花環のワルツ | ナノ




フライパンの上で油が弾ける。
菜箸を使って軽く混ぜ、焦げ付かないように揺すりながら火が通るのを待っていると、野菜の焼けるいい匂いが鼻腔をついた。

食器棚から皿を2枚出し、適当な量を盛り付ける。独り暮らしも続ければ人間野菜炒めくらいは作れるようになるんだなあと、出来た料理を見て徹は満足げに頷いた。
歯が弱くなった祖父の為に、ご飯は水分を多く柔らかに炊いた。
しゃもじで白米を茶碗につぎ、リビングに持っていく。
夜の情報番組を無表情で見ている祖父の前に夕食を置く。
徹の箸は昔ここに来る度使っていたものだから子供用で、長さが足りないような気もするがもう慣れた。

昨日開かれた飲み会とは打って代わり、及川家の食卓には訳もわからず重い沈黙が流れている。
時刻は午後9時を回り、ニュース番組が次のニュース番組へと移り変わった。
新発売のシャンプーのCMが流れる。
今話題となっている若手女優が起用されており、艶のある黒髪と笑った時に覗く八重歯が魅力的だった。

法事は明日、朝の10時から行われる予定だ。
寺の住職が帰ったあとはもうすることもないし、荷物を纏めて帰ってしまおうか。

当初の予定より幾日か早く自分のアパートに戻ろうというのが徹の密かな目的であったものの、ここに来て気がかりが残る。
べろべろに酔っていたとは思えない、真っ直ぐに前を見る瞳。
伸びた背筋は薄く細く、決意と覚悟が込められたかのような口調の言葉が、突如徹の頭を回り始める。

出られないとは、どういう意味なのだろうか。

野菜炒めを一口食べる。キャベツのシャキシャキとした食感も今は脳が受け取っていないようで、ぐるぐるぐるぐる答えの出ない問いは思考を絡めとり落ちていく。

出たくない、ではない。
この村を出たくないのではなく、出られないと。

彼女は、葵は確かにそう言った。


よく考えてみれば、変なのだ。
コンビニはおろかスーパーもない、買い物をするには殆どがシャッターを閉めてしまった寂れた商店街に行くか車を出して都心に行くかの2択、周りを見ても見渡す限りの山、山、山というド田舎に、20才の女性が好んで住むか。
祖母と二人暮らしだから、出られないという意味にも徹には聞こえなかった。

強いて言うなら戒め。
頑丈な鎖で繋ぎ止められているかのような言葉の響き。
それも、彼女は暴れて逃げることをとっくに諦め放棄している。

何が葵をこの村に閉じ込めようとしているのか、徹は皆目見当もつかなかった。







銀色浸した錆び付いた







「ごちそうさま」


祖父よりも早く夕飯を食べ終わり、使った皿を重ねて流しに持っていくため立ち上がる。
ちらりと見ると祖父はまだゆっくりと食事をしており、とりあえず自分の分だけ、と台所に立った。


「……じいちゃん」


洗い物は後でまとめてやろうと、食器を水につけてシンクに置く。
かけられたタオルで手を拭いた徹はリビングの入り口に立ち、長らくの沈黙を破った。

呼ばれた祖父が徹の方に顔を向ける。


「葵は、どうしてこの村から出ていかないの?」


純粋な疑問だった。
住民に対して心底失礼な問いだということはわかっていたが、聞かずにはいられなかったのだ。

20才。
それは徹が家を出てアパートを借りたのと同じ年で、しようと思えば自立することが可能の筈だ。
この村が、この自然が好きだから住み続けるというのであれば、止める権利は何人も有しないだろう。
しかし葵はそうは言わなかった。
『出られない』には、何らかの含みがある。

祖父の眉がぴくりと動いたのを、徹は見逃さなかった。
一瞬の動揺を隠すように徹から顔を背け、箸を茶碗の上に置く。


「………あの子は、ここから出ていく事ができないからだ」


返事は、葵のものと酷似していた。
徹の最も知りたいことは、徹の見えないところでひた隠しにされている。
すぐそこに答えがあるような気がするのに、肝心の結論は見つからない。

どうして、と不可能の理由を追及しようと口を開いた時、祖父の静かな声が徹の鼓膜を揺らした。


「徹、」


ぽーん、と空中で弧を描いたそれが徹の手の中に収まる。
ここ数日まったく触れていない見てもいないバレーボールは、土で汚れて全体的に黒ずんでいた。


「……なんでバレーボールがあんの」

「この間倉庫を整理したら出てきたからな。お前のだろう、持って帰ればいい」


淡々と言った祖父はまた箸を持つと、茶碗に残った米を食べ始める。
明らかな話題の逸らしぶりに腹が立ち、つい口調がきつくなるのがわかった。


「じいちゃん、葵は―――」

「その話はやめろ。……お前には、関係のないことだ」


言葉を続けようと吸った息は行き場を失ってしまい、口の中に飲み込まれる。
有無を言わさない気迫とはっきりとした拒絶の意が、祖父の声色に込められていた。

続けるべき言葉が見つからず、徹の目が悔しげに細められる。
よそ者は関わるなとばかりに拒まれ、怒りより先に悔しさが込み上げた。

リビングに置いてあった鞄からパーカーを取り出す。
寒いときに羽織る用に持ってきたそれをTシャツの上から着て、充電中の携帯をコンセントから抜いた。
買うものも買える場所もあるとは思えないが、年のため財布をポケットに突っ込む。
ファスナーを胸の辺りまで上げた徹は、ぶすっとした表情のまま言った。


「散歩に行ってくる」


返事はない。
工場で見た姿そのまま、背中を丸めて夕食を食べる顔はあくまで険しく、徹もそれ以上何も言わずに踵を返した。

玄関から鍵を取り、外に出て閉める。
昨日よりも気温は低く感じられ、一日ずつ秋が深まっているのを肌で感じた。


「……ボール持ってきちゃった」


家の門を出た所で、小脇に抱えたままのバレーボールの存在に気付く。
バレーという競技にすっかりと魅せられた徹は、帰省した際に祖母にねだってここでやる用のボールを買ってもらったのだ。

空気は抜けていない。徹が来なくなってからも誰かが手入れしていた跡が、残っている。
試しについてみるとコンクリートによく弾み、ボールは吸い付くように徹の手に戻ってきた。

夜の住宅地に、ボールが地面とぶつかる音が響く。
あの友人はどうしているのだろう、と不意に岩泉のことが頭に浮かんだ。
所属するサークルが違うため学内でたまに顔を見る程度になったかつての親友とは、疎遠になってしまっている。

バレー、バレー、バレー。
足元から全身に伝わる振動を、駆け巡る躍動を、コートに立ち上る熱動を、もう一度。
スパイクをブロックをレシーブをサーブをトスを、何度でも、何度でも、俺に。

夢を諦めたのは、手を伸ばすのをやめたのは、正しい決断だったと堂々と宣言できるだろうか。
シューズが体育館の床と擦れあう音が聞こえたような気がして、徹は空を仰いだ。
街灯がほとんどないからこそわかる、満天の星。

冷たい空気を鼻から吸い込んだ徹は、唇を噛み締め手の中のボールをコンクリートに落とした。


5/10

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