銃口のマリアージュ | ナノ




「――――じゃあ、今日の授業はここまで」


チャイムの音が鳴り、教壇に立った教師が自身の腕時計をちらりと確認する。
日直の号令に合わせてクラスからはやる気のない挨拶が飛んで、午前最後の授業が終わった。
次は昼休憩ということでようやくの解放感を噛み締めながら、影山は大きく伸びをする。
珍しく真面目に受けた、と黒板の内容をきちんと写したノートを満足げに見つめてから机上の教材を重ねてまとめた。

ロッカーに片付けようと椅子を引いた時、視界に入り込んだ存在に気付く。
左隣で盛大に眠りこける葵は妙に幸せそうな顔で夢の世界に行っており、戻ってくる気はさらさらないようだ。

にへらと口許を弛めて眠る葵の表情が何故だか気に入らず、頭で考えるより先に手が出る。


「あでっ」


年がら年中バレーボールに触れている影山の指がしなり力を溜め、渾身のデコピンが寝ている葵の眉間にクリーンヒットした。
表面の薄い皮に当たった感じではない、恐らく頭蓋骨にでも響いてるんじゃないかというほどの鈍い音。
一体何の夢を見ていたのかは知らないが影山の妨害により安眠から脱却した葵は状況がいまいち掴めていないらしく、額を押さえてしきりに目を瞬かせている。


「授業終わったぞ」


何食わぬ表情で席を立った影山はすぐ後ろのロッカーに荷物をしまい、机の横のエナメルから財布を出した。
ほんのり赤くなっている部分を不思議そうに擦りながら首を傾げる葵はやがて頷き、白紙に近いノートをぱたんと閉じる。
影山は次回ノート提出と教師が言っていたのを思い出したが、まあいいかと勝手な判断を下し黙ったまま財布を片手に机を離れた。


「あっ、飛雄ちゃん自販機行く?」


背を向けた影山は葵の声に振り返り、「おう」と返事をする。
影山の昼食はいつもと変わらず、惣菜パンとぐんぐんヨーグルトだ。
鞄から財布を取り出した葵に、まさかパシられるんじゃないかと密かに身構えると、本人は椅子を引き立ち上がる。
シンプルなデザインの長財布を掴んだ葵は実に自然な動作で影山の隣に並び、よし、行こうと笑った。


「お前もヨーグルト買うのか?」

「私は普通に飲み物買いたくて。持ってきた分じゃ部活まで保たない気がする」


白のサマーニットが影山を追い越し、一足先に廊下へ出る。
続いて教室のドアを通ると冷房の効いた室内と違い、籠ったような熱が体を包んだ。
連日のすさまじいまでの晴天は今日も今日とて健在で、蝉の鳴き声が自分達を焼いていくトースターの音に聞こえてくる。


「飛雄ちゃん、早くしないとご飯の時間終わっちゃうよ」


冬物よりもかなり薄いらしい夏服のスカートを翻した葵に急かされ、影山は小走りで廊下を進んだ。
しかしすぐに、影山の肩が何者かによって叩かれる。

振り向いた影山に、その人物は頬を掻き声のボリュームを落としながら言った。


「…あの、さ…ちょっといいか……?」


顔を見合わせた影山と葵は目の前の人間をきょとんとした面持ちで見返し、眉根を寄せて曖昧に頷く。
ぱっと表情を輝かせた男は真剣な顔で「実は、」と用件を述べた。














ソーダ水に溺れろ














「松島芽衣子。誕生日は9月24日のてんびん座B型。大の祭好きで田舎に帰ったら御輿担ぎに参加するほど。身長162センチで痩せ気味、胸はCとDの間ってところかな」


体重はプライバシーに関わるから秘密ね、と付け足された言葉に胸のサイズはいいのかと聞き返したくなったが、それこそセクハラだと思い口をつぐむ。
ガコン、と聞きなれた音を従えて落ちてきたいつもの紙パックを屈んで取り、ペットボトルのお茶を飲む葵を見た。
裏側のストローを手早く外して、パックに差す。


「…………なんだよ、それ」

「あの子のプロフィール。香川君の話聞いてなかったの?」

「いや聞いてたけど、なんでそんな事まで知ってんだよ」

「葵さんの情報網をなめないでよ。だけどいやあ、芽衣子ちゃんを選ぶとは、彼も中々の眼鏡フェチみたいだね」


メガネというワードが出てきて、影山はようやく頭に『松島芽衣子』なる人物の全体像を思い出すことができた。

松島芽衣子、体育祭後からカツカレーを食べ過ぎたともっぱら話題のクラスメイト。
落ち着いた言動(ただし祭と名のつくものの最中は除く)とクラスの司会進行などを進んで務めることなど(あとメガネ)から頭がいいと思われがちだが、実際は中の下ぐらいというなんとも残念な級友である。

