「はい、あーん」
「あ、あーん……」
あぁ止めてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ。
カシストのカウンター席向こう、つまり普段俺が立っている調理場から、なんとも言えない顔をした仁さんと雄樹がこちらをじっと見つめている。
俺はその視線の居たたまれなさをヒシヒシと感じながら、目の前の彼女が差し出すスプーンをくわえた。
――事の起こりは泉ちゃんのその一言であった。
『トラくん! 協力して欲しいの!』
その日は茹だる暑さがしつこくて、普段外をうろつく非行少年・少女たちもこぞって家に閉じこもるような猛暑だった。
そんな中、紺色のワンピースを上品に着こなした泉ちゃんが一人の少女を連れ、カシストにやってきたのである。
彼女たちは注文もそこそこに、そんな暑い日でもおかゆを作っていた俺に突然、頭を下げてきたのであった。
聞けば、泉ちゃんが連れてきた一人の少女――名を由香里ちゃんという――は、彼氏の浮気が原因で喧嘩をしてしまい、自分も浮気してやると豪胆な捨て台詞を吐いて飛び出したという。
だけど実際、本当に浮気などするつもりはないが、それじゃあ腹の虫が治まらないので演技をしたい。
けれど人畜無害な頼れる男友達はいない……。
あとはお察しの通りというわけだ。
「トラくん、おいし?」
「う、うん……」
(もうちょっと嬉しそうにしてくんないかなぁ?)
(ご、ごめん……)
さて、白羽の矢が立ってしまった俺だが、その理由というのがまた情けなかった。
一つはカシストでバイトをしているので、仲間内にも目撃されやすい。
一つは玲央の弟だから。――である。
そもそも浮気って、バレないようにやるもんじゃないの?
まぁ今回は宣言してるくらいだし、バレなきゃ意味がないのか?
なんて疑問はひとまず置いておいて、俺自身に頼れる理由などないことは明らかだった。
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