銃口のマリアージュ | ナノ




「……すると、誰もいない筈の廊下から、カツーン、カツーンと足音がする……」


抑揚のない、淡々とした声が暗く静かな森にこだました。
あえていて感情を消したトーンは雰囲気作りにばっちり役立っており、物々しい空気につられて緊張感が高まっていく。


「見るとそれは長い髪の毛で顔が隠れた女の人で、何かを呟いていた……」


語尾が消え入るようにフェイドアウトした、その束の間、途端に早まった口調は息を吐かせる間も与えない。


「私を殺したのは誰、私を殺したのは誰…?彼女は徐々に歩くスピードを上げていき、狂ったようにそればかりを繰り返す…私を殺したのは誰、私を殺したのは誰、私を殺したのは……」





「お前だっっ!!!!!」





一際大きな声に、辺りの木々もざわざわと揺れた。語り手は満足のいく出来だったのか、自信ありげに微笑んでいる。
しかしびしっと指を指された当人は驚いているのか、はたまた怯えて声も出ないのか、じっと黙ったままだった。葵は不思議に思い道に当てていた懐中電灯を彼の顔に向ける。

すると、光に照らされた顔はきょとんと首を傾げ、口を開いた。


「俺は、殺してねえぞ?」


数秒の間をおいて、ぽかんと口を開けた葵はわざとらしく溜息を吐く。
それから怒ると言うよりはむしろ諦めたような口調で、「ほんとさあ、」と切り出した。


「飛雄ちゃんって、びっくりするくらい空気読めないよね」

「む、俺がKOだって言いたいのか」

「うん、多分KYって言いたかったんだろうけど間違ってるからね。それじゃノック・アウトだよ」

「はあ?ノックアウトはNAだろうが!」

「knock out でKOだよ!!」


ローマ字は英語だろ?とでも言いたげに眉をひそめる影山に、葵は諦めたように首を振る。
割と鉄板な怪談を臨場感たっぷりに話したつもりだったが、キング・オブ・KYには通用しなかったようだ。


「で、今の話の何が怖かったんだ?」


心底意味がわからないと怪訝そうな表情を浮かべた影山は、頭の中で今しがたされた話を反芻する。
夜の学校に肝試しで忍び込んだある少年が、妙な気配を感じトイレに逃げ込み廊下を見ていると、ヒールの音が聞こえてくる。よく見ればそこには知らない女性がおり、「私を殺したのは誰」と言っている。そして殺したのは……。


「うん、俺じゃない」

「いや、わかってるよそんなの!飛雄ちゃんが殺してないのは知ってるから!」


じゃあ何故そんな話をしたのだろうか。
話の意味も葵の意図もわからず影山が尚も首をひねった。

葵は「もー、折角飛雄ちゃんが言うから話したのに、全然伝わんないし」と不満げである。


「なに?飛雄ちゃん怖い話とか大丈夫な人なの?」

「怪談は、よくわかんねえ」

「あー、じゃあもう、日本昔話とか話せばいいのかな」


投げやりな口調で言った葵に、影山が「日本昔話?」と尋ねた。

葵の持つ懐中電灯の光は丸く足元を照らし、道なき道を2人は歩いていく。
段々と足場が悪くなっていき滑りやすくなっているが、一歩一歩気をつければ問題は無さそうだ。


「カチカチ山とか知らない?」

「? 聞いたことないな」

「うそ、結構有名な話だと思うんだけど……」


少しだけ驚いたような顔をした葵は、その昔読んだ絵本を思い出しながら、隣を歩く影山にカチカチ山の話を始めた。

2分後。


「……こ、こえぇ………」


先ほどまでの比ではないほどに、影山はがたがたと震えていた。


「え、そんなに怖かった?」

「怖いなんてもんじゃねえだろ! 背中を焼いてその傷口にからしを塗った後、泥の船に乗せて沈めるなんて、まともな兎ならやらねえよ!!」

「いや、まあまともな兎がどんなことをするかは知らないんだけどさ」

「そもそもその殺された狸はばあさんを殺してじいさんに食わせたんだろ? そっちも気が狂ってるとしか思えねえ……」

「いやー、それはそうだけど、一応これは物語だからさ」

「くっ……本当の悪はどっちなんだ?! ばあさんを殺した狸は勿論悪いが、その狸を世にも残酷な手口で殺した兎にも罪があるんじゃないのか?!」

「飛雄ちゃーん、大変盛り上がってるとこ悪いんだけどさ、実はさっきから言い出せずにいたんだけどこの道だいぶ地図から外れて、」

「いや、待てよ……まさかじいさんが黒幕という見方も……」

「おい聞けやそこの一年坊主」

「……つまりじいさんはばあさんの事を邪魔に思っていて……あえて狸をゆるく縛ってばあさんを殺させ、悲劇の主人公を演じ最後に兎に狸を殺させれば……」

「どうでもいいけど飛雄ちゃんこういう時だけやけに頭使うよね、知恵熱出るんじゃない?」

「あとは兎の酒に毒でも盛って殺したら、じいさんの完全犯罪の完成じゃねえか! 真の悪はじいさんだったのか……盲点だった」

「ねえ飛雄ちゃん、だからここ正規のルートガン無視の道なんだってば」

「待てよ、それを見越した兎が酒のグラスをシャッフルしたとして、」

「ストップ、今すぐその話と足を止めろ」


いい加減に痺れを切らした葵が独り言を続ける影山の前に立ち、通せんぼするように両手を広げた。
それに気付いた影山ははっと目が覚めたように顔を上げ、ぱちぱちと瞬きをする。


