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花火が上がっていく音はじわじわと空気が抜けていく風船に似ていて、どこか間抜けだなと思ってしまった。
どうせなら炭酸の入ったペットボトルを開けた時みたいに、勢いよく夜空に飛んでいけばいいのに、何をそんなに勿体ぶっているのだろう。

パァン。一拍遅れて、よく晴れた頭上の紺色には眩しい程の華が咲いた。
しかし位置が悪いのか、赤葦の目にはぼんやりとしか映らない。
テキ屋の出す濃い煙は雲ひとつない空にそれこそ幕を張ったようで、この時ばかりは祭りの風物詩が嫌になった。

花火大会が始まってしまっている。
どうにか足を早く進めようと奮闘するも、人が多く中々前に進めない。
部活から帰ってすぐに来た為未だに上下ジャージのままで、汗臭さに加えて煙たくなってしまったら笑われるだろうか。

「りんご飴ー、甘くて美味しいりんご飴はぁー、いかがー」

回転率の悪い人混みにどうしたものかと溜め息をついた時、赤葦の視界にりんご飴の屋台が入り込んだ。
『赤葦君、これ美味しいね!』花火に照らされた横顔を思い出して、ポケットから財布を引き抜く。


「りんご飴ください」

「あいよ、いくつ?」

「2つで」


百円玉を3枚店主の手のひらにのせ、どれでもいいよと促された中から選ぶ。
人工的な照明の下で輝く飴はどれも輝いて見えて、赤葦は思わず指を止めた。


「兄ちゃん、彼女にかい?」


楽しげに聞いてきた店主に「まあ」と曖昧に頷けば、「じゃあコレ持ってきな!」と一番大きい物を手渡される。
赤葦は頬をパンパンに膨らませてリスのようになった葵の姿を思い浮かべて、苦笑しつつにそれを受け取った。

この屋台の通りを抜けた向こうで、花火大会は行われている。
ハート形や星形など花火のバリエーションも年を追うごとに増えているし、日本の技術は侮れない。


確か去年は水風船もやったんだったな、と小ぢんまりとしたプールを構えた屋台に入り、同じように小銭を差し出した。
遠くの方からもう一度、火薬の破裂音が聞こえてきた。














ひび割れた惑星














りんご飴、わたあめ、チョコバナナ、焼きそば、たこ焼き。かき氷は会う前に溶けると思って選ばなかった。
加えて赤と青でお揃いの水風船と、何に使うのかわからないスーパーボールが赤葦の腕には溢れんばかりに荷物が抱えられており、エコバッグか何かを持ってくればよかったと今更のように後悔する。

去年来た時の記憶を順番に辿りながら立ち並ぶ屋台を回り、その度に赤葦の持ち物が増えていく。


『赤葦君、あれ取れる?』


紺地にトンボ柄の浴衣を着た葵が、射的屋の前で止まったのを思い出した。
少し迷ってから踵を返し、二件ほど隣の射的屋に300円を払う。


『あれ!あの一番右端のやつ!!』


ど真ん中に設置されたゲーム機から視線を外して、ぬいぐるみに狙いを定めた。頭の中で再生される葵の声はひどく興奮している。
引き金を絞ると、コルクはやや右にずれた弾道を描きつつぬいぐるみの左手を弾いた。

コツを掴んだ赤葦は残りの五発で見事意中の品を手に入れ、抱える荷物が増えてしまった。
花火は先ほどから上がり続けており、近所の掲示板に貼ってあったチラシの記憶をどうにかこうにか引っ張り出す。
花火大会は確か8時までだった筈だ。
取り出したスマホは7時32分を示していて、急がなくてはと赤葦の足は歩調を速めた。

屋台の立ち並んだ先、大きく開けた場所に出る。
今夏最後の大きな祭りということもあり、そこは人の波に埋め尽くされていた。
子連れの家族からカップル、友達同士と皆様々だが、ざっと見る限り赤葦のような男子高校生一人というのは珍しい。
今が何発目なのかは検討もつかないけれど、華やかな彩りを空に与える花火は素直に綺麗だと思った。

