銃口のマリアージュ | ナノ




「飛雄ちゃん、今日の帰りうちに来いって伝言」

「…………誰からだよ」

「やだもう、わかってるくせにい」


お い か わ と お る 。
わざと一字一字切ってこれみよがしに口を開いた葵は、余裕綽々といった表情で影山に笑いかけた。
テストは全教科返ってきていて、その結果でテンションの差こそあるもののクラスの空気は解放感で明るいものとなっている。

ただ一人、影山を除いて。


「お前、及川さんにばらしたな?!」

「だーって飛雄ちゃん絶対隠そうとするじゃん?それじゃつまんないと思って」


英語の後の休み時間でメールを致しました、とウィンクしつつ語尾に星を飛ばす葵は赤点回避のミッションを無事クリアしたらしく、鼻唄混じりに鞄から携帯を取り出した。
指先を画面に滑らせアプリを起動させると、葵が徹とのトークを影山に見せる。

『結果ご報告しまーす。私は42点、飛雄ちゃんは………38点!王様は晴れて赤点となりました!』


ぷくく、と馬鹿にした顔のネコのスタンプを添えて送られた文面を見てから、徹の返信に目をやった。
……レスポンスは2分後にされている。

スタンプも絵文字も顔文字も何もなく、吹き出しの中にはたった一文、




『飛雄をうちに連れてきなさい』




それだけで影山の背筋にぞわりとしたものを這わせるのには十分すぎた。
瞳を閉じれば瞼の裏に浮かんでくる、鬼のような形相の般若……もとい徹の姿。
ハリセンを手のひらに打ち付け派手な音を立てながら笑顔で解答を急かす大王様を思い浮かべて、影山は今日が自分の人生の幕を引く日だと悟る。

全ては、解答欄がずれている事に終了間際まで気付けなかった自らの過失だ。


「……短い………人生だった」

「来世でまた会おうね、飛雄ちゃん」

「生まれ変わるならホヤ貝に生まれてえ」

「そこまで勉強したくない?!」


どこか遠くを見つめた影山の背中をばしんと叩いて、葵は力強く自分の胸に手を当てる。
大丈夫、安心なさい、と自信満々な様子で笑う葵の顔を仏も驚く神々しい表情で見た影山は、口許を歪め自嘲気味に笑った。


「俺が生きて帰って来れると思うのかよ」

「飛雄ちゃんが悲しいくらいに英語出来ないのはあの兄貴だってわかってるんだから、そんなに酷い事にはならないって」


私も説得してあげるし、誠意を込めて謝ったらきっと許してくれるよ。

晴れやかな笑みを浮かべそう言った葵からは後光が差しているように見え、影山は初めて葵の事を神だと思った。
その自信に満ち溢れた出で立ちは変えず、笑顔を1ミリも崩すことなく、葵はぐっと親指を突き出しながら口を開く。
そして、よく響く声で言葉を続けた。






「多分ね!!」






「………俺、明日結婚しようと思う」

「死亡フラグ立てちゃダメだよ!」


肩をゆすられるままに体を揺らし顔をがくんがくんと振る影山は、38と大きく赤で書かれた回答用紙を握り締め紙に皺をつくる。
そして、大王様からの制裁の前に3年生からの鉄拳があることを思いだし、アルカイックスマイルを浮かべた頬をひきつらせた。














アタラクシアを求めて















スパァン、と。
気持ちいいくらいに小気味良い音を上げて、影山の額に特大ハリセンが叩きつけられる。
そそくさと家の中に入っていった葵の背後で恐怖と戦い、深呼吸をしてからドアを開けると、「お邪魔します」の「お邪」まで言った所で徹が腕を振りかぶるのがわかった。
廊下の向こうからにやにやと見てくる葵を睨む間もなく、影山の頭に紙の束が降り下ろされ続ける。


