近所だけど」


「それだけ仕事を任されるようになったんだねぇ」と霊幻の隣で挙動不審だった姿を思い出しながらおなまえはしみじみと口にする。
それに対して芹沢は首を横に振って否定した。


「おなまえさんだから俺に任せてくれてるだけで…あ"」
「ん?」
「いっ、いいえ、何でもないです!」


急に言い淀んだと思えば、芹沢は暑くなったのか汗を拭いて「このチキン南蛮美味しいですね!」と再び弁当をかきこみ始める。
そんなに急いで食べなくとも…と首を傾げつつもおなまえも頷きながら続きを食べ始めた。

掃除のついでに開けた窓から春らしい爽やかな風が吹き込んでカーテンを揺らす。
後であのカーテンもこの際洗おうかな、とおなまえが見ていると、その様子に芹沢が気が付いた。


「カーテン、外しましょうか?」
「ん。よく気づいたね、洗おうかな〜って思ってたの」
「じーっと見てましたから…高いですもんね、俺やりますよ」
「すっかり頼もしくなって…」
「そ、そうですか?…う…嬉しいです」


照れたように笑いながら芹沢が嬉しいと言葉にする姿に、「珍しい」と思った瞬間不意におなまえの胸がざわめいた。


--…?


その違和感に自分の胸を見てみるも、勿論何かが変わった訳でもない。
箸の手が止まったおなまえに、今度は芹沢が声を掛けた。


「もうお腹いっぱいになっちゃいました?」
「え?あ…言われてみれば、お腹いっぱい…かも?」
「無理しないでくださいね」
「う、ん」


一方の芹沢は流石というか、ぺろりと平らげ空になった弁当を詰めかけのゴミ袋に入れて、他に捨てられそうな物がないのを確かめてからその口を締めた。

”無理しないでください”。
芹沢がよくおなまえに向けて掛けてくれる言葉だ。
一番最初に、この家に除霊に来てくれた時も、彼はそう言って霊を取り除いてくれた。


本当は、その日おなまえは相談所に直接行くつもりだった。
そのつもりで予約も入れていたし、何なら身支度だって終えていた。
なのに、玄関に向かう短い廊下で突然身動きできない程の圧迫感に襲われて、指一つ動かせなくて。


--コレ、死ぬかも。


立っているのに、目も開いてるのに。
金縛りのように身じろぎさえ出来ない。

いつまでそうしていただろう。
時計を確認することも、震える電話を取り出すことも出来ないまま硬直していた。
細く続けていた呼吸ですら、苦しい。
いつまでこうしていなければいけないんだろう。
それとも、これからもっと、酷くなるんだろうか。

そんな不安に延々と苛まれていた時間が、インターホンと共に響いた声で終わりを告げた。


--「おなまえさん!」


芹沢の声がして、玄関が強くノックされる。

返事を、しなければ。
助けを求めなければ。
そう思うのに、声が出ない。

このままでは芹沢が去ってしまうかもしれない、と更なる不安に力を振り絞った。


--「た、…すけ、て…」


酷く掠れた、小さな声だった。
なのにそれが届いたのか、急にドアが勢いよく開かれた。

鍵がかかっていたはずなのにとか、どうやってここまでとか、そんなことはどうでもよかった。
険しい顔で芹沢がおなまえに腕を伸ばす。
その姿が光を纏っているように見えたのは、助けを強く願った気のせいだったかもしれない。

おなまえの体に芹沢が触れた瞬間、立ち尽くしていた足から力が抜けて廊下にしゃがみ込んだ。
全身の毛穴が急に稼働を始めたように汗が噴き出して、やっとまともに呼吸ができると酸素を吸い込んだ。

芹沢が心配そうにおなまえに視線を合わせて屈む。
ポケットからハンカチを取り出して、おなまえの目元を拭った。
そこで初めておなまえは自分が泣いていることを自覚した。


