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窓の外から洩れる柔らかい日差しに目を覚ました。
霞んだ視界は不規則に揺れる黄色いカーテンを捕らえていて、判然としない頭で今の状況を確認しようとする。
重くなった瞼をもう一度閉じ、頭の辺りを手探りで携帯を探すと、持ちなれた固さがあった。
3年生になるから、とついこの間買ってもらったスマホをむんずと掴み、欠伸をひとつ。
電源を入れて時間を見ると、あと数十分で正午だった。どうやら昼まで寝てしまっていたらしい。

春休みも終わりの方となり、ようやく春らしいと思える気候になってきたとはいえ、宮城の3月はまだまだ肌寒い。
適当にベッド上にあったブランケットをお腹の上にかけてから、先ほどから体の左側が温かいことに気付いた。
手をやってみると、サラサラとした髪の毛のような感触。
目を開いて見れば、そこには幼馴染みの姿があった。














愛の綴りを教えてよ














「…………夕ー……」


特に意味もなく、彼の名前を呼ぶ。
あれ、どうして私夕の部屋で寝てるんだっけ、昨日の夜アレやコレしたんだっけ。
だけど腰にいつもの情事のあとのような気だるさはなく、私達は非常に健全な一夜を過ごしたことがわかった。
となると、一体何故ここに?
曖昧な記憶を必死に辿って導き出した結論は、昨晩夕と二人でホラー映画を立て続けに3本見た、というものだ。
部屋に置いてある古いテレビの下、ビデオデッキの電源が付けっぱなしなのがいい証拠である。

段々と目が冴えてきた。と同時に、記憶がみるみるよみがえってくる。

久しぶりに夕の部活がないから、明日は遊びに出掛けようってなったんだ。
で、どうせなら泊まればいいかなって思って、TSUTAYAで借りたホラー映画を持って西谷家のチャイムを鳴らしたのが午後9時の話(私の家と夕ん家は徒歩1分の距離に建っている)。
そこからお風呂を借りて夕の部屋に入ったのが10時頃で、映画を見ること計5時間弱。最後の1本の一番怖いシーンは、お互い半分意識が飛んでいてよく覚えていない。
テレビの電源を切った辺りで多分二人とも睡魔に負けて、今に至るというわけだ。


「……夕ー…起きてー…」


たしたしと手で夕の頭を軽く叩く。
一人用のさして大きくもないベッドで高校生が二人寝ているのだから、当然の如く窮屈だった。
よっこいせ、とおよそ女子らしくない掛け声と共に体を起こす。
明け方まで起きていたから寝不足なのか、はたまた昼まで寝ていたから寝過ぎなのか、どちらかはわからないけれど頭と体が重かった。


「夕ー、起きないと出掛ける時間なくなっちゃうよー…」


欠伸混じりにそう言って、また頭を叩くと、ようやく夕の眉間に皺が寄る。
んん、とくぐもった声が洩れて、夕が唇を動かした。


「………あー……葵、今何時…」

「11時43分ー」


うあー、まじかー。

同年代の男子よりも少し小さい掌を閉じたままの目にあて、夕は大して緊迫感のない様子で呟く。
まじですよー、と返してから、ベッドに面した壁にもたれかかった。窓の外の明るさから見て、今日はさぞかし快晴に違いない。


「…………さむ」


Tシャツに中学の頃のジャージという格好で腹を出して寝てるんだから、そりゃ寒いだろう。
夕がぼそりと呟き震えたかと思うと、私のお腹から温かさが消えた。


「あっ、ひど」

「あー…ぬくいー…」


今の今まで私が大切に温めていたブランケットは、気が付くと夕の体が巻き取っている。
ぐいぐいと引っ張って取り返そうとするも、張り付いたように動かない。
仕方ないので布と夕の体の隙間に手を入れて無理矢理ひっぺがすと、ようやく私の所に戻ってきた。


「あ゙ー俺の布団…」

「私のだから」

「いや、俺の部屋のだし」


とられないようにと肩まですっぽり被ると、夕の匂いがする。
干したての布団に包み込まれるような、おひさまの匂い。大きく息を吸うと肺に夕が染み込んでいくようで、例えようのない幸福感に酔いそうになった。