両腕に持ったお土産達が潰れないように注意したまま人混みの中を歩く。


「あの病院の屋上から見たらさ、絶対めっちゃキレイだよね!」


派手な花が描かれた浴衣姿の女が、恋人と思しき男に話しかけるのが赤葦の目に入ってきた。
指を指された先には花火の光をよく映す白い建物がそびえ立っている。
ここら辺ではかなり大きな病院で、確か屋上は立ち入り禁止だった筈だ。

上がった花火により近くなったら、きっと迫力もすごいに違いない。
無理に決まっているけど、もし出来たらあいつ喜びそうだな。
下駄を鳴らしてはしゃぐ葵の姿を想像して、赤葦は微かに微笑んだ。










面会時間はとっくに過ぎているのだが、特別に病室に入れてもらった。
1年間ほぼ毎日通っている赤葦はそこそこの看護師とは顔見知りになっており、案内された道を迷うことなく進む。
幾度となく開けたドアに手をかけ、静かに中に入った。電気の落とされた病室は益々白さを極めていて、すぐ下の広場で行われている祭りの明かりだけでぼんやりと光っている。

聞こえてくる喧騒はつい十数分前まで赤葦が体験していたもので、建物の中に入っても聞こえるのかと妙な部分で驚いた。
取り付けられた大きな窓は花火を見るのにはベストなポジションで、さっきのカップルの話もあながち間違っていない。


「葵、りんご飴大きいの貰ったよ。店主のおじさんがいい人だったから」


ベッドの横に備え付けられた来客用なテーブルに、買ったばかりの物を置いた。
転がり落ちそうになる水風船を押さえて、隣にある椅子を引く。


「あと焼きそば。紅しょうがは抜いてもらった」


静かな病室に淡々とした赤葦の声が響いていた。
外の騒がしさとは対照的な空気が流れ、どこかからか低いモーター音がする。

まだ温かい焼きそばのパックから手を離した赤葦は、席を立ってベッドに寄った。
真っ白いシーツは余計な皺を一切つけず、微動だにしない。

そこにそっと横たわった彼女は、長いまつげを伏せて眠っていた。
元々白い肌は陶器のように血の気がなく、形のよい唇は引き結ばれたまま。

1年前の今日から、ずっと、ずっと、眠っているのだ。


「…………葵」


布に隠れた細い体からは何本もチューブが伸びていて、その細い管が葵の生命線だ。
目を覚まさない彼女の体内に送られ続ける人工の栄養。わたあめを片手に振り返る愛しい人の姿を見ることは、もう叶わないのか。


「……射的で葵の好きそうなぬいぐるみが取れたから、ここに置いとく」


テーブルの上にそれを置き、それから赤葦の手が葵の頬をそっと撫でた。
黒く真っ直ぐな髪の毛は枕の上に広がっていて、その指通りのよい一房を指に絡ませる。


―――今日から丁度1年前、祭りの帰り道に事故に遭った。
横断歩道を渡った先が葵の家で、また明日ねと手を振った彼女が歩く後ろ姿を見ていた、その時。

信号を無視したトラックが、勢いよく葵を撥ね飛ばしたのだ。

近所の人が呼んだ救急車で病院に搬送され、なんとか一命をとりとめるも意識不明の重体。
気が付いた時には、同じ季節が巡ってきていた。


『―――赤葦君、来年もまた一緒に花火見に来ようね』


へへ、と照れたようにはにかんだ葵が、赤葦の目の前でぼろぼろと崩れ去っていく。
窓の外で放たれた強烈な光に目を向けると、最後を締める特大の花火が打ち上げられていた。
少し遅れて地に響く爆音、病室内を明るく照らした灯りはやがて消え、空に幾つかの輝きだけを残していく。


「………………葵、」


どうして君は今、俺の隣で笑っていないんだろう。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
月様、リクエストありがとうございました。


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