銃口のマリアージュ | ナノ




「お疲れ様でしたー!」

「したーっ」


部活が終わり談笑もそこそこに皆が荷物を手に取る。
影山はエナメルにシューズを突っ込み、ファスナーを閉めようとしたところで、明日提出の課題を教室に忘れたことに気が付いた。
いつもなら1日程度遅れた所でさして気にしないのだが、今回は事情が違う。

出さなかったら留年を視野に入れるとまでに釘を刺されたのだ。
まあ英語教師の刷毛田の脅しだろうが、影山の成績が相当酷いことに変わりはない。


「なー影山、帰んないのか?」

「あー……教室に忘れ物取りに帰ってくる」


他の部員達に挨拶をしてから早々に体育館を出て、校舎内に入る。
もう陽は完全に落ちていて、学校の中に生徒は残っていないだろう。

居残り届けも何も出していない為、教師にバレたら後々が面倒だ。
ここはこっそりと教室に戻りこっそりと目的のプリントを取りこっそりと帰るに限る。

階段を登ると、非常口のライトが怪しく光り緑色に照らされた廊下が目に入った。
見慣れた場所の筈なのにも関わらず、電気が点いていないだけでこうも不気味なものなのか。

夜の学校に『出る』噂があるのは最早常識のようなものだったが、実際そういう状況に立ってみると、何となく背筋がぞわりとする。
影山は足を早めて1年3組の教室へと向かった。

左右を見て教師がいないことを確認してから、教室に足を踏み入れる。


その瞬間、暗闇から誰かの声が聞こえた。


ハッとしてその方向を見ようと目を凝らせば、机に腰を掛けた人影。
手になにか紙のような物を持っていて、その体は窓側を向いている。


「……君は何て美しいんだろう…朝露に濡れたスイートピーのような唇……染まる頬は薔薇のように可憐で、その瞳は僕を捕らえて離さない……」


「………………………おい」

「おひょおっ」


ぶつぶつと呟かれる声にまさかと思い背後から声をかけると、その後ろ姿が跳ねた。
拍子に紙の束が落ち、慌てて拾うその姿は見覚えのある――――。


「お前、今度はなにしてんだよ」

「おっ、その声は飛雄ちゃん」


相当分厚いそれを拾い上げた女は、くるりと振り返って奇遇だね、と影山にピースをした。


「……………及川葵」

「え、今さら名前なんか呼ばれなくてもわかってるよ」

「何やってんだよこんな時間に」

「何って……台本読み」


葵はほらこれ、と手に持っていた台本を見せる。
『1年3組及川葵』
でかでかと書かれた名前を何故だか自慢気に掲げながら、葵は呆然とする影山に向かって笑顔を作った。














密室のカメレオン















「こんな時間まで一人でか?」

「うん。まあ主役級で1年なの私しかいないしさ、これくらいは」


えーっと、どこまで読んだかな。
拾った台本をパラパラと捲り、葵は練習を続行する。
電気も点けずにやっている所を見ると、こいつも居残り届けを出していないんだろう。

影山は自分の席から目当ての課題を取り鞄に入れると、やや迷ってから葵の正面に座った。
荷物を肩にかけたまま手を出せば、気付いた葵から台本から顔をあげる。
開いた窓から生ぬるい風が入り込んできて、黄色いカーテンをふわりと揺らした。


「なに、その手」

「…………台本、貸せよ」

「え、なんで」

「だぁーっ!練習すんだろ?相手役の台詞読むくらいならやってやるっつってんだよ!」

「一回も言ってないよね?!」

「うるせえ、手伝いがいらないなら帰る」


頭をぐじゃぐじゃと掻きむしった影山が机から降りようとすると、葵は慌てて止めにかかる。


「うそうそうそごめんって!影山様最高まじで素敵だから練習付き合ってください!」

「………よし」


ほっと胸を撫で下ろした葵は自分が持っていた台本を影山に渡した。
蛍光ペンでラインが引いてあるのが葵の台詞だ。
内容から察するに、この間体育館で見たあの劇のものに違いない。
影山が受け取った物は読み古されていて、ページの角はよれてくたくたになっている。


「でも、ほんとにいいの?飛雄ちゃん演技とかできる?」

「棒読みの自信ならあるが、別に文字を読むくらいならできる」

「クオリティは期待してないから大丈夫」

「失礼な話だな。否定はしねえけど」

「でも………」


渋る葵にイラ立ちを覚えた影山は、台本を適当に開いて目についた台詞を読もうと口を開けた。
やって見せて、あまりに酷いと感じるようなら帰ればいい。

しかしそんな目論見はあっさりと崩れ去り、影山の口は開いたまま固まる。
葵は小さく溜め息を吐くと、だから言ったじゃんと呆れ混じりに言った。


「私の相手役、ほとんどお姫様なんだってば」


この物語、王子の台詞もさることながら姫だって負けていない。
歯の浮くような言葉を並べ立てられれば負けじと返し、結果口に出すだけで恥ずかしい台詞が出来上がっていた。


