不確定少年少女 | ナノ




「―――――人魚みたいだな」


プールサイドに腰掛けて足首まで水に浸けたニシヤが、水面から顔を出した私を見ながら呟いた。
顔にかかった髪をかき上げて声の主を見れば、ニシヤの視線はぼんやりと私に注がれている。


「え?」

「いや、葵の泳ぐ感じが人魚みたいだなって」

「何それ」


いーじゃねえかよ、褒めてるんだからさ。

何言ってんだこいつ、という思いでニシヤを見上げると、彼は屈託のない笑顔をつくった。
たくしあげた制服のズボンの裾が濡れるのも気にせず、ぱしゃぱしゃと足をばたつかせて水飛沫をあげる。
降り注ぐ太陽の光から逃げるように、私は水の中に潜った。

浮いた脚を重ねて伸ばし、見つめる。
口の端から少しずつ気泡を漏らしながら脚を交差させたり離したり、その度に私を包む世界がぐんにょりと曲がる。
人魚っていうのは、この脚がくっついてるって事なんだろう。
魚の尾になった自分の脚を想像しながら、私は2、3回水を蹴った。














夢をなくして2度目の夏が















ニシヤと初めて会った日から丁度1週間、朝会の日の朝。私は今日も懲りずにプールにいる。
学年が上がってから授業を受けた数とサボった数とを比べれば、圧倒的に後者の方が多い私に教師陣は諦めモードらしく、初めの頃こそ多かったマークが少なくなった。
私としては好都合この上ないのだが、彼らの唯一の誤算は私が他生徒を巻き込んでいることだろう。
………まあ、ニシヤが勝手に巻き込まれているだけだけどね。

彼の普段の生活態度は知らないけど、少なくともサボるようなやつではないと思う。
それがどうだ、すぐ隣の体育館では絶賛朝会中にも関わらず私と一緒に居るじゃないか。
朝会なんて出ても出なくても大して困らない気もするけど、サボり魔の私の感覚はどうやら一般生徒とは違うみたいだ。

足を底につけて鼻から下だけを水中に入れる。
泡が鼻の先で浮かんでは消え、私は目だけでニシヤを見た。

暑くなってきたな、と首もとを拭う仕種。
意外にもすぐそこに定期テストを控えた6月の下旬は、まだ涼しいとは言え陽の光は初夏のそれだ。


「………………人魚、ねえ」


小さい頃、よく読んでいた絵本。
海の王の一人娘でありながら陸の王子に恋をして、美しい歌声と引き換えに足を手に入れた人魚姫。自分の為に王子を殺すことができず海の泡となってしまった悲恋の少女の物語に、子供ながら言葉を失ったのを覚えている。


「葵のフォームってすげえ綺麗だよな。なんつーか、イキイキしてる」

「んー、地上にいるよりは水中の方がよっぽど好きだからね」


口から静かに息を吐く。ニシヤの足がゆらりと揺れる。
現れて無くなる泡に人魚姫を連想していると、私の視界がフェンスの向こう側に白いジャージをとらえた。
――――生徒指導の浅野だ。

今時こんな教師いるんだな、と思わず言いたくなる程悪い目付き。
どちらの組に所属されていますか、と聞かずにはいられないような風貌。
格好は決まって白地にゴールドのラインが入ったジャージに健康サンダル。オプションとして常に竹刀を持っている。多分あいつなら竹刀で人が殺せる。
ぶっちゃけ私は目を付けられていて、今バレたらかなりやばいのだ。


「………ニシヤ、隠れよう」

「は?」

「浅野が来た」


小声でそう告げると、ニシヤは素早く水から足を引く。
私も急いで上がろうとしたら、目の前ににゅっとニシヤの手が伸びた。やや頼りなくも思える小さな手を掴めば意外にも強い力で引っ張りあげられる。
最初に会った時みたい、なんて既視感を感じていると私の体はプールサイドに上がっていて、靴を手で持ったニシヤにバスタオルセットを手渡された。


「隠れるところはあるんだろ?」

「当たり前じゃん」


こちとら1日の殆どを教室に入らず過ごしている身、自慢じゃないけどサボりのプロである。
ニシヤを先導して向かったのは、入り口から見て左の奥だ。
見学者用に屋根がついたそこにはベンチが置いてあって、それを踏み台にすれば塀を越えられる。
越えた先は細い路地のようになっていて、進んでいけば体育館の反対側からグラウンドの方に出られるという寸法だ。


「よっと」


もう何度かお世話になっているルートであるため、ひょいと塀に足をかけて地面に着地。裸足だから石とかあると痛いんだけど、今回は大丈夫だった。


「ニシヤもほら、早く」

「お、おう」


一瞬どもったニシヤは口の中でもごもごと「…水着のまま脚開くとか、なんつーか、無意識なのか……」とかなんとか言っている。
けれどすんなりと越えた所を見ると、こいつは相当運動神経が良いんだろう。
すたっ、と着地をきめて、後は浅野がいなくなるまでじっとしておけば、という安堵に息を吐いたのも束の間。


「――――ってえ!!!!!」


………ニシヤが足の裏を押さえて、叫びやがった。


「!オ゙イ゙ゴラ河野この野郎!!居んのはわかっとんじゃボゲェ!!さっさと出てこいやあ!!!!」


びりびりと空気を震わせるような怒号が響く。
尖った小石を踏んだバカニシヤの体を思わず掴み、その口を塞ぐ。
くれぐれも余計な事はしないようにと身体をぴったりと密着させて、プールを僅かに見通せる小さな隙間から覗き見た。


「くそったれェ……」


怒りに肩を上下させながら、血眼になって周りを見る浅野。まずい、かなりキテいる。
今見つかったら確実に殺される、と尋常じゃない緊張感の中必死に気配を殺していると、やがて浅野は激しく舌を打ちながら去っていった。


「…………っ…、…はー……」

「おっかねー……」


完全にいなくなったのを確認してから壁にもたれかかり、私とニシヤは安心して息をつく。


「ばっかじゃないの…あんた……」

「悪い…………つーか、離してくれ」

「あ、ごめん…」


抱き着くような形になっていた体勢を崩すと、ニシヤの制服はしっとりと濡れていた。直前までプールに入っていた私と密着していたのだから、しょうがないけど。


「ごめん、濡れちゃったね」

「…それよりさ……あー、いや、なんでもねえ」


ニシヤが、何故か気まずそうに頬を掻いた。


「……?何、さっきからニシヤ変だよ」

「うっせ、葵が悪い」

「は?意味わかんない」

「あーもういいから!とにかくこっから早く出るぞ!」


私の腕をとりニシヤは立ち上がる。どこか遠くの方からチャイムが鳴って、また授業の始まる時間がやって来る。

黙り込んでしまったニシヤの後ろに着いて路地を歩いていたら、無人のグラウンドに出た。
体育館から人が次々と吐き出されている今、校庭には誰も居ない。


「以上!!解散!!!!」

「え?!」


ニシヤはバスタオルを広げて私の頭にかけると、そう大声で宣言して脱兎の如く駆け出した。校舎の方向だ。


ものすごいスピードで小さくなっていく背中を呆然と見つめながら、私は頭に置かれたバスタオルを握る。


「…………なんなんだ、ほんと」


それから自分がまだ水着のままな事に気付き、どこかで着替えようと踵を返した。





(あ、そういえば今日の6限体育だったな……水着の上から制服着よっかな)


(いやいやいやいや、あの格好で抱き着くのはアウトだろ色々と!!天然か!?天然なのかよちくしょおおお!!!)




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