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「ねえ、ショートケーキとタルト、どっちがいいかなあ」


ショーケースに貼り付いたまま動かない葵が、後ろに立っている友人に尋ねた。
綺麗に磨かれ曇り一つないガラスの向こうには、芸術品としか思えないほど繊細な細工が施されたスイーツが並んでいる。
先ほどからクリーム色のカーディガンの裾から伸びた指がケーキとケーキの間を行き来して、優柔不断な動きを見せていた。
幸い葵達の後ろに客がいないから許されているものの、もしこれが行列か何かだったら、彼女は他の客から殺気だった視線を向けられていた事だろう。


「葵ー、まだー?」

「待って、待ってって……」


自分の分の会計を済ませた少女が呆れたように急かすも、葵は以前として唸っている。
学校帰りの2人が近所のカフェに寄ってから、かれこれ15分以上経っていた。


「んー……んんーーー……た、タルトに決めた!」


長い逡巡の末ようやく注文に漕ぎ着け、店員が苦笑しつつフルーツタルトをトレイに載せる。
アイスティーを追加してお金を払い、空いている二人席に座ると、葵は難しい顔をしたままフォークを手にとった。


「葵、あんたもっとスパッと決めらんないの?」

「私はユイさんみたいに決断力ある人じゃないんですー」


ユイ、と呼ばれた女性徒は「ほんと優柔不断よね」て呟いて、頼んでいたアイスコーヒーのストローをくわえる。

真剣な目をした葵が壊れ物に触れるようにそっとフォークをタルト生地に当て、しっとりとした感触を楽しむように切り分けた。
その一欠片をうっとり見つめた後、意を決したように口に入れる。
瞬間、カッと葵の瞳が見開かれ、とろんと目尻がゆるんだ。


「………んっ、まーーーーい!」

「そりゃようござんした」


頬に手を当て体をくねらせる葵は、ユイから浴びせられる冷たい視線に気付かないふりをして、その美味しさと幸せを噛み締める。
学校からそう遠くないこのカフェのケーキに惚れ込んでから、葵と毎回付き合わされるユイは常連になっていた。
高校生の財布事情的に月に2回程度の頻度だが。


「でー、最近どうなの赤葦とは」


学校帰りの女子高生がカフェに来たら、話の種はまず恋愛で間違いない。
赤葦というのは男子バレー部のセッターで、加えて葵の彼氏である。
たまたま体育館での練習風景を見た葵が一目惚れし、告白のOKをもらって付き合い始めたのが先月の話。
以降、今時の高校生には珍しい程清い交際を続けていた。


「赤葦くん?赤葦くんはいつも通り格好いいよ」

「そういう話じゃなくて。手繋ぐから進展してないの?」

「えっ、それ以上は私の心臓が持たないって!」


さく、さく、と気持ちよい音を立てて、タルトが切られる。
コーティングされたオレンジの載った部分を口に持っていった葵は、赤い頬を隠すように反対の手をぱたぱたと振った。


「私は赤葦くんの隣に居るだけで幸せなの。手繋ぐのだって、死ぬかと思うくらいに心臓がうるさかったし!」

「……携帯に赤葦フォルダある癖に?」

「あれは観賞用だからいいのです」


葵の携帯には、赤葦フォルダと名付けられたアルバムがある。
その名の通り撮り溜められた赤葦の写真ばかり集められていて、恋人という関係じゃなければストーカー認定されかねない、スレスレの隠し撮りが8割だ。


「あんな奴のどこがいいわけ?」

「全部」

「即答だな」


ユイは頼んだモンブランを半分程度食べた所で「飽きた」と言って皿を葵の方に差し出す。
タルトをぺろりと食べ終わっていた葵がモンブランをさも美味しそうに食べるのを頬杖ついて見ながら、ユイは赤葦の顔を思い浮かべた。

不細工ではないとは思うけど、人が振り返るようなイケメンでもない。
いったいこの友人は、奴のどこに惚れたのだろうか。

マロンクリームをフォークで掬って舐めとり、葵はまだ若干紅潮した頬のまま、目を細めた。


「……バレーしてる時の赤葦くんってね、ほんっとに格好いいんだよ。どんな方向から飛んできたボールでも、赤葦くんがトンっと触ったら一気に向きを変えて、こう、一気にネットの端から端まで通り過ぎるの。
その先には絶対打つ人が居て、その人が点を入れたら自分の事みたいに全力で喜んで。汗だくになりながらボールを追うのはすごく大変そうなんだけど、」



