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※月島2年生設定




生地の焼ける香ばしい匂いに混ざって、べリーソースの甘い香りも漂ってくる。
舌につく生クリームの甘さはのちに胸焼けを起こすことを示唆していたが、目の前の葵の方が酷いことになるだろう。
いや、むしろ彼女は生クリームごときでは胸焼けなんて起こさないのかも知れない。

見てるこっちが気持ち悪い、と眉根を寄せて、月島はまだ温かい紅茶を一口すすった。


「やだぁ、何それちょーウケる!」

「でしょ?あとこれとかさぁ」


手を叩く乾いた音と人目を気にしない笑い声を聞いて、月島は改めて自分を客観的に見る。

眼前には鬼気迫る表情でショートケーキを貪る後輩、自らの手元には取ったフルーツタルト。
女子高生がメインターゲットであろう駅前のケーキ屋で、月島は一人溜め息をついた。

―――来なきゃよかった。










チヨコレイトで6歩だけ










「月島先輩、放課後お時間ありますか」


―――体育館が使えないから今日の部活はお休みだそうです。
業務連絡をしに来たマネージャーの葵は、声色を変えずに淡々と言った。

放課後?
反芻した月島に頷いた葵を見れば、感情が籠ってるのか籠ってないのかよくわからない瞳と目が合う。
きっちり眉に揃えられた前髪、おかっぱに限りなく近い黒髪。
放課後の意図するものが何かはわからなかったが、特に予定のなかった月島は首を傾げながら頷いた。





それが間違いだったと気付いたのは葵に先導され着いていった先で、ピンクを基調とした店の外観を見てからだ。
『スイーツショップ メルシー』の文字を見て踵を返した頃には時既に遅し。
月島の右手首を掴んだ葵によって、半ば無理矢理入店するはめになった。


「いらっしゃいませ、2名様ですか?」


カランコロン。客が来た事を示す音がドアを開けると同時に鳴る。
いかにも、といったエプロン姿がこの店の制服なのだろう。
裾の広がったスカートを翻し近付いてきた店員は、月島と葵の手を見てにっこりと微笑んだ。


「カップル様でございましょうか」


カップルって敬称を付けるものだったか、と疑問には思ったが、今は議論すべきはそこじゃない。
違います、ただの部活の先輩後輩ですと月島が口を開くよりも早く、葵が言葉を発した。


「はい。付き合って3ヶ月のラブラブです」

「かしこまりました、ではお席へご案内致します」


葵の淀みない声に、月島は思わず面食らう。
この後輩、今何て言ったのだろうか。


「ねえ、何言ってんの」

「しっ。余計な事は言わないでください」

「言ったのは河野の方でしょ。第一、僕君と付き合った覚え無」

「シャラップ!」


むぐ。凄まじいスピードで口を塞がれ、月島は黙り込んだ。
「どうかなさいましたか?」と怪訝そうに振り返ったウェイトレスに対して「いえ、少し蚊が」と涼しい顔で言った葵は未だに月島の手首をホールドしたままである。
この後輩には先輩を敬うという気持ちはないのかと本気で思ったが、自分が1年の頃どうだったかと聞かれてしまうと返答に困る。
結局、月島は何かを訴えるような視線を葵に向けたまま、奥の二人席に座った。


「ごゆっくりどうぞ」


水の入ったグラスを置いて一礼した店員の後ろ姿から目を逸らし、早くもメニューを開く葵に不満げに問う。


「……で、どういうこと」

「やっぱりひとつ目は定番のショートケーキからいきますかね」


月島の質問を華麗かつ豪快にスルーし、葵は迷うことなく苺ののったショートケーキの写真を指差した。
メニューの1ページ目からスイーツが掲示されている所を見ると、この店には甘いものの類しか置いていないのだろう。
こちらの質問に答えようとしない葵からメニューを取り上げれば、恨みがましい目で月島を睨んだ後渋々口を開いた。


「これです」


これ、と葵が指し示したのは壁に貼られたポスターで、そこには大きく『カップルフェア実施中』と描かれており、なるほど道理で女子高生に混ざってカップルがいるわけだと納得する。

しかし、月島が葵に連れてこられた理由は依然として不明なままだ。


「これがどうして、僕と君が一緒に来る事に繋がるわけ」

「決まってるじゃないですか、ケーキ食べ放題をお安くする為です」


曰く、カップルで来店すると割引されるらしい。
至極当然と言った顔で葵は頷き、説明は終えたとばかりに呼び出しボタンを押した。

電子音の軽い音が鳴り、天井についた液晶に月島達の座った席の番号が表示される。
それから程なくしてオーダーを取りに来たウェイトレスに、葵は慣れた様子で注文した。


「平日ケーキ食べ放題で、ショートケーキをお願いします」

「ショートケーキですね」

「ほら、月島先輩も」

「え……じゃあ、このフルーツタルトと紅茶で」


ハンディに入力をした店員がオーダーを繰り返す。
確認に頷いた葵は表情こそ変わらないが、どこかうずうずとした様子だ。


「……ちょっと、河野落ち着きなよ」

「何を言っているんですか月島先輩。私のどこが落ち着いていないと」

「全部だよ」


なぬ、と時代劇めかした口調で言う葵は深呼吸を2回し、落ち着きますと呟いた。





ポツポツと雑談をしながら商品が来るのを待っていると、注文したケーキが2つと紅茶がトレーに載って運ばれてきた。
湯気の立っているティーカップからは茶葉のいい香りがして、月島は少しばかり頬をゆるめる。


