イノセントグライダー | ナノ




持ってけドロボーとばかりに置かれた段ボールは、持たなくても重さが伝わってきた。
ドドン、と妙な貫禄を出し構える2つの箱にはぎっしり教材が詰まっていて、これを運ぶのは中々に骨が折れそうだ。

放課後の間に、美術室に持って行きなさい。
放課後職員室に呼ばれた葵と西谷は、有無を言わせぬオーラを発した相澤に渡された段ボールを見て、溜め息をつく。
美術室は3階に位置するため、この見るからにヘビー級の箱を連れて階段を昇らなければならないのだ。


「よっと」


軽い掛け声と共に、西谷が段ボールの一つを持ち上げる。
ぐちぐち文句を言うわけでもなくやるのが男らしいなと一瞬思ったが、よく考えれば自業自得だった。


「こんなんさっさと終わらせよーぜ」


西谷の言葉にワンテンポ遅れて頷き、葵も慌てて手をかける。
西谷が軽々と持ち上げているところを見ると、そんなに重くないのかもしれない。
曲げた膝と足腰に力を入れて箱を持つと、想像以上の負荷が葵の腕にかかった。反射的に踏ん張り、下半身から崩れてへたりこんでしまいそうになるのをどうにか堪える。

重い。
しかしながら歩けないという程ではなく、葵は至って平気といった面持ちで西谷の隣に並んだ。


「大丈夫か、河野」

「う……うん」


階段を前にすると、上がる前から足がすくむ。明日の朝確実に襲ってくるであろう筋肉痛に想いを馳せ、葵は意を決して右足を踏み出した。

重い。やっぱり重い。
2、3段先をすいすいと昇っていく西谷も葵と同じ重さの荷物を持っているのに、両者の足取りの差は何が生んだのか。
運動不足以外ないよね、と至極もっともな結論を導きだした葵は、通学を自転車に変えようかと考えながら、踏み締めるように階段を昇った。











青色椿











「ゴーーーール!」


ずっしりとした段ボールが床に置かれる鈍い音が、美術室の前の廊下に響いた。
両手を上げてガッツポーズをした西谷の後に、ふらふらと葵がやって来て箱を手放す。
ようやく解放された両腕は肩甲骨の辺りから歓喜に沸いていた。


「河野はこれから部活か?」

「あ、うん……一応」


部員は私一人だけど。自虐的な言葉を心の中で付け足して、返事をする。

西谷くんも部活、と言いかけて、葵は慌てて口をつぐんだ。
体育館で見た辛そうな表情が脳内に一気にブラッシュバックする。
あの、厳しい眼差し。
理由はわからないが、彼にバレー部の話題を振るわけにはいかないと直感した。


「えっと、あの、に、しのや君は……部活、見に来る?」


違和感なくするりと出ていきそうになった言葉に慌てて急ブレーキをかけ、すんでのところで回避する。
ここで華麗かつ鮮やかに話題を逸らすことができたら、どれだけ人生が楽になるだろうか。
生憎葵にそんなスキルがあるわけもなく、つっかえながらもどうにか、といった様子で言葉を変えた。
自分の口下手さに心底嫌気を差しながらも恐る恐る西谷を見ると、彼は少しだけ不思議そうな顔をしたものの「おう」と歯切れのよい返事を返す。

ほ、と息をつき先に借りておいた部室の鍵を、スカートのポケットから取り出した。









「そういや河野って何部なんだ?美術部?」


やや埃っぽい教室を興味津々に見回しながら問われ、葵は背負っていたスクールバックを机の上に置きながら答える。


「一応、写真部」

「あー、確かにでっかいカメラ持ってたな!」


写真部かー、スゲー。
何がすごいのかは全くわからないが、納得したように頷く西谷に苦笑いを返した。
「賞状もある!」と壁にかけられた賞状と置かれた楯を見つけた西谷がキラキラした瞳を忙しなく動かすのを見ていると、ようやく体の力が抜ける。
しかし次の瞬間、またしても筋肉が強張った。

