S×S【2】 | ナノ
Puttin' On The Ritz

ひどく、静かな夜だ。

ここには今、自分一人しか残ってないのかもしれない──ルーシアは窓枠に腰掛けながら、駐屯施設の外に視線を向けた。宵闇の中、きらびやかなライトにナイトクラブが浮かび上がる。この島のナイトスポットの頂点、そして不夜城だ。

シャボンディ諸島から少し離れたこの島には、複数の軍艦が寄港出来る港がある。そのため安全な遊び場所と認識されたからか、街は小さな島には分不相応にも見える華やかさをみせている。

ワインを紙コップに注いだ。そして切ったバケットにポークパテを積む。大きな出窓の床板に並ぶのは、島の反対側にあるマーケットで買ってきた、彼女の今夜の相方たちだ。

複数の艦が入港している今日は、同期や顔見知りとも多く顔を合わせた。皆、今頃はそれぞれの夜を楽しんでいるだろう。マリンフォードの海軍本部に戻れない距離ではない。彼らは、息抜きのためにわざわざ立ち寄っているのだ。

「ルーシアか?」
「ふぁい?」

バゲットを口に入れたまま間の抜けた返事をしてしまった事を、ルーシアは即座に後悔した。彼女の上官である]・ドレークが、少し笑って近付いてくる。
ルーシアはバゲットをひと口かじり取り、慌ててワインで流し込んだ。立ち上がろうとした彼女を、ドレークが左手で制する。

「出掛けなかったのか?」
「はい。少将も」
「報告書をまとめていたらこの時間だ」
「私は、服を持ってくるのを忘れてしまいました」

ドレークが不思議そうな顔をした。

「売ってるだろう」
「すごく気に入って買った、ここで着るための服を忘れたんです。買い直すなんて悔しくて」

見つけた瞬間に自分のための服だと感じた。その服を着たいつもと違う自分、上官でないドレーク、そして不夜城。この島に立ち寄ると決まった時にルーシアの頭を過ったのは、都合の良い何通りもの甘い想像。

現実は、いつもと変わらない自分と上官であるドレーク少将、そして場所は駐屯施設──ルーシアは自嘲気味に笑って、ワインのボトルを手に取った。

「代わりにこれを買いました」

諦めきれず、彼女はこの島のショップを回ってみた。だけどやはり、あれ以上に気に入る服を見つけることは出来なかった。
結局、想像は叶わないまま終わってしまう。

「少将もいかがです?紙コップしかありませんけど」
「頂こう」

紙コップを渡す時、微かに手が触れた。
赤ワインを注ぎながらルーシアは思う──想像には及ばない、だけどこれも悪くない。

広げていた食べ物を床板の中央に寄せ、ドレークが座る場所を空けた。
バゲットとポークパテ、牡蛎のベーコン巻。白身魚のフリットと薄く削ってもらったチーズ。テイクアウト用のパックのまま並べている事を、今さら後悔しても遅かった。

食べ物を眺めたドレークが、片方の眉を微かにあげる。

「豪勢だな」
「侘しいのも嫌で。残してもしょうがないので、是非召し上がって下さい」

ルーシアは再びバゲットにパテを積んで、窓際に腰かけたドレークに手渡した。大きな手に掴まれると、紙コップもバゲットも玩具のように小さく見える。
もっと大きくカットすれば良かった、と考えながら、ルーシアは新しいバゲットに残りのパテを盛った。それをフードパックの隅に載せ、ドレークの方へと押しやる。

さっき食べかけていたバゲットをかじりながら、ルーシアはふと窓を見つめた。ガラスに映る少将のオレンジ色の髪を、濃紺の宵闇が引き立てている。

「美味いワインだ」
「ちょっと頑張りました」
「こんな殺風景な場所で飲むには勿体ないな」

ナイトクラブの照明が、色とりどりに点滅し始めた。ルーシアはそれに少し気を取られてしまう。ふと気づくと、煌めく不夜城にドレークの顔が重なっている。外を見つめながら、二人は同時にワインを飲んだ。
彼女一人で飲んでいた時には気にならなかったのに、今は紙コップの匂いがやたらと鼻にさわる。

「ルーシア」

ドレークの声に漂う少しの翳り。ルーシアは、鼻の高いその横顔を見上げた。
負の感情を見せる事のない上官が、極めて稀に覗かせる感情の揺らぎ。彼女は、いつからかそれを見破れるようになっていた。

