馬鹿みたいな話だが、兄はそれほどまでにこの街で最悪な存在として畏怖されている。
少し道を歩いただけで人垣は某神話のように割れるし、肩がぶつかっただけで土下座までしたのに殴られるし、可愛い女の子たちはこぞって股を開く。
極道なんかと喧嘩をしても構わず外を歩いていられるのは、全国でもトップに近い極道の若頭だとかに気に入られているからだ。……なんて噂もあるくらいだ。
「じゃあさー、トラちゃんに朗報」
「あ? なんだよ急に」
「いやいや、これが耳寄りな情報なんですよ、へへへ」
「内山……怪しすぎるんだけど」
両手をすり合わせて笑う内山を一蹴するが、彼は気にするでもなく一枚のビラを取り出した。
「……さくら?」
「そ! 時代はいまやさくらですよ! お兄さん!」
どこぞのキャッチみたいな大袈裟な言い振りをする内山に数人のクラスメートたちが怪訝な目を向けていたが、当の本人は気にするでもなく俺の顔面にビラを押し付ける。
「募集人数はたったの二人! ――つーわけで、俺と応募しよ?」
「……」
つまり俺はついでかよ。
心の中でぼそりと呟き、それでも職が欲しい俺は頷いた。
放課後、俺はスキップでもしそうな勢いのある内山に腕をがっちり掴まれたまま、面接先であるバー、カシストに向かっていた。
途中で不良らしき男たちに絡まれたりもしたが、それらはすべて内山の手により夢の中……いや、地獄の果てまで飛ばされた。
迷いのない足取りの内山は怪しげなビルの中へと入り、そのままエレベーターに俺を押しこめる。
上に行くのかと思いきや行先はB4という不吉な地下で、エレベーターの扉が開くと、そこはワンフロア吹き抜けの静かなバーだった。
「仁さーん! 面接来ちゃいましたー!」
「あ? 雄樹(ゆうき)? お前マジで来たのかよ」
入ってすぐ左に位置する黒いカウンターの向こうで、煙草をくわえた黒髪短髪の強面な男が呆れたように内山を見る。
その視線がすぐ俺のほうへ向けられたりもしたが、男は煙草を灰皿に捨てると、手慣れた手つきでグラスを二つ取り出し、水を入れ、カウンターに置いた。
「ま、とりあえず面接してやるよ。座れ」
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