「……っじょ、上等だ!」

「飛雄ちゃんまじでやんの?!」

「当たり前だボケ!何ページからやんだよ!」

「えーと、じゃあ3ページからで」


逆ギレ気味にやる気を出した影山に苦笑しながら、葵は始めようと息を吸う。
王子と姫の出会いのシーンだ。
ざっと見た感じでいくと、たまたま出会った隣国同士の王子と訳あってひっそりと暮らす姫が恋に落ちるも、姫の方の国は裕福でないため別れざるを得ず、結局王子は別の姫と結婚する……みたいなドロドロストーリーだった。
とは言っても一応高校演劇なので、アクションありの歌とダンスありのミュージカル風らしい。

声のトーンを少し下げて男らしい顔を作った葵は、月明かりが僅かに射し込む窓をバックに微笑んで演技を始めた。


「……初めまして、麗しいお嬢さん。僕は隣国から来た者なのだけど、失礼、あまりに美しい姿に思わず見惚れてしまったんだ。よろしければ僕もその小鳥に餌をあげても?」


淀むことなく流れるように言い切り、今度は影山の番だ。


「おっ、お戯れはおよ、およしになって。旅の方、こここっ、こんなヘン境の……辺境?の、地の小娘捕まえて楽しいの、かひらっ」

「…………………ごめん飛雄ちゃん、タイムで」


手でTの字を作った葵が、何かとても残念なものを見る目で影山を見る。
当の影山は「辺境…?」と未だに首を傾げており、憐れみの視線は強くなった。


「飛雄ちゃん、焦らなくていいから。ゆっくりゆっくり深呼吸ね」

「おう」


そしてまた、二人の読み合わせは再開される。











「あ、ああああ私のオッ、王子様。どう、かその手でわたひを連れていってくれないかしゅらッ!その、たく、逞しい腕にだ、抱か…れて、ね、眠りた――――って何だよこれ!!!!」


顔を真っ赤にした影山が、限界だとばかりに台本を机に叩き付けた。
対する葵はそんな影山をにやにやと見ながら、「飛雄ちゃーん、早く続き読んでよー」と急かす。


「ふざッけんな!こんな恥ずかしい台詞読めるか――――」




「おい、まだ誰か残ってるのかー」




影山が感情に任せて叫んだ瞬間、廊下から教師の声がした。
学年主任が、最後の見回りに来たのか。
咄嗟に隠れた二人、息を潜める。


「……おっかしいな。確かにこの教室から……」


教師は1年3組に入り、一通りを眺めてから首をひねって出ていった。
恐る恐る室内を確認し去った事を認識してから、影山は掴んでいた肩から力を抜く。


「………っぶねー……」

「飛雄ちゃんバカじゃないの、あそこで大声出すなんて」

「いーじゃねーかよバレなかったんだから」

「そういう問題じゃなくて……」


いつもの言い合いが始まりそうになった時、どこか遠くの方からアオーンという犬の鳴き声が聞こえてきた。
しばしの沈黙の後、葵が呟く。


「………てかさ、この体勢やめませんか」

「………だな」


声が聞こえた瞬間、影山は葵の手を引き開いたままの窓からベランダに出ていた。
そのまま足の間に葵を置き、壁に背をつけて教師が去るのをじっと待っていたのだ。

押さえていた肩を開放すると、葵は影山の前に立つ。
それから制服のスカートを軽く払い、座ったままの影山を見下ろした。
差し出された手を素直に取り立ち上がった影山は教室内に戻ると摺り足で廊下まで行き、顔だけ出して右左右とチェック。
ゴーサインを出された葵も影山にならい廊下に出る。

コソ泥のように進んで無事校舎から出た頃には、時刻はとっくに9時を回っていた。


「お前、家は?」

「割とすぐ近く。だから歩きなんだ」

「送って行くから案内しろよ」

「は?」


校門を出て歩き始めた二人だったが、さらりと出た影山の言葉に葵が足を止める。
困惑する葵に反して、影山は当然と言わんばかりの表情だ。


「え、別にいいよ。近いんだって」

「いや気付いたんだけどよ、お前及川さんの妹なら北川第一だろ?俺はおぼえてねーけど」

「うんまあ。私も飛雄ちゃんの事知らなかったけどね」

「中学同じなら学区が同じなんだから、家も近い気がした」

「おお…!飛雄ちゃんがまともな事言ってる……」

「バカにしてんのか張り倒すぞ」

「ごめんうそ」


お言葉に甘えさせて頂きます、と葵が軽く頭を下げる。
「おう」影山が短く返事をして、二人は並んで帰路についた。



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