何故その芽衣子の話がいきなり出てきたかと言うと、答えは一つだ。


「協力してほしい、ね」


『俺、マジで松島さんの事好きなんだよ。だからさ、協力頼むよマジで!』

パンッと顔の前で両手を合わせた3組の生徒―――香川祐希に頼まれたからだった。
プールを覗こうと以前影山に提案したバスケ部の角刈りで、それなりに顔もよく爽やかなスポーツマンであるため、最初話を聞いたときは自らの耳を疑ってしまった。


「あの二人がカップルになったら面白そうだしさ、しようよ飛雄ちゃん」

「協力っつったって、俺は何をすればいいんだ」

「それは今から考えるんだって」


好奇心に満ちた目でどうしようかな、なんて呑気に案を出せるのは、当事者でないから以外他ならない。
女子はいつの時代もいくつになっても恋バナが好きと聞くが、葵も例外ではないのだろうか。
……いや、こいつはただ単に面白がってるだけか。
「やっぱここは食パンくわえてぶつかるしかないんじゃない?」などと笑っている葵を見ながら、影山は小さく溜め息をついた。
汗をかいた紙パックは影山の手を濡らし、秒刻みで中のヨーグルトがぬるくなっていく。
握られ冷気を失いつつあるそれを慌てて口につけ勢いよく中身を吸い込むと、中途半端にぬるい乳酸菌飲料の味が広がった。

自販機の隣の壁にもたれ掛かって、うんうん唸りながらも楽しそうな葵を見る。
昼休み特有のガヤガヤとした声と激しすぎる蝉の自己主張が交わり、影山の耳に入ってくる。

影山には、彼女というものがいた試しがなかった。
恐らく中学生の頃に、他の中学生達と同じように思春期が訪れていたとは思うのだが、恋愛に関しては人一倍疎いままだったのだ。
告白されたことがなかったと言えば嘘になる。
しかし放課後呼び出され想いの丈をぶつけられても、影山の心が少しでも揺らぐことはなかった。
よくある「今は部活に集中したい」という言葉は、影山にとっては断るための方便でもなんでもなく、純粋極まりない本心からの言葉だ。
きっとこれからも、バレー以上に自分を熱くさせるものはないだろうと、わかっていたから。
だからこそ影山は恋愛に興味がなかったし、ましてや他人の色恋について関わるつもりは毛頭なかった。

なかった、が。


「ほら、飛雄ちゃんももっとしっかり考えてよー。休憩時間終わっちゃう」


この目の前の女の様子から考えるに、どうやら影山も無関心を貫く訳にはいかなそうだ。
ヨーグルトを飲み終え、くわえていたストローから口を離す。
パックを潰してすぐ近くのゴミ箱に捨ててから後ろにいる葵を見れば、「あ」と何かを思い付いたように呟いて笑顔を浮かべた。


「………自然教室が、あるじゃないですか」


自然教室、聞いたことのあるような気がする言葉だ。
どうにか記憶を探った結果、今朝のHRで担任の配っていたプリントに行き着いた。


「それを、どうすんだ」

「だからー、芽衣子ちゃんと香川君を同じ班にすればいいんだって」


自然教室というのは、夏休み明けの9月上旬行われる、1年だけの合宿みたいなものだ。
二泊三日で、修学旅行の縮小版だと思えばいい。
行動班の4人組を休み明けには決めておけよ、と担任は言っていた。


「は?2人班なんて認められねーだろ」

「……ほんっと、飛雄ちゃんって頭の回転鈍いよね」

「今の明らかに悪口だろ!」


察しが悪いなあ、と大袈裟に肩をすくめて首を振った葵を不満そうに影山が見る。
そして人差し指をビシッと影山に突きつけ、高らかに言い張った。


「自然教室のメンバーは、芽衣子ちゃん香川君飛雄ちゃん私の4人で決定!異論は受け付けません!」


ぽかんと葵を見ていた影山は彼女の表情を見て、何かを悟ったように空を仰ぐ。
頭上の高いところを流れるように飛んでいく黒い影を、現実逃避気味に見つめた。



―――ああ、カラスが鳴いている。


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