「……お前、何してんだ?」
影山の訝しげな声を聞いて、木の根本にうずくまる人影の肩がぴくりと跳ねた。
宵闇に溶け込んだ黒髪。格好はスウェットのようだが、月明かりさえもほとんど木々に遮られている今その姿は薄ぼんやりとしか見えない。
初めは暗闇の中目を凝らしてどうにか正体を探ろうとしていた影山だったが、やがてずっと握っていた懐中電灯の存在を思い出した。今更のようにスイッチを入れると、パッと夜の森には不釣り合いな程明るい白い灯りがつく。
丸い光に照らされた人物は地面に向かって手を伸ばし、何かを拾う仕草をした。金属のチェーンだろうか、一瞬キラリと光る。
いっそ眩しいライトに照らされているのは、どうやら影山よりも先に出発した班の人間らしい。手首に付けられたカラーテープの色で判断し、それから「ん?」と首を傾げた。
短い髪の毛といい、薄い水色のTシャツを着た背中といい、どう考えても自分の直前にスタートしたアイツに思えてならない。
眉を顰めた影山の問いに、じっとしていた生徒がくるりと振り返る。
予想通り過ぎる人物とタイミングが良過ぎる登場に、意識せずとも自然に影山の口から溜息が漏れた。ここまで来ると最早運命めいたものすら感じてくる。一体何故、こうもこいつと関わる機会が多いのか。
いつもより幾分ラフで動きやすい格好をした馴染みの級友は、いつもと変わらない茶化したような物言いで、懐中電灯の光の中笑顔を作った。
「やっほー飛雄ちゃん、飛雄ちゃんこそ、一人でどうしたの?」
そこにいたのは言わずもがな、及川葵その人である。
氷菓子とブロッサム
自然教室2日目の醍醐味は、何と言っても肝試しだ。
宿泊施設のすぐ裏にある入り口から入ると、整備された山道が見える。毎年烏野高校1年はこの行事の際にそこを登って祠まで行き、教師達が置いたお札を取ってくるというのが習わしになっているのだ。
途中生徒によるお化けの仕掛けなんかは無し、純粋に薄暗い山道をただ歩くだけであるーー勿論、何も出なければの話ではあるが。
噂によると長い髪の女を見ただとか、子供に裾を引っ張られただとか、(よくよく聞いてみると気のせいや友人だったりするのだけど、本人は至って真剣に怖がっている)とにかくその手の目撃証言は後を絶たない。
しかしながら何代にもわたってずっと続けられてる所を見ると、ケガ人も出ない人気のあるものなのだろう。
「影山、お前もうクジ引いたか?」
クラスメイトにそう尋ねられ、影山は「まだだ」と首を振った。見れば友人の手には既にくじ引きの紙が握られており、先は黄色に塗られている。
「早く引いた方がいいぞ、段々残り物になってくからな」
「残り物だとまずいのか」
「そんなことはないけどな、数少ない女子とお近付きになれるチャンスかも知れねえんだぞ?」
意地の悪そうな笑みをうかべた目の前のクラスメイトに、影山は「そうか?」とさも興味なさげに返事をした。
だがまあ友人が舞い上がってしまう気持ちも、分からなくはない。
肝試しは毎年班分けで割れてしまうため、近年は平和的な解決が求められている。
具体的にはクラスの人間をごちゃごちゃに混ぜ、早い者順でくじを引いていく。同じ色のくじを引いた者が二人組になって、祠へと向かうのだ。
当然の事ながらそこには男女ペアになる所もあり、クラス一可愛い女子と2人になれるくじなんかは秘密裏に取引されることすら珍しくもない。
「3組でまだ引いてない奴引けー」
催促の声に導かれて、影山はそろそろ行くかと足を踏み出した。
担当教師の持つ箱の中に手を突っ込むと、なるほど。確かにもうほとんど残っていない。まあどれでもいいかと適当に指に当たった紙を引き抜けば、先の方にはオレンジ色が塗られていた。
「あっ、影山くんオレンジ?」
ペアになるのは誰だろうかと影山が辺りを見回していると、後ろから不意に声をかけられた。
振り向いたそこに居たのはクラスメイトの女子で、持っているくじは影山と同じ物だ。ということは肝試しを行うのは彼女と、ということになる。
「よろしくね、影山くんあんまり怖がら無さそうだから頼りにしてる」
「あ……うス」
ふわりと微笑んだ女子は、「じゃ、またあとで」と手を振って友達の方に行った。教室ではクラスメイトとそこまでよく話す方ではない影山だが、その子の事は知っていた。確か昨夜、好きだなんだと話題になっていた気がする。
「そうか……今のが普通の女子か……」
至極当たり前のことをぼそりと呟いた影山は、あいつがおかしいだけかと納得した。
普段から葵というイレギュラーな存在とつるんでいると、つい女子というものがわからなくなってしまうが、これはもしかして真っ当な高校生活を送るチャンスなんじゃないか?
