終焉クライシス







彼の唇へキスを一つ残してみれば、照れているのではく、単純に嫌がる額がそこには存在する。彼は恋人に対し性行為はおろかハグもキスも、欲が涌かないらしい。禁欲生活とはまた違う、ただ、行為に嫌がる顔はうっすらと、ほんの少し見えるだけで、心地良い彼の純朴な親切心が好きだった。
きっかけと言ったら、最初から僕は同性愛者ではなく、スパナの隣に女性が居た事が僕に嫌悪感を抱かせた事。性別云々ではなく、彼そのものを好きなのだろう。

朝焼けが窓口のソファに佇む僕等を目指して七色の光が通過した。スパナの頬にはパステルピンクの可愛らしい色が着色して、顔立ちが整った美人には色がとても映えて綺麗だった。と、彼の耳元で其れを言ってみれば少し黙り込んで「そう」とただそれだけ、一言なのだけれども彼の表情を汲み取る事は僕にしてみると容易なもので。お気に入りのレコーディングのジャケットを見ながら僕等は幸せなんだと感じていた。

彼は、機械をいじりすぎて脳がスパークしてしまった。とか、外国人の同性愛者は大体リバで、行為に及ぶ際はどちらが女役か男役かをゲームで決めたりしているんだ。など、時折冗談を交えながら誘いを断る。
元々恋愛に発展するとは考え難い親しい友人同士だったのだから、戸惑いは隠せないのだろうと判断した。

常に僕が彼の部屋にいる感覚を持ちすぎて、今日もベッドに横たわる彼に遠慮無く接近する。ベッドは部屋に入ったすぐ左側にあり、その手前ベッドの奥にはタンスが置かれている。右側にある彼には不釣り合いな雰囲気を纏う縦鏡に、その二つの隙間から悪意が見えた。
明らかに彼の私物では無い。最近の流行りを取り入れたような、カーキ色のブーツが折り畳まれていた。僕の眼に留まらない訳が無い事は、彼も明瞭している筈である。


其れはきっと悲しみとも怒りとも取れない、殺意の色と混在した目玉が存在しただろう。否、僕は殺したかった。

仰向けのスパナを馬乗りにした際近くにあったスパナの所有物の部品であろう機器が僕には殺せ、と命じているように見え動悸が速くなる。愛する彼に傷を残したいと思う日は少なからず在ったがその鈍器を所作する事は彼に死を齎した。仕方無く拳を奮う。口元を塞いで罵倒を繰り返す。怯えている。

「僕 を、挑発しているのかな」

「それとも僕が汚れているとでも、言いたいのかい。僕が、君を愛す事が、可笑しいかい?‥‥ね、笑えよ、スパナ」

声が発せない彼はゆっくりと、閉じていた瞳が開く。視線が重なった。僕に恐怖心があるのか少し涙目になって見ていた。

「‥人を殺す僕に幸せなど投じないと、初めから、僕は知っている!」

「君が容易に口に出さないイタリアの言語に僕は必死になって覚えたんだ!君と、イタリア語で会話したくて、でも君は僕に合わせているのか単純に好きなのか、日本語で話してて‥‥っ。それでも、僕は幸せなんだ。君が傍に居るだけで‥」

彼の一筋の綺麗な涙が頬を伝い真顔を崩さない真剣な顔からは感情が汲み取りにくかった。スパナの掌と重なり合い彼の唇が解放され言葉を紡ぐ。

「正一から‥貰った言葉、言動、が、愛に変わっているのは‥気付いていた。」

スパナのぐしゃぐしゃの顔から鼻水が垂れている。口元の端には血が滲んでいた。先程僕が殴ったその痕やら垂れる鼻水やらは美人にはとてつもなく不似合いなのだけど今はスパナには似合う気がした。零れた涙はカーペットを伝って少しだけ滲んでいった。普段殴られ慣れしてない彼は口元を歪ませながら痛がっている。だけれど、口を開く。

「それでも正一に情は存在し続けた。ウチは‥これこそ愛情だと、疑わなかった。」

「違ったんだね‥‥」

僕は自らの手で彼の汚い顔を拭った。掌が意思に従いスパナを包む。熱が入っている瞳からは重力に逆らう事無く涙が彼の頬へと落下した。
彼を愛していた。愛しくて、苦しかった。
恣意的な解釈だとしても、僕にはどうしようもなく感じる。

「生まれた感情は、例えるなら綺麗な透明色。着色していなかった」

その一文字一文字が喉の奥まで溶け込んで琴線に触れた。透明は向かい合った色と重なり合ってその色に見える、または染まると云う。たとえば海と空の光の関係性。だけれど君は僕の色に染まる事を拒絶した。反射、した。
低いくぐもった声で真面目に言う彼の胸で僕は泣き続けた。そっと僕の背中に回してくれた腕が、より悲しくなって、子供のような声を発しながら泣いている事に羞恥心は担わなかった。

僕は、幸せになれない。天国にも、行けない。天国という存在の有無は今は気にしないけれど、他人の幸を奪い自分が不幸と嘆く事は凡人の捉え方で紛れもなく僕は平凡。機器使いの無垢な彼、簡単に言うならヒューマニズム趣向のスパナ。その彼と違って何人もの人間を殺し、ごく一般人かの如く僕は平然と生きている。出来れば彼と一緒に天国に行きたかった。世界の創造主は決して人殺しを赦してはくれなかった。

だけど僕が君を愛し続けることが君にとって理解し難いことだとしても、どうかこれだけは赦してほしい。
さようなら愛しいひと。この愛惜する感情は、きっといつまでも僕の中に残り続ける。


僕が流した涙も彼が流した涙も、綺麗な透明色。着色が無い泡沫する其れを僕はただぼんやりと見続けることしか出来なかった。


110120

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