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研磨君のどこがいいのと言われてしまっても、私はうまく答える事ができない。

だってどこが好きとかそういうのがなくて、ただひたすらに彼の事が好きでしょうがないのだ。
強いて言うなら、研磨君を包み込む漠然としたオーラのようなものの温度だ。
それが私にはどうしようもなく心地よく、隣にいるだけで幸せになれる。
ちょっと照れたように私の名前を呼んでくれる唇とか、拗ねたときに少し膨らむ頬とか、「あ、好きだな」と不意に思ってしまう、思わせてくる何かを、研磨君は持っている。


「研磨君、私今日校門で待ってるね」


教室でそう声を掛けたら、部活に行く準備をしていた彼は不思議そうにまばたきを繰り返してから、僅かに首を傾けた。
それだけでノックアウトしてしまいそうになるのをグッと堪えて、「一緒に帰ろ」と付け足す。
研磨君が私の顔をじっと見たまま数秒が過ぎて、やがて彼は戸惑いがちに頷いた。
勇気を振り絞ってよかった、とつい何分か前の自分に心の中でお礼を言ってから、私は研磨君に背を向ける。

教室から廊下に出ると、早鐘を打ちっぱなしだった心臓がようやく通常のペースに戻り始めた。
ここ数日で一気に冷え込んで、物理的にも頭と体が冷めるからかも知れない。
ああ、そういや雪が降るっていってたなあ、と学校を来る前に見た天気予報を思い出しながら、カーディガンの袖を軽く伸ばした。

雪なんて降ったら、研磨君すごく嫌な顔しそうだな。
ぶるりと震えてコタツで丸くなる彼を想像しながら、私は研磨君の教室を後にした。














ゆきがわらう日














研磨君に告白したのは、今から丁度2週間前の事だ。
1年生の頃からずっと好きで、それでも何となく彼はそういうことに興味がないような気がして、きっと私は気持ちを伝える事なく卒業するんだろうな、なんてぼんやり諦めていた時。
たまたま帰り道で会った研磨君に、私は気が付いたら告白してしまっていた。


『好きです』


口にした私が自分で驚いていると、彼はその大きな目を見開いて私をまじまじと見る。
混乱した様子の彼を見るのは初めてで、困ったように頬を掻く研磨君を見て、返事を言われなくてももらった気がした。


『ご、ごめん、今のと、取り消しで』


じわりと滲みそうになる涙を気合いで押し止め、顔の前でぶんぶんと手を振る。
研磨君は『え』と短い声を出して、視線を斜め下に向けた。その指は落ち着きなくジャージのチャックをいじっている。

今日は失恋パーティーでも開いてやろう。
ヤケ気味に笑ってから研磨君に『じゃあ、また』と言い残して、私は彼に背中を向けた。

馬鹿な事をしてしまった。
変なタイミングで告白とかしたせいで、今後彼とは今まで通りの関係なんて築けないじゃないか。
視界に研磨君が入らなくなると、滲んでいた涙が零れ落ちた。
服の袖でごしごし擦って歩くスピードを早める。
角を曲がったらしゃがみこんで泣こう、と妙な決意をした時、急に腕を掴まれた。


『……あの、さ』


恐らく赤い目で振り向くと、私の手首を握った研磨君と目が合う。
彼は言葉を選ぶように宙を見てから、小さく、本当に小さく呟いた。


『…………取り消し、しないで』


驚く程に遠回しな意味に気付くまであと5秒。
マフラーが欲しくなる冬のある日、私と研磨君のお付き合いはこうして始まった。










私の吐いた白い息が、黒いインクを溢したような夜空に溶けていく。
約束通り校門に寄りかかって待ったまま、校舎に付けられた時計を見た。終わる筈の時間はとうに過ぎていて、他の部活の友達がこの門を通ってから30分は経っている。

1月は一番忙しいと、研磨君が言っていたのを思い出した。
あまり詳しくは教えてもらえなかったけど、大きな大会があるらしいのだ。その練習が長引いているに違いない。


「研磨くーん……」


陽はすっかりと沈み、曇っているせいで星も見えなかった。
静かすぎる世界に私の声だけが虚しく響いて、凍てつくような冷たい風が容赦なく吹く。

マフラー、持ってくれば良かったなあ。
少し厚手のカーディガンの中で縮こまって、私はふと空を見上げた。
繊維と繊維の間を縫うように入り込んでくる冷風が、恨めしくてしょうがない。
研磨君、ともう一度呼ぼうと口を薄く開いた時、鼻の頭に冷たいものが落ちてきた。
続いて頬、頭、と段々にスピードが上がってきて、その正体に気づいたのは手の甲に降ってきてからだ。
白い固まりがしゅわりと溶けて、水になる。
天気予報当たっちゃったなあ。雪はどんどん数を増し、私の視界は真っ白に埋め尽くされた。


「研磨君」


彼の名前は雪に混じっていなくなり、残ったのは私だけだ。
もしかして、本当はもう練習は終わっていて研磨君は帰ったんじゃないだろうか。
そんな根拠もない事を考えてしまうのは、雪のせいだ。
制服に積もった雪が溶けて布地をしっとりと濡らしていく様子を観察しながら、私は息を吐く。雪に劣らず白い息が、雪と一緒に落ちていく。


「あっ、研磨君!」


その時、視界の隅に見慣れた赤が写った。
小走りで寄ってくる彼に手を振ると、いつになく険しい表情の研磨君と目が合う。


「なんで、外にいるの」

「え……だって、待ってるって約束したから」

「…風邪引いたらどうすんの」


見てほら、雪綺麗でしょ。
とはとても言えない雰囲気で、思わず押し黙る。
研磨君が溜め息をつくのがわかってうつむけば、頭に雪が落ちてくるのがわかった。


「顔、あげて」


何をされるのかと思って恐る恐る言われた通りにする。
鞄から何やら取り出した彼は、その長い布のようなものをふわりと広げると、私の顔を包み込むように乗せた。

それはマフラーだった。
淡いピンク色のマフラーで、これ研磨君が使ってんのかなと不思議になる。
私の視界は両端を薄ピンクに覆われてしまい、正面の研磨君しか見えない。


「待っててくれるのは嬉しいけど、ちゃんと中にいてよ」


葵に風邪引かれたら困る。

嬉しくてにやけそうになるのを抑えて頷くと、研磨君は満足げに微笑んだ。

ふと目に入った唇は何だかとても色っぽくて、ついキスしたいな、なんて思ってしまう。


「ーーーーーー、」


何が起こったのかわからなかった。
柔らかい何かが私の鼻を掠めて、それが彼の唇だと気付く。


「…………研磨君、そこ鼻だよ」

「うるさい、知ってる」


心なしか顔の赤い研磨君は唇を尖らせ、「初めてだから」と付け足した。
嬉しくなって目を閉じると、今度は鼻の付け根。そこは目、そこは頬。中々当たらない唇が愛しい。


「……………好き、」


ようやく触れた柔らかさを、私は死ぬまで忘れないだろう。

洩れた愛の言葉は私のものか、それとも彼のものか。
熱を孕んだ吐息が混ざりあって、ねえ、もう一回。





 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彩子様、リクエストありがとうございました。



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