「騒がしいのは苦手か?」

その問いかけで脳裏を過ったのは、刀剣同士がぶつかる音と銃声、悲鳴と怒号だった。そしてルーシアはその瞬間、ドレークが彼女の過去を知っている事を悟った。

「──いいえ」
「そうか」
「静かでも騒がしくても、楽しく過ごせるのならどちらも好きです」

故郷が海賊に襲われた──海軍に入った後に、その過去を彼女が口にしたことはない。そもそもそれは、海兵たちの間では特に珍しい境遇でもない。

上官であるドレークに、ルーシアの境遇が報告されているのは当然のことだ。だが、思慮深い上官は今日まで、そのことをおくびにも出したことはなかった。

強い風が吹いたのか、窓のガラスがカタカタと音を立てる。ドレークはワインを飲みながら、何かを思い出しているかのように目を伏せた。

「そうだな、おれも嫌いじゃない。静かなのも、賑やかなのも」
「はい」

ドレークがルーシアの方を向いた。視線を受け止めるのが怖くて、彼女は食べ物へと目を落とす。
チーズの容器を差し出すと、ドレークは薄い欠片を摘んで謝意を口にした。

静けさと一緒にチーズとワインを味わう。ドレークの紙コップにワインを注ぎ足しながら、ルーシアは何気なく尋ねた。

「少将は踊ったりしますか?」
「断れなかった時に、何度かある」
「……想像出来ないです」
「聞いておいてそれか?」

ドレークが吹き出すように笑った。アルコールのせいだろうか、いつもよりも表情が柔らかい。ルーシアもつられて笑ってしまった。

ドレークをじっと眺めてみても、やはり踊る姿は想像出来ない。彼女が未だ笑いをこらえられないのも、アルコールのせいなのか。

「ドレーク少将、恐竜姿の時にも踊れますか?」
「いや、細かい動きは難しいな」
「やっぱり、全然感覚が違うものですか?」

ドレークが彼女の手からボトルを取り、ルーシアの紙コップにワインを注いだ。満ちたコップに、それぞれ唇を寄せる。

「そうだな。例えば、普通の人間に触られてもなかなか気付かない」
「力の問題ですか?弱すぎて?」
「ああ」

ドレークは頷いてワインをひと口飲み、何かを思い出そうとするかのように天井に視線を向ける。生真面目な上官は、酒の席だからといって流したりはせず、丁寧に答えを返してくれていた。

ルーシアは、ドレークのそういうところを好ましく思わずにはいられない。

「あとはそうだな、感覚にずれを感じることもある」
「ずれ?」
「昔、脚を切りつけられたんだが」

ドレークは、右手で自分の太腿を軽く叩いてから言葉を続けた。

「腿を切られたと思っていたのに、人間に戻ってみたらふくらはぎだったことがあった」
「えっ、そんなにずれて感じるんですか?すごい。不思議です」

ルーシアは自分の太腿とふくらはぎの位置を見比べて、驚きの声を上げる。彼女の気安い友人や知人には"ゾオン系"の能力者はいなかったため、今のドレークの話はとても新鮮に感じられた。

牡蠣のベーコン巻をドレークに勧めながら、ルーシアはこの機会に積年の疑問をぶつけてみる事にした。

「あの、私、"ゾオン"系の能力者の方に聞いてみたかった事があるんです」
「"ゾオン系"も形態が様々だが……わかる事なら答えよう」

彼女は、ベーコン巻にピックを刺しながら笑顔で頷いた。あの獣型なら、ドレークにはもちろん答えられる筈だ。

「尻尾を触られた時は、人間の躰でいうとどの辺りに感触があるんですか?」
「尻尾……?」
「はい!」

妙に元気な返事をしながら、ルーシアはこれもアルコールのせいなのかと考えた。ドレークが牡蠣のベーコン巻を口にしながら、考えるように目を閉じる。
ルーシアも、ピックの先の牡蠣を食べてみた。牡蠣のジューシーさとベーコンの脂が混ざりあい、旨味が口の中に広がる。

「……」
「?」

味の感想を共有しようと、彼女はドレークを見上げた。だが、上官は難しい顔をしてまだ考え込んでいる。
声をかけるのも憚られ、ルーシアはまた食べ物に視線を落とし、白身魚のフリットを摘んだ。

フリットをトマトソースに浸しながらルーシアは考える──そんなに難しい事だったかな、何にしても尻尾が生えてる辺りでしょ?尻尾の──。
酔いと血の気がいっぺんに引く感覚に、彼女はフリットをソースの中に落としてしまった。意外に大きく響いたその音に、ドレークが僅かに身動ぎするのが見える。

「どうした?ルーシア」
「私、もしかして、少将にセクシャル・ハラスメントを……」

今度ははっきりと、ワインを持つドレークの左手が揺れた。
ルーシアは視界の端でそれを見ながら、手のひらを握り合わせて膝の上に置く。

「も、申し訳ありません」
「待て、ルーシア、違う。だから謝るな」

周章てたように早口でそう告げ、ドレークは右手を自らの背中に回し、ベルトの少し上を示した。

「口で何と説明すればいいか判らなかっただけだ。この辺りになる」
「えっと、わかりました。ご丁寧にありがとうございます、ほんとにわかりました。あの、わかりました」

横目でドレークの手の位置を確認し、ルーシアは小さく返事をした。穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだ。
上官のため息が頭上から振ってくる。

