花環のワルツ | ナノ




「……うわ、本当だ」

「だから、言ったでしょ」


こっちへ来る前にデパートで買った土産のお菓子を右手に抱えたまま、徹はぼそりと呟いた。
外からも見える玄関の横には『河野』という表札がかかっており、葵が門を開けると錆びた鉄の擦れ合う音が響いた。
迷いなく中に入っていく彼女に続いて、徹も恐る恐る足を進める。
視界の隅に入ってくる隣の家は徹がたった今荷物を置きに帰った家で、言ったでしょの意味を今一度噛み締めた。


「徹くん?なんで止まってるの?」


上半身を捻って振り返った葵は不思議そうに徹を見つめ、片手で支えた大きなスケッチブックを持ち直す。
曖昧な返事をした徹は止めていた足を進めて葵の後に続いた。


「ただいまー」


鍵のかかっていない玄関のドアを開け、葵が家の中に声をかける。
お邪魔しますと言いながら徹も入ると、隣の実家とよく似た、古い家特有のツンとした木の匂いが強く香った。
真っ直ぐに伸びた廊下には光が薄く漏れていて、中の造りは徹の家のものとどこか似ている。


「ええと……葵、ちゃんは一人暮らし?」

「ううん、お祖母ちゃんと二人。あと、ちゃん付けなくていいよ」


いくら昔の知り合いとはいえ、久しぶりに会ったその日にいきなり家に上がるのはどうかと思い徹が戸惑いがちに問うと、葵は特に気にした様子もなく「靴は適当にその辺置いといて」と言った。
二人暮らしという事実に躊躇いがほんの少し消え、緊張の強ばりがいくらか解ける。


リビングは綺麗に整理整頓されていて、窓の外から差し込む日差しが室内を照らしていた。


「今飲み物持ってくるから、そこ座ってていいよ」

「ありがとう。あ、これ」


紙袋に入ったままの菓子を渡すと、ぱっと嬉しそうに笑った葵がじゃあこれも準備するね、と台所に入っていく。
程なくして、お盆の上にお茶の入ったコップと羊羮を載せた葵が戻ってきた。
ご丁寧に皿とセットのフォークもついており、徹の目の前に置かれたコップは中の氷とぶつかって高い音を奏でる。

口につけたグラスを傾けて中身を煽ると、よく冷えた麦茶が徹の喉を勢いよく通りすぎていった。
その時にようやく自分の喉が渇いていた事に気付き、たまらずもう一口飲む。
ガタンという音に顔を上げて正面を見れば、椅子を引いた葵と目が合った。

ふわりと微笑んだ表情に、一瞬心臓が止まるような気がした。







小鳥の見るまぼろし







「何それ、私が幽霊だと思って逃げたの?」


羊羮を一口大に切り分けて口に運んだ葵は気まずそうに頷いた徹を見て、けらけらと笑った。
反論しようにも出来ず悔し紛れに羊羮を食べると、餡の上品な甘さと独特の食感が口内で融合する。
一番無難なやつをと味見もせずに選んだ商品だったが、直感はあながち外れてはいなかったらしい。


「だって振り向いたら手が真っ赤な女の子が立ってるんだよ?誰だって幽霊だと思うって」

「あー……まあ確かに、言われてみれば血に見えなくもない、かも」


昨夜の自身の格好を思い出しているのか、葵は宙を睨んで首を傾げた。
「だよね、」と言うのと同時に羊羮を飲み込む。フォークを軽く振りながら唸る葵から目を離さずに麦茶を喉に流し込めば、氷が上唇に当たった。

飲み干した事を徹が認識するより早く、葵が立ち上がってコップを取る。
「おかわりいる?」と聞かれたので頷くと、彼女は台所に消えていった。


冷蔵庫から出した茶を手際よくグラスに注ぐ背中を見ながら、ふと葵の歳はいくつなのだろうかと考える。

徹の祖父の家の隣に住んでいる事がわかったのが、墓参りの帰りである小1時間前だ。
徹が直前まで一方的に忘れていただけで葵は覚えていたらしく、声をかけたのに無視をされてしまったと大層拗ねていた。
お詫びの意味も込めて土産を渡そうかと言えば、じゃあ家に来て一緒に食べようと誘われ、今に至る。


顔を忘れていた手前歳を今更聞くというのもなんだか申し訳なく、記憶を必死に遡り推測を立てた。

見た目からして、徹よりも年下であるのは間違いない。
再会したときには高校生かと思ったし、淡いイエローのスキニーパンツを穿いている後ろ姿も、とても20代には見えなかった。
しかし高校生ならば学校が始まっている筈だ。この近くにはないが大学1年生だと考えて、19才くらいだろうか。
今年の7月に誕生日を迎えた徹が21才であるから、2才差。いや、流石にもっと下に決まっている。

若いのに気の利く子だなあと妙にオヤジ臭い事を考えていると、葵のついだおかわりが徹に渡された。


「あの指はね、絵の具だよ」


くすくす笑いを隠そうともせず、葵が種を明かす。
ああなるほど、とようやく合点のいった徹は頭の中で様々な出来事がひとつの糸になって繋がるような感覚を覚えた。
先ほども草原でスケッチブックを開いていた所を見ると、絵を描く人なのだろう。
美大生とかかな。ゆるい予想を頭の中で組み立てた徹は、フォークを使って羊羮を薄く切る。


「でもまあ、最後に会ったのかなり前だから、忘れててもしょうがないよね」

「何年ぶりくらい?」

「んー…10年以上?」


頬に手を当て悩む様子を見せた葵は、ざっくりとした計算結果を口にした。
中学に上がってからは一度も来れていない筈だから、そんなものだろう。


「葵、はずっとここにいるの?」


残り数口になった羊羮をもぐもぐと咀嚼しながら尋ねると、葵がスッと目を細めた。
うん、と小さく顎を引いて、取り繕うに笑顔を貼り付ける。
何か地雷を踏んでしまったのか、と反射的に気付いた。何かはわからないが、彼女の表情を一瞬曇らせるような、何かを。


「……なんで、覚えてたの?」


話題を変えようと徹が発した問いに、葵が首を傾けた。


「俺が忘れちゃってたのに、君は俺の事を覚えててくれたんでしょ」


少し大きめの欠片を、まとめて口に放り込む。
歯に伝わってくる弾力は、しかしあっさりと噛み砕かれていく。
徹の質問にしばし面食らったように瞬きを繰り返していた葵だったが、やがて楽しそうに口角を上げると、内緒話でもするような音量で囁いた。


「……知りたい?」


つられて、徹の声のボリュームも下がる。


「うん、気になる」


身を乗り出した葵に顔を近付けて、次の言葉を待った。


「私が昔、徹くんのこと好きだったからだよ」


え、とかは、とか、音にならない声が歯の裏側にぶつかってしゅわりと消えていく。
お皿片付けちゃうね、と椅子から立った葵の細い腕によって羊羮の載っていた皿は回収され、徹の脳内には今しがたの言葉がぐるぐると回る。

昔の話だからね、昔の。

台所に向かう途中に振り返った葵の悪戯っぽい笑顔を見て、徹は行き場をなくした手を仕方なく頭に持っていった。


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