トトロじゃなくて | ナノ




隣の席の菅原が授業中に居眠りしているのを私は見たことがない。
窓際から2番目の一番後ろ、クーラーの冷風は直撃しない程度に当たるし、カーテン越しの陽射しはぽかぽかとして気持ちがいい。
加えてあまり教師の目が届かないというまさに居眠りの為だけにあると言っても過言ではないポジションに居るのにも関わらず、菅原はいつも真面目に授業を受けていた。

そりゃここは進学クラスだし、それ以前に私達は受験生だ。
ひとつひとつの授業が大切なのは十分理解しているつもりでいる。
とは言え体育のあとの古典なんかじゃ眠くなるのが世の常ってやつだろう。現に窓際一番後ろの私は居眠り常習犯だったりする。


「…………ほら、起きろって」


シャーペンを握ったままうとうとと船を漕いでいた私を微睡みから現実に引き戻すのは、いつだって菅原の声だった。
教科担任が黒板の方を向いた隙を狙って囁き声が私にかけられ、その優しい声音に重い瞼を開く。
しぱしぱとまばたきを繰り返して菅原を見れば彼は呆れたような顔をして、それから悪戯っぽい笑顔を浮かべるのだ。

癖のある柔らかい髪の毛、笑うと細く引き延ばされる目、短い眉毛、意外にゴツゴツした指。
真剣な表情でノートをとる菅原を頬杖を着いて見るのが、隣の席である私の楽しみであり、そして特権でもあった。




でも、今日は違う。
机の上に教科書は出てるしノートも開かれているのに菅原は握ったシャーペンで文字を書こうとはせず、ただじっと俯いて下唇を噛み締めていた。
窓の外からは蝉の声がひっきりなしに聞こえていて、定期テストも近付いていた夏の日の事。
いつも真っ直ぐ黒板を見つめていた瞳は悔しそうに細められ、シャーペンを持っていない方の手は膝の上で固く握られている。


『IHの3回戦で敗退だって』
誰から聞いたか忘れてしまった噂が頭の中を回り、ああ道理で、と納得する自分がいた。
血が滲んできそうな程強く歯を立てられた唇は小刻みに震えていて、本当に悔しかったんだなと詳しい事情を知らない私でも容易に想像できる。

今菅原は、一体何を思っているんだろうか。
その痛々しく歪んだ表情は見ているだけで私の胸も痛くなり、何か言葉をかけようかと思い、でも口を開いてやめた。
きっと、私の中途半端な言葉で慰められるようなものじゃない。
ありがとう、と言って不格好にくしゃりと笑う顔なんて見たくなくて、私は口を閉じる。

そのとき、机上の筆箱が目に入った。


「………菅原」


名前だけ呼んで真正面を見たまま右手を隣に突き出すと、彼が顔を上げて不思議そうに私を見る。
「手、出して」とそれを握った手を軽く振れば、私の握り拳の下に遠慮がちに菅原の掌が置かれた。


「はい」

「……?なに、どしたの」

「いいから」


ころんと菅原に落としたのは使いかけの消しゴム。カバーを外すように促してから、私はまた前を向く。
首を傾げつつロゴの入った紙をずらすのを視界に捉えたまま、もう一度頬杖をついた。

ちょっと経ってから囁くように聞こえた声は泣いているのかと思うほどに震えていて、それはもしかしたら泣いていたのかも知れない。
私は右隣に顔を向け再び俯いた彼に、消しゴムに書いたのと同じ言葉を呟いた。
爪が食い込むくらいに強く強く握られた私の消しゴムは、このまま菅原にあげてしまおう。
だから早く元気になって、いつもみたいに私の事を起こしてよ。

菅原の声で目が覚めるの、本当に好きなんだから。




「…………ありがとう」

『おつかれ菅原』





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