「? どうしたんだ?」

「どうしたんだじゃなくて、私達ぶっちゃけ迷ーーーー」


葵が状況を説明しようと口を開いた次の瞬間、不意に辺りが真っ暗になった。お互いの顔をぼんやりと照らしていた明かりが急に消え、一瞬影山は混乱に陥る。

しかしすぐに懐中電灯の電池が切れたということを理解し、先ほどまでそこにいた葵の顔の辺りを凝視した。


「最悪、普通こんな時に切れる?」

点かないか試しているらしく、カチカチというスイッチを押す音に混じって、少し苛立った葵の声が聞こえる。
段々と暗闇に慣れてきた影山の目は薄ぼんやりと彼女の姿を認識し、どうするべきか考えあぐねていた。


「とりあえず、獣道じゃなくて人が通った跡のある道に出ないと」

「ここが地図に書いてある道じゃねえのか?」

「さっきその話散々したよ!」


葵の言ってる意味はよくわからなかったが、とりあえず今ピンチなことは影山にもわかる。

月明かりすら木々に阻まれて微かなこの状況で、唯一の光が消えたのだ。
加えて、足元はさっきよりも随分悪くなっている。ぬかるんだ土の感触を靴裏に感じていると、影山の頭にある一つの考えが浮かんだ。


「……携帯出せばいいんじゃないのか?」


3秒ほどの沈黙を経て、大分暗闇に慣れてきた影山の目は無言でポケットから自身のスマホを取り出す葵のシルエットを捉えた。





「さて、一体私達はどれくらい地図から遠ざかってるんだろうか」


葵のスマホから出る光は懐中電灯に比べるとかなり小さく弱いものではあったが、それでも全くないよりはずっと良かった。

細い光を頼りに歩き進める葵の隣を歩きながら、影山はちらりと彼女に目をやる。
ーーーーこいつは、俺のなんなんだ?
昨夜布団の中で考えた問いをもう一度掘り起こし、冷静に考え直してみた。

ただのクラスメイトと言うほど浅いわけでもないし、かと言って友人という言葉が似合う関係でもない。
葵のことを女として見ているかと言われればNOと答えるが、男として見ているわけでもない。強いて言うなら「及川葵」単体として見ていると言うのか。言葉では表せない複雑な感情が一気に押し寄せてきて、影山はとっさに葵から目を逸らした。

道は舗装されたものになるどころかどんどん荒れていき、ぴょんと伸びた草を踏みながら進む。

どこからか吹く風は涼しく、暗闇の中で木々を揺らした。ザワザワと葉同士がぶつかり合う音が聞こえる。


「あーっ、もうなんでここ圏外なの!」


立たないアンテナに苛立った葵が少し強めに画面をタップした瞬間、本体を握っていた手からスマホが滑り落ちた。
一瞬暗がりが照らされ、ガサッ、と草の間に落ちる音が鳴る。


「あっ、」


二度目の明かりを失った2人の目は、ただ圧倒的に黒で塗り潰された視界の中で、咄嗟に葵のスマホを探した。


「ごめん! 飛雄ちゃん」


先に暗さに慣れた影山が音のした辺りにしゃがみ込み、手探りで硬いものを探す。湿った草のなかに手を突っ込めば……ビンゴだ。影山はそれを掴み立ち上がると、明かりがついたままのスマホを葵に手渡した。


「ほら、落とすなよ」

「え、飛雄ちゃんが優しい……」

「うるせえ」


心底驚いた顔をしているのがわかり、影山は頭を掻く。

しかしほら行くぞ、と言おうとしたその時、今まで足を支えていた地面がずるりと滑り、体がぐらりと後ろに傾くのを感じた。


「え、うお」


慌てて出した反対の足もぬかるみに取られ、やけに涼しい風に吹かれながら影山は自分が落ちるのを感じる。
ああ、そう言えばルートを外れると崖があるって言ってたな……。
思い出すのが少し遅かった。

だがまた次の瞬間、影山が前に出していた左手が葵によって掴まれた。


「飛雄ちゃん!!」


ぐいっと、それこそあまり女の子らしいとは言えない力強さで影山の体は上に引かれる。
だが流石に持ち上げるまでには行かず、体重の重い影山に引っ張られるようにして、葵の体も崖から飛び出した。


「〜〜〜っ」


体をぶつける痛みに、声にならない叫びが上がる。崖の下も湿った地面で、草があるお陰でそこまで硬くなかった。コンクリートか何かだったら大怪我を負っていたに違いない。


「「…………」」


影山と葵はお互いの顔を見て黙り込む。何故なら落ちた衝撃で倒れこんだ結果、影山の上に葵が乗るーーもっと言えば押し倒すーー形になっていたからだ。

真正面、それもかなりの至近距離にある葵の顔を見るしかない影山は、よく回らない頭で今の状況を必死に整理する。
つまり今規定のコースから相当に外れた道を行っていて、かつ崖から落ちたことで本格的によくわからない所に来ていて、それから……。
まとまらない思考をそれでもどうにかまとめようと苦しんでいると、2人の沈黙を唐突に葵が破った。


「……ねえ飛雄ちゃん、足、ひねっちゃった」


影山の両耳の横に手を置いた状態で、葵は尚も言った。


「歩けない、かも」





ドロップ弾く音がする



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