銃口のマリアージュ | ナノ




「……………眩しいね」


座ったままだと言うのにじわりと首筋に伝う汗に影山が眉根を寄せると、葵は何かを悟ったような目でポツリと呟いた。

葵の向こう側から差し込む光が目に痛く、影山は眉間に寄せた皺をそのままに顔を隣へ向ける。
頬杖をつきうっとりとした眼差しで教室内を見ている葵は恍惚とも物憂げともとれる息を洩らし、もう一度呟いた。


「………女の子達の肌が、眩しいね飛雄ちゃん」


衣替えもすっかり終わり、クラスの全員が夏服を着用している。
校庭の緑もいよいよ繁茂し、入道雲が堂々と陣取る空はまさしく夏のそれだ。
例に漏れず半袖のブラウスに替えいつものホワイトのサマーニットを着た葵は心なしかギラギラした目で、教室の一番後ろからクラス内を見ている。
黒板に大きく書かれた『自習』の文字を確認してから、影山は葵の言葉を噛み砕き曖昧に頷いた。

この暑さで頭がおかしくなったのだろうか。
聞き間違いでなければたった今、およそ同い年の同性に向けたとは思えないような言葉が聞こえたような気がする。


「………は?」


数秒のタイムラグの後、影山が首を傾げながら聞き返した。
その様子を見た葵は「わかってないなあ」と人差し指を振り、振った指で教室の中央を指す。


「夏、夏だよ飛雄ちゃん!気温に比例して短くなっていくスカート、大衆に曝される生足、現れる二の腕に汗ばむうなじ!どこをとっても美味しい季節がやって来た!」

「エロオヤジかよ」

「失礼な、うら若き16才の女子高生だよ」

「俺の知っている女子高生はクラスメイトのうなじに興奮はしない」


興奮じゃないよ、美への飽くなき探求心だよ。

口を尖らせて反論する葵を、影山は心底残念なものを見るような目で見た。
溜め息と共に教卓に目をやると、プリントを配って「自習!」と言い放った教師が腕を組んでうつらうつらと船を漕いでいる。
影山が視線を葵に戻した時にはまたしても形容しがたい表情を浮かべており、呆れつつ窓ガラスの奥にピントを合わせた。
聞こえてくる蝉の鳴き声はここ数日勢いを増していて、耳にこびりつく程だ。

一問たりとも解いていない真っ白のプリントに目線を落としてから、影山は葵に倣って頬杖をついた。


―――一波乱あった体育祭を終え早くも1週間が経った。

トラブルに見舞われた怒濤の1日から変わったことは特になく、以前のような日常が続いている。
強いて言うなら黒板の上に学年優勝のトロフィーが飾られたのと、委員長がカツカレーの食べ過ぎで太りつつあると噂され始めた事ぐらいだろうか。
渦中にいた川北美織もすっかりと大人しくなり、今は及川葵ファンクラブの一員として日々葵を見て悶えているそうだ。

濃かったような気もするし、そうでないような気もする。
茹だるような暑さとそれを覆す爽快感を残して終わった体育祭は、今も影山の心の隅の方で小さな熱を発していた。


「…………青いな、」


去年この教室を使っていた生徒が学年末に掃除してから、恐らく一度も拭かれていない窓。
その先に澄み渡る蒼穹に向けて呟かれた言葉は、水溜まりに落ちた雨粒のように、跡形もなく溶けていった。














ブルー・サイド・ブルース














「あっぢぃー」


水道水で潤った喉から、気だるげな声が出された。
額に垂れてきた汗を拭ってから、影山は声の主である隣の男子生徒を見る。
かなりの高気温。汗の流れる頬は僅かに上気していた。
高度を上げた太陽は単位面積辺りの光量を増量し過ぎたらしく、コンクリートからは湯気が立ちそうだ。


「ずるいよな、俺もプール入りてえよ」


影になった段差に腰を下ろしたクラスメイトに「俺だって入りたい」と返事をして、外気温でぬるくなってしまった水を泣く泣く体に取り入れる。
ぬるま湯は影山の喉の渇きを増長させるような気もしたが、体が切実に水分を欲していたのだ。

歩いているのと変わらない位のペースでだらだらと走っている男子が、影山達の姿を見つけて足を止める。


「あと何周?」

「もう終わり。俺達10周走りきったから」

「げ、早いな」


4限目の体育は、女子が水泳で男子がマラソンなのだ。

影山と同じ速さで走り終えたバスケ部の角刈りは、あと2周残ってると言っただらだら組に声をかけて、影山の方に振り向いた。
まだ若干整っていない息を吐きながら目の前の男の顔を見れば、みるみるうちに口元に笑みが広がっていく。
ニンマリ。そんな表現がよく似合う、何か新しいイタズラを思い付いた、子供のような顔。


