花環のワルツ | ナノ




目的の連絡を終えて、徹はスマホをベッドの上に投げ捨てた。
ぼふん、と最近出した毛布の上に勢いよくダイブする。
結局予定通りきっちり1週間滞在した祖父の家を出てから、早くも半月経ってしまった。
大学の夏休みも終わり、秋も本調子になりつつある。


あの村がああして村の体裁を保っていられるのは、葵の力によるところが大きかったらしい。
彼女の描いた絵はテレビ等で取り上げられないだけで高価な値で売買されており、彼女自身の持つ財もまた凄まじかった。
人口が減り目に見えて衰退していく村にとって、葵の存在は何物にも変えがたい。


『私はこの村から出られないの』


要するに徹の漠然とした予想は案外的を得ており、彼女は住む村に縛られていたのだ。



ベッドの上でごろんと寝返りを打ち、天井を見上げる。
築15年の大学の近所のアパートは所々シミがあるが、元来の綺麗好きが作用し内装はすっきりとまとめられ、中々に快適な空間だ。
耳元に落ちた携帯が、連絡を告げるバイブに揺れた。
レスポンスが早い。もしかしたら電話でも掛かってくるんじゃないかと身構えたが、そんな様子はなかった。

寝転んだまま顔を傾けると、視界にバレーボールが入ってくる。
クローゼットの奥にしまっておいた高校時代のユニフォームも久し振りに日の目を見て、ハンガーにかかっていた。
エメラルドグリーンのラインが入った、1番のユニフォーム。
徹の3年間が濃縮された、想い出の権化。


近くにある美大の子との合コンに誘われていたのを思い出し、徹は体を起こしてスマホを掴んだ。
ちょっと勿体ないような気もするけど、今回は断ろう。

その前に、と送ってから数分で返ってきた返事を確認する。
ちゃんと連絡を取ったのはいつぶりかと思うほどだが、彼の方はあまり変わっていないようだ。
数年前と変わりのない言葉に安心し、徹は思わず頬を弛ませる。
テンションのままにスタンプを連打してやろうとも思ったものの、次会った時に飛んでくることが容易に予想できる拳を想像して指を止めた。

メッセージの欄に一言だけ打ち込んで送信ボタンを押そうとした瞬間、インターホンの音が鳴る。
宅配便か何かだろうとスマホをベッドに置き、「はーい」と返事をしながら床に降りた。
靴箱の上に置いてある篭の中から印鑑を取って、適当なスニーカーに足を突っ掛ける。
銀色のノブを押し下げてドアを開けると、思っていたよりも下にあった瞳と視線が交わった。


「あ、こんにちは。この度隣に越してきた河野っていいます。……えっと、どうぞ、よろしく」


紙包装された箱を差し出され、はあ、と頷いて受け取る。


『イギリスに留学しに行け、葵』


葵の父が別れた妻との子に執着していたのは、それが目的だったらしい。
実力もセンスも世界に名を轟かせるには十分すぎるほどある。
その才を更に磨き活躍の場を広げるためにも、若いうちから海外を経験しておくべきだというのが主張の内容で、葵はそれを頑なに拒否しているという構図だった。

徹が宮城に帰るとき、葵が真剣な顔で「私、決めたよ」と言ってきたのを鮮明に覚えている。
覚悟を決め腹をくくった人間の目とはこうも澄んでいるのかと驚いたのだ。


「……………え、イギリスは?」

「私、留学するなんて一言も言ってないよ」


あっけらかんと言った葵に対して、徹の頭の上にクエスチョンマークが増えていく。
確かに言葉で聞いたわけではなかったが、表情と声のトーンから何となく、留学を決めたものだと思っていた。
だからもう会う機会はないと考えていた、のに。

把握していなかった情報が渦を巻いて徹を取り囲んでいく。
エラー、エラー、キャパオーバー。


「留学はしない。もしするとしても、先に日本の大学で学んでからにするって」


遅めの反抗期ってやつよ、と笑う葵を呆然と見やりながら、ああそういえばすぐそこに美大があったなあと考えた。来年の春に向けて勉強するらしい。
村については葵の父が先頭に立ってもう一度村おこしを試みるとのことだ。
再度持ちかけられたという合併話に今度こそ賛成するつもりなのかはよくわからないが、とにかく葵の一人暮らしを認められる程度には良くなったのだと信じたい。


「まあとにかく、これからは隣人としてよろしくね、徹くん」


無垢という言葉の似合う、可憐にして清純な百合が微笑む。
秋の幽霊は羨む天才だったが、ゆえの苦労も多かった。
いずれにせよ、徹にバレーを好きでい続けさせてくれたのは、この目の前の少女だ。
してもしきれない程の感謝を胸に、徹は困ったように笑って葵を見る。


「………よろしく、葵」


ベッドに放置されたスマホには、未だトーク画面が映し出されていた。
表示された名前は幼馴染みの相手、かつては阿吽の呼吸と呼ばれた片割れ。


『久しぶり岩ちゃん。いきなりで悪いんだけどさ、今からでも競技バレーの方って入っても大丈夫かな』


正セッターでなくてもいい。
もう一回、本気でバレーボールをしたかった。


『当たり前だボケ、こっちはお前を待ってんだよ』


―――さあ、夢に向かってもう一度。


及川徹は来るべき勝利の日を確信して、肺の隅々にまで行き渡るように深く息を吸い込んだ。



花環のワルツ



徹の背中に見えた日の丸は、いつかの彼の未来である。


10/10

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