花環のワルツ | ナノ




「それじゃ、及川さん家の徹くんとの再会を祝って、」


「「「かんぱーい!!」」」


ガチャンガチャンとグラスのぶつかる乱暴な音が、そこかしこで鳴った。
泡のたっぷりのったビールを一気に飲み干しぷはぁと息を吐く、オヤジらしさ満載の光景が居間の到るところで繰り広げられている。
及川家の一室に所狭しと集まった人々は皆この村の住民たちで、全員顔見知りだ。
特に徹が幼い頃に随分面倒を見てくれていた人ばかりであり、長机に並べられた料理もかなりの数にのぼる。


「いやあしかし、でかくなったなあ!」

「昔はこんなにちっこかったのに、やっぱ男ってのはこうでなくちゃなあ」


ビールジョッキ片手に豪快に笑うのは、すぐ近くの酒屋の店主だ。
ちょっとしたお菓子やアイスも売っていて、徹が買い物に行くと必ずと言っていいほどおまけと称して商品をくれた。


「徹くん、今いくつだい?」

「今年で21かな」


酒にはそこまで強くないのか、早くも顔を赤らめているのは、家からもう少し行った先にある商店街で八百屋を営んでいる主人である。
21か、21ねえ。と自身の過去に重ね合わせている素振りを見せて虚空を眺めていた。


『徹くんお帰りなさいの会』が、企画としてまとまったのは、つい数時間前の話だ。
河野家で軽くお茶をした徹は羊羮を持って知り合いに挨拶して家々を回る間に気が付けば夜飲み会になることが決まっていた。
トントン拍子で進んだ話に口を挟むタイミングが見つからず、あれよあれよと男たちの酒盛りが始まる。

これは長い夜になりそうだ、と速攻でなくなり次が開けられた瓶ビールを眺めながら、徹は長机に置かれた皿から、キュウリの漬け物を取り一口かじった。







彗星群







「おい及川のボウズ、ちゃんと飲んでんのかあ?」


酒臭い息と共に肩を組まれ、背中にぐっと体重がかけられた。
会が始まって1時間程経つ頃にはすっかり皆出来上がっており、あの気難しい祖父でさえ赤らんだ顔でグラスを傾けている。

徹は自分が酒に弱くないことは知っていたが、好みの問題としてビールがそこまで好きではなかった。
しかしなみなみと注がれたジョッキを差し出されると受け取らない訳にはいかず、得意の笑顔を浮かべて泡と一緒に流し込む。


「いい飲みっぷりだねえ、兄ちゃん」


満足そうに笑った男を見て、これが大人の付き合いというやつかと内心ひっそりとごちた。
今は大学の仲間と飲む事くらいしかないので詳しくは知らないが、会社の上司なんかと飲み会をするときにはいわゆる「俺の酒が飲めねえのか」論争が始まるものだと聞いている。


「徹くーん、楽しんでるー?」


気分の良くなってきた男たちの話を聞いていると、背中をばしんと叩かれた。
覆い被さるように重心を徹の方に傾けたの葵で、その舌っ足らずな声にぎょっとして振り向く。

頬をほんのり朱に染めた彼女の手には例に漏れずビールジョッキがあり、困惑しつつ尋ねた。


「酒飲んで大丈夫なの?」

「えー?葵さんは立派なハタチだからいいんですー」


ほらほら、徹くんも!

ぐいっといこう、とどこぞの中年オヤジと同じような事を言いながら、葵は徹にビールを勧める。
20才、ということは1つしか変わらないのか。
チークでものせたかのように色付いた頬にも目元にも全くと言っていいほど化粧っ気はなく、これで大学2年生かと心底驚いた。
黒目がちの瞳もそれを縁取る長い睫毛も、顔の作りはどうも幼く、ビールがひどく不釣り合いだ。

誰の隣で飲んでいたのか知らないが、葵はかなり酔っているようで、呂律が回っていない。
徹くーん、と訳もなく名前を呼び、ケタケタと笑い声を上げて酒を飲む。
これは駄目だと思い、徹は腰を下ろしていた畳から立ち上がった。










「ひゃー、涼しいー」


窓を開けると冷涼を含んだ風が全身を包み込んだ。
酔いざましにと徹と葵が来たのは縁側で、座り込んで足を浮かせる。
昼の暑さに比べて夜はぐっと冷え込み、寒暖差に思わずくしゃみが出てしまった。