「ルーシア、顔を上げてくれないか」
「あの、ほんとに」
「セクシャル・ハラスメントとは思ってない。お前の考え過ぎだ」

俯くルーシアの視界に、ワインボトルの注ぎ口が現れた。おずおずと顔をあげると、上官は頷いて、彼女のコップに赤ワインを注いでくれる。

「前にも聞かれた事があった。正しい好奇心だろう」
「……」
「その時も困ったが、そうだな、口で説明する必要はなかった。これで次からは答えるのに困らない」

ドレークはボトルを置き、空いた手を再び背中に回すと、さっきと同じあたりを叩いた。彼女がその気遣いに応えようとして笑うと、上官の表情も安堵の色を帯びる。

この人はいつも優しい。
だけど何故だろう、いつも近づききれない何かを感じる──。

引かれた線は上司と部下という立場によるものなのか、それとももっと別の何かのせいなのか。彼女には知る術がなかった。少なくとも、今はまだ。

沸き上がる切なさを振り切るように、ルーシアはボトルを手にした。そして、ドレークの紙コップにワインを注ぐ。
杯が満ちると、ちょうどボトルも空になった。

「……もっと買っておけば良かったです」

一人で飲むなら充分なはずだった。
ルーシアは少し物足りない程度だが、躰の大きなドレークは全然飲み足りないだろう。見上げた先で彼はただ笑い、紙コップに唇をつけた。ルーシアは思わず、ドレークの喉の動きに見入ってしまう。

ふと、ドレークが窓の外に視線を向けた。

「雪か」

ルーシアも、暗闇に舞うひとひらの雪を見た。それがどこかに消えてしまうと、またはらりと一つ落ちてくる。ナイトクラブの照明が相変わらず煌めく中、夜は一際静けさを増した。

このまま二人で過ごす時間が終わってしまうのは嫌だった、けれど彼女は何も打つ手を持っていなかった。

「積もるでしょうか?」
「いや。すぐ止むだろう」
「そうですか……」

積もればいいのに──今夜は誰も戻ってこられないくらい。だけど都合のいい想像が現実になることはない、彼女はそれを知りすぎるほどに知っている。
忘れてきた服の事を思いだしながら、ルーシアはワインをひと口飲んだ。

ドレークが白身魚のフリットが入ったフードパックを持ち上げ、彼女に差し出してくる。ルーシアは、トマトソースに浸かったフリットの端をつまんだ。

ドレークはパックを出窓の床板に戻し、自らも一つ手に取る。それからルーシアの目を真っ直ぐ見つめた。

「飲みに行くか」

それはあまりに出しぬけで、彼女は喜びよりも驚きが先にたってしまった。口を開けたまま上官を見つめ、窓の外のナイトクラブを確認して、またドレークに視線を戻す。

「あの、服が」
「コートを羽織っていれば、海兵はドレスコードクリアだ」
「そう、なんですね」

フリットを食べ、ワインを飲んでから、ドレークは問いかけるように首を傾げた。ルーシアは何度も頷いて賛意を示す。ようやく嬉しさが実感を伴ってくる。
ただ、一番ハードルが高いと思っていた事があっさりと現実になったにもかかわらず、最も簡単に揃えられるはずだったパーツを彼女は持ってきていなかった。

ルーシアは再びナイトクラブに目をやる。そこにいるはずの友人や同僚がつけていたヘッドドレス、鮮やかな色の服、高いヒールの靴を思いだし、彼女は思わず呟いた。

「ちゃんと、可愛い服買ってたのに」
「そうだったな」

ドレークから相槌を打たれ、ルーシアは内心ひどく慌てた。
今さらどうしようもないことだと、彼女は自分を納得させる。この夜が続くなら、それが何よりも一番嬉しい事だ。

ルーシアはフリットをひと口かじり、何でもない事を示すようにドレークに笑ってみせた。
彼はやけに慎重な顔で頷く。彼女が顎の]字の傷を見つめていると、ドレークの唇が動いた。

「その服は、今度見せて貰うことにしよう」

かじったばかりのフリットを溢しそうになり、ルーシアは慌てて両手で口を押さえた。ドレークが優しく目を細める姿に、彼女の胸はこの日一番の高なりを覚えた。

「次は忘れるなよ」
「はい!」
「これを片付けたら出掛けよう」

ドレークが、紙コップと食べ物を交互に指差しながらそう続ける。

「はい!!」

勢いのいい返事をして、ルーシアはフリットの残りを口に押し込んだ。ドレークは牡蠣のベーコン巻を口にして、味に満足したように目を見張る。

外の宵闇に、ナイトクラブが煌めきながらそびえ立っている。そしてここは変わらず静かだ。だけど今は彼女一人ではなく、ドレークと二人でいる。
自然と込み上げてくる笑いを、ルーシアはワインで飲み下した。

──今夜は、ひどく胸が踊る夜だ。

《FIN》

2017.03.12
Others 4 番外編 - Puttin' On The Ritz -
Written by 宮叉 乃子

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