「…………………飛雄」

「…はい」

「俺すっごい丁寧に教えたよね」

「……はい」

「わかんないところあったらちゃんと聞けって言ったよね」

「………はい」

「なんで赤点なの?」


木魚を叩くかのようなリズムの合間に、徹の静かな声が混ざった。
影山は視線を斜め下に下ろして俯きハリセンを受けた体勢で、ぼそぼそと返事をする。
葵は早々にリビングと思しき部屋に逃げていた。裏切り者め。


「……解答欄が、一個ずれてて………」

「へー?俺があれだけ優しく教えてあげたのに、そんなマンガみたいな凡ミスで落としたんだ?」

「でも、解けたのは解けたんですって!」

「点に繋がらなきゃ意味ないですー」

「いてっ」


一際強く叩き溜め息をついた徹は、そこでようやくハリセンを振る手を止める。
ほんのり赤く腫れたでこを押さえて、影山が不思議そうな表情をした。
徹が無言でチケットを差し出していたからだ。


「……何すか、これ」

「葵の大会のチケット。罰として、飛雄も一緒に行くこと」

「なんで俺が、」

「だって一人で行ったら葵怒るんだもーん。まあそれでも行くんだけどね!」


普通ならチケットとかいらないけど、地元のファンが葵見たさに会場に押し掛けるから、チケット制になったんだ。
やっぱうちの妹は世界一だ!

薄い水色のその紙を誇らしげに掲げ、徹はそれを影山に手渡す。
日付を見れば偶然にも体育館の使えない日で、確か部活が休みだった筈だ。なんたるジャストタイミング(もといバッドタイミング)だと思い、影山は黙ってチケットを受け取った。


「よし、もう用は済んだ。帰れ」

「…………なんつー横暴さだ」

「さあーて、どこかにハリセンの必殺技実験に手伝ってくれる後輩とかいないかなー」

「ありがとうございましたさようならいつまでもお元気で」


光の速さで踵を返した影山が瞬く間に玄関から半身を出す。
チケットはポケットにしまって、最後に軽く頭を下げてから扉を閉めた。ここ最近及川家に入り浸っているような気がしてならないのが、恐ろしかった。










「は?もなか?」


会場で待ち合わせる事になっていた徹からの着信は、影山があと数分で着くというときにあった。
足を止めることなく歩き、もう席を取っているのだろう、妙なざわめきの中でもよく通る電話の向こうの声に耳を傾ける。


『そうそう。葵の大好物だから、差し入れに買ってきて』

「いや、俺もう着くんですけど」

『まだ間に合うから大丈夫。ちゃんと赤堀屋のやつにしてよ?じゃ、よろしく』

「えっ、いや…………切られた」


ツー、ツー、ツー、と無機質な電子音が鳴り、影山は諦めたように息を吐いて携帯を閉じた。
……確か、一番近くのスーパーに和菓子屋が入っていた筈だ。
財布の残金を確認してから行き先を変え、影山は呆れ顔のままスーパーに向かった。








「おー、飛雄ー」


差し入れを受け付けで預け会場内に入ると、かなり前列の方から手を振られた。
ど真ん中を陣取った徹の元へ急げば、1ベルが鳴る。
高校の演劇大会なので、当然の事ながら自分と同年代の人間ばかりなのが救いだった。よく思い返しても、影山は舞台を見に行った事がない。

体勢を低くし徹が取っておいた席に座って間もなく、2ベルが鳴り響いて客電が落ち始めた。
ハキハキとした場内アナウンスと簡単なマナーの説明が流れるのを聞きながら、影山は入り口で貰ったパンフレットを開く。
『烏野高校演劇部』の文字は一番目にあり、隣の徹は妙に落ち着きがなくそわそわしたままだ。
………俺、何やってんだ。
他校の先輩、それも宿敵とも言える相手とクラスメイトの大会を見に来ているというなんともシュールな状況に自分で首を傾げるのと同時に、ゴウンゴウンと鈍い音を立てて緞帳が上がった。


