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今日は朝から気分が悪い。
例えて言うなら今にも雨が降りそうな曇天のような気持ちで、灰色どころか鉛色の空だ。イライラするし、ムカムカする。おまけに登校する途中黒猫が俺の目の前を通りすぎていったものだから、なんというか踏んだり蹴ったりだ。


「どうした及川、お前今スッゲェ不細工な顔してんぞ」


そんな俺の心中は思いっきり顔に出ていたらしく(元々隠してなんかいないけど)、放課後部室に入った瞬間岩ちゃんに冷たい言葉を浴びせられた。
着替えていたマッキーとまっつんもこちらを向く。それから二人揃って吹き出した。失礼にも程があるだろう。


「なになにどうした及川?折角のイケメン(笑)が台無しだな」

「(笑)はつけなくていいよまっつん」

「及川二日目?」

「男の俺に何の二日目が来るって言いたいの!」


はあ、とわざとらしくため息をついてから、俺は抱えていた荷物を下に下ろした。ロッカーの前に立てば嫌でも彼のネームプレートが目に入り、またしても息が洩れてしまう。


「…………ねえみんな、国見ちゃんについてどう思う?」

「クソ川より真面目だな」

「お前に比べたら可愛い、後輩」

「いい奴でしょ、及川より」

「どうして?!なんで急に塩対応になったの?!」


俺の方は全く見ずに平然と言ってのけた三人の友人は白々しくも準備を進め、こいつらに聞いたことが間違いだったと一人反省した。
国見ちゃん、と自分で口に出した単語に、自分で落ち込む。
勿論彼は大切な後輩だ。中学時代から付き合いがあるし、俺を尊敬してくれてるのは素直に嬉しい。
顔だって中性的で綺麗な見た目なのだから、それは女の子にモテることだろう。事実国見ちゃんには隠れファンが多く、大会に応援に来ている女の子たちも見たことがある(これを岩ちゃんに言ったら嫉妬すんなって言われた)。

とは言え、釈然としないものがあるのも事実だった。甘い空気という訳ではないにしろ、俺としては待ったをかけたいシーンがいくつもある。


「ああ、河野のことか」


ロッカーを前に考え込んだ俺の思考を読んだように、マッキーがあっさりと正解を口にした。それを聞いたあとの二人も納得したらしく、「なるほど」と頷いている。

具体的に出された名前に嫌でも葵の姿が連想されてしまい、セットで現れた国見ちゃんが俺のテンションをさらに下げた。


「そういや最近一緒に居るのよく見るよな」

「言わないでよ岩ちゃん!!」


ジャージのファスナーを上げながら、さらりと不機嫌の原因が放たれる。「知るかボケ」と再びの冷たい反応、たまに俺の友人は俺の心を折りに来ているんじゃないかと思ってしまう。

しかしながら岩ちゃんの言ったことは正しいという他なく、沈んだ気分のまま自分のロッカーを開けた。制服のシャツに手をかけボタンを外すも、無意識の内に重い溜め息が出てしまう。ネガティブな思考は中々取り払えないものなのだ。

「先に行ってるからな」と薄情なことに部室を出てしまった三人に手を振ってから、俺は着替えを再開した。












有効期限は明日まで












葵と初めて会ったのは、彼女がマネージャーをやりたいと入部届けを出しに来た時だった。


『1年6組、河野葵です』


その声を聞いたとき、俺は鈴の鳴るような声という表現の意味を知った気がした。
耳に馴染み歯切れのよい言葉遣いは第一印象で好感を持つには十分だったし、案の定葵はすぐに部活に溶け込んだ。

ただでさえ部員数の多い青城バレー部のマネージャーとして健気に働く姿はいっそ勇ましく、愛らしい外見とは裏腹にキビキビと仕事をこなす様子は頼もしい。
ふわふわとウェーブを描いた髪の毛を二つに結び、毛先はくるんと丸まっていた。ニキビひとつない白くて綺麗な肌と、黒目がちな大きい瞳。人形のような可憐な見た目は、そこにいるだけでも癒しだ。

そんなマネージャーに告白されたのは、忘れもしない7月のある日のことだった。
たまたま部室で二人になった際、世間話でもするような口調で突然、「好きです及川先輩」と言われたのは記憶に新しい。
聞き間違いかと思って見返した葵は頬を仄かに赤く染めており、俺が混乱した頭のまま返事をして、それから交際が始まった。
関係は極めて順調だったと自負している。
あまりデートらしいデートは出来ていないけど毎日一緒に帰っているし、何より俺が葵のことをこれでもかというほど好きだからだ。岩ちゃんたちにしょっちゅうのろけては流されるが、それでも足りないほどに。葵がどうしてあんなに可愛いのかという議題について考えただけで午前中の授業を潰したこともある。


「国見ー、ここの得点なんだけどさ」


パタパタと件の男に走り寄る彼女の後ろ姿を眺めて、心が少し粟立った。葵と国見ちゃんは同じクラスだということは知っていたけれど、どうも最近仲が良すぎるような気がする。

イライラ、イライラ、心身の不調は悪影響しか及ぼさない。


「アウトアウト!」


本日4度目のサーブミスをして、俺は思わず舌を打ってしまった。ボールに言い様のない思いをぶつけすぎて、チームの和を乱すわけにはいかない。
試合形式の練習に一区切りがついた時に、俺は岩ちゃんに声をかけて体育館を出た。バレーは集中力を欠いたら負けるスポーツだ。ざわざわと落ち着かない心を無理矢理静めて、足早に水道へ向かう。

冷たい水を頭から被れば、いくらか気持ちが落ち着いた。嫉妬で部活に支障を来すなんて、主将として最低だ。戻ったら皆に謝ろう。
夏にはほど遠い気温の中、持ってきたタオルで髪を拭く。物理的に冷やされた頭はようやく国見ちゃんと葵のツーショットを考えなくなり、俺は気合いを入れ直す為に両頬を手で軽く叩いた。


「………………反省しましたか?」


聞き慣れた声が鼓膜を打ち、弾かれるように振り返る。いつから居たのかはわからないがそこには含みのある笑みを浮かべた葵が立っており、髪を濡らした俺を見て楽しそうに笑った。


「及川先輩今日調子悪いですね、何かあったんですか?」

「…………葵が、悪い」

「あはは、ですよね」


予想していなかった返答に面食らう。悪戯っぽい、だけどどこか嬉しそうな笑顔。一歩近づいてきた葵は俺を上目遣いで覗き込み、歌うような口調で言った。


「及川先輩があんまり女の子に人気なんで、たまには嫉妬してもらいたかったんです」


あ、国見のことは恨まないであげてください。
付け足された言葉と突然の種明かしに瞬きを繰り返し、俺はポカンと口を開ける。そしてまんまと思惑にはまったことに気付き、満足そうな葵を見た。


「私にあんまり、嫉妬させないでくださいよ」


それはこっちの台詞だよ、と呆れ混じりに呟けば、お互い様ですと返ってくる。
とりあえずこの可愛くていい性格をした彼女には、俺は今のところ負け続きだ。






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まゆらん様、リクエストありがとうございました。

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