影山ははたと気づき、葵を目で探す。ーーいた。
彼女も既にくじは引いており、ペアも確定していた。つまり邪魔をされる事もない。
及川葵と関わって早数ヶ月。よくも悪くも影響力の強過ぎる烏野の王子様に、影山は振り回されっぱなしだ。それが今、初めて解放されそうになっている。このチャンスを活かさない手はないだろう。
『それでは肝試しを始めます、1組から順番に列を作ってください』
拡声器越しの声を聞いて、人がぞろぞろと動き始める。くじの色と同じカラーテープを手首に巻いて、教師の合図と共にスタートだ。
「楽しみだね」
隣に立つ女子が影山を見上げる。
この身長差が一般的な男子と女子なんだよな、あいつがでかすぎるだけなんだよな。肩までのゆるくウェーブした髪の毛を揺らしながら、彼女が弾んだ声を出す。それが何だか新鮮で、影山はいかに自分が異常な人間と一緒にいたのかを痛感した。
「オレンジ班スタート」というゴーサインの後、影山は隣の少女をエスコートするようにして山道を歩き始めた。
そして、話は冒頭に戻る。
「……どうして、こうなった…………っ」
「ちょっと飛雄ちゃん足止まってるよ、シャキシャキ歩く!」
淡い期待は瞬く間に消え去り、気が付けば影山はいつものように葵の傍にいた。ずんずん歩いていく見慣れた後ろ姿を目で追いながら、深い溜息を吐く。
「いやあ、それにしてもまさか、あーやのペアが飛雄ちゃんだったとはねえ」
やけに機嫌よさげに歩いていく葵が、聞き慣れない人名を交えながら朗らかに笑った。
「あーや?」と影山は首をひねってから、先ほどまで一緒にいた女子だと思い出す。
「それで私のペアが永浦くんでしょ?なんていうか、飛雄ちゃんには運命を感じてならないよ!」
「なんでだよ」
「だってそうじゃなきゃ、私達は今頃普通にペアになった子と肝試ししてたんだよ」
あの子達が2人でこっそり回りたいなんて言わなければさ。
飄々と歌うように言う葵を見ながら、確かに、と影山は顎を引く。引いたくじの色が同じだった訳でもない影山と葵がこうして肝試しをしているのには、それなりの偶然が重なったという理由があるのだ。
一言で言うなら、影山のペアと葵のペアは恋人同士だった、それだけである。しかも体育祭をきっかけに付き合い始めたラブラブカップル、勿論一番はお互いがペアになることなのだろうが、くじである以上そう簡単にはいかない。ので、それぞれが相手に了承を得て離れ、自らの恋人の元へ行ったという訳だ。
残された影山と葵は1人行動を開始ーー程なくして2人は会い、結局共に行動するようになって今に至る。
「お前、こういうの怖くねえのかよ」
一歩前を淀みなく進んでいく葵には、ふと疑問に思って聞いてみた。女子はお化けなんかを怖がるイメージがあるが、目の前の彼女の頼もしい背からはそのような恐怖は微塵も感じられない。
ピクニックにでも行くかのような明るい足取りを追い追い、影山も進んでいく。
「怖くないよ、だって私が怖がったら飛雄ちゃんを誰が守るの」
しれっと言い放った葵に影山は思わず「は?」と聞き返す。一体何故、俺が守られることになっているのか。
「俺も別に怖くねえぞ」
「またまたあ。兄貴に聞いたよ?飛雄ちゃん中学の頃の合宿でやった肝試し、怖すぎて途中で泣いちゃったんでしょ」
「なっ、あ、あ、あれは、中1だぞ!ほぼ小学生みたいなガキの頃なんだからノーカンだろ!」
誰にも知られたくなかった黒歴史を葵が知っているという事実に、影山の頬が一気に赤くなった。
確かにそんな事もあったが、まさか高校の人間にバラされているだなんて。
及川徹許すまじ、と赤い顔を震わせ密かに復讐を決意していると、得意げに振り返った葵がずるりと足を滑らせた。
「わっ」
「っと」
影山は咄嗟に手を出し、半袖から伸びる葵の腕を掴む。
バランスを失った体は引かれるままに後ろに倒れ込み、影山の腕の中にぽすんと収まった。
「気を付けろよ、地面若干ぬかるんでるから」
「うん、ありがと」と斜めになった身体を起こし、葵はゆるい土で汚れたスニーカーを見た。いつ雨が降ったのかは覚えてないが、恐らくまだ乾ききっていなかったのだろう。ルートを間違えれば小さな崖もあると聞いたから、慎重に進まなければならない。
懐中電灯の光を頼りに、暗く深い闇の中を影山と葵はまた歩き始めた。
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