影山たちの班は女子の大部屋である藤の間で班会議をすることになった。明日の予定の確認と、野外炊飯の役割分担。芽衣子を中心として進められた話し合いは思いの外早く終わり、他の班が顔を突き合わせている横を影山と香川はお先にと通っていく。
『飛雄ちゃんは、終わったら香川くんに上手いこと言って先に部屋に戻っててもらって。娯楽室ね!』
葵の言う通り香川に「便所に行くから先行ってろ」と言った影山は、素直に娯楽室に向かった。
つい先ほどまで白熱したバトルを繰り広げた卓球台を撫で、その奥にあるビリヤードの台に目を向ける。ちらりと時計を見れば消灯まではまだ少し時間があった。昔どこかでやった時の記憶を引き出しながら、影山は構える。
「お待たせ飛雄ちゃん、待った?」
入り口の方から声が聞こえ、影山は顔を上げた。そこに居たのは言わずもがな葵であり、どこか楽しげな笑みのまま室内に入ってくる。
「で、作戦会議って何すんだよ」
「そのまんま。香川くんと芽衣子ちゃんがどうにかして仲良くなるように仕向けるの」
台を挟んで影山の向かい側に立った葵は、「前役作りで練習したんだよね」と言ってキューを手に取った。浴衣姿にビリヤードというのも中々不釣り合いではあったが、それは影山も同じだろう。
「とりあえず、あの子達を二人きりにしないとだよね」
「どうやるんだよ」
三角形に固められたカラーボールに向かって、葵が手球を勢いよく撞いた。キューに力を加えられたそれは強く三角形の頂点を弾き、的球は見事に散らばる。
確かに、練習したというのは本当らしい。
影山の質問に、葵はニヤリと口許を歪めた。飛雄ちゃん忘れたの、とからかうような口調で言葉が放たれる。
忘れる、とは。影山は脳をフル回転させ自分が何を忘れているのかと考えたが、思い出せなかった。そんな様子を正面から見ていた葵は、テーブルに身を乗り出して内緒話でもするようなボリュームで答えを言う。
「肝だめしがあるじゃん」
葵の言葉を聞いて、影山はああなるほどと頷いた。先程やった班会議で明日の予定を確認する際、芽衣子がそんなことを言っていたのを思い出したのだ。
肝だめし、それは夏の風物詩。
毎年夏休み明けに行われるこの自然教室では二日目の夜に肝だめしをするのが通例らしく、今年も開催される。元は十何年か前の生徒が始めたのがきっかけなのだが、以来とぎれることなく続いているのを見るとよほど人気があったのか。いずれにせよ先輩達は「楽しかった」と口を揃えていた(旭を除いて)。
葵の突いた手球が的球を弾く。コロコロと台の上を転がっていったオレンジ色のボールは、ゆっくり、しかしあっさりポケットに吸い込まれた。
「その肝だめしで香川くんと芽衣子ちゃんをペアにするの!」
「でもクラスごっちゃでくじ引きだぞ」
「んなもん葵さんにかかればどうってことないから」
任せなさいよ、と自信ありげな笑顔で、葵はボールを弾いた。青がポケットに入る。キューを持っているだけの影山はテーブルに軽くもたれ掛かり、まあいいかと息を吐いた。
「その他にもたくさん作戦を用意したんだけどさ、飛雄ちゃんどれがいい?」
まるでケーキを選ぶようなトーンの質問に「どれでもいいんじゃないのか」と適当な返事をし、影山は手持ち無沙汰にキューの先を見つめる。
「もー、ちゃんと考えてよ」
少しばかり不満げな葵の言葉に影山また小さく溜め息をついた時、白によって弾かれたカラーボールがひとつ、ポケットにストンと落ちた。
アイスランドの片隅で
「影山は?」
ふと話を振られ、影山は慌てて枕に載せていた頭を持ち上げた。完全に春高の事に集中していた思考を無理矢理現実に引き戻し、仰向けだった姿勢をうつ伏せにする。