だけど、目が離せなくなるくらいに格好いい。



へへ、と微笑んで照れ隠しのようにモンブランを口に運んだ葵の表情は恋をする人間のそれで、アイスティーをまた一口飲んだユイはつられて微笑む。


「……やっぱり、葵はかわいいよ」


そうだ、赤葦くんがね!
ユイはアイスティーの氷がグラスに当たり音を立てたのを聞きながら、イキイキとした瞳で話し始める可愛らしい友人に柔らかい相槌を打った。














ニブンノイチ革命















「赤葦ィー、帰りに近くのカフェ寄ろーぜー」


珍しく部活が早く終わった日、今日は葵も友達と帰ると言っていたし、CDショップにでも行こうかと考えていた放課後の事だった。
体育館の入り口で後ろから木兎に名指しで誘われてしまい、赤葦は溜め息を一つついてCDショップを諦める。


「………カフェですか」

「おう!俺が全力でオススメする絶品モンブランがあるんだけどさ、誰も着いてきてくんねえんだよなー」


そういや木兎さん甘党だったな、と合宿の時部屋に出来ていた大量のチョコの山を思い出した。
………男子高校生二人で入るのにハードルが高いとか、この人はまるで気にしてないんだろうな。
美味しかったら葵と今度来ようと考えながら、赤葦は木兎の提案に頷いた。












「そうだ赤葦、お前最近彼女とのどうなんだよ」


男子高校生と帰り道を合わせても、恋バナになるようだ。
毎日部活が終わるまで待っていて二人で一緒に帰る葵と赤葦の仲は、梟谷学園バレー部では軽く公認のものとなりつつある。


「どうって……極めて順調ですかね」


手を握っただけで顔を真っ赤にするような可愛い人。
ほんとの事を言ってしまえばしたいことは色々とあるものの、葵の前に立つとどうでもよくなるのだ。


「でもあの子、この間赤葦の事隠し撮りしてたぞ」

「俺愛されてるんで」

「赤葦がのろけてる……明日は嵐だな」


隠し撮りを気付かれてないと、彼女は信じ込んでいるんだろう。

驚いた時に不意に出る変な声とか、お古だというカーディガンから僅かに覗く細い指とか、部活終わりに「ごめん」と謝ると「一緒に帰ろ」と言う嬉しそうな笑顔とか、そういうの全部。
真綿でくるんでそっと閉じ込めておきたくなるほどに、愛しいのだ。


「おっ、着いた!」


肩にかけたエナメルを揺らしてこぢんまりとしたカフェに駆けていく180過ぎの男の後ろ姿を、赤葦も追いかけた。


ちりんちりん。
甲高い鈴の音が鳴り、心地よい温度に設定された店内に入る。
目に入ったのはカウンターとショーケース、奥はテーブル席があるから、先に商品を買ってから座るタイプらしい。


「おーれはモーンブラーン」


注文を聞いた店員がいつもありがとうございます、と言った所を見ると、木兎は本当によく来ているんだろう。
何を頼もうかとガラスの向こうを見て、赤葦は紅茶とケーキを頼んだ。




「あ、赤葦くん」

「葵、来てたんだ」


トレイを持って奥に入ると、そこには葵が居た。隣にいる女子生徒にも見覚えがある。
木兎が「おっ、赤葦の彼女ちゃんだ!」と声を上げれば「よかったらお隣どうぞ」と葵が2人用の机をくっつけた。
瞬く間に葵とユイ、赤葦と木兎が向かい合う4人席が出来上がる。


「葵達はケーキ食べないの?」

「私とユイはもう食べ終わっちゃった。……ちょっと待って赤葦くん」


赤葦がテーブルに残った皿を見てタルトか、と予想を立てた所で、葵が手で赤葦を制した。
その瞳は大きく開かれており、赤葦の頼んだケーキ―――すなわちショートケーキを見つめている。


「………一口、いる?」

「っ!! いるいる!」


ばっと顔を上げて笑顔を作った葵にフォークごと渡すと、心なしか弾んだ様子でショートケーキにフォークを刺した。


「……赤葦、あんた狙ってた?」


訝しげなユイの問いにまさか、と軽く答えてから、心の中で舌を出した。
優柔不断な恋人が居たならきっと迷うであろう二つのうちの一つを選んだら、たまたま当たっただけだ。

心底幸せそうに赤葦のショートケーキを口に入れた葵の、口の端についた生クリームを指で取ってやると、木兎が呆れたように言った。


「何だかんだ言って、お前が一番葵ちゃんを甘やかしてるよな」

「何を」


人差し指についたクリームを舐めとれば、ぼんっ、と音を立てる勢いで葵の顔が赤くなる。
その反応が面白くて愛しくて、赤葦は喉の奥でくすくすと笑いながら答えた。




「そんなの、当たり前じゃないですか」



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ざっくぅ様、リクエストありがとうございました。



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