これ二人きりじゃね、と。

写真部だなんて名乗ってはいるが、活動実績と部員数からして、実際は正直同好会がいいところだ。
そもそも一人だから会ですらない。先ほどは地雷を踏まないようにと話を変えることに必死で何も考えていなかったが、冷静になると写真部なんて「見学しても反応に困る部活」堂々の第一位に決まってるじゃないか。
そんな部活とも呼べない部活の部室に呼び、あまつさえ二人きりだなんて、と今さらのように焦りが舞い戻ってきた。
生まれてから今日に至るまで、できる限り誰かと二人になるのは避けていたというのに、なんたる失態。


「写真部って、部員お前だけなのか?」


あまり使われている様子のない教室を見渡して、西谷が葵に尋ねた。
既に思考回路がショートした葵はこくこくと数回首を振るのが限界で、反応を見る余裕などない。
訪れる沈黙、両者が黙り込む重い空気に、葵は泣きそうになる。後先考えずに「部活見に来る?」なんて誘った数分前の自分が憎いし、こんな時に軽快なトークで場を繋げられない口下手加減も憎悪の対象だった。

どうして、と目眩を起こしそうになるもギリギリ持ちこたえた葵の目の裏に、次々と昔の記憶が流れ込んでくる。
もしかしてこのまま心臓が胸骨を突き破って死ぬんじゃないかと考えたが、どうやらそうではないらしい。


「………何やってんだ?」

「えっ、あー…か、隠れてます」


すすす、と摺り足で壁際に寄った葵は西谷の視線から逃げるように身をよじる。
エナメルを机に置いて「変なやつ」と笑った西谷を見て、頬がさっと熱くなるのを感じた。


「河野はなんで写真部に入ったんだ?」

近くにあった椅子を引き、座る音がする。
その音を聞いてそろそろと目を西谷の方に向けるも、背もたれを胸の前に抱えてこちらを見ている目と目線が交わり、葵は弾かれるように外した。
これ、私すごく感じ悪いじゃん!
頭ではわかっていても体はどうにも目を合わせることを拒み、しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。


「お父さん…が、カメラマンだったから」

「カメラマン!?なんかすげえな!」

「そっ、そうでもないよ。別に有名とかじゃないし……」

「いや、カメラマンってかっけえじゃん。じゃあ、河野もなるんだろ?」


真っ直ぐな瞳を向けられて、葵は思わず息を呑んだ。
痛いほどに眩しい、曇りも歪みも見当たらない水晶のような瞳。ごく自然に投げ掛けられた質問に喉が詰まる。

手が無意識のうちにお腹の辺りを触っていた。いつもならカメラがぶら下がっているのに、今は鞄の中だ。
不自然な静寂はじわじわと葵の首もとを絞め上げていくようで、絞るように声を出す。


「私のは、ただの趣味だから」


飾られた賞状の文字が、揺れた。
優秀賞。得意だと思っていた写真でさえ1位を取れないのなら、プロなんて夢のまた夢だ。
口角を無理矢理引いてひきつった笑みを浮かべた葵を、西谷はきょとんとした顔で見つめる。

この、今進んでいる自分の道を一ミリたりとも疑っていないような素直さが、苦手なのかも知れない。
自分にはない眩しさが、どうしようもなく羨ましいのかも知れない。

目を細めて壁から背中を離した葵は、困ったように笑いながら机上の鞄を手に取った。
さっきは何も考えずに言ってしまったが、生憎今日もこれといって部室ですることはない。


「…………なあ、河野今日時間あるか?」


帰り支度を始めた葵の背に、西谷の声がかかる。
振り返った彼女に屈託のない笑顔を見せた西谷は、明るい声音で言った。


「ちょっと付き合ってほしい事があるんだ」




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