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「夕べの『見たら死にそうになるホラー映画特集』見た?」


眠い目を擦って取った電話の第一声は、死ぬほどくだらない内容だった。あまりの馬鹿馬鹿しさに返事もできずにいると「おい聞こえてるか?」と怪訝そうな声が聞こえてきて、私は電話を耳から外して時間を見る。
表示されている時間はさっき見たのと同じだった。微かに聞こえる相手の声はいっそ清々しいまでにうざったく、沸々と沸く怒りに任せて終了ボタンをタップする。プツッ、ツー、ツー、ツー。雑音を強制的に排除したので、画面を切りスリープ状態にした。
さあこれで心置きなく寝れる、と乱れた布団を肩までかけて、重いまぶたを閉じる。あっという間に舞い戻ってきた睡魔に身を任せて意識を手放そうとしたとき、またしても枕元で呼び出し音が鳴り響いた。

反射的に舌打ちをし、手だけを伸ばしてスマホを掴む。苛立ちを堪えずにぼやけた視界で画面を見れば、そこには先ほどと同じ名前が写し出されていた。黒尾鉄朗の文字の下を渋々タップして応答する。


「もしもし、お前なんでさっき」

「こちらの電話は現在お前からの着信を無視したい気分に苛まれています」


感情を込めずに淡々と言い放てば、聞こえる声は殺意が芽生えそうになるほど騒がしい。


「いやいやいやいや、切るなよ電話」

「ピーと鳴りましたら、お名前とご用件と辞世の句をお考えになった上で自らの過ちを悔い改めなさい」

「は?だから昨日のホラー映画、」

「ピー」

「黒尾鉄朗ピチピチの18才、昨夜の番組で死にそうになって眠れていないので電話しました」

「現在の時刻は」

「午前3時27分です☆」

「悔い改めろ!」


機械越しでも伝わってくる溢れんばかりのうざさに電話口に向かって怒鳴り付け、鼻から息を吐きながら通話を切った。スマホの電源を落とし布団に潜り込む。しかし一度覚醒してしまった頭は中々どうして眠気を拒み、すっかり冴えてしまった瞳を壁にかけられた時計に向けた。
短い針は3と4のちょうど間を指しており、カーテンの外はまだまだ暗い。経験上、一旦目が覚めると簡単には寝付けないタイプの人間であることはわかっていた。意味もなく布団の中で体をよじり、足元に押しやっていた抱き枕を定位置に戻す。

一向に訪れる兆しを見せない眠気にふざけんなよ黒尾と呟いて、私はダメ元で目を瞑った。












羽化したての彗星












「おはよう河野さん、クマ大丈夫ですか?」


開口一番に笑いを堪えつつ聞いてきた男は、私の目を縁取る黒い悪魔(何それ)を指差した。
うおーさみいー、前を歩く男子生徒の声を聞き、ぐるぐるに巻いたマフラーに口まで埋める。それから私の隣に並んだ長身の男をきっと睨んだ。


「……誰のせいだとお思いでしょうか、先日誕生日を迎えてからエロ本を堂々と買っているという目撃証言が絶えない黒尾鉄朗この野郎」

「ん?保健体育の参考資料を買うのに何か問題があるかね?」

「しかもSM特集ばっかり」

「俺やっぱりSな気がすんだよな」

「…二人とも、朝から下品な話題は止めない?」


黒尾の向こう側からぴょこんと顔を出した研磨が、あきれ混じりに言う。確かにそうだけど、ここは言わせてもらわなければ。


「だって聞いてよ研磨!こいつ何時に電話かけてきたと思う!?」

「え……じ、12時くらい?」

「バーロー、夜中の3時半だぞこのあんぽんたん!」


バシンと黒尾の背中を叩くと真顔で「てへぺろ」と言われ、本格的にイラッとした。
電源は切ったのでまた電話がかかってくることはなかったが、あのあと結局眠れなかった私は絶賛睡眠不足である。ベッドの上でうんうん唸りながら寝返りを打つこと数時間、気がつけばカーテンから淡い光が射し込んでいた。


「だって怖すぎて眠れなかったんだもーん」

「もんとか言わないで、きもいよ」

「いやあん、鉄子怖いの苦手なのお」

「なら何故ホラー特集を見た鉄子!」


大の男が体をくねらせている姿というのはかなり気持ち悪く、私は黒尾からそっと距離を取る。


黒尾鉄朗は何の因果か3年連続同じクラスになった、世間一般で言う腐れ縁というやつだ。いつも飄々としていて掴み所のない性格だけど、ただのバカなんじゃないかと思っている。
黒尾の幼馴染みであるひとつ下の研磨ともそれなりに仲が良く、二人の部活が休みの日は研磨の家でゲームをするほどだ。私としてはごつくてでかい黒尾よりも研磨の方が可愛いので、取り合いになったりもする(そんな時研磨は困ったようにおろおろしているのだけど、それがまた可愛い)。


