銃口のマリアージュ | ナノ




「飛雄ちゃん、今日の帰り坂ノ下寄ってかない?」


家に帰って何をしようか、と挨拶もそこそこに鞄を掴んで教室を出ようとした時だった。
クラスの女子生徒にいつものように笑顔を振り撒き手を振っていた葵に背後から声をかけられ、影山は体の向きを変える。
午後から教師の会議があるとかなんとかで昼食後は即下校と言われた日。
学校帰り寄り道に誘われてもいつもなら速攻断るのだが、今日は夏休み始まってからは怒濤のスケジュールだからと珍しく放課後練がないのだ。

「私も今日は休みなんだよね」と、影山は何も言っていないにも関わらず、ニコニコと葵が同意する。
「私も」って、「も」ってなんだ。


「なんでお前が、部活ないこと知ってんだよ」

「だから、私の情報網を見くびらないでってば」


飛雄ちゃんの予定は起床時間から就寝時間まで把握してます!

どこかのペコちゃんばりに舌を出しウィンクした葵に、影山の肌がぞわりと粟立つ。
勿論そんなわけはないのだが、こいつならやりかねないと思ってしまう程、葵の冗談は冗談に聞こえないのだ。
今までの言葉が全て嘘だったと言われれば「ああ確かに」と思わせる黒さが、腹の底にある。


「あれおかしいなー、今どこかでものすごい悪口を言われたような気がするよ」

「頭だけじゃなく耳もおかしくなったんじゃねーの」

「なに飛雄ちゃん最近私に冷たくない?なんなの反抗期なの?盗んだバイクで走り出すの?」


そう言われてみて、影山は自分がこんなにクラスで喋る人間だったかと今さらのように驚く。
まずこの目の前のクラスメイトを女子と定義することに不満はあるが、少なくとも葵と隣になるまで影山は教室では大人しかったし、基本的にむすっとしていた。
同じクラスの人間でさえうろ覚えな顔も多く、女子に至ってはまだ1度も喋った事のない者もいる。
そんな中、一人の女子生徒と『名物』と称されるまでに話すようになるとは、入学当時の影山からは考えられなかっただろう。


「及川さん、また明日ね!」

「今日も最高にイケメンだったよ!」

「うん、じゃあね。皆はいつも以上に可愛かったよ」


控えめに手を振る女子に葵が笑顔で言葉を返せば、「及川さんに可愛いって言われちゃった!」と興奮気味に教室を出ていった。
廊下からはキャーキャーというはしゃぐ声が聞こえてくる。
もしも声に色があって、しかもそれがペンキみたいに液体だったとしたら、葵は真っ黄色に染まるんだろうなとしょうもないことを考えた。


「やー、女の子ってどうしてあんなに可愛いんだろ。あの子達とハゲ田が同じ人類とか、考えたくもないや」


クラスメイトが皆帰り2人だけになった教室で、葵がしみじみと呟く。
机の横にかけてある鞄を肩に背負い「よし、行こうか飛雄ちゃん」と言う葵に「いつ行くって言ったんだよ」と返すも、笑って誤魔化された。


「ほらほら、あんまり教室に残ると先生に怒られるよー」


白々しく影山の背中を押す葵への抵抗に疲れ、なすがまま廊下に出る。
なんだかんだ言って毎回に押しに負ける自分にどうかと問いたくもなったが、そんなこと考えるだけ無駄だ。

アイス食べようアイス!

はしゃいだ様子で階段を軽やかに降りていく葵の後ろを、影山は呆れ混じりに追いかけた。














お日様とキャラメリゼ














「………悪かったって言ってんだろ」


太陽が南中に向けて高度を上げていっているのが、肌でわかる。
1秒ごとに少しずつ気温が上がっているようにしか思えず、自分が吐いた息すら熱をもって体にまとわりついてくるものだから、鬱陶しくてしょうがない。


「別に?飛雄ちゃんが謝ることじゃないし」


わざとらしく顔を背けた葵は手に持ったスプーンでアイスを掬い、これ見よがしに口へ運んだ。
あー美味しー。演劇部が聞いて呆れる程の棒読み加減の言葉に、影山はこっそり息をつく。
太陽の光に照らされた影山のアイスは順調に溶けかけており、慌てててっぺんからかじりついた。
シャク、と氷菓の名に相応しい爽やかな食感と冷たさが広がり、少し遅れて夏の風物詩であるアイスクリーム頭痛がやって来る。


「やっぱりアイスはハーゲンダッツのバニラに限るね!この甘さこそ至高だよ!」


上品なパッケージのアイスをどんどん食べ進めていく葵の隣で、影山はもう一口アイスバーをかじった。
坂ノ下商店の前、ギリギリ顔が日陰に入れるくらいのスペースに二人並び、帰りアイスを食べている姿なんてまるでカップルのようだ。しかし影山はこの半端じゃなく面倒な女をどう対処しようかという事しか考えておらず、店内からチラチラと視線を向けてくる烏養にも気づいていない。

事の発端は、つい数分前の話だ。
帰り道もほぼ一緒の影山と葵は二人揃って坂ノ下に入り、アイスを買うつもりだった。
そこで事件は起こる。
葵がトイレに行っている間に、影山が目当てのアイスをレジに買ってしまったからだ。
一足先に会計を済ませた影山の持つアイスを葵が指差し口を開けた所から、今現在に至るまで同じようなやり取りが続けられている。