「いただきます」


ショートケーキをのせた皿がテーブルに置かれるや否や、光の速さでフォークを手にした葵は早口言葉かというほどのスピードで食前の挨拶を済ませた。
間髪入れずに生クリームへ金属が差し入れられ、そのまま葵の口の中へ入っていく。
一瞬にして蕩けた表情を見て、月島は自らの目を疑った。

普段は月島を凌ぐレベルの無表情で有名なこのマネージャーが、まさか表情筋の使い方を知っていたとは。

あまりの衝撃に口を開けて唖然としていた月島を見て、口の中をケーキでいっぱいにした葵がタルトを指差す。


「ふひ島へんぱい、たべないんでひか」

「喋るか食べるかどっちかにして」

「…………」

「……迷わず食べるんだ」


当たり前じゃないですか、と月島を見た瞳は妙な輝きを放っていて、人間好きなものを前にするとこんな目になるのかと変な部分で知識を得た。

このままじゃ自分の分まで取られかねないと直感し、月島も葵に倣いフォークを手に取った。
さく、さく、とタルトの生地を切る感触が指に伝わってくる。
コーティングされた苺と一緒に放り込めば、随分久々に感じる甘さが口の中に広がった。

これは、なかなか。

酸っぱすぎず甘すぎないバランスのとれた味に舌鼓を打ち、月島はぺろりとひとつたいらげてしまった。


食べ放題ということもあり、ケーキはすべて小さめになっている。
月島がタルトの載っていた皿にフォークを置いた時には葵は二つ目を選んでいた。


「んー……どうしましょうか……」


先ほど色々文句言った手前嬉々として頼むのは気が引け、ポーカーフェイスを保ったまま月島の目線だけが忙しなくメニューの上を滑る。
「決めましたか」という問いに浅く頷けば、2回目の呼び出し音が鳴らされた。





「「季節のロールケーキをひとつ」」


一言一句ずれずに重なった言葉に、ハンディを開いたままウェイトレスが固まった。

真似しないでくれるかなそれはこっちの台詞ですよ先輩と目だけの会話が続き、わざとらしい咳払いをする。


「「やっぱりモンブランで」」


今度は更に怨念のこもった目がお互いに向けられ、顔を逸らしたまま淡々と商品名を呼んだ。


「「というのは嘘で本当はザッハトルテ」」

「「かと思いきやシフォンケーキ」」

「「全部冗談実はミルクレープと見せかけてミルフィーユ」」


二人の間で確実に散っている火花を見て、店員は困惑気味である。



「「なんてねクリームブリュレ!!」」

「……ちょっと月島先輩なんなんですかさっきから」

「は?それは僕が言いたいんだけど」

「私クリームブリュレが食べたいんで他のにしてくださいよ」

「意味わかんない。なにクリームブリュレ取ろうとしてんの」

「可愛い後輩に譲ってあげるのが先輩ってもんでしょう」

「年長者は敬いましょうって社会のルールだよね?」


両者一歩も引かず、駅前のファンシーなスイーツショップでは熾烈な争いが繰り広げられている。


「………わかりました。では、こちらのお姉さんに決めてもらいましょう」


溜め息と共に吐き出された言葉に、突然指名された店員がびくりと肩を揺らした。
決める?何を?
3日前からバイトに入った彼女のパニック寸前の心情など露知らず、葵はやけに爛々とした目でウェイトレスを見る。


「どちらがよりクリームブリュレを頼むのにふさわしいか、です」


こんなの仕事の内に入ってなかった!
彼女の心の中は1週間前に面接官として会った店長の笑顔でいっぱいである。
「接客業だけど、難しい事とか全然ないから」
あの笑顔の裏にはこんな大仕事が隠されていたなんて。


「クリームブリュレの魅力というのは、なんと言ってもあのカラメルですよね。苦すぎず且つ香ばしい絶妙な焼き加減の茶色は芸術の域に達しています。バーナーで直接炙るからこそ味わえる究極の逸品です」

「カラメルよりも断然下の部分だよ絶対に。勿論カラメルも美味しいけどその美味しさは他のなめらかさがあるからであって、クリームブリュレの真髄はそこにあるでしょ。舌の上でとろける甘みなくしてクリームブリュレは語れないと僕は思うんだけど」

「「どっちが相応しいですか?」」


同じタイミングで顔を見られたバイトのウェイトレスは、掴みかかって来そうな勢いで尋ねる二人に、おずおずと返事をした。




「あの………お一人ずつ頼まれてはいかがでしょうか……」




――――むしろ、何故今まで気付かなかったのかという話だった。










カランコロンと入店時と同じ音が鳴って、月島と葵は店を出た。
気付けば5時をとっくに回っており、夕映えが道を赤く照らしている。


「月島先輩、結構甘いもの好きなんですね」

「………別に、嫌いじゃないだけだから」


そうですか、と何か含んだ笑みを溢した葵に若干不機嫌そうな顔をして、月島は歩調を速めた。


「ていうか、君は彼氏作って彼氏と来ればいいじゃん」


何でよりによって僕を誘ったわけ。
紡いだ言葉を最後まで聞いた葵はぱたぱたと走り、月島に向かって振り返った。

ビルの間から差し込んでくるオレンジの光は葵の背後から色を見せ、逆光として彼女の体に濃い影をつくる。
ふわり、見たことのない微笑みに、思わず息を呑んだ。

それは、まるで、



「月島先輩だから、誘ったんですよ」



それじゃ、お先失礼します。

肩までもない艶めいた黒髪を靡かせて、葵はくるりと踵を返す。
紺色のブレザーを着込んだ背中から目を離せず、月島は呆然と立ち尽くした。

あの後輩、今なんて。


「……………………………え?」


カラメルのようにほろ苦くプディングのように甘いその感情の名前を、彼は、彼女は、まだ知らない。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ホタテ様、リクエストありがとうございました。


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