「あんたのせいで、華のJKのお顔にクマができてんだよ?ちょっとは反省してよ」

「JKってなに?ジャイアントキングコングの略?」

「女子高生だっつーのバカ野郎!」


腕を伸ばして肩を叩けば、何が面白いのか黒尾は「暴力ハンターイ」と笑った。
それはいつもと変わらない、平々凡々とした一日の始まりだった。











黒尾の早朝電話事件から数日が経ち、寒さも益々勢力を極めてきた日。私はいつになく落ち着かない気持ちで席につき、斜め前の背中を見る。
ひどい寝癖は変わらないが、どことなくオーラが尖って見えるのは気のせいだろうか。もう一度声をかけるべきかと考えあぐねている内に、チャイムが鳴ってしまった。

立って談笑していたクラスメイト達はガヤガヤと椅子に座り、荷物を持った担任がドアを開けて入ってくる。黒いカーディガンを着て頬杖をつく後ろ姿に視線を向けて、私は小さく溜め息をついた。

―――朝通学路で見かけた黒尾に声をかけると、彼は振り返ることなく行ってしまったのだ。
名前を呼んでも返事はなく、スタスタといつもより早足で進んでいく。元から脚の長さが違うのだ、同じペースで歩いていても追い付くわけがない。
訳のわからない拒絶に呆然とした私は、そのまま歩いてここまで来たという訳だ。

何か、知らず知らずのうちに黒尾を怒らせてしまったのだろうか。
進路についての話をする担任教師の言葉は右から左に流れていき、微動だにしない黒尾を後ろから見ながら原因を考える。
この間ゲーセンに行ったとき、格ゲーでえぐいハメ技連発したから?寝てる間にワックスで髪型を七三分けにしたから?それともこっそりお弁当のウィンナー取ったから?
自分で出した候補に首を振り、そんなことでは無視しないだろうと結論を出した。むしろ日常茶飯事になっているし、それで無視されるなら私も黒尾を無視していいはずだ。
なら、何故。
彼を怒らせている原因は全く思い付かず、頭の中で思惑だけが空回りする。


「……で、黒尾と河野は放課後居残りだからな」


不意に出された名前に顔を上げると、教壇に立った担任と目が合った。数秒の間をおいて、私と黒尾の声がぴったり重なる。


「「………え?」」

「お前ら、昨日の数学で大層騒いだんだろ?相原先生が怒って俺のところに文句言いに来たから、じゃあ罰としてなんか雑用させますって言っといた」


記憶を辿り、あああれかと思い出した。黒尾が新しい公式を発見したとか言い出したから検証している間に盛り上がったんだっけ。
雑用って、と詳しい話を聞く前にチャイムが鳴ってしまい、担任は「じゃ、そういうことだから」と教室を出てしまった。

1限目の授業の準備をするために、生徒たちが立ってロッカーに向かう。視界の端にとらえていた黒尾も椅子を引いて立ち上がり、くるりと体の向きを変えた。一瞬、目が合う。しかしすぐに逸らされ、私は少なからずショックを受ける。
なんだよ、なんなんだよもう。行き場のない疑問は小さな怒りに変わり、私も負けじと黒尾を睨んだ。










バチン、バチンと乱暴にホチキスを止める音が、放課後の教室に響く。傾きかけた西日の光は室内をオレンジ色に染め上げていて、目の前に座る男の影をより濃くしていた。
束になって渡されたプリントの山々から順番通りに紙を抜き出し、端を揃えて右上を固定する。先ほどから十数分、私と黒尾は無言でひたすらこの行為を繰り返しているのだ。


「………」

「………」


いつもはバカみたいにうるさいのに、今日の黒尾は朝と同じで、こいつは誰だと思うほど黙りこくっている。また私も私で無視されたらと思うと迂闊に話しかけることができず、結果として重たい沈黙が場を満たすというわけだ。こんなこと、3年間の内で初めてかもしれない。

私の知っている黒尾鉄朗という男は、いつだって不敵で腹の見えない奴だ。その癖底抜けにバカだしくっだらない事を考えさせたら黒尾の右に出る者はいない。ちゃんとした試合は見たことがないのだけど、バレー部の主将なのだからバレーも上手いのだろう。黒尾から話を振ってくるときは8:2でバレーネタだから(残りの2割はしょうもない思い付きである)、頭の中は四六時中部活のことでいっぱいに違いない。

1年の頃はもう少し小さかった筈なのに、と最初同じクラスになった時のことを思い出す。その頃から性格はあまり変わってないとは思うが、見た目はぐっと成長しているのだ、多分。
あどけなさを失った男らしい顔付き、太い首、血管の浮いた腕、節くれだってゴツゴツした、厚い手のひら。背なんか私より軽く20センチは高い。
こんな険悪なムードなのにどうして向かい合って座ってしまったのか。気まずさは止まるところを知らず、静けさが私の体にのし掛かる。手元のプリントに向けていた視線を、盗み見るように黒尾に移した。不意に、唇が動く。