「ガリガリ君梨味なんて、ここ以外でも買えるし」


尖らせた唇を隠そうともせず刺のある言葉を放つ葵に、影山も首を振り肩をすくめた。
ラスト1つだった梨味を影山が食べるのと葵が気付くのはほぼ同時で、 間に合わなかった葵は不貞腐れたままハーゲンダッツを買ったのだ。


「…………ほら、」


面倒くせえ、と心で思いながらも口には出さなかった影山が、ぶっきらぼうに食べかけのアイスを葵の顔の前に持っていく。
中で新聞を広げた烏養が目を見開き凝視しているとも露知らず、子供っぽく頬を膨らませた葵はちらりと影山を横目で見た。


「………………………食わねえと溶けるからな」


ぐい、と口元に寄せられたガリガリ君を確認して、葵は大きく口を開く。
上から見下ろすとよくわかったが、伏せられたまつげの長さに不覚にも脈拍が一瞬速くなった。
血色のいい唇が、食むように動く。薄く色付いた頬は僅かに上気していて、まるで葵ではないみたいだ。

反射的に腕を引っ込めようとした影山を現実に戻したのは、シャクッを超えてザクッになった、氷の塊を削り取るような音だった。


「あっ!テメェ一口でほとんど取りやがって!ボケェ!!」

「ごひひょーひゃまへしは(ごちそうさまでした)」


その小さな唇からは想像できない程、葵の口内はブラックホール並みだったらしい。
4分の3が瞬きしている間に消え失せたガリガリ君と犯人を交互に睨み、影山は「くそ!」と悔しそうに言葉を洩らす。
何故忘れていた。こいつは元からこういう奴だったじゃないか。
ぐおお……と激しいアイスクリーム頭痛と闘う隣の馬鹿には目もくれず、影山は自らの詰めの甘さを悔やんだ。

ヤンキー座りでしゃがみこみ頭を抱える葵の手が、影山に向かって伸ばされる。
言葉もなく差し出されたのは普段そうそう食べる機会のないアイスの王様。

食べていいということなのか、とハーゲンダッツとスプーンを掴み、葵の手に溶けかけのガリガリ君を持たせる。
高級感溢れるバニラに銀の匙を突き刺し、一口分を掬って食べた。
ぶわっと鼻まで抜けていくバニラの香りは、どこまでも甘く神々しい。

アイスを交換して食べる二人を見る烏養がどこか遠い目をして「俺も…結婚しようかな……」とぼやいているのには、気づく由もなかった。










「おい、まだ追ってきてるか?!」

「バリッバリ!やばいってなんか人増えてる!!」


同日の夕方6時過ぎ、まだ太陽の沈みきっていない河川敷を、二人の高校生が全速力で駆け抜けていく。
夕映えが道を朱く明るく照らす中、負けず劣らず赤い警棒を持った警察に追いかけられながら、葵の持つバケツが右に左に激しく揺れる。


「待てーっ!そこの高校生二人組ー、君たち止まりなさーいッ!!」

「止まれって言ってんぞ、お前止まれよ」

「ちょっと飛雄ちゃん冗談が過ぎるね。待ちたい男グランプリ1位の座は飛雄ちゃんなんだから」

「なんだよ待ちたい男グランプリって!」

「そんなん私が知るわけないじゃん!」


何故こんなことになってしまったか、それは影山の握っている物が原因だ。
遠目から見ればカラフルな紙の筒、手持ち型の花火は総数でいうと20本近くある。


「大体、お前が花火やりたいとか言い出すからこんなことになってんだろ!」

「私のせいにすんの?!河川敷でロケット花火やろうとか言い出したのは飛雄ちゃんでしょ!」

「吹き出す奴やったのはお前だろーが!」

「私パラシュート花火には反対したもん!」


責任を押し付け合い擦り付け合う二人はやがて口喧嘩している場合じゃないと気づき、やや冷静になって打開策を提案した。


「……一回落ち着こう、飛雄ちゃん。私にいい作戦があるの」

「手短にな」

「まず、飛雄ちゃんが囮になって警察官を引き付けます」

「ほうほう」

「―――その隙に私が逃げる」

「歯を食い縛って辞世の句を考えろ」

「タンマ!軽い葵ちゃんジョークだから!!」


拳を作った影山を慌てて制し、葵が口をつぐむ。


「俺にいい考えがある」


やや自信ありげな顔で、影山が言った。


「この手持ち花火全部火を点けて、後ろに向かって投げないか」

「飛雄ちゃんは犯罪歴を増やしたいの?!ねえ?!」


駄目だ、まともな案が出てこない、と焦る葵にお前もなと返した影山は、ここに来てようやく最終手段に出る決意をした。
二人とも部活のある身、もし捕まってしまえば謹慎ないし部停を免れる術はないだろう。
隣を見ると葵もその覚悟を決めたようで、頷いた。


「俺は右で」

「じゃあ私は左ね」


幸運を祈る、と河川敷を降りて住宅街に溶け込んだ影山と葵は、宣言した通り二手に別れて走り去っていく。



夏休みまであと1週間となった夏の日、西日は傾き黄金色の光で道を照らしている。

眩しいほどに輝き噎せ返る程に青くて濃い夏は、まだ始まったばかりだ。


18/26

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