この行列は、一体何なのか。
隣の席から教室の後ろを横断し、果ては廊下の先にまで続いている、女子生徒の列。
皆手にラッピングの袋を持っていて、浮き足だった様子だ。
そんな列の始まりにいる女――葵を横目に、影山は眉間に皺を寄せる。
袋の中身はわかっていた。大方、調理実習で作ったカップケーキだろう。
「あっ、あの、及川さん…これ…」
「ありがとう、すごく上手だね」
「そんな…お、お口に合えば……」
「こんなに美味しそうなカップケーキが合わないわけないよ。……でも私は、君の方が食べちゃいたいかな…」
「っ、あ、………め、めしあがれ……」
葵が一人の女子の顎を掴み甘いマスクで囁けば、見ているこちらが恥ずかしくなるほど少女の頬は赤く染まる。
並んだ列からは悲鳴にも似た歓声が上がり、事態はいよいよ収拾がつかなくなっていた。
一人一人にキザな台詞をかけるものだから、この謎の軍団の回転率はすこぶる悪い。
優しい言葉+美味しく頂くね、とラッピングにキスをして微笑むオプション付き、学年中の女子のカップケーキはこいつに回っているんじゃないだろうかと思える、机の上の山。
結局昼食時間の間影山は、葵の口から紡がれるこっ恥ずかしい台詞の数々を聞いていた。
気まぐれディスタンス
「いやぁー、大漁大漁!」
机からはみ出る程積まれた色彩豊かな包装の数々を満足気に見つめながら、葵はほくほくとそのうちの1つを開ける。
実習のカップケーキとは言え味やトッピングは自由だった為、バリエーションも豊富らしい。
チョコチップの入ったやつを大口開けてかじり、葵がにやにやと影山の方を見た。
「あれあれ〜飛雄ちゃんもしかして、私が羨ましいのかな〜?」
「んなわけねーだろ」
――――――通称、烏野の王子様。
クラスメイトから聞いた葵の異名は、本人を知らなければ大仰にも思えるものだろう。
中学校から演劇を始め、恵まれたセンスと容姿で瞬く間に中学校内外問わず人気が出る。
大会には近所からファンが寄せ、花束やプレゼントがただの演劇部員の域を越えていたとかなんとか。
優しい物腰と女子だからという取っつきやすさで、入学して数ヵ月で『王子様』の称号を得たんだそうだ。
「飛雄ちゃんも人気あるんだから、私ほどじゃなくても何個かはもらえそうなものなのになあ」
「は?俺が人気?」
「そー。いつも顔が怖くて近寄りがたいから、隠れファン達が敬遠しちゃってんの」
オレンジマーマレードの香りが漂う生地を頬張りながら、葵は笑顔!と頬を弛めた。
卓越した運動神経と整った顔立ちで、影山の人気があるのも事実だ。
ただ教室にいるうちは寝ているかむすっとしているかのどちらかであるため、話しかけ辛いと遠巻きにする女子が多いのもまた事実。
……当の本人は気づく様子もないが。
「…………お前はさ」
「ん?」
「なんで男役なんてやってんだよ」
飲み物を買おうと席を立った影山が、思い出したように葵に尋ねた。
唐突な質問に7個目のカップケーキを頬張っていた葵はぱちぱちと瞬きをした後、ケーキを離して口角を上げる。
「…………かっこいいから」
「あ?」
「難しくてかっこよくて面白いから、かな」
それは、いつの日か自分の言った言葉。
「てか飛雄ちゃん、いつものぐんぐんヨーグルト買いに行かなくていいの?」
教室の後ろのドアを指差し促されて、影山は我に返って頷いた。
…………及川葵。
やっぱり、腹の見えない人間だ。
「全員集合――――!」
澤村の声が第二体育館に響き渡り、各々個人の練習をしていた部員達がわらわらと集まる。
「今から第一体育館に移動すんぞー」
「えっ、何でですか?」
ぴょこんと手を挙げた日向を筆頭に、全員首をかしげた。
不思議そうにする部員の輪の前に武田が出てきて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん、みんな。実は明日ここを使うみたいでさ、今から準備があるらしいんだ」
「今丁度バスケ部も女子バレー部も練習試合でいないらしいから、そっち使わせてもらう事にしたんだと」
「……澤村君説明ありがとう。言い忘れててごめんね」
事情を理解した部員は各自荷物を持ち、第一体育館へ向かった。