「……………お前、さあ」


唐突に話しかけられ、思わず肩が跳ねた。正面の黒尾はホチキスを止める手を休めることはなく、感情の読み取れない淡々とした声で言葉を紡いでいく。


「石川に告白されたってほんとか?」

「へ?」


いったい何を言われるのかと身構えていたのに、肩透かしをくらった気分になった。
黒尾の言葉が頭の中で反芻され、一昨日の放課後の記憶がフラッシュバックする。「河野さんが、好きです」と言った隣のクラスの石川くんは、返事は今じゃなくていいと言って帰ってしまったのだ。
どうして黒尾が知っているんだろうと疑問が沸き起こり、誰かが噂で流しやがったという結論に至った。そう言えば朝から皆がチラチラ視線を向けてきていたり、何か言いたげな目で私を見ていたような気がする。

プリントを見たままの黒尾から私も持った束に目を移し、えーと、と前置きしてから首を縦に振った。


「……返事は」

「今じゃなくていいって言われたから、まだ……」


ふうん。自分から聞いたくせに黒尾はつまらなそうに相槌を打つ。質問の意図も真意もわからなくて、私は段々と腹が立ってきた。
なに、そんなことを聞きたくて私は朝から無視されてたの?


「……付き合うのか?」


私の声には反応してくれなかったのに自分は質問を続ける黒尾にムカついて、思わず手に力が入った。バチン、一際大きな音が鳴って、つっけんどんな物言いになる。


「黒尾には関係ないじゃん」


一瞬、黒尾の動きが固まった。それからゆっくりと目線が上がっていき、やがて私をとらえる。
睨まれた。殺意でも込められているような目で見られ、予想外の返しに私はたじろいだ。やばい、怒らせたかも知れない。
どうやらその予感は的中したらしく、黒尾は自分の分の束を重ねて持つと、ガタンと椅子を引いて立ち上がった。私を見ることなく歩き、やがて教室を出ていく。
数秒経ってからまた黒尾の怒りを買ってしまったことに気付いた。私も後を追ってドアから廊下に飛び出す。


「待って黒尾!」


よほど歩くのが早いのかあのひどい寝癖は前に見えず、私は走って階段に行った。姿はない。足音も聞こえない。
もしかしたら、もう黒尾とは仲良くできないんじゃと思った。今まで喧嘩したことがなかった訳じゃないけど、理由の大概は黒尾が私のケーキを食べたとかそんなくだらないものだ。だけど、今回は何かが違うような気がする。
こんなときは研磨に相談するのが一番だが、あいにく今は部活中だろう。となると、黒尾は部活に行ってしまったのか。


「くろ、お」

「おい」


ダメ元で再度名前を呼んだ瞬間、すぐ後ろから声が聞こえた。咄嗟に振り向けばそこにいたのは黒尾で、無意識のうちに一歩後ずさる。
気が付けば私の背中はどん、と壁にぶつかり、目の前に立った黒尾は私をじっと見下ろしていた。そこに先ほどのような怒りの色は感じられなかったけど、変わらず何を言いたいのかはわからない。


「…………………………好きなのか」


ぼそり、吐き捨てられるように呟かれた声を拾い、脳みそで噛み砕く。


「え?」

「石川のこと」

「ああ、うーん……嫌いとかはないけど、私石川くんのことあまり知らないから」


ねえ黒尾、それより今日なんか変だよ?

はるか高い顔を見上げてそう言うと、黒尾は何かを言いたそうに瞳をこちらに向けた。口が開き、しかし躊躇うように閉じられる。頭をがしがしと掻いた黒尾はおもむろに私の目を自らの手で隠し、こっち見んなと付け足した。
暖かくて大きな手に視界が遮られる。慌てて逃げようとしても黒尾の腕はぴくりとも動かず、代わりに低い声が降ってきた。


「付き合うなよ、その辺のヤローなんかと」

「……どうして黒尾がそんなこと言うの」

「どうしてもだ。わかったって言うまでこの手はこのまんまだからな」


納得できない箇所は多々あったが渋々頷くと、不意に吐息を感じた。刹那、一秒にも満たない間、私の唇に何かが触れる。ちゅ、と軽いリップ音と共にそれは離れていった。脳が思考を放棄する。
ようやく目が解放されたときには、微かな夕焼けが眩しかった。黒尾は薄く笑って私に背を向けると、じゃあなと言って階段を降りていく。


「………………は?」


壁を伝ってずるずるとしゃがみこんだ。どくん。途端に激しく鼓動を刻み始めた心臓を服の上からぎゅっと押さえて、細く長く息を吐く。


――――――だれか、どうか、私のこの動悸の意味を教えてください。







 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
リクエストありがとうございました。




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