大部屋の中心に枕を向ける形で敷かれた布団、消灯をした室内は暗いが、クラスメイトの一人が持ってきたスマホの明りでお互いの顔がどうにかわかるようになっていた。ほぼ全員が布団から顔だけ出して肘をついている所を見ると、何かを話していたのだろう。
何が、と影山は問いの主を見た。
その対応に大袈裟に顔をしかめたサッカー部の男子生徒は、念を押すように呆れた顔を作る。
「だから、影山は好きな女子いないのかって」
「あー……」
『いかにも』な話題に、思わず納得してしまった。宿泊学習の夜男子が全員集まって話すことと言えば、十中八九恋バナかエロ談義と相場が決まっている(と、中学の時に実感した)。
好きな女子、か。自分を見る好奇の瞳を振り払うようにして、影山は考えた。しかしながら無いものは唸ったところで無いわけで、数秒の逡巡の後に「別に」と淡白な答えを出す。
「えーーー」
「つまんねーーー」
ブーブーとブーイングが飛び交い、影山はむっと唇を尖らせた。つまらなかろうが何だろうが、生まれてこのかた恋愛の意味で好きになった女子などいないのだ。そもそも女子とまともに話した機会が少ない。
「つーかあれじゃん、バレー部にめっちゃ可愛い3年のマネージャーいるだろ」
「あーわかる!!ちょっとエロい感じの眼鏡の先輩な!!」
「……清水先輩」
「そう!その人!!そのシミズ先輩とかは?」
右斜め前の男子に爛々と輝く目を向けられ、影山の脳内に潔子の姿が浮かんだ。
真っ直ぐで癖のない黒髪、透き通るように白い肌、切れ長な眼と細い縁の眼鏡。加えて口許のほくろがセクシーだと西谷が熱弁していたのを覚えている。清水潔子は、客観的に見ても間違いなく魅力的な人間だ。
とは言えそれが世間一般の『恋』とやらかと言われれば、違うと答える。影山飛雄にとっての清水潔子はあくまで部活のマネージャーであり、よき先輩だ。そこに恋愛云々の入り込む隙は1ミリもない。
「好きも何も、あの人はただのマネージャーだろ」
「ハア?」
「な、なんだよ」
思ったことを口にしただけなのに、今度は鬼のような形相で睨まれた。気が付けば自らを取り囲む目が冷たくなっており、影山はたじろぐ。
それから一斉に吐かれた溜め息に、意味がわからないというように眉間に皺を寄せた。
「………お前さあ、ほんとに高校生?」
「あ?当たり前だろ」
「ほんとに?実は未来から来た人型ロボットとかじゃなくて?」
「人類を倒すために派遣されたターミネーター的存在じゃなくて?」
「最先端科学技術の結晶のアンドロイドじゃなくて?」
「飛び級した小学生……はあり得ないか。こいつバカだし」
「おい待てそれが一番可能性あんだろ」
「ないわ」
「ない」
「影山が飛び級とか日本終わってる」
「隕石落ちるかも」
「お前ら何が言いてえんだよ!!」
批判の嵐に影山が枕を叩くと、ぼふんと空気の抜ける音がした。痺れを切らした影山の言葉に一同はキョトンとし、それから口を揃えてこう言った。
「「「「「「お前を男子高校生とは認めない」」」」」」
そのメンバーには当然のように香川も入っていた。
「話を戻そう」
スマホの持ち主である男子生徒が、重々しい声で切り替える。議論の内容は『影山は男子高校生か否か』になっており、当の本人は不服そうな表情だ。
しかし当人の事情など全くお構い無しに話し合いは始められ、1年3組の部屋は異様なムードに包まれている。
「ではまず村井検察官、被告人についてお願いします」
「はい」
名前を呼ばれたテニス部の男子が、布団から少しだけ這い出て真剣な顔を作った。
「えー、烏野高校1年3組影山飛雄氏はあまりにも恋愛に関して疎く、又健全な男子高校生なら誰もが興味を持つ18禁的なホニャホニャにも関心を示さない為、男ではないのではないかという疑いがかかっています」
「なるほど」
「なるほどじゃねえよ」
影山以外の全員がうんうんと頷き、枕を叩いて上半身を起こす彼を冷たい目で見る。