繁った緑を揺らす風は火照った頬をさらりと撫でていく。
知らず知らずのうちに汗ばんでいた体が浄化されていくようで、もう夏も終わるな、と感慨深くなった。


「あ、今日満月だ!」


酔っているからかテンションの高い葵が、徹の隣で指を空に向ける。
紺碧の空に金色の月が、なんて書いたのは中国の作家だったっけ。
まん丸に浮かぶ月は葵の言う通り正真正銘満月で、その輝きに魅入ってしまう。


――――不意に、真っ黒い夜空の映像が脳内で再生され始めた。
ほんの数日前、何年ぶりかに会った存在。
やっとの思いで修復しようとしていた傷口の瘡蓋を、情け容赦なくはがされたような。

悪意も他意も悪気もなく、息をするように、ぺりぺりと、べりべりと。

治り始めていた傷からじわりと血が滲む。
痛いと感じる間もなく鈍い熱に覆われていく。

―――オヒサシブリデス、オイカワサン




「―――くん?徹くん」


葵に顔を覗き込まれ、徹ははっと我に返る。無意識のうちに黙ってしまっていたらしく、握り締め内側に爪の立った拳をそっと開いた。

鈴虫の羽音が聞こえる。
家の中では未だどんちゃん騒ぎが行われており、外の静けさとはまるで対照的だ。
リーン、リーン、と規則的なその音は音楽でも奏でているかのようで、二人は口を開かずに、じっと縁側に座っている。

口火を切ったのは葵の方で、彼女は大きな瞳いっぱいに黄金の月を写し、どこかうっとりとした様子で呟いた。


「徹くんは、好きなものある?」


その質問が会話が途切れた時の定番だ、とは思えなかった。
好きな食べ物、好きな音楽、好きな映画、好きな俳優、人は何かしらの共通点があればある程度仲良くなれる事を知っていたし、事実徹もよく使う手だ。

しかし葵の問いには二人の共通の趣味を探そうなどといった目的は全く感じられず、真意は量れない。
上澄みの部分じゃない、もっとずっと奥にある葵の言いたいことは、何重にも包まれた先にあるのだろう。


「………バレーかなあ」


以前なら、高校生の頃の徹なら、この答えを出すのに時間など要しなかった。
かなあ、曖昧なんて曖昧な言葉を付け足す事もなく、即答していた筈だ。
そうじゃなくなってしまったのは、胸を張って好きだと言えなくなってしまったのは、いつからか。

胸にぽっかりと空いてしまった穴に、秋の冷たい風が吹き込んでくる。


「葵は?」

「私?」

「葵の、好きなもの」


質問を返されるとは思っていなかったらしく、葵はぱちぱちと瞬きを繰り返して徹を見た。
そしてまだ僅かに朱を差した頬をひきつらせるように、困ったように諦めたように、微笑む。


「………………ないや」


徹から目を逸らした葵は、自らの答えに対する言葉は聞きたくないとばかりに空を見上げ、小さく息を吸い込んだ。

薄い唇から、歌が漏れ始める。
オルゴールのようにか細い声が、鈴虫達の声と重なっていく。

葵の歌う歌を、徹は知らなかった。
歌詞を聞く限り洋楽のようだったが、今流行りのアーティストのものではないらしい。

昼間の違和感を、思い出す。
地雷と直感した何かを聞いてしまうくらいには、徹も酒が入っていたのだろう。
たまらなくなって、徹は歌い終えた葵に同じ質問を繰り返した。










「徹くん達どこに行ってたんだよー、主役がいねぇと意味ねぇんだよな!」


徹と葵が居間に戻ると、二人が出ていった時よりもひどい状況になっていた。
全員漏れなくぐでぐでに酔っぱらっており、これは帰りが大変だなと溜め息をつく。


「酔いざましに行ってたの。ほら、あんまり飲み過ぎると明日が辛いからね」

「ばかやろぉー、俺は、俺は酔ってなんかねぇ!」


はいはい、とビール瓶を握り締めて離さないオヤジの背中をさする葵は、先ほどに比べれば酒が抜けたらしい。


『葵は、ずっとここにいるの?』


近所の人達の楽しげに飲んでいる祖父は相当ザルのようだったが、流石に壁にもたれ掛かって顔を赤くしていた。

月明かりに照らされた、とても成人とは思えない幼い相貌。
眉尻を少し下げて紡がれた言葉は徹の耳に残り、燻っている。


『私は、この村を出られないから』


背筋を冷たいものが走り去っていき、徹は身震いした。


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