丸まって夕に背を向ければ、背中のブランケットが引っ張られた。
負けじと体に力を入れるも、私の体はあっけなく夕の方へと寝返りを打ってしまう。
しばらく布団の取り合いを繰り返しているうちにお互いの目も覚めてきて、かなり本気になってきた。


「…っ、寒がってる彼女が居たら、譲ってやるのが彼氏ってもんでしょ…っ」

「なんのっ、普段部活で疲れた彼氏を労れ…っ」


ぐぎぎ、と歯を食いしばって布団が裂けそうなくらい引き合っていると、不意に私の体から力が抜ける。


「え」

「わっ」


力の均衡が崩れ、気が付けば私の体は夕に覆い被さっていた。
顔の距離、約10センチ。見つめあう形となり、互いに固まる。


「………そんなに近いと、ちゅーするよ」

「やれるもんならやってみ、」

「じゃあ遠慮なく」


ちゅー、と下にある夕の頬を両手で掴み、その唇にキスを落とした。
顔を放した私が満足気に夕から降りると、寝転がったままの彼は「してやられた…」と悔しそうに顔を歪める。何に関しても負けず嫌いなのだ。私もだけど。


「さて、夕この時間からだと出掛ける所ある?」

「………葵」

「はいよ」


まだ眠たげな声で名前を呼ばれた。
ベッドの上に膝立ちをしてカーテンを開ける。
想像した通り空は清々しい青で、空綺麗だよと言おうと振り返ると、間髪入れずに唇が塞がれた。


「んっ……んん…」


早急にぬるりと入り込んできた舌が私の口内を縦横無尽に暴れまわり、急速に意識がとろけていく。
どうしても力の抜けてしまう一点を早々に見つけたかと思うと、夕はそこばかりを狙いすまして攻めてくるものだから、たまったものじゃない。


「……ふ、んーっ……ふぁ、んん…ゆっ…う……」


行き場をなくした手は夕の頭に行き着いて、セットされていない、寝癖のついた髪の毛をゆるりと混ぜる。
角度を変えて襲ってくる夕の唇はいつも以上に容赦がなくて、あっという間に何も考えられなくなった。
歯列をなぞられ、舌を絡めとられ、ぴちゃぴちゃという厭らしい水音が似つかわしくない程爽やかな朝に響く。
満足に息も出来ず、酸素不足で生理的に涙が滲んだ。
目尻に溜まった雫が零れるか零れないかという頃になって、ようやっと唇が解放された。


「………っはー…」

「これで、俺の一勝だな!」

「…………ほんっと負けず嫌い…」


恨みがましく夕を睨むと、そんな怖い顔すんな、と今度は優しいキスをされてしまい、私は結局のところ夕に負けっぱなしなのだ。
夕の顔が段々と下がっていき、鎖骨の辺りにちりっとした痛みが走る。
するとそこがじんわりと熱を持ち始め、私はされるがままに体を預けた。

夕は度々、こうやって所有印をつけたがる。
人によっては重いと感じるらしいけど、私は意外と束縛されるのが好きなのかも知れない。


「………あ」

「どうしたの?」


ふと、夕が動きを止める。
それから困ったように体を放して、ベッドから降りた。


「……風呂、行ってくる」

「…………お、おう」


男子高校生の朝には、色々とあるらしい。
そそくさと部屋から出ていった夕の背中から目をそらして、私は床に置いていたお泊まりセットを引っ張りあげた。
今日着ようと持ってきていた洋服。きっとしばらくは帰って来ないだろうから、部屋で着替えても大丈夫な筈。

デート用にと思って買った、淡い黄色のワンピース。


「…夕、可愛いって言ってくれるといいな」


新品の匂いがするその服を胸の前に抱き締めて、私は思わず笑顔になった。
今日はどこに行こうか。お昼からだから遠出は出来ないけど、夕となら近所に散歩しに行くだけでも楽しいに決まってる。

髪の毛がぺたんと潰れたお風呂上がりの夕を思い浮かべて、私は部屋で一人、くすくすと笑みを洩らしていた。

(いつの間にか外されていた胸元のボタンと、ワンピースから見える位置にがっつりつけられた赤い痕に気付くのは、もう少し後の話)




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