「女子のプール、覗きに行ってみようぜ」


男子高校生らしい提案に影山が頷いてしまったのは、ノルマを達成して暇だったからだと信じたい。










いいスポットがあるんだ、と連れていかれたプールのフェンス越しに中を見て、影山はようやく葵の言葉が意味するものを理解した。

確かに、眩しい。

自由に泳ぐ時間なのか、3組の女子たちはお喋りに花を咲かせながら水面をちゃぷちゃぷと揺らしていた。
1年の内で1ヶ月程しか見る機会のない紺地の水着からはむき出しの四肢が伸びていて、太陽の光を反射している。
加えて水面もキラキラと光っているし、きゃっきゃとした華やかな笑い声も相まって、そこはちょっとした理想郷のようであった。


「ひょー、何となく気付いてはいたけど、佐伯ってやっぱり隠れ巨乳なのな」


フェンスに指をかけニヤニヤと笑っている隣の男は、先程から胸部か脚にしか目がいっていないらしい。
その表情は自習中の葵のものと重なって、影山は思わず笑ってしまった。


「近藤もいい脚してんな……」

「……あんま見てるとバレるぞ」

「馬鹿野郎、そん時は影山も同罪だからな」


言い返そうと口を開くも、現在の自分の体勢を思い出して言葉を詰まらせる。
下手に呼び出されて部活停止でもくらったら、やばいのではないだろうか。フェンスから体を離して、未だにプールを食い入るように見つめている隣の男子に声をかけようとした時、不意に影山の視界の端に肌色が写りこんだ。


「うおっ」

「なーにしてんのかなー」


つむじの辺りに衝撃が走る。固いような柔らかいような謎の力の正体に気付いた頃には、覗いていた二人の髪の毛からは大量の水が滴っていた。

全身が一瞬ひんやりとした感覚に包まれた後、むわっと蒸気のようなものが立つ。そこだけ一気に湿度が上がり、涼しい筈なのに息苦しい気がした。


「げっ、及川」

「もう一回水かけてあげようか?」


水色のバケツを掲げた葵を見て、犯人はこいつかと影山は納得する。
高さの関係上二人の目の前には葵の脚があり、顔を見ようと見上げるには太陽が眩しかった。
一歩下がり目を泳がせれば、大げさな溜め息がつかれる。


「……覗くにしてもさあ、こう、もっとバレないようにしなよ」


女子としてその注意でいいのか、と言及したくもなったが、責められる立場にある以上口には出せなかった。


「頼む及川、見逃してくれ!」


顔の前で手を合わせている隣の男も、影山と同じように部活の事を危惧しているのだろう。
葵は腰に手をあて「はいはい」と苦笑し、「じゃあさっさと戻りなさいよ」と手で追い払う仕草をした。

これは、教師には言いつけられないで済むという事か。


「サンキュー、やっぱ王子様は違うな」

「ありがとう、少なくとも私は覗くとかそんなはしたない真似はしないからね」


茶目っ気のある笑みを浮かべた葵に影山は何かを言いたげな目を向け、それから背を向けた。
我先にと逃げていく角刈りの後を追おうとすると、背後から名前を呼ばれる。「飛雄ちゃん」

影山が振り返ると、どこか嬉しそうに笑う葵と目が合った。


「……なんだよ」

「いやあ、葵さんは安心しました」


紺地のスクール水着に身を包んだ葵の白い肌に、面食らう。
眩しい。均整のとれた肢体は無駄という二文字を知らないようで、程よく引き締まっていた。


「安心?」

「飛雄ちゃんも、女子に興味があったんだなって」

「俺は着いてきただけだ」

「またまたあ」


このス・ケ・ベ、と語尾にハートマークの飛んだ言葉を楽しそうに投げ掛けた葵は、笑顔のまま影山を見下ろす。


「そもそも、お前だってさっきうなじがどうたらって言ってたじゃねえか」


自習の時間の葵の言った事を思い出しながら反論すれば、言ってないよ、と白々しい返事が返ってきた。
見上げた顔は逆光により深い影を作っていてる。


「夏に眩しいのは、女の子の笑顔に決まってるよ」


どこまでも爽やかに言い放つ葵に呆れて物も言えず、影山は息を吐いた。かなり遠くに逃げていた角刈りが「影山ー?」と名前を読んだのが聞こえ、足を後ろに引く。

そちらに行こうと体を向け、しかしふと思い立って振り向けば、葵はフェンス越しにヒラヒラと手を振っていた。
心底満足げな微笑みを見て、小さく呟く。


「…………ほんと、訳わかんねえ」


どこまでが本心なのか掴めない飄々とした姿は、今日も健在のようだが、あいつには夏が似合うな、と影山は一人頷いた。


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