「おおおお――――!!やっぱ広いなあ――――!!」
「あったり前だ、2面取れるんだぜ!」
「こらこら日向と西谷、叫んでないで準備しないと大地に怒られるよ」
普段2つの部活が使用している第一体育館はステージありの広い場所だ。
テンションを上げる二人を尻目に影山は荷物を床に置き、早々にボールを持つ。
「ねえ、演劇部が幕を上げたいらしいんだけど、大丈夫かな」
「まだ始めてないんで大丈夫ですよ」
影山はそんな監督と主将の会話を聴いて、ふと顔を上げた。
ステージに目をやれば、ゴウンゴウンと音を立てて緞帳が上がっていく。
ステージの上は何やら豪華な装飾が施されていて、先日の居残り時の葵の衣装を思い出した。
幕が全て上りきると、続いて何かの音楽が流れ始める。
見ると周りの部員も皆手を止めて、舞台上に魅入っているようだ。
もの悲しげなメロディ、パッとついた照明は中央前を明るく照らし、そこにいた二人の人物を浮き彫りにする。
「おぉーっ、あの子が噂の王子様かあ」
菅原が納得したように手を打ち、他の2、3年もああ、あれが、と頷き合った。
どうやら、葵は相当有名らしい。
「――――――姫、どうか泣かないでくれ」
けして強く張っているわけではないのに、よく響く澄んだ声。
あの日に聞いたジュリエットの声より幾分低い、落ち着いた、声。
シンと静まり返った第一体育館に、ピアノの音楽と葵の台詞が、響く。
「私は彼女を娶る。しかし、私はいつだって貴方の事を想っている。だから、そんなに泣かないでくれ」
質素なドレスを身にまとった少女が、すすり泣く。
物語のラストシーンだろうか、小さく洩れる泣き声と、胸に沁み入る甘い声が、雰囲気をより悲しいものにさせていた。
「…………さようなら、愛しい人」
涙に震えた声が空気を揺らし、少女は王子に背を向ける。
その後ろ手を力強く掴んだ葵は自分の元に引き寄せ、強く、強く、抱き締めた。
たった数言の台詞で伝わってくる緊迫感に、バレー部はただただ舞台を見ている。
そして、影山もその一人だった。
教室で見せるおちゃらけた声でも偽物めいた笑顔でもない、真剣な、葵の姿。
本当に役に『入っている』というのが、嫌が応でもわかる。
「――――――これでお別れならば、最後に一度だけ」
悲痛な囁きと共に姫と呼ばれた少女の体を反転させ、ゆっくりとその唇を重ねた。
演技とは言いながらも他人のキス(しかも同姓同士)を目の前で見たというのに、気恥ずかしさなんてものは微塵もない。
圧倒されるとは、まさにこのこと。
言葉も出せない程濃密な空気、絵画のような美しささえ感じるその神々しさに、影山は口をつぐんだ。
『難しくてかっこよくて面白いから』
『私は男役をやってるんだよ』
長い長い口付けに合わせて音楽も盛り上がりを高めていき、緊張感が最高潮になった所で、緞帳が降りていく。
ぽかんとしていたバレー部からちらほらとまばらな拍手が生まれ、影山も気が付けば手を叩いていた。
「…………すっげー」
誰かがぽつりと洩らした感想に、皆こくこくと首を縦に振る。
これが本当に同年代の人間が演じているものなのか、と感嘆の溜め息が出る。
初めて見たクラスメイトの『王子様』の演技は、たったワンシーンで影山の意識をぐっと掴み、離さない。
日向に声をかけられるまで、影山はその場に立ち尽くしていた。
「影山ぁー、コーチが肉まんおごってくれるってよー」
帰り道、うきうきとした田中が嬉しそうに振り返る。
影山は少し迷ってから鞄に手を突っ込み、目的の物を取り出した。
「………あー、俺今日はいいっす」
そうか、と言ってぱたぱたと走っていく田中から目をそらし、影山は袋を開ける。
出てきたのは、やや不格好な形をしたカップケーキ。
『女子から貰えなかった可哀想な飛雄ちゃんには、優しい優しい葵さんからプレゼントをあげるよ』
HR後部活に行く前そう言って渡されたカップケーキを食べながら、皆の後ろを歩く。
「…………………フツーだな」
葵らしいプレーンな味を楽しみ、影山は夜空を見上げた。
今夜は、月が綺麗だ。
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