音楽が流れる。舞台セットはいつか見たものと同じだったが、ちゃんとした設備の中で見るとこんなにも違うんだな、と変な所で感心した。

葵が出てきた瞬間隣の徹が体を前のめりにする。
しかしそれ以上に、客席が一気に色めきだったのが伝わってきた。他校にもファンがいるという話は、どうやら本当のようだ。


「………すげえ」


無意識のうちに、影山の唇から小さな言葉が漏れる。
確かにこれは、惚れてもしょうがないのかも知れない。そう思える程に舞台の上で揚々と台詞を語り身軽に動く葵の姿は格好よく、またイキイキとしていた。

あの日体育館で見たラストシーンまでいき、もの悲しいメロディーと共に幕が降りていく。
大号泣する徹の隣で、影山も気が付けば手を叩いていた。割れんばかりの拍手に包まれた会場に明かりがつき、興奮冷めやらぬ様子の他校生達が思い思いの感想を口にする。
静けさを失った場内で、影山は呆然としていた。
生まれて初めて芸術に感動したような気がした。

そして、妹以外の劇に興味はないと席を立った徹に続いた。








「お疲れさまでしたー!」


出場校が交代で使う楽屋に戻ってきた演劇部は、口々に労いの言葉を掛け合って爽やかな笑顔を浮かべた。
この大会で3年の引退が決まる。
そういう意味でも大事な舞台であり、またこのメンバーで演じる最後の演目でもあった。
ゆえに泣き出す部員も多く、楽屋の中は泣き声やら何やらが混ざりあって騒然としている。


「葵ー。あんた今日もイケメンだったわよー」

「先輩こそ、いつも以上にお綺麗でしたよ」


葵の相手役を演じたドレス姿の女生徒が、茶目っ気たっぷりに話しかけた。
当の本人は衣装のまま優雅に水を飲んでいて、「あんたが男だったら良かったのにい」と心底残念がる声に困ったように笑う。


「父兄の方とOBの皆さんから差し入れでーす!!」


両手いっぱいにお菓子の袋を抱えた部員の声が楽屋に響き、わらわらとお菓子が配られていくのを見つめながら、葵はペットボトルの蓋を閉めた。


「あとこれは、及川さん宛に」

「ありがとう!」

「うっわー…噂には聞いてたけど、多いわねえ」

「葵、中学の頃より量増えてない?」


『及川葵様』という紙の貼られた大きな袋は個人宛の差し入れで、葵は周りからの羨望の眼差しを受けながらそれを受け取る。
ちらりと中を見ればそこには見慣れた赤が広がっていて、また暫くは家に花が溢れるな、と笑みを漏らした。


「わ、バラばっか!」

「毎回真っ赤なバラをたくさん貰うんですよね。そんなに似合います?」


可愛らしくラッピングされたバラを見てくすくす笑っていると、一輪だけ違う花を見つけた。

オレンジ色の鮮やかなガーベラ。
ぶっきらぼうな字で『似合うから』と書かれたメモが貼ってあり、一目で影山からだと確信する。
その奥には大好物の赤堀屋のもなかの箱が見えて、次に会ったら何か奢ってやろうと決めた。


「え?これも及川さん?…うわ、ほんとすごいな……」


この花は私の部屋に飾ろう、と葵が丁寧に袋の中に戻した時、葵と同じ1年の男子部員が小学生くらいの大きさの袋を抱えてきた。
他の部員達もその周りに集まってきて、この差し入れは一体何かと考える。

もしかして、これも飛雄ちゃんから?

うきうきしながらその袋を開けると、何やらよさげな毛並みが見えた。
………………毛並み?


「……………………テディベア?」


輪になった部員の一人が、ぼそりと呟く。テディベアだ。その袋の中には、とても大きなテディベアがいた。


「まさか」


嫌な予感がしてぬいぐるみの腕についたタグを見る。
そこにはメッセージと差出人の名前が太々と書かれていた。






『兄はいつだって葵の事を見守ってるよ 徹』






タグを覗き込む事数秒。
烏野演劇部全員の声が揃った。



「「「ストーカーか!!!!!!」」」




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