花環のワルツ | ナノ





最寄りのバス停から駅に行って、電車に揺られること約2時間。
小さい頃はよく行っていたにも関わらず、年を重ねるごとに遠退いていた懐かしい景色が、窓の外に次々と映し出される。
空いている席には座る気になれなくて、徹は流れるように過ぎていく町並みをぼんやりと見つめていた。
大学に行くまでの電車の中や、暇が出来れば常に流行りの音楽を流すスマホも、今は徹のポケットに入ったままじっとしている。無造作に突っ込まれたイヤホンはさぞコードが絡まっている事だろう。

高校生の頃から背はあまり変わっていないが、その代わり全体的に筋肉がついた。
肩幅も思いの外ガッチリとしてきて、体は大人へと近付いていく。
人もまばらな車内に祖父母の家に遊びに行くというだけではしゃいでいた幼い自分を見た気がして、徹は目を細めた。
椅子に深く腰かけると床に足がつかなくなり、手持ち無沙汰に膝から下を揺らしていたあの頃。
誕生日に買ってもらったリュックをパンパンに膨らましていた自分は、もう2度と帰ってこない。


―――ばあちゃんいなくなったら、じいちゃんどうやって生きてくんだろう。

3年前突然祖母の訃報を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、小さな工場で背中を丸めた祖父の後ろ姿だった。
家の事は全て祖母に任せ、自分は四六時中機械か机に向かっている気難しい祖父に、徹は子供ながら苦手意識を持っていたのを覚えている。
「真っ直ぐなのがこの人のいいところなの」と皺だらけの頬に更に深い皺を刻んで夫にお茶を出す祖母は、いつだって柔和な笑みを浮かべていた。

じいちゃん一人で暮らしていけんのかな。
手先は器用だけど機械以外からっきしの人だったから、料理なんて作れやしないに決まってる。
一瞬出た隣村との合併話を蹴って以来、村からは少しずつ、でも確実に人が減って行っていた。
病院はじいさんが個人経営する小さいのがひとつ、全校生徒が30人に満たないような小中高まで一貫の学校がひとつ。
スマホがあれば大抵の事が出来ると言われるこのご時世に、信じられないような田舎だ。


電気は通っている筈だから、充電には困らないだろう。
ばあちゃんの三回忌に出て墓参りして昔からの知り合いにちょっと挨拶すれば、それでいいか。
大学生特有の長い長い夏休みを利用して組んだスケジュールでは1週間程度の滞在を予定していたが、やるべき事を済ませたらすぐに帰るとしよう。

窓ガラスに映った自分の顔は感情を一切失ったかのようで、田んぼばかりになっていく外とは呆れるほどにミスマッチだった。
周囲に合わせて明るめに染めた髪の毛、前の彼女と一緒に左右一つずつ開けたピアスホール、最近人気のブランドで買ったネックレス。
オレンジ色をぶちまけたような夕暮れを見ながら、徹は抱えていた荷物を持ち直した。

電車を降りて2時間に1本しかないバスに乗れば、あとは黙っていても着く。
暦の上では秋である、まだ少し残暑を残した田舎の集落は、すぐそこまで迫っていた。







楽園に靴はいらない







大学に入って覚えたもの。

強すぎない酒の味と、後腐れのない付き合い。
恨まれない告白の断り方と、合コンでの立ち振舞い。
がむしゃらに勉強した訳ではないけれどそれなりにいい大学に入った徹は、それなりに充実したキャンパスライフを送っていた。
現在3年生。2ヶ月付き合った彼女とは夏休み入る前に別れたばかりだったが、さほど気にしていない。
恵まれた容姿のせいで他人より多く恋愛を経験してきたせいか、昔ほど恋だの愛だのに執着する事がなくなった。
じわじわと連絡を取る回数が減っていき、そろそろ潮時かなというタイミングで「別れよう」とメッセージが送られてくる。
「わかった」と返事するのに時間はかからなかった。

幸か不幸か大学生なんてものは、選択する講義が違えば顔なんて合わせない。
絶賛フリーとなった徹は特に彼女をつくるということもなく、1人の時間を存分に満喫していた。


「………なつかしいなー」


バスから降りると空は既に暗くなっていて、時計は9時を回っている。
独り暮らしの自宅から電話した時には何時に着くって伝えてあったかな、と考えつつ、街灯もない道を歩いた。
夜空に出た月とほんのりと見える家々の明かりだけが徹の足元を照らしていて、下手したら電柱にぶつかりそうだ。

記憶の中の実家をどうにかこうにか引っ張り出して歩いていると、やがて見覚えのある家が徹の目に入った。
古いと言うよりはボロいと言う方が正しいであろうその家は、昔と変わらない。

1週間だけとはいえ、あの祖父と同じ家で生活するのか。
自然と落ちた肩を慌てて張り、徹は懐かしい景色に向かって足を踏み出した。



「………………徹くん?」



と、その時、不意に背後から誰かに名前を呼ばれた。
鈴がなるような、可愛らしい声。それでいてよく通る凛とした声だ。
反射的に足を止めて振り返ると、そこには見知らぬ少女がいた。真っ白いワンピースで、年は高校生くらいだろうか。

徹はその少女の事を瞬時に思い出そうとしたが、どうも記憶になかった。
しかし相手の方が徹の名前を呼んだのだから、知り合いであることは確かだ。

徹が大学で身に付けたスキルの中に、学内で見かけた可愛い子の顔は忘れない、というものがある。
それをまだここに来ていた頃の自分が使えていれば、と妙にずれた後悔をしながら、徹は曖昧な笑みを浮かべた。


「あー…えっと、そうだけど…」


肌寒そうにも思えるノースリーブのワンピースからは折れそうに細い腕が伸びている。ほの暗い明かりに照らされたその表情は、いまいち読み取れない。
できる限り丁寧に、そして優しく、徹は尋ねた。


「君は、誰?」


徹の言葉にはっとした少女は、手をぱたぱたと振って慌てる様子を見せる。


「あっ、その、私は……」


―――少女の手が、月明かりの元にさらされた。


異様な光景に、徹は息を呑む。
きっと透き通るように白いのであろうその手は、腕と同じく細い指は、


赤く、染まっていた。


『町外れの集落で惨殺死体発見』『犯人は幼い少女』『女の幽霊を見たという証言もあり』
徹の脳内を目まぐるしく、ありもしないニュースの見出しが踊る。
こんな所で死ぬなんて、たまったもんじゃない。

徹は素早く踵を返すと、目にも止まらぬ速さで祖父の待つ家の前に行った。
少女が追いかけてくる様子はない。
鍵が開いたままのドアを乱暴にあけ中に身を滑り込ませる。居間の方から「徹か」と呼ばれ、肩で息をしながら返事をした。
来て早々おっかない目に合うなんて、神様を怒らせるような事をしてしまったのかも知れない。

とりあえず胸の前で十字を切りアーメンと呟いた後で、念のため南無阿弥陀仏と唱えておいた。
今見たのが殺されて出てきてしまった霊か何かなら、一刻も早く成仏してくれ頼むから。
徹は覗き穴から外を確認し、あの両手を朱に染めた可憐な少女がいないのをその目で確かめてから、靴を脱いで玄関に上がった。

夢に出てきそうだと心の中でぼやきつつ、徹はもう一度背後を振り返る。
築ウン十年の古い木造建築の床が、軋んだ音を立てた。



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