「おなまえさん、もう大丈夫ですよ」
「せ…、沢さ…」
「もう怖くないです。無理しないでください。大丈夫だから」
「…あ、…ぅ…あぁあ…っ…」


大丈夫、と優しく宥めるように背中を擦られて、その安心感から大人げなく声を上げて泣いた。
後にも先にも大泣きしたのはあの日が最初で、最後だと願いたい。


--もう何回も出張して貰ってるけど…、思い出したら急に、恥ずかしくなってきた…


その一件以来月1程度の頻度で芹沢が除霊に来てくれるようになって、あの日のように身動きできない程重い症状に陥ることはなくなったけれど。
その替わりに最悪の状態の一歩手前の状態を彼に曝すようになってしまった。

最初こそ霊幻と二人で除霊をしに来てくれていたのだが、その度に部屋の掃除までされるのが心苦しくて断った所、タイミング悪く重たい悪霊に憑かれて以来芹沢一人で来るようになった。
おなまえ自身は取り憑かれやすいだけで霊が見えもしないので、どれだけ症状が重たいかどうかはその時にならないとわからないせいもあって定期的に除霊をすることでしか対処の仕様がなかった。


「洗濯物、回しちゃいますか?」
「…は!ううん、洗濯は流石に」
「そうですか…じゃあ、カーテン戻す時また呼んでください。俺これで仕事終わりにして良いって言われてるんで」
「そんなことでわざわざ呼べないよぉ」
「ご飯も少ししか食べれてないのに、危ないし」
「…ちゃんと後で全部食べます…」


謝礼だけ渡しに一度事務所に戻る、と芹沢が脱いでいた上着を再び羽織る。
ならその間に先にカーテンだけ洗わないといけないな、とおなまえは洗濯機にカーテンを押し込んだ。
「じゃあまた後で」と振り返る芹沢を見送って、おなまえは「流石に寝室は」と断り手つかずだった仕事場兼寝室の片付けに取り掛かることにした。


---


帰社した芹沢から謝礼金を受け取って、「お疲れ」と霊幻はその封筒を金庫にしまう。


「で、どうだった?」
「今日のは軽い方、だったかな。除霊後の体調もいつもに比べて落ち着いてそうでした」
「…そうじゃねーよ」
「え?…あ!お弁当ご馳走様でした、美味しかったです」
「そうでもねー!」
「え??」


ニヤニヤと笑みを浮かべていた霊幻が芹沢の返答に机を叩いて否定した。


「恋愛的に進展はあったのか!って!そーいう意味だよ!」
「あっ!!えっとぉ…どう、かな…」
「はぁぁぁぁ…」


呆れたように長い溜息を吐いて霊幻はギシリと椅子に体重をかける。

いつかおなまえが予約をしたのに来なかった日。
「電話にも出ないなんておかしい」と芹沢が顔色を変えておなまえの住所に向かうと言いだした。
何もそこまでしなくても、と霊幻は思ったもののその日は他に予約もなかったし、行ってみて何もなければちゃんと大人しく帰ると言う芹沢の勢いに負けてそれを許した。
「くれぐれも犯罪行為するなよ」と念を押して。

翌日にはすぐにおなまえが来れなかったお詫びと出張して来てくれたお礼と言って菓子折りと謝礼金を包んで持ってきてくれたのだが、その時の二人のソワソワし合っている様子を見て霊幻はピンと来た。
これは恋の予感がする、と。


「まったく…向こうも奥手そうなんだからお前がしっかりしないでどうする」
「しっかりって…、だって迷惑d…」
「迷惑だったらそもそも上げん。連絡もよこさん」
「それは霊障に遭って困ってるからで……あ。俺おなまえさんのカーテン、この後つけにいくので、今日このまま帰ります」
「………おう」


そう言って「お疲れ様でした」とリュックを背負い事務所を後にする芹沢の背中にひらひらと手を振って、霊幻はドアが閉まる音と共に再び溜息を吐く。


「…そのまま勢いでお泊り………な、訳ねーな。ねーわ」


芹沢にそんな勇気があるとも思えないし。そんなキャラでもないし。
絶対両想いだと思うのに、と霊幻は歯痒い想いをしながら窓からおなまえの家へと向かう芹沢を見送った。










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