銃口のマリアージュ | ナノ




携帯のアラームが和室に鳴り響くより早く、影山は目を覚ました。ぱちりと開いた目は見慣れない天井をじっと見つめ、数秒考えた後に自然教室だということを思い出す。

寝ている間に足元に追いやっていた掛け布団を引っ張り、ぼんやりした頭をどうにか持ち上げた。周りを見ても起きているクラスメイトは誰もおらず、影山は大きな欠伸と共にスウェットの中の腹を掻く。
ぐっと伸びをして立ち上がると、ようやく体が起きてきた。肩を軽く回し、枕元に置いておいた携帯を手に取る。5時15分、いつもより少し遅い。

昨夜教えてもらいながら設定しておいたアラームを苦心の末に解除してから、影山は部屋の壁際に寄せていた自分の鞄からジャージを取り出した。それから皆を起こさないように手早く着替え、配られたプリントに載っていた宿泊施設周辺の地図を思い浮かべる。周りをぐるりと一周するだけでもかなりの距離だし、そう迷う事もないだろう。朝食の時間までには戻ってこれるはずだ。


「……よし、行くか」


時計代わりの携帯をポケットに入れ、影山は小さくつぶやき気合を入れた。そしてそっと襖を開けると廊下を見渡し、教師たちの姿がないのを確認したのち、影山は堂々と部屋を出て行った。



「む?」


愛用のスニーカーに履き替え、入り口から少し離れた所で準備運動を始める。屈伸で脚の筋肉をよく伸ばしておかないと、走っている途中で攣る羽目になるのだ。


「むむ?」


その場でジャンプし、体の力を抜く。手首と足首をぐるぐると回して筋肉をほぐした所で、コースを見るため道路に出た。
やはりこの時間では、さすがに車も人も通らない。新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込み深呼吸をする。


「むむむ?」


影山は中学生の頃から、毎朝のランニングを欠かした事がほとんどない。
勿論体調不良や台風など、どうしても無理だった時はあるが、それ以外は基本毎日走るようにしている。バレーは体力が命なのだから。
だから影山は朝早く起きて家の近所を走り汗を流してから学校に行くし、校内マラソン大会なるものがあれば常に上位をキープし続けている。しかしそれは影山にとって苦でも何でもなく、大好きなバレーの練習の一貫なのだ。


「むむむむ?」


いつもより入念に体を伸ばした影山は足を一歩出すと、そのままスピードに乗りーーーー


「やあやあ飛雄ちゃんおはよう!こんな素晴らしい朝に会えるなんて奇遇だね、葵さんの日頃の行いの良さが表れてるのかな?」


ーーーーかけた所を、後ろから声をかけられた。振り向かなくとも主はわかる。先ほどからちらちらと視界に入っていたが影山が無視を決め込んでいた人物である。


「……なんでいるんだよ」


いつも通り朝からハイテンションがフルスロットルな葵に渋々目線をやり影山は心底嫌そうに返事をした。が、聞いた後に彼女の服装を見て自分と同じ目的かと判断する。
葵の格好は、影山みたく上下ジャージで、行きには履いていなかったスニーカー姿だった。男子は運動靴が多いが、女子は制服に合わせてローファーを選んで来た生徒がほとんどだ。葵もそうだったのだから、わざわざ持ってきたのだろうか。

「ジョギングが日課なんだよね」と答えた葵は、影山の隣に立つとアキレス腱を伸ばすように片足を後ろに出した。早朝らしい、爽やかな風が吹く。
いくら今は涼しいとはいえ、季節的にはまだギリギリ夏だ。日が昇れば昇るほど残暑に悩まされることになる。そして何より、早くしなければ朝食に間に合わない。


「飛雄ちゃんも、この周りぐるっと走るつもりだったんでしょ?私もご一緒していいかな」

「駄目って言ったら付いて来ないのか」

「その時は多分、たまたま同じスビードで走ることになると思うよ」


さらっと言い放った葵に諦めた影山は、嘆息交じりに「勝手にしろ」と言い、一歩目を踏み出した。硬いコンクリートを蹴って走る影山の隣を葵はにこにこと笑いながらついて行った。















ミルクとレモネード













「…………時に飛雄ちゃん、君はロリコンだったりしないかい」

「俺はロリコンじゃねえし、もしそうだったとしたらお前どうすんだよ」


道路にしゃがみ込んだ影山と葵は、腕を組んだまま唸った。目の前には涙目の少女が一人座っており、見たことのない高校生二人に囲まれた緊張か、人見知りか、恐怖か、若干逃げ腰になっている。
年は見た目だと、8、9歳といった所だろうか。黒い髪の毛をぱっつんと切った、小柄な小学生くらいの女の子だ。

そんな子供の前でこの2人が何をしているかというのを説明するため、話は約10分前に遡る。

なんだかんだ言って並走していた影山と葵は、いつしかスピードを上げ速さを競うようになった。初めは影山の優勢かと思ったが葵も思いの外粘り、勝負は無言で白熱していく。そして当初思い描いていたコースから外れ、まるっきり知らない道に出てきた所で、道端に座り込んで泣いている少女を見つけたのだ。


「これはこれは、可愛らしいお姫様。こんな場所で何故泣いているの?」


流石というかなんというか、影山の瞳が女の子の姿をとらえるのより早く、葵は彼女に声をかけていた。
ここまで来たら、人見知りしないとかそんな次元じゃない。こいつは幼女までいけるのか…?と半ば本気で考えながらも、影山には到底難しい芸当である。確かにこういうときは、葵の物怖じしなさがありがたい。影山一人では、怖がらせてしまうだけだろうから。


「迷子になっちゃったのかな、お名前言える?」


今の俺たちも絶賛迷子だけどな、と喉のすぐそこまで出かかった言葉を無理やり飲み込む。
少女は突如現れた人間が、女か男か微妙に判断がついていないようだったが、やがておずおずと唇を開いた。


「…は……み、みちる、です、8歳です」

「みちるちゃんか、可憐な名前だね。君にぴったりだ」


みちると名乗った少女と同じ目線までしゃがみ、葵はにこやかな笑みを浮かべた。しかしみちるはまだ警戒しているようで、ぎこちなく頷くだけだ。

影山は何をするわけでもなく、ただ葵の後ろから2人を眺め、どうしようかと考える。
正直な所、影山は小さい子供が苦手だった。そもそも同級生にすら目つきが悪くて怖いと言われる事があるのに、自分と10ほど離れた子供に愛想を振りまけるわけがない。
だから影山は、葵がみちると話しているのを後ろから見ることに徹していた。太陽徐々に明るさを増している。走り始めてどれくらい経ったかは、わからない。


「みちるちゃんは、どうしてここにいるの?」

「……みちるね、パパに会いに来たのに、ママがいなくなっちゃったの……」

「そっかあ…ママとどの辺ではぐれちゃったか覚えてる?」

「わかんない………」


みちるの瞳にまたじわりと涙が溜まり、ぽろりと頬を伝った。そんな様子を見た葵は影山の方を振り返り、「ごめん飛雄ちゃん」と謝った。


「朝ごはん間に合わないと思うけど、許してね」

「まあ、しょうがないだろ」


あっさりと答えた影山に葵は「さすが」と冷やかすように笑って、みちるの手を取り立ち上がった。


「みちるちゃんのママは、この及川葵と飛雄ちゃんが責任持って見つけてあげよう!」




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