「続いて証人、浜谷」
「はい。私は被告人とは中学の頃からの知り合いですが、彼が誰かを好きと言っているのを聞いた事がありません。更にどういう訳かモテるにも関わらず、その全てを断っています」
「なるほど羨ましい」
「本音が洩れてるぞ」
そんなことを言われたって、と影山は小さく息を吐いた。告白された事はあるが、よく知らない女子に「好き」と言われても戸惑うしかなかったのも事実だ。
サバトか何かのような空気の中、議長の生徒が結論をまとめるような仕草をし、顎の下で指を組んだ。そしてそのまま影山の方を見て、ピッと人指し指を立てる。
「さて被告人影山、選んでください」
「……何をだよ」
「1、影山飛雄は飛び級した小学生である」
「違う」
「2、影山飛雄は未来から来た人型ロボットである」
「違う」
「3、影山飛雄はホモである」
「違う!!」
「「「「3で異議なーし」」」」
「オイ待てコラふざけんな」
声を合わせた3組一同の賛成に影山はバッと立ち上がり、布団の上で叫んだ。しかしすぐに「シーッ」と宥められ、渋々元の場所に戻る。
灯りのスマホは12時半過ぎを示しており、数人は早くもうつらうつらと瞳を閉じ始めていた。
「でも影山さあ、最近及川と仲良くない?」
ぽろりと誰かから出た声に、一瞬の間が出来る。
及川葵。
もはや学校全体の有名人と言っても過言ではない名前は、その場にいた者に頷かせるには十分だった。
目付きの悪さや取っ付きにくささえあるものの、整った顔立ちと卓越した運動のセンスで隠れ人気のある影山と、ファンクラブが存在するほど女子から圧倒的な支持を得ている葵のコンビは、クラス内外問わず話題になっている。
「確かになー。まあ及川はあんま女子って感じしないけど」
「わかるわ。正直俺らより女子に人気あるしな……」
「え、でも及川は顔も性格もよくね」
「いいけどさあー、うーん……」
女よりも男前な女というのは、男子からしてみれば扱いにくいことこの上ない。
女子に優しく男子に気さくで、スポーツ万能かついつも笑顔を浮かべている及川葵について真剣に考え出すと、恋愛対象に入るか入らないかで思考のループに入ってしまうのだ。
まさか葵について言われると思ってなかった影山はぽかんと口を開け、クラスメイトが口々に話す彼女の顔を思い浮かべる。
「ぶっちゃけ、影山と及川ってどういう関係?」
「どうって………」
影山の脳裏を目まぐるしく巡るのは春から今までの思い出で、その記憶の殆どで葵は笑っている。
初めて隣の席になった時、本気で男だと思った。永遠の憧れでライバルである及川徹の妹で、しかもその徹から勉強を直接教わるなんて思ってもみなかった。
部活の後に演技の練習に付き合った。舞台を見に行った。体育祭は盗難やら誘拐やら色々あったが、何だかんだ言って大成功をおさめたような気がする。
入学した時、ここまでクラスで一緒に過ごす人間が出来ると想像しただろうか。放課後アイスを食べて帰ったり、花火をして警察に追いかけられたり、思い返せばロクでもないものも多いが楽しかったのは事実だ。
「………あいつは、俺の先輩の妹で…たまたま隣の席だからよく話すだけで……」
だけど、それだけでこうも親しくなるものなのか。
「テンションが高くて、俺のことちゃん付けで呼ぶのはあいつとあいつの兄貴くらいだから……」
自分で言っている内にわからなくなっていき、影山は黙り込んでしまった。部屋自体も何とも言えない空気になり、一人がぽつりと「寝るか」と呟いたのをきっかけに皆寝る体勢になる。
頭の中をぐるぐると悩ませながら、影山も布団の中で仰向けになり天井を見つめた。
及川葵、あいつは一体俺にとってどういう存在なのだろうか。
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